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別離

 二〇〇〇年の十月。鈴木の部屋に同じ秘書仲間の木村典子がやってきていた。しばらく連絡がなかった典子から急な電話があり驚いたが、結婚に向けて準備をしないといけないと思っていた鈴木はもちろん歓迎した。

 ベッドの中で鈴木は典子に聞いた。

「どうしたんだい、なにか悩み事でもあるのかい? 近いうちに君のご両親にも挨拶に行かないといけないのに、君がそんな暗い顔じゃ、ご両親に顔向けできない」

 典子はためらいながら答えた。

「その話なんだけど……」

「その話って、君のご両親に挨拶にゆくって話?」

「それだけじゃなく、あなたとの結婚の話……」

 鈴木は声が詰まった。

「え?」

「気が変わったわけじゃないの。今でもあなたを愛しているわ。そうじゃなきゃこうして会いになんてこない……でも、あなたと結婚するわけにはいかない事情ができたの」

 鈴木はベッドの中で起き上がって聞いた。

「事情って?」

「父が経営している工場が、バブル崩壊以降もなんとか続けてきていたんだけど、もうだめらしいの。負債は何十億とか……御手洗社長に父の会社の件を相談したら、帝都グループの傘下に入って再建するかわりに条件を出されたの」

「条件?」

「代理出産して欲しいって」

「代理出産?」

 典子は遠くを見るような目をして続けた。

「正憲社長の息子の吟さんは生まれながら難病の持ち主だってことは知ってるわね?」

 鈴木はそのときまだ正憲の担当ではなかったが、正憲の長男吟が難病の持ち主であることは知っていた。

「ああ、たしか骨髄性白血病とか……」

「うん、そう。骨髄移植しか治療法はないそうだけど、正憲社長も奥さまもHLAという型が合わないので移植できないんですって。親戚の方にも会う方がいないらしくて」

「その話と代理出産はどう関係するんだ?」

「体外受精をして、成長したら、遺伝子検査をして、HLA型が一致したら子宮にもどすんですって。社長の奥さまは、年齢もそこそこだけど体が強い方じゃないので、代理出産できる人が欲しいんですって」

 鈴木にも少しずつ状況が読めてきた。

「だからって君がやらなくても」

 典子は下着姿のままベッドから抜け出した。話しながら脱ぎ散らかした洋服を身につけていった。

「だって、数十億よ。普通の人間じゃどうしようもない金額よ。子供一人産んですむんだったらいい話じゃない」

 懇願するように鈴木は言った。

「俺との結婚は? 俺たちの生活は?」

 典子はドレスのボタンをとめながら悲しげな目で鈴木秘書を見つめた。

「赤の他人の子供を産んだ女と一緒になれる? 赤の他人ならまだいいかも? 正憲社長の子供よ? あなた割り切って生きて行ける? 無理でしょう?」

 どもりそうになるのを堪えて鈴木は言った。

「大丈夫だ」

「もうこの部屋にはくることはないの」

 典子がストッキングをはき、鞄を手に玄関へ行った。鈴木は下着姿のまま後を追った。典子はドアを開け、外に出てから振り向いて言った。

「さようなら」

 典子は、ドアを閉めてから、そのドアに背中からもたれかかり、涙を流し始めた。鈴木がドアを開けようとするが、典子が身体を持たれてドアが開かないよう塞いでいた。典子には鈴木が呼びかける声が聞こえたが、涙を流しながらドアを開けさせないようにしていた。そのことに気づくと、ドアは力まかせに開けることができたはずだが、鈴木は開けることを諦めた。典子の泣き声が廊下に響き渡っていた。


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