96作目 カトレアの花が咲く前に
「オイちゃんは眠れてる?」
「あぁ、俺のベッドを使っているがきちんと眠れている」
「…そう」
時刻はまだ昼過ぎ、あれだけの出来事が起こったというのに時間はまだまだ過ぎ去っていない。俺たちの住んでいる場所は郊外で主要な大通りからかなり離れているからか、街の喧騒はここまで伝わってこない。ニグラスが死んだというのに、バアルゼブルという化け物が出てきたというのに、その全てに現実味がなくて街は相変わらず騒がしいがこの家の中は相変わらず静かで、なんだか夢の中にいるような不気味さがあった。
「…人はなぜ争うのか、この世界はこんなにも満ち満ちているというのに。魔物という共通の敵がいるにも関わらず、なぜ人は争うのだろう」
「?」
「ただの独り言、でもそうだね。バルはなぜ人は争うのだと思う?」
カトレアは湯気がすっかり立たなくなったマグカップに口をつけながら煙草を取り出した。慣れた動作で紫煙を吐き出して、天井を眺めた。
「自分にとって大切なものを傷つけられた、自分にとって大切なものを奪われた、とかじゃないか?」
「それはあくまで"なにかされたあと"の対抗する時の思考だよ、"なにかしてくる"相手の思考は想像ができる?」
「ふーむ…」
そんな自分勝手なやつ、脳内には幾つか思い当たる節がある。勇者、ミキを襲っていた貴族、そしてニグラス。彼らの視点から物事を考えるのはかなり不愉快だ…例え想像でも彼らに自己投影するのはひどく難しい。
「あれが欲しい、あいつが邪魔だ、もっと自分にとって都合のいいように、全ては自分のために…とかか?」
「さぁ?どうだろうね、結局のところ人は欲深い。なにか手に入ってもすぐ別のものが欲しくなっちゃうものなんだよ、大なり小なりね」
「そういうものか?」
カトレアの言っていることは理解はできる。だが共感はできなかった、俺は両親はいなかったし貧しい生活をしていたが姉さんがいたから満ちていた。腹は空いていたが満ちていた。幸福なんてものは大抵身近にあるものだし、奪われて初めて心に穴が空いた。
「そういうものなんだよ、あたしだってそうだ」
「でもカトレアは勇者とかとは違うだろう?」
「そこまで堕ちちゃいないけど、今だってずっと欲しいものがある。それがなければあたしは一生満ち足りない」
「それはなんなんだ?もちろん嫌なら言わなくてもいいが…俺に手伝えることがあればすぐにでも手伝う」
「うーん…」
カトレアはなにか考えるような素振りを見せながら椅子を立ち上がり、部屋の中をぐるぐると歩き回る。花と煙草の香りがふわりと待って、履き慣らされたヒールの足が床を踏む音が鳴る。
「その話はあとでしよう、そんなことよりもう少しだけ意味のない話を続けよう。中身のない、空虚な妄想を突き詰めて、思考で遊ぼう」
「? もちろんいいぞ」
「これは昔エースから言われたことだけど、どうやらこの世界の人々には概ね役割のようなものが与えられているそうだ」
「役割?」
「そう、例えばパンを作る人や冒険者、勇者や聖女なんてのも昔からあるね。自分に最初から決められた役割があるとしたらバルはなんだと思う?」
役割…考えたこともなかったが前に黒い男が似たようなことを言っていた記憶がある。俺の役割…戦う人は違う気がするし…"墓標"の仲間、メンバーであるのはそうだがどうにもカトレアの言う役割とはまた違う気がしてならない。ぐるぐると思考が巡り、そうしてやがてしっくりとくる答えが見つかった。俺の役割は勇者を殺す人、略奪者でありこの世界の支配者として君臨している勇者を八つ裂きにする者だ。
「…復讐者?」
俺がそう答えるとカトレアは凄く悲しそうな顔をした。そうして長い赤い髪をくしゃくしゃと乱雑に掻いた。気まずそうに、悲しそうに俺をじっと見つめてそしてまた椅子に座って俺の手を握り締めた。
「それは違う、そんな悲しい役割はあっていいはずがない。あたしたちは確かに復讐というひとつの目的のために集まっているけれど、それに囚われちゃいけない。その先の人生があるんだ」
「…けど俺が今生きているのは復讐するためだ。その先、なんてものは今は考えられない。考えている余裕はない」
昔アストラに畑を作ればいいと言われ、俺の心は確かに救われた。将来は麦畑でも育てながらゆっくりと失った時間を取り戻したいと思っている、それは今も変わらない。けれど、勇者を殺したあとの世界に訪れるのはこれまで以上の混沌だ、昨日より遥かに大きくなった戦火だ。
俺は自分と彼に奪われたものたちとしか会話をしてこなかったがどうにもこの世界はそういう人達だけではない。俺がかつてそうだったように勇者に尊敬の念を抱いている人たちもいる、むしろそっちの方が大勢だ。勇者を殺したあと、誰かが身を粉にして魔物を殺し尽くさなければならない、そうしてやがて魔王と勇者の屍を破壊して魔物の増殖を止めなくてはならない。
「気持ちは分かる、けれど復讐に呑まれてはいけないよ。君はまだ若い、人生はまだまだ続く。永遠に感じるような、刹那に感じるような人生を生きるんだ」
「本来の役割はきっと、狩人か農民だったはずだ。両親は狩人だったし、村では姉さんがよく畑を手伝っていた。俺は今頃きっと村長から畑をひとつ貰い、そこで穏やかな暮らしをしていたはずだ。けれどもう違う、今は違う」
想像する、想像できる。
きっと俺が独り立ちしたら姉さんは村の誰かと結婚して今まで俺に使っていた時間を取り戻すように静かで温かな笑いの絶えない家庭を築いていたはずだ。そして俺はたまに獲った獲物や畑の野菜などを姉さんに渡して、たまに料理を作ってもらって、そして静かに生きていく。どこにでもあるような普通の生活、そして俺にとっては二度と手に入らない特別な時間を過ごしていたはずだ。
けれどもう違う、ユウトは勇者という役割に呑まれ力を私益で行使した。俺も人より強大な力を持っているから分かる、これは決して無闇矢鱈に振り回していいものではない。人を脅すための道具ではない、身を守る術でしかない。大切なものを守るための武器でしかない。決して凶器にしてはならない。
「…カトレアは?カトレアの役割はなんなんだ?」
「今は医者さ、昔はそうだね…傲慢な魔法使いといったところかな」
「ははは、カトレアが?想像もできないな」
「本当だって、昔のあたしは力を過信してた。自惚れて、周りを見なかった。心配してくれる人もいたのに」
そこからカトレアは自らの過去を語った。美しく綺麗で穏やかな顔で、あまりにも美しくてあまりにも凄惨な話を。




