95作目 キンセンカ
俺を呼ぶ声がした、何度も何度も何度も。
重たくなった目蓋をこじ開け、倦怠感が縛り付ける身体を無理やり起こした。視界にはオイとジャックが心配そうに何度も声を荒らげており、激しい戦闘があったのか地形はボロボロになっていた。
「バルさん…!大丈夫ですか…!?急に倒れて…」
「何があったんでス…?それにこの膨大な量の遺物…話せまスか?」
「オイにジャック…どっちも怪我は無いか?」
「私は大丈夫です…!!そんなことより自分の心配してください…」
今にも泣きそうなオイの顔を見て、俺は気まずくなって頭を搔いた。ジャックは俺の身体をぺたぺたと触り、驚いたような表情を浮かべた。
「怪我…はないようでスね…」
「!?」
そんなことはない、そんなはずはない。俺はバアルゼブルとかいう怪物に確かに心臓を貫かれたはずだ。だというのにジャックの言う通り俺の身体には文字通り傷一つない。
「まるで戦闘自体がなかったような…もしかして敵は自滅したんでス?」
「いや、そんなことはない」
「ふーむ…」
ジャックは立ち上がって周囲を確認し始める。俺も身体にしがみついているオイと一緒に歩いて確認するが、ひとつ気になった戦闘痕が目に入った。小さな痕だが、それでも尚この場で異色を放つ。まるで小さななにかが空間を無視して過ぎ去ったような、削り取ったような痕が強く残っていた。
「…これは?」
「えっと…さっきの怖い人が魔法で…?」
「…」
オイは混乱しているはずだがそれでも説明しようとしてくれた。ニグラスとの戦闘でこんな痕は確認してないし、そんな攻撃をする素振りも見せていなかった。であるならばバアルゼブルか…
「バアルゼブルはどこにいった?」
「…え?バルさんが倒したんじゃないですか」
「…は?」
オイは心底不思議そうにそう言った。嘘では無いようだったしオイは嘘をつくような人物でもない。
「なんかいつもと少しだけ雰囲気が違いましたけど…それでも間違いなくバルさんでしたよ?」
「そうか…」
「そう言えばあのおっきな時計?はどうやって出したんですか??」
大きな時計?ますます理解ができなかった。まさかカトレアがこの場に来ていたのか?いやそんなことはない、カトレアが俺を治療した後に放置するとは考えにくい。まして下水道なんて不衛生な場所に怪我人を放置するような人物でもない。
「誰が出したんだ?その大きな時計は」
「バルさんですよ?こうやって指を立てて、1日って言ってました」
異能発動の過程も一緒…であるならばカトレアと見て間違いないだろうが…いやしかし…
「あの怖い人ともなにか知り合いっぽい話もしてましたし…なにか思い出したんですか?」
「いや…あんなやつのことはなにも知らない…」
理解ができなかった、バアルゼブルと戦ったという記憶もないし、話した記憶も心臓を刺された以降はなにもない。
「ひとまず撤収しましょう、かなり戦闘音が大きかったでスし、そろそろ衛兵が来てもおかしくない」
「分かった」
「オイちゃんも、とりあえずついてきてほしいでス」
「わ、わかりました!」
ジャックと遺物を全て回収し、ひとまずは家に戻った。ジャックはなにやら調べることがあるようで、遺物を借りていいか聞いてきて、承諾した後にどこかにいなくなってしまった。俺たちは家に向かい、玄関を開けるとカトレアが笑顔で近づいてきた。そして俺の頭を優しく撫で、微笑んだ。
「おかえり、怪我はない?」
「大丈夫だ。それよりカトレア、聞きたいことがある」
「なあに?」
「遺物は同じものはひとつとしてないんだよな?」
「ない、似たような効果…例えば水を出す遺物と温水を出す遺物みたいなものはあるだろうが、同一の遺物はないね」
「そうか…」
「それよりその子が?」
「あぁ、オイだ」
「は、初めまして…!バルさんにはほんとにお世話になってて…!」
オイは深く頭を下げ、カトレアも会釈した。そして客人に出すミルクを温め始め、俺たちは椅子に座った。カトレアに話さなくてはならないことが幾つもあり、どれから話そうか迷っていた。
俺の向かいに座っているオイを見ると、助けられた充足感と安心感があったがそれと同時にこみ上げてくるものがいくつもあった。
アストラが…死んでしまった…それは間違いない事実なのだろう、オイの話を聞いてもしかしたらと思ったが、カトレアが同一の遺物はないと言った以上それも真実だ。だが不思議とどこかで生きているような感覚があった、アストラが死ぬような現実を受け入れられないだけかもしれないがあのアストラが死ぬなんてこと、起こり得るだろうか?
彼は自身に起こっている出来事を調べるために俺たちの元を離れた。彼は激情型ではないし、むしろ感情を上手く制御できるような人間だ。騎士に喧嘩をしかけたわけもないだろうし、それに殺されるような弱虫でもない。ドラゴンと会話をし、一瞬の関係ではあったものの生物として頂点のドラゴンに守られるような人物が魔物やそこらの人間に殺されるか?
勇者や聖女がこの街を離れている様子はないし、それこそ"円卓"のアレンや騎士のレイズであれば話は別なのだろうが…
事実として、アストラは死んでしまったのだろうがありとあらゆる要因から考えてアストラが死んでしまうなんてことはなさそうに見えた。結果と、そこに至るまでの過程が全く結び付かない。そのせいか、俺は無二の親友を失ってしまったというのに涙ひとつ出なかった。死んでいるはずがない、それこそ遺物のみ抜き取られただけのように感じる…そうだ、遺物を取り除く遺物、なんてものもあるはずだ。
「カトレア、遺物を取り除く遺物なんてものはあるか?」
「…うーん、どうだろう。ないとは言い切れない、でもなんで急にそんなことを?」
カトレアは湯気の立ったマグカップをふたつ、俺たちの前に出しながら座った。そして煙草に火を灯し、大きく吸い込んだ。
「あ、煙草大丈夫?」
「気にしないでください!むしろこんな温かいものを頂いてしまって…すぐに出ていきますから…!」
「いい、しばらくここにいろ。いいよな?カトレア、また狙われてしまっては本末転倒だ」
「いいんじゃない?でもバル、分かってるよね?」
"墓標"や、俺たちの正体について勘づかれるようなことにはならないよね?って意味だろう、それについては問題はない。そこまでぼんくらになったつもりはない。
「…で、ここからが本題なんだ。先程までの質問にも繋がるんだが…その…」
俺は喉の奥につっかえた「アストラが死んだ、そしてその遺物は今オイに宿っている」という発言を言えずにいた。事実を認めたくないだけかもしれないし、事実として俺がまだ飲み込めていないだけかもしれないが…アストラが死んでいるわけがなくて、殺されるような人物でもないし、なにより俺が口に出すことで初めてあやふやだった"アストラの死"が輪郭を帯びて現実になってしまうような気がして言えなかった。
「アストラと…カトレアの異能に似たものを見たんだ。正確にはカトレアの方は俺が見た訳では無いが…」
「…ほう?」
「アストラの異能の…"雷帝"によく似た遺物がオイに宿っている。カトレアの…」
「"割れた砂時計"」
「その異能によく似た効果が、俺の体に施されていた。オイ曰く俺が使用したらしいが、知っての通り俺の異能は別にある」
「ほう?」
カトレアは興味を示し、オイの方を注意深く観察した。オイはなんの話をしているか分からないとでも言いたげに気まずそうにマグカップを指先でいじっていた。
「確かに興味深いけど、人が危険な状況に陥ると意味不明な幻想や幻覚を抱いたり、一瞬で今までの人生を思い出すといったものもある。それらが複雑に絡み合ってたまたま、あたしの異能によく似たものを見たという可能性も捨てきれない」
「そうなのか?いやだがしかし…」
「そう、そんなことは極めてないと言っていい。そしてその可能性は遺物を取り出す遺物や、似たような"雷を操る"遺物が存在するものと同一の可能性だ。ここまでは分かるよね?バル」
「あ、あぁ…」
カトレアは煙草の火を消し、頬杖をつきながら口元を隠した。そして俺の方をじっと見つめた。僅かに揺れる目線や瞳孔がひどく目に付いた。
「アストラは…いや、いい。この話はまた今度にしよう」
「そうだな」
「少し寒いね」
「…?」
そう言ってカトレアは俺を強く抱き締めた。震える腕が肩に伝わり、鼓動が早まった心臓が耳に残った。アストラが死んだと信じているわけではないが、カトレアの動揺と深い悲しみが伝わって、僅かに視界がぼやけた。
「あぁ…寒いな…」




