94作目 太古の悪魔、顕現
「バルさん…!!バルさん!!!!」
「王は死んだ。記憶を失った王など、必要ない」
バアルゼブルは目の前で倒れ伏したかつての王に似た男を見下ろし、それに覆い被さるように必死で抱く金髪の少女を殺そうとした。再び腕を振り上げ、武器である鋭い爪を下ろそうとした途端、心臓が跳ね上がった。すぐさま後退し、壁にへばりつく。冷や汗が止まらなかった、と同時に興奮した。この背筋に纏わりつくような冷たい殺意、かつて何度も自分を貫いた甘き黒い弾丸を眉間に当てられたような恐怖、忘れもしない畏怖の念。
「オイ、もう大丈夫だ」
「…バル…さん?」
「あぁ、バルだよ。また会えて良かった、危ないから後ろに下がってな」
「は…はい…」
先程まで心臓が止まっていたというのになんの障壁もないような素振りで立ち上がり、土埃を払った。そして大きく息を吸って、ニヤリと笑った。
「久しぶりだなァ、バアルゼブル。"暴食の王"よ、調子はどうだ?ん?」
「ハッ…ご健勝そうでなによりでございます…私は久しぶりの現世で少し浮き足立っていました…」
「そのようだな。ところでバアルゼブル、人は心臓がなければ死ぬんだぞ、分かっているよな?」
「…王の記憶がなかったようなので」
「分かっている、乱暴な口ぶりで命令されたらムカつくよな。ならお前も忘れたわけじゃないよな?俺様がお前を殺した理由が」
「…」
バアルゼブルは無言を貫き、そして大きな一対の翼を広げた。本能がここから逃げろと全力で警鐘を鳴らしていた。
「昔掟を破ったお前はもう仲間じゃない。安心しろ、もう一度冥府に送ってやる」
王は制服のポケットに手を入れたまま、背中を見せて飛んで逃げようとするバアルゼブルに向かって無数の弾丸を放つ。音すらしない魔弾はバアルゼブルの身体を幾度も貫いた。そして穿たれた穴に蝿が集まり、身体を修復していく。
めんどくさそうに頭を掻きながら王は一瞬にしてオイの前から消え、次の瞬間にはバアルゼブルの前に現れた。
「久々の現世で浮かれていた、お前はそうだったな」
「なっ…!!」
王が無造作に拳を振るい、バアルゼブルの頭蓋を砕いた。骨が潰れる音が響き、目玉が地面に落ちていった。
「せっかくの再会だ、お前も少しは楽しめ」
バアルゼブルの翼を掴み、地面目掛けて投げ飛ばす。力を込めた素振りすら見せず、ただ無造作に投げつけただけに過ぎないそれは、丈夫な身体を地面に勢いよく叩きつけ弾け飛ばした。四方に肉片が散らばっていく様を見ながら心底つまらなそうに王が降り立つ。
「安心しろ、お前は全力で殺してやる」
「身に余る…光栄です…」
瞬く間に再生を始め、あっという間に立ち上がったバアルゼブルを見ながら王は魔力を込めた。
「本気を出せよ、準備運動にもなりやしない」
「ではお望みのままに…!!」
バアルゼブルが魔力を込め、異能を発動する。"蝿の王"、かつては豊穣を司り、人々に安寧をもたらせたバアルゼブルの異能。その能力はふたつ、全感覚を知覚、同期可能な使い魔を召喚し操る能力と使い魔の通った空間を削り取る能力。無数に召喚された蝿が黒い塊となって王を襲う。通り道にあった土塊や岩を一瞬で塵にしながら暴食の軍勢は進む。
それを、王は1歩も動かず対処する。ただ人差し指を口元に当て、喧しい喧騒に沈黙を与える。
「シーッ」
王たる所以、王たる威厳、王たる所業。"肆王・是狩魔皇帝"には四人の王からもたらされた四つの能力がある。ひとつは"沈黙"、弾丸を生成し操る能力、と現在バルバトスは認識している。しかし、その能力の本質は運動エネルギーの操作。ありとあらゆる物質を任意に加速、停止させるものであった。
蝿の王に命令された暴食の軍勢は止まることを知らない、引くことを命令されない。故に障害を食い潰し、目的を喰らい尽くす。しかし、相対するは太古の悪魔。四人の王を従えた、世界にただひとりの悪魔。
だが王に敵対し、戦えるのもまた王。司る大罪は暴食。どれだけ運動エネルギーを操れようが、空間ごと削り取ってしまえば造作もない。
「"虚穴"」
"沈黙"は物質に魔力を纏わせ、初めて任意に運動エネルギーの操作することができる。故に魔力ごと食らう"虚穴"は現状この場で唯一"沈黙"に抵抗できる術だった。しかし、その程度でやられるようでは王の名が泣く。どのような状況でも決して王冠を落とさないのも王の勤め。
"沈黙"の本質が運動エネルギーの操作であるならば、生成した弾丸はどこから現れたのか?バアルゼブルはどこからかトランペットの不協和音が聞こえたような気がした。
「"畏怖"」
影が僅かに揺れ、2人目の王が謁見する。
人々は幼い頃、どこまでも着いてくる影に恐怖した。だがやがて自分のモノマネしかできないことに気づいて次第にその恐怖を薄れさせ克服していく。しかしそれが具現化し刃を向けてきたら?
"畏怖"の能力は影を自由自在に変形させ、具現化する。これは自身のみならず周囲のありとあらゆる影に適用される。そしてこの能力の真に恐ろしいところは王が使用することで初めて判明する。
影は刃の形を成しバアルゼブルへと強襲する、そして空間を削り取る蝿の口をすり抜け、身体を貫き内部を侵食する。
「お前の体にまとわりつくまで、影は影のまま。いくら空間ごと削り取ろうが光と影は食えねぇよ」
「ガッ…お見事…です…」
「バアルゼブル、お前のことは気に入っていた。だが善良な市民を傷つけ、攻撃した時点でお前は俺様の敵だ」
バアルゼブルは最後に王をじっと見つめたあと少し笑った。
「分かって…います…それではお先に地獄で待っています…」
「俺は天国にも地獄にも行けねぇよ、お前をこの手にかけたのももう数え切れない」
「は…は…ご冗談を…」
最期にそう言い残し、バアルゼブルは徐々に瞼を下ろしやがて呼吸を止めた。そして死体の周りにあった物質に光が点っていき、やがて無数の遺物に変容していった。魔力は現状でも分かっていないことが多いエネルギーだ、魔力はありとあらゆるものに宿っているがエネルギーから生命が生まれることはない。それだというのに魔物という異形の怪物は生まれるし、巨大な魔力を持った持ち主が死ねばこのように周囲の物質を変容させて遺物にしてしまう。この遺物を取り込めば元となった人物と同じ能力が使えてしまう。
「どこまでも続く、強大な力は輪廻の輪に還らずに現世にしがみつき、やがてそこから争いが生まれる。性懲りも無く勇者なんて呼び出し、そして勇者が死ねば新たな遺物が生まれる。俺はいつになったら解放されるんだろうな。なぁバアルゼブル、地獄はいいところか?俺も行きたいよ」
王はそう言いながら人差し指を立てた。そして魔力を込め、瞳の色が変わる。王の背後に巨大な獅子の紋様を模した時計が現れ、短針が僅かに揺れ動いた。
「1日」
そう王が呟くと胸部に開けられた穴が修復され、まるで時間が巻き戻ったかのように周囲の血を吸収し始める。そして止まった心臓が再び鼓動を始める、影によって無理やり動かされていた心臓が、今度はひとりでに動き始める。
「ほら、帰ってこい。今度は守ったぞ、手遅れになる前に死ねてよかったな」
そうして王は再び眠りに着く。あの真っ白で冷たい精神世界に戻らなくてはならない、自分が今いるこの暖かで温もりのある場所はもう自分の居場所ではない。せめて今この場にいるべき人物が本当の意味で死んでから、その場所を貰うことにしていた。




