88作目 喪失、慟哭、短針
どこだ、どこにいる。
いつも見かけてる街並みは色褪せて見え、周囲の視線が俺に突き刺さり始めた。そんなものはお構い無しで俺はひたすらにオイの名前を叫んだ。
「オイ!オーーーイ!!!!!」
周囲の人間は俺の方を見て振り返り、不思議そうな顔をしながら目線を外す。違う、俺が呼んでるのはお前らじゃない。最近よく笑うようになった、花のような女の子だ。ひとりでも健気に生き、誰にも迷惑をかけずに優しさを抱えたままの女の子だ。誰よりも強く、姉さんのように優しく、気高く、名無しの____
「…バルくん?」
後ろから訝しげに俺に声をかけてきたのはリオネルだった。ひとりで食事でもしてたのだろう、香ばしい匂いが鼻についた。
「…リオネルか、このくらいの金髪の女の子を見なかったか?」
「そんなに慌ててどうしたの?その子の名前は?」
「オイ」
「? なに?どうかした?」
「オイだ、その子の名前は」
「奇妙な名前だね」
「見てないなら、いい」
オイという名前は、やはり名前ではない。そんなもの、名前と呼べる代物ではない。そのひとつの単語に特別な意味を見出してるのはこの世で俺しかいない。
リオネルから遠く離れたところまで走り、屋根まで伝っていく。押しても引いても駄目なら、上から行く。俺の目は特別いいとラーマが言っていたからきっと上から見た方が早い。夜の繁華街は煌びやかな明かりが光り輝いており、大きな人の塊が蠢いていた。金髪を見かけては注視し、オイではないと分かると落胆を重ねた。
俺の異能は人を探すことはできない、出来ることといえば破壊と殺戮のみだ。俺はエースのように優しくないから誰かを見つけることなんて出来やしなかった。それでも、できることをするしかない。空中まで高く跳ね上がり、左腕に12発の弾丸を撃ち込む。俺の左腕は特別に硬い、異能の力を持ってしても傷をつけることはできない。ただ質量を持った圧倒的な速度が俺の左腕に負荷をかけ、俺の体は高速で右回転する。微調整をしながら学園都市の上空を飛翔した。朝までそうやって飛び回りながらオイを探したが結局見つからなかった。空気の壁のようなものにぶつかったことで体の疲労はピークに達し、俺は精神的にも肉体的にも疲れ果てながらなんとか家に辿り着いた。震える腕で扉を開けるとカトレアがソファに座って俺を待っていた。
「おかえり、遅かったね」
「…ただいま」
「とりあえずこっち座りな」
「俺の事はいい、カトレア…」
「オイって女の子のことならあたしは何も知らないよ、本当に知らないんだ。だからとりあえずこっち来な、体調も悪そうだ」
「知らないなら、いい」
知っているわけがないと思いながらも俺は聞かずにはいられなかった。そして案の定知らなかったから、俺は家を出ようとした。地道に探すしかない、オイが急にどこかに消えてしまうなんてことは有り得ない。
「待ちなって」
カトレアが遮るように俺の前に立った。
「どいてくれ、頼む」
「落ち着きなよ、その状態じゃ無理だ」
「もしオイが誘拐されて奴隷になっていたらって考えるんだ。今この瞬間にも助けを求めてるかもしれない」
「バルは今人を助けられる状態じゃない」
「カトレア、頼む」
「…バルバトス!!!」
劈くような声が家の中に木霊した。久々に呼ばれたその名前に俺は少し驚き、顔を見上げた。きっと怒ってると思った、任務を放り出して仲間ではない任務先で出会った女に心酔して、そんな俺をカトレアは怒っていると思った。しかし予想とは打って変わってカトレアはただただ心配した顔で俺を見下ろしていた。
「気持ちは分かるよ、けど今は治療が優先だ」
気持ちは分かる、と言われ俺はそこでなにか変なスイッチが入ってしまったような感覚になった。彼女に何が分かるんだろうか。
「何が分かるんだ?カトレア」
「失うことへの恐怖は痛いほど分かるよ、急に消えてしまった人への心配も、なにもかも」
「オイは、あの子はこのクソみたいな世界でひとりで健気に生きてたんだ。何もかも奪ってくるような強欲な奴らしかいないこの世界で、誰も助けてくれないこの世界で彼女はたったひとり、優しさを損なわずにいたんだ」
「…そのクソみたいな世界にもう一度戻りたいの?」
「は?」
「またなにもかも失うような世界に戻りたいのかって聞いてるんだよ、いい?バルバトス、常に最悪を想定しな」
常に絶好調ではないことなど分かっている、そのためにアラクネと訓練だってした。俺のこの状態などなんの弊害にもなりやしない。
「俺の体は今の状態でも戦える」
「違う、最悪の想定が甘い。オイが誘拐されたと仮定して、誰が誘拐するんだ?頭に思い浮かんだ最悪は?」
考えうる"最悪"にはもちろん1人しか思い浮かばなかった。間違いなくこの世の人間で最悪最強の存在があの日の光景と共に甦った。
「…勇者だ」
「そうだろうね、勇者と今その状態で戦って勝てるの?絶好調でもまだみんな無理だからこうやってコツコツやっているというのに、その状態で?」
「できるできないの話じゃないんだ、やるしかないんだ」
「あたしの最悪は、あたしがいるというのに仲間が死ぬ事だ。もう誰も死なせない、そう思ったから今この場にカトレアとして立っている」
カトレアは戦闘が得意ではない、けれど出来ないわけではない。ただいつも強者から感じる圧とはまた違った、別の何かが俺に重たくのしかかっているような感覚がした。それを発しているのは間違いなくカトレアだった。
「あたしはカトレアだ、医者なんだよ。あたしの前で仲間は誰も死なないし死なせない」
巨大な魔力の奔流が部屋に満ち満ちていた。カトレアの瞳の色が緑から黄金に変わり、背後に獅子の時計が浮かび上がる。僅かに震える短針と長針が時刻を指し、カトレアが俺に指を向ける。
「仲間なんだ、失う怖さも失う痛みも分かち合おう」
「な…!カトレア!やめろ!!!」
俺は今壊れない左腕があったからこその無茶な動きをした。常人に耐えられるわけがない。俺の静止を振り切り、カトレアは優しく微笑みながら口を開く。
「…3日」
短針が僅かに動き、震えが止まった。重たい鐘のような音が鳴ったあと俺の全身に鈍く鋭い痛みが走った。身体に熱した鉄をねじ込まれたような、冷たく小さい無数の針を刺されたような、骨が砕けるような、肉が裂けるような痛みが俺たちを襲った。俺は立っているのもやっとだというのに、カトレアは声を発さずその場に堂々と立っていた。やがて無限にも思える痛みの代償を乗り越え、報酬として全ての痛みや疲労が取り除かれていた。
カトレアは動かないままその場に立っていた。慌てて駆け寄り、様子を伺った。
「重度の打撲と極度の疲労、継続的な高負荷に身体が耐えられるわけない。もう無茶はしないこと」
カトレアはそう口を開き、ゆっくりと俺の手を借りながらソファに座った。カクエンと呼ぼうとしたあとにいないことに気がついて震える手を動かして煙草を取ろうとしたため、俺が代わりに取り出して火をつけた。
「すまん、カトレア。大丈夫か?」
「もちろんね、ちょっときついけど。でもこれでバルバトスは大丈夫だろう?ジャックに話を聞いてみなよ、あれは使えるからさ」
「お陰様で大丈夫だが…」
「あたしのことはいいから、早く行った方がいいよ。もう失いたくないでしょ」
カトレアは震える手でバルバトスの肩をなんとか叩き、家を出るよう催促した。心配しながらも何度も催促を食らったこととオイのことを助けたかったバルバトスは家を出た。カトレアはほぼ灰を落とすことができないせいで自然に服に灰が落ちた。
「人から奪ってもなにも報復がないのに、人を助けたら痛みが返ってくるなんておかしい
だから言ったのにな、あたしは人助けなんかやめた方がいいって」
バルバトスが帰ってきたら、身の上話のひとつでもしようとカトレアは考えていた。大切なのは思いやりと相互理解、救世の精神。自分にかつてそう説いたとある堕ちた双星の片割れを思い浮かべながら、カトレアはひとりバルバトスの帰りを待つことにした。




