86作目 彼が彼女にできること
木製の扉を開け、蝶番がキイキイと不快な音を立てた。カトレアは俺が帰ってくるのを待ってたかのようにひとりでリビングに座って煙草を吸っていた。俺の方を少しだけ見たあと「おかえり」と呟いた。
「ただいま」
「学校はどうだった?」
「勇者についての情報をいくつか手に入れた」
「詳しく教えてちょうだい」
俺は勇者と戦ったこと、火と風の魔法を身体に受けたこと、聖女のバリアの実態と現在の勇者の状態についてを細かく伝えた。カトレアは幾度か目を見開いたあと俺の体をぺたぺたと触り始める。
「身体に問題は?」
「学園には特殊な設備があるようでな、俺は見ての通り無事だ」
「…そう、良かった。何かあったら直ぐに言いなよ」
「分かっている」
「ご飯は食べてきたの?」
「これから食べに行くところだ」
カトレアにオイのことをどう説明するべきか俺は迷っていた。友人…とはまた違うし、別に関わることによってなにか"墓標"に利益をもたらすわけではない。
「…今考えているのは金髪の女の子について?」
「ジャックか…」
「はは、別に心配しなくていいのに。バルが親しくしてる人なんだろう?あたしから何か言うべきじゃないし、好きにしたらいいんだよ」
「カトレアも一緒に行くか?」
「行きたいのは山々だけど、バルがせっかく手に入れてくれた情報をエースに伝えなきゃいけないし遠慮しておく」
「そうか」
「ほら早く行ってきな、女の子をあんまり待たせるもんじゃない」
「あぁ、行ってくる」
カトレアに催促され、俺は家を出て服屋に向かった。俺は何に安心しているのだろう、カトレアに否定されなかったことについてだろうか、それともカトレアとオイを会わせなくて済んだことだろうか。
俺はカトレアを信用しているし心の底から大好きだ、それは恋愛感情なんて陳腐で在り来りなものでは断じて無くもっと大きなものだ。ただなんとなく、"墓標"のメンバーとオイを会わせたくはなかった。俺たちの進む道は決して綺麗なものではなくて血と硝煙の匂いがこびり付いて離れないものだ。そんなものに囚われ歩くのは俺たちだけでいいはずだ。
決して、善良な市民である彼女を傷つける訳にはいかないんだ。先程まで綺麗なオレンジ色の空だと思っていたのに、今はなんだかやけに不気味だ。黄昏の空は、感傷に耽るには絶好の空だ。朝で夜でもない曖昧な時間が思考の時間を引き伸ばす。
服屋に辿り着き、少しだけ店内で待っていると奥から綺麗な服を着たオイが店員と共に出てくる。白いシャツの上に少し大きめの薄桃色のカーディガンを羽織り、黒いデニムスカートを履いたオイは先程までとは見違えて見え可憐に見えた。
「お客様、こちらで如何でしょうか?」
「とても良いと思う、代金を支払おう」
「お買上げありがとうございます」
先程からずっと固まっているオイを連れ、店を後にした。目の焦点が定まっていないし手足を同時に前に出して不自然に歩くなど少し心配するほどに緊張しているようだった。
「大丈夫か?」
「ぜ、全然大丈夫じゃないです…こんな高い服生まれて初めてで…あ、あの…本当にありがとうございます」
「気にするな、服も買ったことだし飯にしよう」
再び昨日訪れた町酒場に入り、いくつか食べ物を注文する。待っている間、周囲からは好意の視線がオイに集中する。俺が学園の生徒であるため、幾分か牽制できているが酒場ということもありトラブルには備えておくべきだな。
「オイは今いくつだ?」
「え、分からないです」
「…そうか」
名前の無いこの子が生まれた日を覚えているわけがないことに俺はなぜ気付けなかったのだろう。自分の無神経さに嫌気が差した。孤児院などに預けられた訳でもないのだろう、身寄りのない捨て子が今までどうやって生活してきたかなど容易に想像ができた。
「今まで大変だったな」
「そうですけど…あなたに会えてからとても楽しいです。温かい食事も、柔らかいベッドも、綺麗な服も、初めて知りました」
「そんなもの、これから当たり前になるさ」
俺がこの学園に来た理由は勇者の監視だ。ただそれ自体は思ったより簡単でこのまま行けば何事もなく上手くいくだろう。ならば少しくらい、人助けをしてもいいと思った。
目下の目標はオイの生活基盤を整えてやる事だ。一人で生きていける術を教えることができれば俺がいなくなったあとでも俺が教えた当たり前を継続できるはずだ。俺が彼女に教えられるのは読み書きと簡単な算術だけ、でもそれさえあれば飲食店や宿屋の店員などであれば雇ってくれそうではないだろうか。
「オイは文字を読めたり書けるようになりたいと思うか?」
「は、はい!それはもちろんです!」
「ならば簡単なものでもいいのであれば教えよう」
「いいんですか?」
「いいんだ、詳しい話は後々する」
「あ、ありがとうございます…!」
オイは晴れやかな笑顔を俺に向けてくる。その後も運ばれてくる料理をふたりで食べ、宿屋に向かった。昨日利用した宿屋はいいところだった、セキュリティも万全そうだし設備も中々にいいものが揃っている。向かう道中、やはりオイに視線が集中した。学園の生徒である俺が隣にいなければとっくに絡まれていただろう。俺は勇者以外の理由で初めて学園に入ることができて良かったと思っている。
宿屋にオイを預け、途中で購入したカトレアの分の飯を片手に俺はひとりで帰路に着いた。オイに使うお金が多くなっていることは気にならなかったが俺が増やしていない以上金は減っていくばかりだ。冒険者…は学園の生徒はなっていいものなのだろうか、異能があれば俺はそこらの魔物には負ける気がしない。そうすればある程度まとまった金は手に入るかもしれない。
ひとまず今日は家に帰って寝てしまおう、明日も早いしやることは山積みだ。




