85作目 安定剤
夕方以降、少しだけ肌寒くなった帰り道を歩いた。街は未だ喧騒に塗れている。夕方以降が本番とでも言わんばかりに酒屋は開店を始め、朝方からやっている店は夕食提供の準備を始める。露天商は店仕舞いを始め、冒険者は街に帰ってくる。
たくさんの料理や血や汗の匂いが混ざった独特の匂いが雑踏の音と共に風に運ばれてくる。なんとなくだが、俺はこういう都会の街独特の雰囲気が嫌いではなかった。昨日はあれほど鬱陶しかった街の煌びやかな灯りが今ではとても眩しく見えた。なぜだろうか、隣にアストラはいないというのに。
昨日オイを泊まらせた宿屋に到着し、綺麗なガラスの扉を開けた。高級宿は空間に金をかける、たくさんの花弁を凝縮したような甘い香りが充満するロビーに入り、受付にチェックアウトの旨を伝える。
「昨日一部屋取ったものだ、夕方にチェックアウトする旨を伝えたと思うんだが部屋の人物を呼んできてもらえないだろうか」
「…お客様が魔法学園の生徒というのは重々承知の上で大変失礼なことをお聞きしますが、先日部屋をお借りしたお客様との関係性が分かりかねますので詳しくお教え頂けないでしょうか?」
「部屋番号は402、金髪のオイという人物だ。チェックインのときに同席して料金も支払い終えている。関係性はそうだな、彼女は俺の恩人だ」
「…かしこまりました、少々お待ちください」
受付嬢がロビーを後にし、俺はひとりで待つことになった。ロビーの隅では契約している冒険者が1人、剣を肩に立てかけて座っていた。兜で顔は見えなかったがじっと見ているとなんだか目が合ったような気がした。しばらく気まずい沈黙の中待っていると受付嬢がオイと一緒にロビーに到着した。
「あ、この人で間違いないです」
「そうでしたか。それではお客様、当宿をご利用頂きまして誠にありがとうございます。また機会があれば是非ご利用ください」
「あ、あの、ありがとうございました」
受付嬢と頭を下げあっているオイを見て俺は少しだけ笑ってしまった。受付嬢との挨拶を済ませ俺の方に向かってきたオイは辿り着くやいなや先程より深いお辞儀をしてきた。
「こんな高い宿に泊めてくれてありがとうございます。このご恩はいつか、いつかお返しします」
「気にするな、それより腹減ってないか?」
「い、いえ!全然減ってないです!」
そう大きな声で否定してきたがそれとは裏腹に腹の虫が大きく鳴った。当然俺ではなく、オイからだ。
「はは、気にするな。食べに行こう」
「そ、そんな…悪いですよ…」
もじもじと手遊びしながら上目遣いで俺を見る。その時に気づいたが飯よりもまず先に服を購入するべきだと考えた。なにをするにしてもボロボロの服とも言えない布1枚では何かと目をつけられるだろう。
「…飯よりもまず先に服を買いに行こう」
「え、えぇ!?」
慌てふためくオイの手を引っ張り適当な服屋に入る。店先のショーケースには男物の服がなかったからきっと女性専用の店のはずだ。店内に入ると店員が駆け寄ってきて俺たちをじっと見つめた。なにか考えたような素振りを見せたあと猫撫で声で接客を始めてきた。
「いらっしゃいませお客様、今日は何を購入予定ですか?」
「上下のセットアップを三通りほど購入したい、予算はそうだな…金貨2枚ほどだ」
俺がそう言うとオイは驚いたように俺を見上げ、店員と俺を交互に見た。店員はまた少し考えたような素振りを見せ、質問を続ける。
「春用にいくつかいい品がありますし、もう少し予算を上げていただければさらに高品質なものもご紹介できますが?」
「…いや、ひとまず早急に服が欲しくてな。また都度買いに来る」
「かしこまりました、それでは試着室にご案内致します」
「あぁ、俺はいい。この子が欲しいと思った服を購入するから終わったら呼んでくれ」
「かしこまりました、場合によって時間がかかりますが店内で待ちますか?」
少し考え、今のうちにカトレアと話すべきことがいくつかあると思いこの空き時間に報告に入ると決めた。
「いや、予定があるから1時間後にまた来る」
「かしこまりました、それではお客様こちらへどうぞ」
「え、えぇ!!」
店員に手を引かれ、オイは店の奥の試着室に消えていった。さて、俺は俺でやることを済ませよう。店の外に出て家に向かおうとしたその時、後ろから声をかけられた。
「奴隷でも買ったんでス?バルさん」
「…ジャックか。いや、奴隷ではない。ただの顔見知りだ」
「にしては随分とご熱心でスが、大丈夫でスか?」
「問題ない。で、今日は何の用だ?」
「最近増えた行方不明事件についてでスが、女性が対象みたいなんで忠告に入った次第でス。カトレアさん、美人でしょう?」
「なおのこと問題ない、何があっても俺が任務中である限り守り続ける」
「なら良かったでス。それでは」
そして再びジャックの気配は消えていった。相変わらず霧みたいなやつだと思いながら俺は足早に家に向かった。ジャックの忠告が原因で心配になったわけではないが、とにかく俺は急いで帰った。




