83作目 悪魔の系譜
石の間を通り抜け、フィールドの中に入る。少し浅くなった呼吸を戻すために小さく深呼吸をして勇者を見る。相変わらず飄々とした態度でポケットに手を突っ込んだまま興味も無さそうに俺を見ている。
そうか、覚えていないんだな。
そりゃそうだろうな、勇者にとってこの世界の人間には等しく価値なんてない。己の歪んだ欲望を満たすための都合のいい素晴らしき世界だ、そこに根付く生活も、日常も興味なんてないだろう。
実にくだらなく、腹が立つ。
脈打つこの心臓が誰によって紡がれてきたかなんて知らないだろう、文字通り死に物狂いで俺を守った姉の気持ちなんてひとつも共感できないだろう。薄っぺらく、大きすぎる力を持った個人なんてそんなものだ。
だから平気で踏みにじれる、だから平気で人を殺せる。
大丈夫、大丈夫だ。
任務は忘れていない、重要なのは俺がここで暴れることじゃない。情報を持ち帰り、次に活かす。アルベルトが手を振り下ろし、模擬戦が始まる。
俺の予想通り勇者は一歩も動かずに魔法を発動する。そうだよな、力をひけらかしたいもんな。水、土と来たら次は火か風のどちらかだ、そしてその両方において俺は他の人より知識がある。勇者の背後に巨大な七つの炎の剣が召喚された、七行目 焔の剣だ。
七行目の特性は純粋な火力強化、九行目よりも遥かに攻撃性を増したその魔法は単純に火力が倍以上になると考えていい。そして勇者にとっての火力強化は倍以上なんてものではない。
ただ七行目はどこまで行っても七行目、決してあの夜見せた爆発や浸凍ほどの大技ではない。落ち着いてひとつふたつ、身をねじ切って回避する。隙間を通り抜ける炎の剣が灼熱の温度を感じさせる。
俺の魔法はたかが知れている、接近戦に持ち込んでバリアの感触を確かめるための戦いだ。そして近付けば、勇者は必ず搦手を使ってくる。
バルバトスは上から飛来する炎の塊を一切見ずに横に滑り込んで回避する。アレンとの戦闘、そして先程のフェイとの戦闘を見てバルバトスは学習していた。横軸の攻撃に縦の攻撃が合わさるとその回避難易度は桁違いに跳ね上がる。
が、それはあくまで初見での話。そして2度も見たバルバトスにとって対処は決して困難ではない。アラクネに教わった戦闘の軸、予測がバルバトスの勝負強さを作った。
そして近距離まであと数歩。遠距離攻撃を回避され、秘策である縦軸の攻撃も回避されたとなればそこからは大味の範囲攻撃、もしくは勇者自らが接近戦を仕掛けてくるかのどちらかであるとバルバトスは予想を立てた。問題は、そのどちらもほぼノーモーションで放たれるということだ。
勇者が取った行動は接近戦、大火力範囲技をこれ以上すれば教師に必要以上に目をつけられるということを危惧した勇者は近距離で叩き潰すことを選んだ。音速にも迫る勇者の速さは一瞬でバルバトスの元まで辿り着いた。軽く力を込めたジャブ程度の右ストレートをバルバトスの腹に向かって放った。本来であれば、他の生徒であれば終わったであろうその一撃をバルバトスは両の腕を交差させて防ぎ切った。
アラクネに教わった戦闘の軸、予測と対になる"反射"である。ただそれでも骨が砕ける鈍い音が室内に響いた。バルバトスと勇者の視線が交錯する。
「…君、どこかで会ったことある?」
勇者から出た一言はバルバトスにとっても想定外だった。
「男にナンパか?」
左腕で勇者の右腕を掴み、引き寄せながら膝蹴りを顔に込める。ここに来て、勇者が初めて一撃を食らう。
はずだった、バルバトスが感じたのはあの夜に似た当たっているはずなのになにか空間が挟まったように弾かれるあの感触。
攻撃が無効化されている訳ではなく、ただ膨大な耐久値と硬度によって防がれていると確信した。勇者は忌々しそうにバルバトスの脚を掴み、そこを支点に身体をひねりあげる。狙うは急所である顔面。破裂音が響き、鈍く鋭い痛みがバルバトスに走った。
それでも尚、悪魔は嗤う。低く、掠れたような笑い声を上げながら左腕を折り曲げ肘打ちを狙う。再びバリアによって守られた勇者は2度目の屈辱を味わうことになる。反撃をしようと勇者が重心を低く下ろした瞬間、バルバトスの右腕が紅く妖しく光った。
「火ノ段 九行目 火球」
アラクネから学んだ予測と反射を活かしきり、このブラフを通す状況を作った。
カトレアから譲り受けた魔力と知識を持ってして渾身の魔法を放つ。
手負いのネズミは、猫をも穿つ。弱者にとって文字通り命懸けの一撃。
それでも異世界からの勇者に効くものではない。積み上げてきた信念と努力を嘲り笑う一撃を持ってして無礼の責を取らせた。かつてバルバトスの故郷を灰の海にし、惨劇を形作った魔法。
地獄からの炎を召喚し、生物無生物問わずあらゆるものを焼き尽くす業火。火ノ段 三行目 "狂爆"が、再びバルバトスの元で爆ぜた。フィールド内部を爆炎が覆い、収束するよりも先に勇者は再び魔法を放つ。
司る事象は"嵐流"、爆炎が渦を巻き黒い硝煙がフィールド内で蠢いた。そして左右に回転するふたつの螺旋がバルバトスを襲う。風ノ段 四行目 "迅閃"、二風一対の風刃が非情にも身体を切り裂いた。
耐え難き刃の嵐の中でバルバトスは嗤った。ほぼ全ての最上級魔法を使ってくれた上に、バリアの実情も粗方分かったことがバルバトスは何よりも嬉しかった。
「…あ」
アルベルトが止めに入る数秒前、その異様な光景を見たフェイ・イカロスは喉の奥に突っかかった違和感の正体に気付き、ようやく吐き出した。クラスメイトであるバルが先程尋ねてきた質問の答えを唐突におもいだしたのだ。なぜ今になって急に思い出したかは定かではないがとにかく思い出したのだ。イカロス家がかつて命と知識欲の全てを賭してその存在証明に尽力した太古の悪魔の名前を。
その悪魔が戦闘を起こした場所は決まって大きなクレーターができ、その悪魔が好んで使った魔法は空間ごと根こそぎ削り取った。
「? どうしたの?」
「さっきバルが聞いてきた質問、ようやく思い出した」
人々の記憶から薄れようと、紡がれてきた知識が消えることは無い。
この世のあらゆる名前には、意味がある。
悪魔、狩人の神、王を従える王、破滅の音色、数多の意味を内包するその名は___
「…バルバトス」




