80作目 その名を
リオネルと勇者がやや手狭なフィールドの中で相対する。
「この中では外に攻撃は行かない、それは防ぐという訳ではなくこの中で行われる攻撃、破壊行為は全て弱体化されるということだ。それから致命的な攻撃であると判断した場合即座に中断する。両者いいな?」
「了解です」
「もちろんです」
ここに来て勇者が初めて口を開いた。吐き気を催す気色の悪い声だ、あのときの俺や姉に向けた声ではなく、最初に俺たちに取り入ってきた気持ちの悪い猫を被った声。頭からつま先までに迸る悪寒を抑えきれずにはいられなかった。
アルベルトが「始め」と言いながら腕を振り下ろした途端、戦闘が始まった。魔法を使える人間に取って、最初にとる行動は距離を取って詠唱を始めることだ。これは定石で、どの距離でもひとまず距離を離す。相手の間合いが如何程か、自らの射程ギリギリまで距離を離して詠唱を紡ぐ。
リオネルはその定石の通りに動いた、手狭ではあるが十分広いフィールド内ギリギリまで離れ、詠唱を始める。しかし勇者はそれよりも先に行動を始めた。勇者にとってフィールド内全てが射程圏内、相手の攻撃を食らっても無傷だが、攻撃を食らうということを勇者のプライドが許さなかった。その身に受けるは神の加護、許されざる寵愛を受けし者は、世の術理の尽くを無視する。
紡がれない詠唱から放たれる王者の一撃、現在人類がその歴史をもって繋いできた過去の道程を彼は一代で易々と踏み越える。
かつていた英雄は、ようやくたどり着いたその行数に自らの名前をつけた。
水ノ段 四行目 "浸凍"である。
司る事象は氷結、魔法の効果は自身の周囲をただ無差別に凍らせるのみ。しかし氷結はあらゆる物質、生命の動きを無慈悲に止める。王者が止まれと言えば、止まらぬ臣下はいない。
そしてこのフィールドの王は、ただ1人であった。
フィールドの外にいるバルバトスは、力の差を知ってただ奥歯をひとりで噛み締めた。周囲の人間はフィールドの外にいるというのに寒さで奥歯を鳴らした。そして歯が軋む音が鳴る中、高らかにひとりで話し続ける男がいた。
「先生〜?これで終わりでいいんですよね?一応死んではいないと思いますけど」
アルベルトがフィールドの中に入り、室内だと言うのに氷を踏みしめる音だけが鳴った。そしてリオネルを見てただひとり、静かに口角を上げた。リオネルは、不可視の一撃を、紡いできた詠唱を防御に回していた。土ノ段 八行目 土壁を途中まで発動していた。無論その程度で止まる魔法ではない、両者の間には決して越えられない四行の差がある。それでも、リオネルは完璧に読み切っていた。なぜ分かったのか、それはこの場にいる誰にも今は分からないが、ともかく魔法は腰ほどまで発動されていた。あともう数瞬あれば、身体を覆う大きな壁になっていたであろう。
そして上半身全てが凍ってなお、リオネルの心臓は鼓動を続けていた。石の効果で魔法が弱まっていたのもある、実際それが大部分ではあるがそれでもリオネル自身の高い戦闘知能が、紡いだ土壁の詠唱が命を守ったのだ。今は小さな壁だろう、自らすら守れない土塊に過ぎないこれは、いずれ敵の大きな障壁となって立ち続けるとアルベルトは確信した。
「終わりでいいが俺の話をちゃんと聞いていろ。そんな魔法使われて耐えられる生徒がどこにいる、生徒どころかこの国にいるほぼ全ての人間は耐えられん。強すぎる力は、いずれ身を滅ぼすぞ」
「気をつけまーす」
「…はぁ」
アルベルトは溜息をつきながらフィールドに込めていた魔力を解除する。するとリオネルの下半身を迷っていた土の壁、そしてフィールド内にある全ての氷が消えていった。氷が溶け、リオネルは大きく息を吐きながらその場に倒れ込んだ。項垂れながら、地面を見ていた。荒い呼吸をアルベルトが背をさすりながら整えた。
「改善点は?」
「はぁ…はぁ…魔法の…発動速度、反射神経です」
「そうだ、判断は悪くなかった。その調子で頑張れ、お前なら、きっと姉を越えられる」
「はぁ…はぁ…余計な…お世話ですよ、先生」
「体調は大丈夫か?」
「少し節々が痛みますが、問題なく参加できます」
「分かった、自分の班までひとりでいけるか?」
「もちろんです」
リオネルはふらふらと腕を抑えながらバルバトスとフェイの元へ戻っていった。そしてその場に座り込み、フィールドをじっと見つめていた。2人に話しかけるわけでもなく、ただ脳内でたらればのシュミレートを開始する。
「あのとき土壁を選択するのは間違いじゃなかった、魔法の発動速度がまだ遅い、僕は二色使いなんだ、この程度ならまだまだだ、姉さんなら、姉さんならきっと…」
バルバトスとフェイは、話しかけることはしなかった。敗者は、自らと向き合って改善しなければならない。そうしなければいつまでも成長はしない、そしてそれを邪魔するほど、この2人は野暮ではなかった。
バルバトスは自分ならどうするか、ただ考えていた。勇者のあまりに多い手札と、自らの少なすぎる手札を見比べながら、どこで勝つか考えていた。そして相手の手札に何があるのか、探るために。
フェイは自らの使う属性、段位の最高到達点を見せられてただひとり、高揚していた。彼女はいうなれば知識欲の塊、もっと知りたい、もっと見せて欲しい。魔物があれほど魔法が使えるなら人間に使えない道理はない、そして道理があるなら、彼女の知識欲は決して止まらない。
周りから見ても、この3人は不気味であった。あっけなく終わってしまったAクラス首席を労う訳でもなく、ただ静かに、力強く勇者を見ていた。そして勇者は、何も言わず、リオネルの方など見ず、ただ戻った。
敗者の常が自己研鑽、そして絶対王者にして敗北を知らぬ勝者の常は退屈そのものであるから。




