112作目 混乱する思考
「…悪魔ってなんだ?怪物…化け物…魔物とはどれも違う表現だ。人を表すならそれこそ魔王だっていいだろ」
「魔王とはまた別の存在、知ってると思うけど魔王は魔物を従えた唯一の人間。王である親を殺し、そして自らそう名乗った。けれど彼は違う」
「…バルバトスが?」
「そう、悪魔と自分から名乗った訳じゃない。それは伝承、文献、遺跡にそう記されていた。彼を呼称できる単語はこの世でただひとつ、それが悪魔」
けれど、と彼女は続けた。じっと俺を見つめながら徐々に体勢を前かがみにして彼女の髪が鼻にかかった。前にのめり込むように、俺の上に立つように。
「バルバトスという名前には意味がある。例えば狩人の神、獣人よりも狩りが得意で追い詰めるように戦う様を見た獣人がそう言った」
「神…随分と格が上がったな」
「獣人からしたら神にも見える、虐げられてきた自分たちを助け、その上得意分野すらも上回っていたのだから」
「他には?」
「破滅の音色、彼に傾倒していたとある人物は不可解な音を聞いていた。羽が小刻みに揺れるような不快な、大地を揺るがすような巨大な音」
「…」
「故に悪魔、理解し難い強大な力。理解し難い行動理念、読み取れない思考。それでいていつでもこちらを見透かしているような正に万能。故の悪魔」
彼女は俺の手を見た、真っ黒な革手袋に隠された俺の両腕には人とは明確に違うものが刻まれている。先程の絵に近い右腕の手枷、失われ切り飛ばされたものを補う漆黒の左腕。彼女はそこに強い好奇心を抱き、ゆっくりと手を伸ばし、外そうとする。
咄嗟に退けようとするが不思議な彼女の深い臙脂色の瞳が俺を吸い込むように見ていて、蛇に睨まれた蛙のように俺の体は硬直していた。
彼女の瞳のせいだけではない、この部屋に充満する空気、匂い、先程から脳内に詰め込まれていった知識、バルバトスという不可解な存在、イカロスに話した六つの単語群の正体、バアルゼブルとの関連性。バルバトスという存在について分かったような、けれど薄いヴェールに包まれていて全貌が掴めない深海のような不気味さが俺の体を強張らせていた。
彼女が俺の革手袋に手をかけ、引っ張ろうとしたその瞬間にドアが開き、光が差し込んだ。
「お嬢、少ねぇが菓子だ。勉強には糖分が…」
執事が俺たちの様子を見て目を見張った。そして手に持っていたトレーをひっくり返し、食器が割れる音がして咄嗟に俺は立ち上がった。
「てめぇ…どういうつもりだ?」
陶器を踏み躙りながら執事は目を鋭くして口角を沈めながらゆっくりと、けれど確かな速度で距離を縮めていった。フェイは溜息をつきながらスカートについた埃を払い、平坦な声で返した。
「入る時はノックするべき、何度も言ってる」
「だけどよお嬢、こいつは今!」
「フェイが上に乗っかってしまっただけ、それよりルシエラ。フェイは同じことを言うのは好きじゃない、馬鹿はこの家に置くつもりない」
「…へい」
「バル、悪いけど今日はもう帰ってもらってもいい?話したいことは大体話せたし」
「また聞きに来てもいいか?彼らについて」
「彼…ら?なんで複数形?」
「フェイの家に興味が湧いた、それだけだ」
俺がそう言うと彼女は驚いたように瞳孔を広げ、くすりと小さく笑った。
「うん、いいよ」
「それじゃあ、邪魔したな」
「…ルシエラ、玄関まで送ってあげて」
「へい」
ルシエラと呼ばれた執事はフェイに皿に触らないよう言ったあと優しくドアを閉め、フェイの視界に映らなくなった途端に俺の胸倉を掴んだ。
「てめぇ…バルといったか?」
「そうだ」
「お嬢を悲しませるような真似をしてみろ、ぶっ殺すからな」
「それは…気をつけよう」
少しだけ宙に浮き、僅かばかりの息苦しさは彼が手を離したことによって一瞬で過ぎ去った。何していないとはいえ俺を片手で持ち上げることができるのか、大した筋肉だ。
「邪魔した、フェイによろしく言っておいてくれ」
「んだそれ、喧嘩売ってんのか?」
「そういうつもりではない、また世話になる。礼を伝えておいてくれ」
「やなこった、そういうのはてめぇで伝えるから意味があんだよ」
ふん、と鼻息を荒くしながらルシエラは玄関のドアを勢いよく閉めた。帰っている途中、俺は頭の中を整理した。
手記のタイトルはバルバトスについて…両親を殺した魔物を探していたら自分の中にいた不自然な存在に辿り着くなんて思いもしなかった。しかし彼はなぜ遺物の中で生きているんだ?しかも鎖に縛られている、聞いていた話の通りの力ならそんなところに閉じ込められていて良しとするか?
鎖の意味は拘束、捕縛…遺物が人の中に入るのではなく人が遺物の中に入ってしまった?いや、それだと鎖で縛られている理由にはならない、であるならば…封印か?悪魔を強大な力である遺物に封じ込めたはずが、それでも尚自我が残ってしまっていた。
やがてそれは遺物そのものを飲み込み、力が伝染っていった?であるならばひとまず遺物の中にいた仮定は済む。
イカロスは魔王が死ぬよりも前から生きていた、それもかなりの長い間。そして恐らくイカロスが自由に行動できていたのは少年期から青年にあたるまで…それ以降は爵位を貰い、国に貢献していた。
人の一生は短いようで長い、約20年からそれ以上ものイカロスと別れていた間、バルバトスは老けずになにをしていた?殺戮…?いやそれならば獣人やイカロスの証言から合わない。
獣人を助けていたのはなぜ?単なる好み?いやその程度で行動指針を変えるような人物ではない。彼が最初に俺に言ってきたこと…
「…これは契約」
あの文献の全てに目を通していないが、バルバトスは契約を大事にしているとしたら?
俺が死んだら彼に体を渡すという契約は履行され、そしてなぜか所有権を返してきた。生き返したから不履行になった?
では、なぜ生き返したのか。あまりに俺にとって都合が良すぎる、現世に執着しているなら返さないはずだ。けれどもうしそうでないなやそれはそれで俺に力を貸している理由が不明になる。契約は双方の合意、メリットがあって始めて結ばれるものであるべきだ。俺にとってのメリットは力…では彼にとっては?
「無くしていた記憶…六つの単語群…4人の王…手記にあった物憂げな表情の真相…」
4人…"肆王・是狩魔皇帝"は…彼は4人の王を従えた末の力だと言っていた。原初の魔王に立ち向かい勇者と協力した4人の王…偶然にしては出来すぎている人数の合致…
4人の王の中には獣人がいた、被差別種族である獣人が人の先導をするまでに成長するには時間が足りない。だれかが介入した…?なんのために?夢の中にいたアイデウスも王だった、もし仮にアイデウスが4人の王のうちのひとりで、その全てを力として取り込んでいたとするならば、数や辻褄が合う。
不自然なほど出てくる王…王…王…まるでそれ自体に執着しているような…王に対するコンプレックス?いや仲を深めていたとフェイは言っていた。
バルバトスが再びイカロスの前に現れた時期は…4人の王が消えた時…魔王と勇者も死に、人を従えていた王も死んだ、取って代わるなら絶好の機会だったはずだ。
それをしなかったのはなぜ…もしそのような動きがあったのならイカロス家の誰かが究明、文献に残していたはずだ。彼に執着していたせいで爵位を落とされているからそこに対する気持ちに嘘はないはず。
…分からない、現状ある知識だけではとても辿り着けない。黒い男に聞こうにも、彼が出てくるのは気まぐれだ。俺自身からなにか求めても出てこなかったのは去年の冬に異能が成長しなかったときに分かっていることだ。
さらに大きな疑問点がもう1つ、俺の両親が殺された時期にバルバトスは遺物の中にいるはずだ。であれば他の誰が遺物を取り込んだ?
最初に会った時…今度はガキか、と言っていた。つまり俺以外のだれかが…
けれど恨みや憎しみは不思議と湧いてこなかった。両親との記憶が薄いからか、どこか他人が殺されているような感覚がある。
俺はおかしくなってしまったのだろうか。




