111作目 観測者
フェイの寝室と思わしき部屋には本が雑多に置かれ、足の踏み場がないほどに床を埋めつくしていた。これほどの貴重で高価なものをばらまけるほど、フェイは本を沢山持っているのだろう。
そして本で飾られた部屋の中には大きなベッドと机があり、その机の上には古ぼけた羊皮紙やなにかの絵など、資料と思わしきものが散乱としていた。フェイはその中を迷わず突き進み、俺もそのあとをついて行って机の前に腰を下ろした。
机の上に置かれた資料の山を丁寧に審査しながらフェイは1枚の羊皮紙から話を始めた。
「魔物の話に入る前に、少しだけ必要な知識を入れておく必要がある。これはフェイの家の話も出てくるけどバルの両親を殺した魔物の話をする上でとても重要なことだからちゃんと聞いて欲しい」
「分かった」
相変わらず無表情なままだが、どこか信念を持ったような強い目付きで俺をじっと見つめた。そうして俺たちは資料を通して過去に遡ることになった。
イカロス家の祖先はイカロスという魔物学者から始まっており、特定の家や土地を持たず世界中をとにかく歩く遊牧的な生活をしているそうだった。国に属さず、土地に属さず、ペンと紙と己のみを頼りに魔物の生態系を解き明かしては人々に知恵を授けていた。
そしてその噂と名前があらゆる国に轟き始めてきた頃、とある人物と出会った。イカロスが出会った彼は名を持たず、記憶を持たず、故に心がなかったそうだ。
「曰く、『ここはどこだ?お前は何者だ?』って。人名と思わしき単語も上がっていたみたいだけど、何故かそこだけは黒く塗り潰されている」
「ふむ」
「フェイの家ではこの単語計六つは禁句になってる、知識を武器に生きてきたイカロス家が過去を塗り潰すなんて…って。話が逸れた、戻る」
イカロスは彼に出会い、次第に呑み込まれていった。魔物よりも彼に注視するようになり、観察を続けた。
「これがイカロス本人が描いた彼の絵」
そう言ってフェイが見せてきたイラストは、どこか見覚えがあった。腰を下ろして座っている男は真っ黒な髪に、黒い瞳孔、その瞳にはどこか影があり、なにより特徴的なタトゥーが右手首に掘ってあった。4つの輪が重なっているような手枷にも見えるタトゥーだ。
俺の右手にある紋様と似ている、そしてなによりこの男は黒い男の面影を宿していた。紙の匂いとともに俺はじっとりとした嫌な汗が背筋に流れていくのを感じた。
「全体的に黒い…な」
「そう、珍しい色。バルもそうだよね」
「あぁ、だな」
彼と共に旅を続けていくうちに、やがて転機が訪れた。宛もなく放浪を続けた彼らは行く先々で様々な人と出会い、また別れていった。
4人の王にもなんの縁か謁見し、不思議なことに彼らは心を通わせて行った。そうしてありとあらゆる国を周り、終ぞ彼の記憶に纏わるものは見つからなかった。
そうしてイカロスはとうとう彼と別れてしまった、魔大陸に行くとだけ置き手紙を残して彼は消えてしまった。そこから取り憑かれるようにイカロスは人間の住む世界全てを見て回った。
昔と違って彼には既に爵位があり、国に仕える身分だったからか魔大陸に行くことは許されなかった。そうして晩年、なんの手がかりも見つからなくなり寿命も近づいてきた頃、世界は変革を迎えた。
「魔王と勇者の死、人の時代がようやく訪れたかに思えた。けれど魔王が死んだあとに残るのは偉大な4人の王ですら制御しきれない真っ暗な混沌。それでも王や貴族は必死に平定の世を求めて努めた」
偉大な4人の王と呼ばれた彼らは国民と領土を守るために必死になり、そして寿命や争いにに勝てず死んでいった。失われたものは大きく、得たものは魔王という諸悪の根絶と勇者という英雄の死という事実。
イカロスは魔物についての知識はあれど力はなく、ただ奔走してはメモに書き留め、対処法などの知識をばらまいた。
「…話が見えないな、魔物はいつ出てくるんだ?」
「ここからその話に繋がる」
魔物は強大化していき、人の対処が困難になりつつあったころイカロスはとある大きな痕跡と出会う。混沌の世ですら目を見張るほどの大きな戦闘の形跡が残っていた。まるで空間が根こそぎ削り取られていたような痕跡に出会い、そして追いかけた。
不思議なことに、その痕跡はいくつも見つかった。ありとあらゆる強大な魔物が出たという風の噂の元には決まってそのクレーターが出来上がっていた。
そうしてその痕跡を追いかけ続け、この謎を突き詰めてからではないと死ねないという信念がイカロスを着き動かし続けた。既に視界は悪く、足も思うように動かない。けれどその飽くなき探究心と信念に裏打ちされた執念が彼とイカロスを引き合わせた。
クレーターのど真ん中で何十年と経っていようとも全く姿が変わっていなかった彼がいた。
「イカロス曰く、時を止めているような止められているような哀愁を纏いながら彼はそこにいた」
「…」
「返り血に塗れ、彼はついに全てを思い出した。そして再びイカロスに自らの名前を口にした」
フェイは小さな古ぼけた羊皮紙を取り出す。それを机の前に広げ、びっしりと書き連ねてあったその紙の上部には大きくタイトルが書いてあった。
その名前には見覚えがある、心臓が傷んだ。汗は乾き切り冷たい空気が体を包んだ。
「バルバトス。太古の悪魔でありその全てがイカロスによって隠蔽され、名を奪われた」
俺は咄嗟に後ろに仰け反り、本がバラバラと崩れた。埃が巻い、僅かに揺れた締め切ったカーテンの隙間から橙色の光が差し込んだ。
「彼は自らを悪魔と呼称し、魔物の殺戮をした。ごく稀に人を殺し、虐げられていた獣人を助けた」
「…なぜ…そんなことを?」
「さぁ?イカロスの文献を見る限りフェイがすいそくした限りでは、ヤケクソになっているように思える。失っていた記憶は思っていたより良いものではなかったのか、はたまた世界を憎いと思ったのか」
ズキズキと痛む心臓と頭をなんとか押さえ込みながら、俺はゆっくりと文献に目を通す。
バルバトスは部下を持たず、人に寄らず、故の孤独を噛み締めながらその強大な力を振るった。死の匂いを強烈に振り撒きながら、死を憎み、生を愛した。
彼を助けられるのは___
「…イカロスは殺されたのか?」
「分からない、けれどこの文献に着いた赤黒い何かはインクじゃない」
「でも文献は残ってる」
「この文献はイカロスの胃の中から見つかった」
「…なにがしたかったんだ、バルバトスは」
「分からない、でもイカロス家は彼のせいで随分と爵位を落とされた」
当主であるイカロスを失い、残ったのは胃の中に隠された資料と自室にあった無数のバルバトスという人物についてのメモ。
存在しているのに、彼はそこからどこにも見つからなかった。故にその存在証明に、悪魔の存在証明という無理難題を何十年、何代にも渡って行ってきた。
「結果、イカロス家はこの神の国で悪魔に取り憑かれ狂人の烙印を押された。今はそれを挽回するために細々と魔物の研究をしている」
「つまり、バルバトスは存在していないのか?イカロスという男の妄言であったと?」
「今の当主…つまりパパはそう思い込むようにしている。けれどこの資料が家の金庫にあったということは、そういうことだと思う」
「フェイはどっちだと思うんだ?」
「悪魔は存在する、イカロスを殺し、バルの家族を殺し、今もどこかで生きている」
俺はフェイの顔を見れなかった、俺の中にいる怪しい男がそうなのだと言いたかった。ただそれを言えなかったのは"墓標"を悟らせないためでも、遺物を隠すためでもなく、黒い男がそんな事をするはずないとどこかで思ってしまったからだ。
彼が、イタズラに力を振りまく本物の悪魔であるならば俺と代わったときにわざわざ心臓を治すということもしない。あの瞬間にオイを殺し、バアルゼブルとともに世界を燃やしていたはずだ。
…待て、バアルゼブルについての話は出てきていないぞ。話を聞く限りイカロスはバルバトスに執着しているように見えたし、彼と再会したときに死んでいたにせよその話が一瞬でも出たなら書き留めるはずだ。
「バルバトスには部下やそれに似た仲間のようなものはいなかったのか?」
「さっきも言ったけど、彼はひとりだった。ただこれは今ある資料から読み解いた仮の結論でしかないからもしかしたらいたのかもしれない」
「…そうか」
「これが魔物の正体。実際には魔物ではなく悪魔だったっていうのと、イカロスという男の話」




