103作目 悪魔は己に問う
「そこからはトントン拍子さ、遺品をいくつか回収して、あたしはあの館で暮らすようになった。あの日から回復魔法は使えなくなった、神様を心の底から信用出来なくなったからね」
「…そうか」
遺品、と言って彼女は白衣の襟を立てた。イザナという人物が着ていたという事実を知ると、なんだか様になっていた白衣の姿もなんだかとても悲しくなった。
「だからあたしはずっと満ちていない、もう戻らない過去に縋って生きているだけに過ぎないからね」
「そうか…そうだな…」
カトレアの話を聞いてますます勇者を殺したくなった。今目の前に現れたり出会ったりしたら俺はすぐにでも全力を出してしまう。
それにカトレアの欲しいものはどうしても手に入らない、その気持ちは痛いほど分かる。けれど俺が"墓標"に家族のような安心感を持っているようにカトレアもそうであってほしいとただただ切に願った。
「でもカトレア、俺たちがいる。それはイザナがいたころのような幸せでは無いが…その…ひとりじゃないんだ」
「ふふ、分かってるさ」
カトレアはそう言って優しく微笑んだ。彼女が俺にしてくれたように、俺もカトレアを抱きしめてやりたいと思った。過去の話をしたカトレアは最初の方は楽しそうで、幸せそうだった。それが段々と切なそうな苦しそうな顔に変わっていくのを俺は黙って見て聞くことしかできなかった。
今は優しく微笑んでいるが、今にも消え入りそうな気がして、それを留まらせたかった。
「その…なんだ…寒い…か?」
「ふふ…ははは、寒い。寒いよ、バル」
俺はゆっくりと立ち上がってカトレアを抱き締めた。力加減が分からなくてカトレアは笑いながら「くるしいよ」と言った。
「すまん、その…こういうのは慣れてなくて」
「いいよ、寒かったし暑苦しいくらいがいいもんさ」
そう言ってカトレアは煙草に火をつけた。長生き…するつもりないんだろうか、先程は長生きしたくて一度禁煙したと言っていたが今ではもうそのつもりはないのか。
俺に止める権利はない、イザナのように振る舞うこともできやしない。けれど煙草を吸うその仕草が、死にきれていない亡霊のようで、着地する場所を見失った鳥のようで、なんだか悲しかった。
「…やめないよ、煙草はもう」
「…そうか」
「長生きしたいのはもちろんそうだ、それは変わらない。けどね、こうして煙草を吸っている時にふとイザナが怒って出てくるんじゃないかと思ってね。そう思い始めてからやめられないんだ」
「ならやめない方がいいな、酒も浴びるほど飲んでみよう。そうしたらきっと出てくるはずだ」
「はは、かもね」
死者と生者の境界線が薄くなる逢魔時はまだまだ先だ。けれどイザナはきっと今でもカトレアのことを見守ってくれているはずだ。
「そういえばカトレアも魔法学園出身だったんだな」
「うん、というかここのことは大体知っているよ。だからあたしが割り振られたんだろうね」
「勇者に出会ってバレないだろうか」
「出会うことはないし、なによりあいつは人の顔を覚えられるほど頭良くないでしょ」
「そうだが…」
「自分の周囲は褒め称える人間だけ、なにをしても結果は同じ、そんなやつらの顔覚えられるわけないよ。そんな中身のない薄っぺらい登場人物なんて顔も映らない群衆さ」
そう言ってカトレアは火を消し、自分の部屋に戻って行った。「話して疲れたからもう寝る、バルもしっかり休息を取りなね」と言ってドアを閉めた。俺も自分の部屋に戻り、小さな寝息を立てるオイの近くに椅子を置いてゆっくりと目蓋を閉じた。
「よぉ」
「…お前か」
次に目を覚ますとあの空間にいた。じゃらじゃらと鎖の音を揺らしながら黒い男は真顔で挨拶をした。
「今度は何の用だ?」
「少しだけ気づいたことがあってな、今日はその話だ」
「気づいたこと?」
「あぁ」と空返事をしながら黒い男は立ち上がってゆっくりと俺に近づいた。そして俺の心臓を拳で軽く叩いた。
「どうやら俺様が干渉しない方が物事が上手く進むらしい」
「そうか」
「これは悲しくもあり嬉しくもある。昔から俺様がいない方がずっと物事はよく進んできた、お前なら或いはとも思ったがお前もその限りでは無い」
要領の得ない冗長な喋り方で俺の周囲をぐるぐると回った。
「つまり何が言いたいんだ?」
「お前の心臓を治した時、俺様のほぼ全ての能力を持ってかれた」
「…は?」
オイの言っていた"割れた砂時計"を使ったときか。だが俺の中にはそんな錠前は見つかっていないし、そんな感覚ももちろんない。
「おそらく俺様が戻したからだろう。こんなことは有り得ない話だが、起きてしまったなら有り得る話なんだろう」
「そうか、ならどうやったら使える?」
「…まだ使えない、おそらく…いや確実に勇者と戦った後になるだろう」
「それでは遅すぎる、勇者と戦った後に力が手に入っても遅すぎる」
「そういうものだ、力ってのはいつだって必要のない時に手に入る」
勇者と戦った後に強大な力を得ても残るのは虚無だ。そんな強大すぎる力なんて必要ない、ただ誰かを守れる最低限の力さえあればそんなもの…
「お前の体で今使える異能は二つ、"沈黙"と"畏怖"だ。この二人の王がお前に傅いた。俺様よりお前を慕っているようだ、共感したんだろうな」
そうして彼が指を鳴らすとトランペットの不協和音がふたつ重なって聞こえた。そして今度は黒い男ではなく、俺の後ろの空間が裂けた。そしてそこから王冠を被った骸骨と、真っ黒なローブを羽織り、フードを深く被った骸骨が現れた。そして俺の前に跪き、深く頭を下げた。
「おめでとう、"肆王・是狩魔皇帝"はお前のものだ。右手をよーく見てみな」
言う通りに右手を見てみると黒い茨のような刺青がふたつに増え、バツを描くように交差していた。
「それは忌み嫌われし悪魔の…王の力だ。遍く全てを奪い、怒りのまま壊し、最後には己以外何も残さない」
「…」
「勇者に…なっちまうような代物だ。だが安心しろ、お前はならない」
「当然だ、あんなクズ野郎になってたまるか」
俺がそう言うと黒い男は一瞬責められた子供のような、心臓を貫かれたような、苦虫を噛み潰したような顔をした後に小さく嘲笑した。
「ハッ、それでこそだ。自分のことはバルバトスがよく分かってるよな。⬛︎⬛︎⬛︎、お前は晴れて今、この瞬間から、本当の意味でバルバトスに成った」
「…!今なんて言った!?」
「じゃあな魔王、恨むなら自分を恨め」
「待て!!」
目を覚ますと部屋に戻っていた。ベッドではオイがまだ寝息を立てていて窓の近くの木の枝には鳥が止まって鳴いていた。
快活な空の天気と気温とは裏腹に俺の頭はズキズキと傷んだ。先程までの会話のせいか、俺の右腕に刻まれた茨が増えたせいか、その両方か。
「バル、今日の学校どうすんの?」
「あぁ、準備してすぐに出る」
ひとまず考えている時間はない、通学中にゆっくりと考えよう。立ち上がって昨日クローゼットにしまった制服を取り出そうとすると、僅かに影が動いたような気がした。




