101作目 割れた
その日はよく晴れていた。ここ最近は雨がめっきり降らず、乾いた空気が喉を刺激した。夏は好きだ、強く主張して頭頂部を暑くさせる太陽も、ぬるくなったそよ風も、喧騒の一部に参加する虫の鳴き声も好きだった。そしてなにより、なんてことはない「暑いね」という会話も、好きだった。
「あぁつぅいぃ〜」
「今年は本当に暑いね、火の精霊が遊びに来るせいでうちの詰所でも何人かダウンしてるよ」
「この前も言ったけど水分はこまめに取るようにね、ゆで卵が生卵に戻らないように一度熱にやられて倒れたら治せない傷が残るよ」
「分かってるよ、きちんと徹底してる」
イザナとコールはすっかり、夫婦になっていた。もちろんそれは結婚式を挙げたあの日からずっとそうなのだが1年経ったことで板に付いていた。ずっと前からそうであったような、不思議な感覚だ。
「ところで今回はどこに向かうんだい?」
「この先に綺麗な湖があってね、今回はそこで少し涼もうと思ってるの」
「とても綺麗ですから、きっとホノカお義姉さんも気に入りますよ」
「そうか、楽しみだ」
スーツを着てきたのは完全に失敗だったな。シャツに滲む汗がなんともみっともなかった。細身のパンツも肌に張り付いて不快だ、スカートは好みじゃないが今だけは好きになれそうだ。
男はまだいい、野性的で汗すらも男らしさの象徴になり得る。だが私の汗は胸の下や脇といったところに集中するし、下着のラインも透けてくるせいでどうにも下品に感じる。
太陽が頂上に登りきった頃、ようやく目的地の湖に辿り着いた。人はおらず、時折獣が水を飲みに来るくらいで静かだった。透き通った水面から悠々と泳ぐ魚が見え、波の音は心做しか涼しくさせた。
シートを木陰に敷き、コールがカバンから弁当をいくつか取り出した。そして弁当の箱につけていたタオルを外し、あたしたちにそれを渡した。
触れてみるとひんやりとした感触が伝わり、ほどよく湿った冷気が心地よかった。
「…氷か、こんな高価な物をどこで手に入れたんだい」
「知り合いに氷結魔法士がいまして」
「ほう!水属性の5行目までに至った人物か、極めて優秀だね」
「えぇ、昔ちょっとしたことで縁ができましてね。とにかく鼻につくやつですが、こと魔法についての才能は凄まじいやつです」
「つまりそいつから安く買ったわけだ」
「そういうことです」
視界の端でイザナはタオルを首元に当て、間抜けな気持ちよさそうな声を出して目を閉じていた。
「しかしこんなものがあるならもっと早くイザナに渡してやれば良かったろうに」
「あぁ〜駄目なんだよお姉ちゃん…」
「駄目?」
「きちんと冷やさないと食材が傷んじゃって体調不良の原因になったりするんだぁ〜」
「ふむ、そうなのか」
「はい、僕も冷やした方がいいって言ったんですけどこう言って聞かなくて」
「困ったやつだよなぁ?全く」
イザナの知識は凄まじいものだった、弛まぬ努力の末に得た黄金の知恵だ。人体について彼女の右に出るものはいないんじゃないかと思うほどだった、思えば治療所の本棚には図書館でも開くのかと疑うほどに医学書が置かれていた。それに色んな村で代々受け継がれている民間療法?というやつも紙に書き留めて纏めていた。
冒険者時代に得た金は全て知恵を得るために使ったわけだ、非常に頭のいい金の使い方だ。知恵は一生ものだ、本は買ってしまえば永遠に知識と閃きを与えてくれる。
そこから3人で食事をした、コールの任務の話やあたしたちの冒険の話など他愛もない過去の話をした。そしてこれからの話もいくつか。
「お姉ちゃんは結婚しないの?」
「んん?そうだなぁ…」
「急かしてる訳じゃないから安心してね、でもお姉ちゃんずっとひとりだから心配しちゃって…」
「結婚はいずれしたいと思っている、が中々いい人がいなくてな」
「グレイなんてどうですか?あいつはこれから更に強くなりますよ、ここでの訓練期間を終えたらおそらく教皇直属の騎士団に入ると思います」
「そんなになのか、けれど…うーん…」
彼はなぁ…子供に見えてしまうんだよなぁ…
話によるとあたしより年上らしいがどうもそうは見えない。それに強いのは魅力的じゃない、どっちかと言うと守ってあげたくなるような可愛げのあるやつがいい。けれど勇気はあって、いざというときにはあたしより前に出てくるような気概のあるやつだ。
「多分そろそろ来ると思いますけど、彼は結構ホノカお義姉さんのこと気にかけてますよ」
「そうか?そうは見えないがなぁ…」
「まぁ…その…失恋から大分経ちますし…」
コールはあたしの耳元で小声でそう言った。イザナに惚れていた件は結局隠し通しているのか。イザナに余計な気を使わせないためだろうか、やはりコールは中々にできた人間だ。
そう思ったくらいの頃に、茂みから音がした。コールはすぐさまイザナの元へ駆け寄り、守るように半身をイザナの方へ近づけて剣の柄に手をかけた。あたしもすぐに詠唱出来るように唇を僅かに湿らせて魔力を込めた。
そうして警戒状態が解かれない緊迫した状況が続いたのを気まずく思ったのか、茂みから顔を出したのは黒髪黒目の少年だった。
彼の体には無数の生傷があり、頬からは血を流していた。仲間はいないのか死んだのか分からなかったがきっと無茶をした冒険者の類だろう。治療しようと立ち上がるイザナを静止し、コールは冷静さを纏った声色で叫んだ。
「そこの少年!名前は言えるか!仲間はどうした!!!」
「あ、すいません!!ユウトです!!仲間はいません!!その…なにか食べるものはありませんか!?ずっと戦っていたせいで何日も食べれていないんです!!」
嘘には見えなかった。だがこの近辺で魔物はほぼ出ていない、ずっと戦っていたというのが気がかりだった。ただ傷まみれの少年を放っておけるほどクズではない、あたしたちは彼をこちらに来るよう促した。そしてまだ残っているサンドイッチやステーキなどをいくつか彼に与えた。
心底嬉しそうに、彼は涙を流しながら食べていた。
「ありがとうございます…ありがとうございます…」
「君…どうしたんだこんな森の奥で」
「ここで魔物を倒し続けるよう指示されて、ひたすら戦っていたんです。そしてほぼ全て倒し終えて、仲間もみんな死んじゃったから下山しようとしたんです」
彼の言っていることに現実味はなかった、子供が夢で起きた出来事を話すようなふわふわとした輪郭のない言葉のようにも聞こえるが、それでいて歴戦の冒険者が死にかけた時の話をするような重厚感もあった。
「指示…って誰だ?誰に指示されたんだ?」
「王国」
「王国だって!?」
コールは心底驚いたように声を荒らげた。
あたしも驚いた、国が子供に魔物の殲滅を命じるなんて話は聞いたことがない。あったとしてもそんなこと許されるはずがない。
「なんで王国がそんなことを君に指示するんだ?」
「なんでって…勇者だからです」
「はぁ!?!?」
みんな驚いた。勇者はアイバーンただひとりで、彼が死んでからもう何年も経っている。彼と魔王の屍から永遠に消えない魔力のせいで世界は魔物で満ちている。
「いやそんなわけがないだろう!そんな話は聞いていないぞ」
「? まぁ秘匿されていますからね」
彼がそう言った直後、鮮血が空中に舞って、前にいるはずのコールと目が合った。




