100作目 割れる刹那
あれから少しだけ経った、禁煙は思いの外上手くいった。別に大して依存していたわけではなかったようだ、同じ時期に禁煙した灰色の剣士こと名無しくんは手こずっていたようだったがノリでやめたにしては固い意思で1本も吸わなかった。
「おや?コールくんじゃないか」
「お、ホノカ義姉さん」
「君に義姉さんと呼ばれるのはまだ慣れないね。こんなところでなにしているんだい?」
「あぁ、今日は僕たちが付き合った日なんで花を送ろうかと」
「素敵じゃないか?なにを送るんだい?」
「赤いカトレアです」
「優美な貴婦人」「魅力的」という花言葉があるんですと彼は楽しそうに語った。イザナの髪の色も赤だし、とても似合っているしいいセンスだった。賞賛の言葉とお祝いの言葉を送った後、いつも通り治療所に向かった。少しだけお腹が大きくなったイザナがあたしを出迎えてくれた。
「イザナ、調子はどう?」
「かなりいいよ」
そう言っている彼女の顔は発言とは食い違って見えた。治療所にはCLOSEのプレートがかけられているし、どうやら妊婦というのはやはり体調の浮き沈みが激しいのだろう。
「軽食を買ってきたんだけどせっかくだしふたりでピクニックでも出かけない?少し歩いて外の空気を吸えば体調も良くなるかもよ」
「なんで体調悪いの分かったのぉ…」
「姉だからね。で、どうする?無理しなくていいよ」
「…いく」
ふたりで街から出て、雄大な自然を歩いた。イザナのために途中で杖を買い、決してお腹の子の負担にならないように慎重にゆっくりと牛歩の速度で森を歩いた。相変わらず魔物は少なくなっていて、冒険者の数もすっかり減った。
夏だからか、虫が騒がしく鳴いていた。
ふたりで丘に座って、飲み物を飲んで話をした。
「もう少し大きくなったらこうやって外にも出れなくなるんだって、治療所も産むまでは休むよう言われちゃった」
「そういうものだよ、もうイザナだけの体じゃないんだ」
「そうだけど、その間にも怪我人はでるし病気にかかった人も出てくる。彼らを助けられるのは私だけ」
「そんなことはないさ、それにいつも言っているだろう。命に貴賤なし、イザナとその子供の命も平等に尊いんだから」
「うん…そうだね…」
言葉ではそう言っていてもやはり救えない人達のことを考えて思い詰めているようだった。
「薬の処方と傷の手当くらいはあたしがやるから、その間休んでなよ」
「…いいの?」
「当たり前だよ、イザナが困った時は助けるよ。それに回復魔法士としても長い間やってきたし少しくらいなら症状は分かるから」
「ありがとう…お姉ちゃん大好き…」
「知ってるよ」
イザナはあたしの腕に抱きついて、二人の間を風邪が通り過ぎた。穏やかな時間が過ぎた、後にも先にもこの幸せを超えるものはないだろうと断言出来るほどに。
そこから家に帰してコールに引き渡した。ちらっと見えた家の中は華美に飾り付けられ、恐らくこれから祝うのだろう。
あたしはひとりで家に帰った、そうして酒を一杯だけ注ぎ、一瞬で空にした。戒律に飲酒のことは書かれていない、神が許した最後の娯楽が食事と飲酒だと言っているようなものだ。
とはいえ、飲みすぎは良くない。イザナのせいでどうも健康志向になりつつある。それ自体はいいことだ、だが今はどうしようもなく酔いたい気分だった。
その日は夜が明けるまで飲んだ、酒に酔って阻害される思考力と上がり続ける体温はその時その瞬間は心地よい。けれど次に目が覚めた途端に後悔する。酷い頭痛と吐き気、体の節々に残った痛み。
そんな最悪な気分を吹き飛ばしたのが、イザナとコールだった。昼頃にベルがなり、ドアを開けたイザナとそれを気まずそうに止めるコールが目に入った。
「あ!お姉ちゃん!飲みすぎはダメだよ!」
「こらこらイザナ、勝手に入っちゃダメだろう」
「気にしないでいい…それより2人ともどうしたんだ…?」
朝一番に聞いた2人の声とは対照的に、あたしの声はひどく荒れていて酒で焼けていた。イザナの被っている大きな麦わら帽子に付けられた赤いカトレアが目に付いた。
「昨日のことコールに話したんだけど、今度は4人でいかない?」
「4人…?」
「グレイです、名無しくんも後から来るんです」
「彼はそんな名前だったんだな…」
「名無しじゃあ味気ないんで彼の髪の色からグレイってあだ名をつけたんですよ」
「そうか…分かった、すぐに準備をするからそこで待っていてくれ…」
あたしは部屋に戻って服を選んだ。残念なことにクローゼットの中にはこういう時に着る服なんて気の利いたものはなかった、かといって結婚式のときに着たスーツは硬すぎるし、他に着るものはお洒落なものじゃない。もっと服を買っておくべきだったな。
まぁスーツでいいだろう。
「待たせてごめん、行こうか」
「えっ…なんでスーツ?」
「しょうがないだろう、お洒落なふたりの横で歩けるのこういうのしかないんだから」
白いワンピースに薄いカーディガンを羽織ったイザナと、大きな剣を腰に差して綺麗なシャツを着たふたりはお忍びで異国を旅する姫と騎士のようだった。
「今度お姉ちゃんには服を買ってあげないとね」
「どんな服でも似合うからきっと服を買ってこなかったんだよ」
「あたしのより子供の服を買った方がいいだろう…おもちゃとかも…」
「今はお姉ちゃんが優先!ほら、早くピクニック行こう?」
そして、その今度は永遠に訪れることはなかった。
何不自由ない生活、夢のような幸せな日々、何もかもが満ちていたあの頃が、あたしはずっと欲しい。
けれどもう戻らない、零した水が杯に戻らないように、割れた砂時計から溢れた砂がもう戻らないように。
100話、なんとなく大きな区切りのような気もします。
飽き性の私がここまで続けられたのも皆様のおかげです。
ご愛読ありがとうございます、そしてこれからもよろしくお願いします。




