第3章 3-01
パトカーらしい車両はサイレンを鳴らさずに走行していたので、それほど通行人の関心を引いてはいないようだった。だが、当の鈴木からすれば、チラチラとこちら(パトカー)を見る人々の視線が、まるで自分を非難するかのような、冷ややかな視線のように感じられ、誠に居心地がよくなかった。
やがてパトカーは警察署らしい建物の前に到着した。鈴木の右側に座っていた男性警官が先に降車し、ついてこいと手招きした。鈴木は彼の後ろに付いて、その建物の中に入った。鈴木の後ろから別の男性警官が付いて来た。パトカーで鈴木の左側に座っていた男性だった。
取調室らしい部屋に誘導された。机がいくつか、椅子がいくつかあるだけの部屋だった。扉から遠い方の椅子に座るよう誘導される。鈴木の対面と、少し離れた机、筆記具が置かれていたので、おそらくそこは記録者が座る場所だろう、そこに先ほどの2名の警官が座る。部屋の入口には、別の男性警官(もともと、この警察署に居た警官)が立っていた。逃亡防止役といったところだろうと、鈴木は思った。
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対面の警官が鈴木に話しかけて来た。
「Ariwa ametahohem inumamo ah…」
「…すみません、わかりません」
言葉を理解できない鈴木が申し訳なさそうに頭を下げていると、警官は手で鈴木をさえぎるようなしぐさをした。気にするな、とか、頭は下げなくていい、とか、そういう意味だったのだろう。
もちろん、「かつ丼、食うか?」の意味でなかったのは明らかだった。
紙とペンが用意され、警官がいくつか文字を書き、それを鈴木に見せた。紙には何種類かの、系統が異なると思われる文字列が書かれていた。このことは、この警官が複数の、おそらく3つ以上の言語を読み書きでき、しかも話せるということを意味していた。鈴木は内心、その優秀さに驚いた。しかし、警官が優秀なのはさておくとして、鈴木にはどの文字もまったく判別できなかった。
鈴木が、わからない、というふうに頭を横に振ると、目の前に紙と鉛筆が置かれた。
字を書くようなしぐさを鈴木に示している。お前の知っている文字で書け、ということだろう。さっそく鈴木はペンを持ち、何か国語かで文字を書こうとした。
ここで鈴木はふと、意外なことに気づいた。相手の警官は、あきらかに系統が異なる言語・文字を複数書いた。だから次は、鈴木が知っている限りの異なる言語・文字を書く番だったのだが、よくよく考えてみると、言語の系統としては実はあまりないのではないか、ということに。
鈴木の母国語は日本語で、第二言語が英語であった。あとはドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語、フランス語、韓国語が少しだけといったところだった。
こう書くと多い気もするが、言語の系統、正確には文字の系統という視点で見ると、英語などアルファベットを用いる系統は、その先祖がフェニキア語かエトルリア語かギリシア語かラテン語かは知らないが、とにかくそれらは共通の祖先を持つグループであって、一つ目の系統と言える。
二つ目に、漢字を中心とする中国語の系統になる。ハングル文字も日本語も、本質的にはこの流れの系統だと言えるだろう。日本語は、ひらがな・カタカナと一見、違う系統があるように思えるが、ひらがなもカタカナも、それらは漢字を起源としている。
そもそも古代日本から伝承されて来た、オリジナルの日本文字というものは知られていない。
もし鈴木がアラビア語を習得していれば、アラビア文字を三つ目の系統として警官に示せていただろう。しかし先ほど警官が書いた、何種類かの文字の系列にアラビア文字に似たものはなかった。
どちらにしても、鈴木が書いたアルファベット系の文字や漢字(そして一応、ひらがなとカタカナ)に対し、警官たちは、自分たちには全く読めない、というゼスチャーを伝えて来た。両者、お手上げ状態であった。表情も相変わらず厳しいままだった。
そのとき、鈴木は気付いた。この警官たちは非常に体格がよく、筋肉質で、一言で言うと「強そう」だった。もしかすると、武術とか格闘技経験者なのかも知れない。とはいえ、元の鈴木のいた世界でも、警官は大抵、武術や格闘技を身に着けているのは常識的な事実であったが。
鈴木は思った、どうせ住所不定・無職なのだから、勇者だという点をアピールできれば、この状況を打破できるのではないだろうか。
そこで鈴木は、通じないとは分かっているが、日本語と身振り手振りを交え、ちょっと見てほしい、と警官に注意を促した。ゆっくりと椅子から立ち上がり、自分は窓際のほうに移動すると身振りで伝え、机などがなく場所が広く空いている窓際まで移動した。そして、勇者の構えを取って見せた。まあ、実際には勇者の構え、などというものはなかったのだが、猫足立ち的な、武術っぽいが実際にはいいかげんな、効果音を付けるとすれば、ズギャアーみたいな(どんな構えだ)、それらしい姿勢をやって見せた。
その結果、そこにいた3名の警官の反応は、鈴木の予想を上回るものだった。
日本語ならおそらく「おおっー!」みたいな(鈴木にはォヴァ!とか聞こえたが)感嘆の声をあげ、急に態度が軟化した。明らかに表情も柔らかくなったようだった。
鈴木の肩がポンポンと叩かれ、一杯飲みにいこうぜ的な軽さでどこか別の場所に案内された。
階段を一度下りたので、その場所は、どうやら建物の地下1階にあるらしかったが、一目見て鈴木には分かった。これは、トレーニングルームか、あるいは道場的な施設なのだろう。
さて、鈴木がその施設に入ったとき、そこには、シャドウボクシング的な練習をしているように見える者、筋肉トレーニングの機械らしいものを使って汗を流している者、それと鈴木にはよく理解できなかったが、型の練習的のように見える体操的な動きをしている者など、数人の警官がいた。
鈴木を案内してきた3名の警官のうちの、リーダ格らしい一人と、シャドウボクシング的な練習をしていた警官(以後「シャドウ刑事」と呼称する)が、二言三言、やりとりを交した。ちなみに、シャドウ刑事は女性であった。
会話の雰囲気から鈴木が察したのは、概ね次の予想であった。「ちょっと場所借りるぜ」、「練習の邪魔だから帰りな」、「いやいやこの男、割とやるようだぜ」、「そんなどこの骨とも分からないやつごめんだね」こんなところであっただろうか。鈴木には、どうやらこの場にいる警官の中では、彼女が一番の上官のようだと思われた。
やがて彼女、シャドウ刑事は、ため息をついて、筋トレしていた大柄な警官を呼び寄せた。彼は身長2m以上ベンチプレス200kgは余裕、といった強者感にあふれていた(ここでは仮に、猛者刑事と呼称する)。
シャドウ刑事は、鈴木と猛者刑事を交互に指差し、何か話していた。そこまで言うなら対戦させて見ろ、ということらしい。
ついにここで、落ち目の勇者鈴木が活躍することになるのだろうか。勇者が圧倒的な実力を見せつけることになるのだろうか。
猛者刑事は、シャドウ刑事に向かって、分かったという風にうなずくと、ペキペキと指の骨抜きをし、さあ、何をするのかと思ったら、スタスタと練習場を出て行った。
一同、沈黙して待っていると、ちょっと間があって猛者刑事が戻って来た。手に何か持っていた。猛者刑事は、すがすがしい笑顔で手に持っていた物を鈴木に手渡した。
なんとそれは、ジャージの上下だった。
そういえば全裸でしたね。いや、正確には紙装備でした。すると、さっきの変な雰囲気って、ジャージを借りる相談だったってこと?
全然、対戦とかじゃなさそうだ。
あれ? もしかして勇者の出番なし? え?




