第2章 2-0A
甚だ、いまさら感があるが、鈴木一郎(43歳、会社員)の話をしよう。
彼は地球の勇者である。地球外での活動も一応は可能だが、本来は地球で活動すべき勇者である。
しかし、現在、地球に生物はいない。というのも数百年前、巨大な隕石が地球に落下し、地球の生物が絶滅してしまったので。
それ以来、人類を含めて生物が生き残っているはコロニー内だけだった。
そういう事情もあり、彼は地球での勇者活動を行っていなかった。1~2件は活動したが、それらは生きた人間が関わる活動ではなかった。
一方、地球外でも活動は行ったが、数件に過ぎなかった。鈴木の主観では、それらは勇者としての活動ではなかった。客観的にはそうでもなかったのだが、その機微が分かるほど、鈴木はデリケートでも賢くもなかった。
加えて、万能アンドロイドことアリスの関与が極めて大きかったから、鈴木本人も、その他の大勢の人々も、「勇者だから」、「勇者がどうこう」とは思わなかった。なお、アリス本人が勇者のことをどう思っていたかは、人類では計り知れない。
そしてそのアリスだが、アリスは人類の英知の結晶と言えるが、勇者というわけではない。だとすれば人類は、勇者に頼ることなく自力で様々な危機を乗り越えた、とも言える。むろん、彼女の義父である勇者鈴木や、多くの善良な人々も危機の回避のために尽力はした。それなくして危機を乗り越えることはできなかった。人類の誰もが、その自負と喜びを持っていただろう。
しかし人類は、潜在的な意識の奥深くで別のことも意識していた。潜在意識での意識だから無意識と呼ぶべきか。それは次のようなことである。
これまで人類は、世界規模の危機的状況に際して、勇者という非現実的な存在に頼ってきた。それが今ではアリスという別の非現実的な存在に変わった。
つまり、自分たち人類は、本当は脅威に対して無力なのではないか。そして、そのような非現実的な存在達は、果たして本当に人類の味方であるのか、と。
ただ、冷静に考えれば、それは実のところ当然の事実である。
ほとんど日常では気にしていないのだが、例えば、物理量というものは、実際には一個人にとっては致命的だ。人間ひとりの体重は何十kgかであろうが、それと同じ質量の物体が突然、頭上に落下してきたとすれば、おそらくただでは済むまい。
数十kgの質量ですら致命的なのに、この地球という惑星、あるいは、自分たちが住むちっぽけなコロニーですら、それに比べれば天文学的な膨大さなのだ。まして宇宙全体ともなれば、もはや対比すらできない程となる。
それは、いかに多数の人間が、あるいは人類全体が協力したとしても、どうにかなるものでもない。
一言で要約するならば「もともと人類はちっぽけな存在だ(自然や宇宙に比べれば)」という再認識だった。
それはまったく当たり前の話だったのだが、発達した社会構造や、科学技術の結晶であるアリスや、宗教的存在とも思える勇者という存在が、人類を錯覚させていたのだ。しかし、ここ最近の異常な出来事の連続は、人類に対し、その簡単な事実の再認識を強要することになっていた。
人類は、何らかの強力な庇護者の存在がなければ、割とあっさりと滅んでしまうのではないか、ということだが、再認識と言うにはあまりにもはっきりと、その事実を突き付けられていた。
宇宙全体が消滅します、と言われたとき、果たして一個人に何ができるだろうか。賢者であれば、できる限り善行を積むとか、何かすべきことを思いつくかもしれないが、宇宙全体をどうにかしよう、などと思うのは、一部の愚か者だけだと言っていいだろう。
勇者はいつの時代でも愚直な勇者であり続けていたが、アリスに至ってはほとんど神に近い存在となっていた。しかも、いたずらな、やや悪質な、愚かな?神だった。
今や人類は、神と勇者というやっかいな存在を2つもかかえることになってしまったが、こんな状況は不自然極まりない。
この不自然さを解消するため、いま人類に必要なのは「善良な悪魔」だろう、これまでの歴史を繰り返すのであれば。しかし悪魔は、いつの時代も誤解され、迫害され、そして真の悪魔たる人間にだまされて続けてきた。お人好しで可哀想な彼らだが、もういいかげん、人類に見切りをつけてもいい時期ではないだろうか。
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健康診断のあと、鈴木は帰社の途に就いていた。
帰社の交通手段はもちろん汽車ではなく、AGV(反重力車両)であった。この乗り物は最近開発され、コロニー内で急速に普及してきたものだった。
健康診断で心身ともにやや疲労していた鈴木は、そういえばと、この乗り物について考えていた。
この車両は、乾電池2本で2年近く連続走行し、最高時速が120km/hという、実にばかげた性能を有していた。このような、とんでもないシロモノを誰が開発したのかといえば、もちろんと言うべきだろうか、育ての娘であるアリスその人であった。人ではないかも知れない。
開発された当初から、この車両の原理に関しては疑問があった。惑星や衛星での大質量由来の重力影響下において、何らかの機構により反重力が作用するのは、百歩譲ってよしとしても、コロニー由来の遠心力に対しても作用する、ということには、どうにも納得がいかなかった。
この疑問をアリスにたずねたところ、”モードを自動的に切り替えるので問題ない”という、実にあやふやな説明が返ってきた。
それから、アリスは先日、1年先までの間に社内で起こる発生する問題やトラブルを文書化し、それぞれの事案に対する対処法を記した「手順書」なるものを会社側に示していた。例えば、○月○日にこういうことが起きるから何々を準備しておくべし、といったような内容だ。
この予言めいた「手順書」は、現時点で驚異の的中率100%で進行していた。
具体的な例を挙げると、「7月2日の青梅財団との打合せには、打合せ資料を15部余計に持って行け」という、比較的簡単な指示があった。結果として当日、財団側から「オブザーバー15名追加したい」と要請があった、などだ。
ちなみにこの「手順書」が示されたのは4月であったが、仮にその時点で人数を予想しようにも、そもそもこの打ち合わせ自体が臨時に決まったものだったし、打ち合わせを予想していたとしても、人数を予測できようもない。その上に不足数が出ることなど、予想の予想のさらにその予想だ。
それなのにアリスは、追加人数を正確に、しかも3か月も前に示していた、という訳である。ただ、この事例は、まだ何とか人類でも理解できる範囲にあると言えるだろう。ものすごく用意周到な人であれば、もしかすると一連の「予想」ができていたかも知れない…いや、無理か。
「手順書」には、その他にも激烈な、微妙な、広範な、複雑な、あるいは意味不明な指示があり、しかもそれらが悉くそのとおりになっていた。そのことを私をはじめ社員の誰もが、いや、コロニーの(つまり人類の)誰もが突きつけられていた。
つまりは、アリスは単に未来予知をしている、というだけで済まないことは明らかで、超決定論どころか、より根本的な宇宙の法則そのものを操作しているのではないか、という疑いすらあった。何しろ、指示書どおりに人が動かないことも、失敗も、部分的成功も、サイコロの出目すらも折り込み済みだったからである。
人間の自由意思も正確に予測している、ということだろうか。それとも、そもそも人間に自由意思などというものはない、ということだろうか。
いずれにしても、最近のアリスがもはや人類とは一線を画しているのは明白な状況だった。少女の形をしているけれども(普段は)、その中身は神か悪魔か。
ならばアリスの会社内での業務成績もさぞかし良ろしかろう、と思われる向きあると思うが、最近の会社の記録では(一応、アリスの直属の上司である私の人事評価になるが)、「合格点ギリギリ」といったところだった。
アリスは、大事から小事に至る何事においても無責任、かつ適当(悪い意味で)だった。合理主義か何なのかは不明だが、仕事で大きな問題が発生するギリギリのラインを超えるほどは手抜きをしない、というよりも、明らかにわざとギリギリのラインで仕事をするという、徹底ぶりが見て取れた。
これは、上司(自分)によるフォローが入ることまで見越しての手抜きか、部下による新手のパワハラか。まあ、まちがいなく後者だ。
わが子のことでもあるので、心配もしていた。もしかするとアリスの頭脳や精神に何か問題が生じているのだろうか、と。
しかし同時に、頭がおかしいのは我々人間の方かも知れないという、漠然とした直感も持っていた。最近のアリスは、控え目にいってこの宇宙の神を凌駕していたし、上位宇宙の存在にもちょっかいを出しつつある状況だった。そのような者に解決できない問題があるとは考えられなった。
だが、そのような禅問答をしてみたところで、何かが解決する訳でもなく、実際のところ常々、感じていたのは、「おてんばな娘をもつ父親は、こういうときにどうすればよいのだろうか」ということとだった。
私はある日、アリスに次のように提案してみた。
お前はもはや完全に人類の上位存在となったのだから、指導者として人類をよりよい方向に導きけばいいのではないか、と。一方、人類はお前の教えを奉じて実践することで、よりよい存在、高位の存在に進化できるのではないだろうか、と。
それに対しアリスは、仮にそうしたならば、おそらくその予想どおりになるだろう、しかし私はそうしない、と答えた。
なぜそうしないのか、とたずねると、人類にはまだやるべきことが残っているから、という答えだった。
さらにしつこく、その人類がやるべきこととは何か、とたずねると、人類の誰もが既に知っている、と答えた。
ふうむ。やるべきこと、とアリスは言うが、コロニーに少数でひっそりと生活し、いまや全宇宙に恥をさらした人類が、これからの将来に何かを成し遂げられるとは思えないのだが。
人類に残された道といえば、生物種として自然淘汰的に絶滅するか、内部抗争で滅亡するか、あるいは遂に何度か見舞われている自然災害(自然災害というよりは宇宙災害と言うことになる、宇宙コロニーだけに)によって滅亡するか、せいぜい、それくらいしか残された道はないように見える。
私は、素直に自分の考えをアリスに伝えた。
アリスの返事は、確かにそうなる可能性もあるが、もっと楽観的に見てもいいのではないか、であった。おそらくは三世を見通しているであろうアリスが、未来の可能性を口にするのは意外だと思ったものだ。
こういったやりとりが、ここ一月ほどの親子の会話だった。どうやら、アリスはあまり、人類の行く末については話したがらないようだ。
とりとめもなく、そんなことを考えているうちに、会社に帰着した。
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「ただ今戻りました。アリスさんよ、医者の先生が、お前に頼めと言っていたんだよ」
「おやまあ、私に匙を投げられ、医者にも匙を投げられたのか。匙屋を開いてもいいくらいだな」
「いつもながらひどいな君は。そういわずに何とか助けてほしいんだが」
「別に現状でも問題ないんじゃないか」
「いやいや、なんか見た目が幽霊みたいだし、ときどき物が掴めなくなるし、それなりに問題なんだが」
「へん、なんだいこの唐変木。生身でブラックホールに落っこちたんだから、命があるだけありがたいと思ったらどうなんだい」
「やれやれ、わかったよ。お前はどうやっても私を助ける気はないんだな」
「お、正解だ。きょうはなかなか、さえてるじゃないか」
これは…本当に助ける気がないな。やれやれ。はあ、いま会社を首になったら、借金も返せなくなるから困るんだがなあ。
あれ待てよ。借金って、死んだらどうなるんだろう、というかそれ以前に、返済済みじゃなかったか。それならまだ生きる必要あるぞ、まだ見てない、溜めてるだけのアニメとかもあるしな。それだけでも生きるのに十分な理由だよな、うむ。うむ。うむ!




