第2章 2-09
私こと、貴社した鈴木は、ひとり、季節外れの健康診断を受けることになった。
現在はコロニー全体の健康診断の時期ではないため、AIドクターではなく生身の医師に診ていただくということだった。
砂剛先生とおっしゃるらしい。2区にある砂剛クリニックの玄関を通ると、受付からすぐに声がした。名前が呼ばれ、「診察室に入る」ように指示された。
そのように指示がされたので、言われたとおりに診察室に入った。
診察室に入ると、すぐ前にはデスクがあって、白衣を着た年配の医師が座っていた。彼が砂剛先生だろう。
「うーむ・・・最初から驚きだが、まずはよしとしましょう。さて、君が鈴木一郎君かな」
「はい、鈴木です、よろしくお願いします」
「どうぞ椅子にお掛けなさい。今日は健康診断ということだが」
「そうです、少し前まで宇宙に出ていて、昨日、戻りました」
「なるほど。しかし鈴木君、検査に入る前に、ひとつ確認したいのだが」
「はい」
「いま、この診察室に入ってくるとき、扉を開けたかね」
「いえ、開けてません。いまですね、体が物質をすり抜けてしまう状態なので、そのまま入りました」
「やはりそうか。ふむ。しかしその論法だと、床も突き抜けると思うのだがね」
「ごらんのとおりでして。足首から先は、ぼんやり見えている感じで。足の裏からは何も感覚が伝わって来ないですね」
「では試しに、右足を上げていただけるかな」
イスに座った状態で鈴木が右足を上げると、足首から先が見えるようになった。左足の足先はぼんやりしたままだった。
「なるほど、こうなるか」
「はい。ちなみにですが、ジャンプすると空中では両足が見えますね」
「そうか。ところで鈴木君、君はいま、椅子に座っているが、臀部の感覚はどうかな。私の予想では、何も感覚がないと見たが」
「はい、そのとおりです。座ってはいますが感覚はまったくないです。先生、なぜ分かったのですか」
「ああ、分かった。分かったのだが、さあて、どこから行くべきかな」
佐剛医師は、腕組みをして考え始めた。
「そうだねえ、まず、鈴木君」
「はい、先生」
「そもそも君、幽霊にしか見えないのだが。体の向こう側が半分透けて見えてるね」
「えっ、もしかして私、死んでますか」
「どうだろう。ちょっと聴診器を当ててみるので胸を出して」
「はい、お願いします」
「うーむ・・・呼吸はしていらっしゃいますな。音も別におかしくない」
「はい、自分でもそう思います」
「じゃあ次は血圧計はどうかな。巻け・・・るようだね」
佐剛医師が血圧計を操作する。
「140の95と。いやちょっと高いな、日ごろ運動などはしてるかね」
「実は最近はあまり。ちょっと仕事が忙しくて」
「食生活はどうかね。塩分とかカロリーとか脂っこいものとか」
「カロリー摂取はちょっとまずいことになっていると思っていたところです」
「食事には気を付けてね。それはともかく、健康診断は普通にできそうだ。まずはそちらを片付けましょう」
その後、鈴木は、院内各所を巡って、一通りの検査を受けた。最初の診察室に戻り、砂剛医師から結果を聞く段となった。
「鈴木君、検査結果だが」
「はい」
「まあ、ちょっと血圧と脂質が高めだけど、ほぼ健康体というところかな。そこは食事とか運動には気を付けてもらうとして」
「ありがとうございます」
「しかしだね、根本的にはそれが問題じゃないよね。分かっていると思うけど」
「確かにそう思います。日常生活にもやや支障がありますし」
「壁をすり抜けてしまうんじゃあ、そうだろうねえ。便利な時もあるかも知れんが」
「ときどき、箸とかフォークが手から落っこちることもありまして。そういえば先生、先ほどは何かに気づかれたようでしたが」
「そうだなあ、私は専門じゃないがね、これはいわゆる『観測問題』ではないかと思うよ」
「観測問題!って何でしたっけ。すみません、量子力学か何かでしたか」
「そうね。詳しくは専門家に調べてもらった方がいいとは思うんだがね」
「ええ」
「鈴木君の今の状態は、血圧でも尿でも、観測しようとすると普通の体が現れる。観測しようとしていないときは、君の体?は幽霊みたいな状態になっている、そんなところではないかと思うが」
「観測しようとする、ですか。すみません、ちょっともうすこし詳しく説明いただいてもいいでしょうか」
「いやいや、ここで議論しても始まらん。そうだ、君の会社には例のアリス嬢がいただろう、彼女が適任だ。彼女に調べてもらいなさい、うん、それがいい」
「えーっと・・・。分かりました、先生、今日はありがとうございました」
「はい、お大事にね。おっと、別に病気ではなかったね。とにかくまあ、がんばりたまえ」
これは。
いわゆる「匙を投げられた」ということではなかろうか。
確かに、医師にオカルトを相談するのは適切ではないだろう。オカルトなのかどうかも分からないけれど。
アリスに聞くしかないのか。
嫌な予感しかしない。
昼前に帰社した。




