Act.6 朧気な感触〜それはいつか、誰かの触れた〜
物語は動き始めます。
路地裏。今回は暗がりの多い、そこを徹底的に舞台にしてみました。
「千歳さん。僕は貴女を誤解していました」
「は、はぁ・・・・・・」
「初めは滅茶苦茶頭のぶっ飛んだかと思ってました」
「・・・・・・その事実は聞きたくなかったですね」
「―――ですが今なら分かります。貴女はただの頭のぶっ飛んだ人ではなかったんですね!?」
「・・・・・・泣いていいですか?」
昼食時。学食のとある一席に着き、鈴月、千歳、棗、藤二、花鳥の五人が会話を交わしていた。
その中で棗は昼食に付いてきたサラダをフォークで突く。
「・・・・・・それにしても世の中変わった奴がいるもんだな」
棗はさりげなくプチトマトを千歳の皿に放り込みながら、先ほど見た光景について呟く。
「確かに涼月さん、可愛いですけどねぇ。だけど男の子同士は・・・・・・」
千歳はそれを笑顔で受け止め、代わりにとばかりに海鮮ピラフのグリーンピースを棗の皿に放り込んだ。やはりそれを無言で受け入れる棗。お互いの好き嫌いは把握しているらしい。
「・・・・・・ウチの学園の女子の制服・・・・・・似合いそう」
「―――!?」
突如背後に人の気配が現れる。それまでまったく気配を感じなかったことに、歴戦の少女は戦慄した。
「し、栞か・・・・・・相変わらず気配の消し方が凄いな・・・・・・」
「気配云々よりも今の発言が怖いですよ」
ただ、何故か千歳に驚きの色は無い。そのことに違和を覚えつつも、彼女に語る心積もりがまったく無いことは分かった。
―――どうしてだ? まさか千歳は気付いていた?
棗の問いに答えは出ない。結局棗は栞へと視線を戻した。
すると、金髪を揺らし、青色の瞳を棗に向ける。
「・・・・・・棗ちゃんは男の制服が似合いそう・・・・・・」
「喧嘩売ってんだな?」
「似合う・・・・・・って。こう・・・・・・分かんないかな? 小さい女の子が無理して男物の服を着るっていう・・・・・・この萌え加減が・・・・・・!」
「うっさい! このオタク! ていうかお前に小さい言われたくない!」
「ああもう・・・・・・二人とも喧嘩しないの」
さらに騒がしくなる一席。藤二はいつぞやの獣耳のネタで花鳥に弄られている。だがそんな彼らの声も、食堂の喧騒に呑まれて消えていくのだろう。
「そういや、棗。さっき呼び出しがあったって言ってなかったか?」
手持ち無沙汰になった鈴月の声で棗は振り返る。不思議そうな顔。
―――呼び出し。いつものような、恋仲になって欲しいと頼まれるそれ。あたしはそれを疎ましく思う。
「・・・・・・どうせ付き合えとかそんなのだろ? なら興味ない」
「行かなきゃ待ってる奴が可哀想じゃないか?」
「勝手にやってるだけだろ、あいつらも」
―――そう言い放つと、彼は少し困ったような顔をする。いつもは薄情なくせに、変なところで優しい奴。
「そう言うなよ? な?」
―――言いつつ、彼はあたしの頭に手を伸ばす。あたしは何をされるか分からずに身構える。
棗は男性という生き物が苦手だった。否、それは一方的な嫌悪に過ぎない。
―――ただ、あたしは思い出す。嫌悪を、侮蔑を込めた、あたしを見下す幾つもの瞳を。
ぽん、と。
頭に柔らかい感触。何故か、仄かに暖かい気がする。
「!」
―――不意にあたしは思い出す。誰かが触れた、初めての感触。あの時、確かあたしは。
固まってしまう。恐らく、『あの時』より男に触れられたのは初めてだった。肩がぶつかる程度のことはあっても、決して意図的に触れられたことは無い。
「お、おい・・・・・・! 子供じゃないんだぞ!」
―――驚きと気恥ずかしさと記憶の曖昧さに怯えた。だから、あたしはその手を振り払う。少し胸が痛いのは何故?
「はいはい。ごめんな」
鈴月はそう言うとまた違う方向へと視線を飛ばし、誰かと会話を始める。特別な意図は無かったのだろう。ただ、何となく。
―――不意に動揺した棗の懐に収められた携帯電話が鳴り響く。
「・・・・・・?」
―――誰からだ?
疑問に思いつつも、棗は携帯の液晶画面を覗き込む。―――知らない番号。
「・・・・・・ホントに誰だよ?」
そのまま通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「・・・・・・もしもし?」
『やあ。初めまして、かな? 功刀の娘さん』
「・・・・・・誰だよ? アンタ」
―――男の声だった。尊大な態度が溢れ出るような声だった。絶対の自信を携えた声だった。
『俺は王。言うなれば―――レオン』
レオン―――獅子、と。彼は自らの名を告げた。
『素晴らしいだろう? 王たる俺に相応しい名だ。王の威風を纏う獣。百獣の王。それは―――獅子』
「・・・・・・・アンタの名を聞いてる訳じゃない」
棗は周囲に目を見やる。誰も話の内容を聞いてはいない。喧騒に紛れて消えていく。
―――不意に栞に鈴月が自然と話しかけている光景を見て、何か違和を覚える。
何故あの気配の無さ。今もそのまま気配を隠しているのだとしたら、それを見抜ける鈴月は一体どれほど鋭いのか。だが、それは今不必要な情報でもあった。
「・・・・・・用件は何だ? どうやってこの番号を知った? どういう意図がある?」
『クク・・・・・・王の言葉を聞き流すか。それは愚かな行いだ、娘。だが俺は寛容だからな。許してやろう。そして用件だが―――』
王を騙る男の口から、ある噂を耳にする。それは棗自身も聞いた話だった。この街で大騒ぎになっているはずの記事。連続して起きている死体を切断するという殺人事件。九人の死体の内、八人は斬首、内一人は四肢の殆どをバラバラにされた。第二の切り裂きジャックの到来、もしくはその模倣犯。
―――その後に続く言葉。それを男は真実だという。そしてそれは自分の知識に、記憶に当て嵌めれば、まるで初めからその為に存在するピースであるかのようにパズルの枠に納まってしまう。
『頑張れよ、娘。さもなくば―――』
兄が狂うぞ、と。
下々の人間に向ける、明らかに見下した口調で男―――レオンは告げた。
「やぁやぁ。いつの間にか君の周りには随分手練なお嬢さんがいたものだね」
「もう復活したのか、変態」
下校時。千歳は剣道部の助っ人へ、栞は裁縫部へと消えた。藤二はその図体に見合った空手部へと誘われ、花鶏は面白がってそれに付いていっている。
―――そして棗は突然いなくなった。
まぁ、体調が悪くて早退でもしたのかもしれない。そして必然的に一人で帰ることになった鈴月だったのだが―――何故かその途中で変態が現れた。
「何で付いて来るんだよ」
「愛―――」
「・・・・・・・・・・・・」
「嗚呼!? 無視はヤメテ!」
身悶える伊吹に冷たい視線を送り、歩みを進める鈴月。行き往く人々の目から見たら美男美女のカップルに映るかもしれない。―――鈴月が男子の制服を着ていなければ、だが。
すれ違う男性の視線は鈴月へ、女性の視線は伊吹へ。この世の理不尽さを嘆きながら、鈴月は歩く。
「―――まぁ君ほど美しければ品の悪いケダモノが狙ってくるだろうしね。僕はボディーガードさ」
「気色悪いことを言うな」
「真実なのに・・・・・・」
鈴月は隣を歩こうとする変態を追い抜かす為に速度を上げた。故に、青年の呟きは届かない。
「―――そう、獣が君を狙う。例えば獅子だとか、ね」
「―――かくして聡いあの子は彼のお守りに就いたか」
そこはとある路地裏。誰もいないのにも関わらず、その男は暗がりの中、闇の溜まり場、影の世界に埋もれていた。それが男の常である。それを知る者は実に少ないが。
―――人は噂する。その正体を知る、数える程しかいない、人間達はこう噂する。
その男は賢者であるという。その男は魔人であるという。その男は獲物を逃さぬ獅子であるという。
その男は―――影の中から人を唆す悪魔であると、噂する。
「駄目だな。それは俺の脚本通りではない。故に―――」
男は告げる。王を騙り、獅子の名を持ち、闇に溶け込みそうにも関わらず、決して埋没しない男は告げるのだ。それは宣告。それは予言。それは―――もしかすると、確定された未来でさえあるかもしれなかった。
「―――踊ってもらうぞ、聡い子よ。ダルグリッシュの血を継ぐ少年よ。呪われた刃を継ぐ娘よ」
「―――!」
伊吹は自身の身に突如とした襲いかかった違和感に愕然とした。皮膚を切り裂こうとしているとしか思えない、硬質で鋭利な威圧感。通常の人間であれば知覚することすら不可能なこの気配。
―――彼だ。黒に染め上げられた世界で、王を騙り続ける彼だ。獅子の名を冠する彼の気配だ。
「まさか本人が直々に、とはね・・・・・・」
「・・・・・・は?」
知らずの内に呟いてしまっていたらしい。伊吹は何でも無いよ、と笑ってみせる。
―――嘘を吐く。小さな嘘を。優しい嘘を。彼の無知さを護り続ける、考えようによっては残酷な嘘を。
躊躇いは無かった。欠片も抱かなかった。胸に在るのは決意のみ。
「鈴月。僕は用事を思い出したよ」
「是非その用事を優先させてくれ。全身全霊でその用事に当たってくれ」
「いいかい? 真っ直ぐ家に帰るんだ。僕の本能が今日の街は危険だと告げている」
「変態の本能に従うほど危険な行為は無いと思うんだけど」
―――成程。最も過ぎる見解だ。
「というわけで僕はこれにて失礼するよ。気をつけて」
それだけを告げると伊吹は涼月に背を向ける。
―――さあ、ここからは牙を剥く時間だ。
「何だアイツ・・・・・・」
突然消え去った伊吹に疑問を覚えつつも、鈴月は清々とした気分で帰路を歩いていた。特に彼に関して感じるものはない。真剣に気持ち悪い、趣味が悪い、意味が分からないと思うところはあるものの。
―――だが、確かに異質な空気を街に感じる。彼が去ってからは特に。
千歳達と共にいれば、この感覚にも気付かない。自分の周囲から人が消えていくのに連れて、この感覚は鮮明なものへと進化を遂げる。朧気なはずの見えない刃。それが確かな存在感を伴って蠢く。
―――下らない妄想だ、星塚鈴月。
自分に言い聞かせるように、心中で呟く。
―――不意に寒気を感じた。まるで何かが失われていくような感覚。喪失感。自分の? いや、違う。誰かの悲しみ、誰かの喪失感。その一切の嘆きを込めた、耳を叩くそれは―――悲鳴。
「!」
咄嗟に視線が路地裏へと向く。伊吹が立ち去った方向とは真逆のそこ。そこから聴こえる苦痛の声。
―――助けて、と。
鈴月は路地裏へと身を滑り込ませる。青い正義に興味は無かった。ただ呼ばれるままに受け入れる。
―――それがお前だ。受け入れろ、拒絶するな。
これはそう―――祖母の教え、だったか。
そして―――鈴月は赤い雫を滴らせる、鈍色の刃を手にした男の姿を見た。
同時刻。
伊吹はとある路地裏へと飛び込んでいた。
―――闇が濃い。
日が差さない薄暗さではない。まるで光に成り得る要素の全てを呑み込んでいくような―――
「―――いるんだろ? 王様気取りの―――いや、レオン」
暗がりに呼びかける。いつでもそこに彼はいるから。
「お呼びかな? 聡い子」
男が姿を現す。否、闇に覆われた彼は姿を見せない。声のみでその存在を顕現させる。
「何のようだ。何故彼に付き纏う」
「おかしなことを聞くな? 俺はただここに散歩に来ただけだが」
「散歩? これ程に気配を撒き散らしてかい?」
「さあ・・・・・・どうだろうな?」
何処か含みのある声で男は呟く。
「目的を言え。レオン」
「なあ? お前は俺に他者に依存するのは弱みにならないと言ったな?」
「? 質問に―――」
「やはりお前は弱くなった。鈍くなった。かつての煌めきを失いかけている」
男は伊吹の質問に答えず、尚も己の言葉を続ける。
「―――お前は兎だ。月の輝きの中でしか存在できない、影としてしか活躍できない兎だ。お前には既に、かつての牙、いや―――爪は存在しない。争う術を全て失っている」
「・・・・・・なんだと?」
「故に愚かだ。彼に敵対する俺に囚われすぎた。兎なら兎なりに広い視野を持つべきだったな」
男は嘲笑うようにそう告げる。
「俺はな? 聡い子。今回の事件は起こしていない。関与していない。切り裂きジャックの再来とまで謳われるこの事件。俺はただ、偶然起こったこれを利用させてもらっただけだ」
「・・・・・・確かに君はそうなのだろうね。決して無駄になる可能性のある努力はしない」
「つまり、だ」
―――やはり不愉快なその笑い。知らず知らずの内に拳を握り締める。
「―――俺はただ散歩していただけ。お前は俺を勝手に追ってきただけ―――可哀想にな。お前の何より大事な仔猫は、きっと今―――危険だらけの街を一人で歩いているのだろうな」
「―――ッ!?」
そこで悟る。つまり、これは―――
「・・・・・・嵌めたな、レオン! この僕を彼から引き離す為に気配を・・・・・・!」
罠だ。鈴月から伊吹を引き離し、彼を危険に晒す為の。
「さあ? 何のことかな? それよりも早く彼を迎えに行った方がいい―――死ぬ前に。彼のダルグリッシュの血縁は希少だからな」
「この・・・・・・!」
咄嗟に殴りかかろうとして―――拳を止めた。まずは彼だ。ほんの少しでも早く、彼を。
「―――鈴月っ!」
そして伊吹は駆け出す。彼が自宅へ向かう帰路を辿る為に。
―――緋色の液体でぬらぬらと光る。それは何か? 凶刃だ。言葉通り、凶を齎す刃だ。
逃げろ、と叫ぶ。何が? 本能が、だろう。だが動けない。ここまで間近に死の気配を感じたのは初めてだったから。それはあまりにも呆気なく消えていく。否―――消えていった命の余韻。
「・・・・・・あぁ。俺は罪深いか? 罪深いだろうな? 嗚呼―――何故人はこれ程に脆い?」
狂った男がいた。狂っていることを自覚した男がいた。狂っていると分かっていながら、己を抑えきれない男がいた。その男は涙を流して、罪を嘆いて、命の儚さを詠っていた。
―――まるで何か、そう、死に酔い痴れるかのように。
「お前はどう思う? まるで人の命など、奪う為のものであるかのように、呆気なく散ってしまう。何故だろうな? お前はどう思う? 何故神は人をこれ程に脆く造ったのだろうな?」
饒舌に、男は詠う。詩人であるかのように、何度も、何度も。人の命の脆さを詠う。
―――脚が竦む。逃げるんだ、涼月。その膝が恐怖で震え出す前に。
自分に言い聞かせる。さあ、逃げろ。今すぐに!
―――駄目だ。手遅れだ。もう遅い。恐怖は体に蔓延している。
「―――お前はどうだ? お前は脆くないか?」
死神は既に眼前だ。彼は自分を手に掛ける為に刃を握っているのだ。それは人の首を刈り取るのだ。
―――刃を振り翳した、黒尽くめの男は、黒髪の中から―――
「脆いのかもしれない。これで壊れてしまうかもしれない。だからまずは少しだけ―――」
―――刃を振り下ろした、黒尽くめの男は、黒髪の中から―――
「斬るとしよう」
―――琥珀色の瞳で鈴月を切り裂いた―――
感じたのは左肩から右脇腹に掛けての熱。高熱。灼熱と呼んでも遜色ないだろう。傷口から緋色の液体が零れて―――星塚鈴月の意識がそこで断たれた。
「―――鈴月ぃっ!」
―――薄れゆく意識の中、いつかの変態の声を聞いた気がした。
次回から導入予定。
キャラの台詞? 迷言?




