Act.9 三度目の温もり〜少年の異能〜
ついに主人公覚醒?
「・・・・・・兄貴っ!」
少女―――功刀棗は叫んだ。
そこは暗い場所だった。およそ人の寄り付きそうにない場所。そこに兄はいた。
「・・・・・・人? いや、棗か? 棗? 斬る為の肉か?」
―――既に半狂乱の状態だった。
棗は彼に駆け寄ろうとする。だが、出来ない。鋭い烈風が頬を撫でた。
「―――棗。俺の妹。斬り応えがありそうだ。切り刻めば楽しそうだ」
「―――っ!?」
「俺は弱い。本能に負けてしまった。だから強い。本能だけで動くから強い。お前もだ、棗。理性の鎖を取り払い、本能を解き放て。最高に気分が良くなる」
「兄貴・・・・・・アンタは」
「人を殺してしまったよ。とても辛い。彼らには何の罪も無いのに。本当に俺はどうしてしまったんだ」
―――矛盾。二つの人格。そのどちらもが危険。
片方は積極的に破壊的。全てを壊せと嘯く人格。もう片方は戸惑いがちに破壊的。何故壊さなければいけないと嘆きながらも、やはり壊してしまう、謎多き人格。
「―――ソウ、コイツハ言ッテイル」
―――三番目の人格!?
棗は戦慄する。それと同時に希望も抱く。第三者。明らかに対話能力が低い人格。
「―――操られてんのか?」
「? そうじゃないさ、棗」
まただ。また最初の人格。
「―――本能ヲ、解放サセタダケサ」
やはり―――!
棗は素早かった。腰のベルトに巻き込んだ、二本の小太刀。それを引き抜く。
「悪いがその人は返してもらう。あたしの兄貴なんだ」
「嬉しいなぁ。棗」
男は短刀を手にしていた。もう何日も鞘に納められていないのだろう。血に染まる深紅の刀身。
「お兄ちゃんは嬉しいなぁっ!」
ドゴン、と。何の音かと思った。それ程重量のある物がこの辺りにあったか? と。
―――音の正体は眼前の兄貴か。
踏み抜かれた地面は粉々に砕けている。功刀の能力はあくまで剣才の底上げのみだ。身体能力を上げる能力は備わっていない。何故だ。何故ここまで重い?
空中を奔る短刀の刃。血塗れであれ、切れ味は現存する、どの刀剣にも劣らぬはずだ。
それを右の小太刀で受ける。鈍い衝撃。轟音。そして悟る。
―――不可能だ。軽々と吹き飛ばされた。
体重差。力量の差。埋めるべき溝は昔から多かった。
再び走る。繰り出される刃をかわし、懐に潜り込む。次いでその両腕に向けて左右の小太刀を躍らせた。刃は白銀の輝きを湛え、棗の決意の鋭さを表明している。
「―――無理だよ、棗」
その刃すら避けられる。だがそれらはフェイク。超接近戦に持ち込み、再度小太刀を振るう―――!
「だから無理だって」
短刀が横薙ぎに振るわれ、呆気なく左の小太刀が弾かれる。右の小太刀は信じられないことに、刃の峰を手刀で叩かれ、軌道を逸らされる。
―――自信は在った。訓練を続け、努力だけで達人の域に達することが出来たほど。
そこに自分の功刀の才が加われば、負けることは無いだろう、と。
―――詰めが甘かった。
簡単なことだ。兄は自分より強かった。ただそれだけ。
「そんなに強いのに・・・・・・負けんなよ・・・・・・」
―――どうして。それだけの強いアンタがどうして負ける。本能だなんて訳の分からないモノに。
零れそうになる涙。しかし流すわけにはいかない。視界を曇らせ、腕を鈍らせる。
再び小太刀による連撃。右、左、上、右、下、右。縦横無尽に刃を振るう。攻撃パターンなど微塵も考えていない、ただ速度と精度だけを極めた剣。だがそれすら兄の前では無力だった。
往なされ、弾かれ、鳩尾に足刀による重い一撃。息が詰まる。熱い。蹴られた箇所が熱を帯び、正常な呼吸を阻害する。苦しくて仕方の無いそれは、やはり眼前の兄によるもので。
「―――若い割にはよくやった、棗。本来の俺ならきっと負けていただろう。だが今の俺は違う」
見下ろしながら述べられる言葉の数々。
「―――嗚呼。お前を殴りたくなどないのに。何故こんな罪深いことをしてしまう」「それは俺が弱いからだった。だけど今は違う」「妹を殴るだなんて」「俺は今や無敵なんだ」「こんなの間違っているのに」「お前も解放しろ」「早く逃げてくれ」「きっとお前も強くなれる。弱さを捨てるんだ」
―――やめて!
泣きたい。涙を溢して、この現実を否定したい。
「俺ガ解キ放ッテヤル」
こいつが元凶。こいつが兄を―――!
「オ前モ、コウナル」
ゆっくりと手が伸ばされる。
―――泣いてしまいそうだ。もう、駄目だろう。泣いてしまえ。
涙が全て洗い流してくれるはずだ。それが甘えでも誰も咎めたりしない。この悲しみを、流してしまえ。
―――駄目だ。もう泣かないって決めたのに。
―――そして思い出す。
いつか自分の頭を撫でた、兄の掌。恐らく、私に触れた、初めての異性の手。
―――男系の功刀。そこではあたしは子作りの為の道具だった。いや。あたしはその道具としてすら不必要だった。どれだけ才を持とうと、どれだけ努力をしようと認められない。生まれたその時から役立たず。母の話では、あたしに触れることすらなかったらしい父。そんな環境の中、優しくしてくれた兄。
嫌いではなかった。好きにはなれなかったけれど、それはやはり羨ましいと感じていたからだろう。一人の人間として扱われる兄を。その妬みによって、自分は兄を拒絶していた。
それが、悔やんでも悔やみきれない。
それにきっと。
―――父はあたしがいなくなっても困らない。母は悲しむだろうが、いずれ癒える悲しみだ。二人の姉は、悲しむかどうかも分からない。顔を合わせたことが、無い。
子を、増やしすぎてはいけない。だからこそ、二人の姉は大事な道具。一人の自分は要らない道具。
―――唯一あたしに触れた異性、兄に。最後の刻を与えられるとは思ってもみなかった。
「・・・・・・あ」
―――そういえば一人いたな。自分の頭を撫でた奴。屈託無く笑って、男には勿体無いくらい可愛らしい顔立ちをした変な奴。何故か人を惹き付ける変な奴。
「・・・・・・アンタは初めてだけど、最後じゃなかったんだな」
語りかける。狂ってしまった兄へ。
―――ごめんな、千歳、栞―――
既に視界は暗かった。兄の掌が視界を覆う。
―――ごめんな、鈴月―――
最後の刻に。棗は思った。
―――もう一度だけ、あの変な奴に―――
兄であり、兄ではない奴が、また片言の言語を話す。それは酷く驚いた声のようにも聞こえた。
「・・・・・・頭を撫でて欲しかったな」
下らない望みを呟いて。
―――闇は訪れない。否、目をきつく閉ざしているせいなのか。
その日。その時。その雨の中。
棗が聞いたのは金属音。刃と刃が交わる音だった。
目を見開いて世界を見る。闇で覆っていたあの手は既に無い。否、在った。すぐ目の前に在った。
―――小さい掌。兄の掌はこんなにも細く繊細だっただろうか?
その手がまた棗の視界を覆う。いや、覆いきれていない。何故ならそれは頭を目指して伸ばされていたからだろう。それはそう、棗が最期に望んだはずの―――
「おーい。生きてるか? 生きてるよな?」
―――頭を覆う暖かい感触。いつかアイツがそうしたような。
親しい少女が持っていたはずの刀。
それを何故か携えて。少女のような容姿のくせに、青い瞳にだけは鋭い何かを滾らせて。
―――そう。そこには、抜き身の刀を片手に、あたしの頭を撫でている、星塚鈴月が―――
「あ・・・・・・う・・・・・・あぅ」
望んだ光景。在り得ないと分かって想像した光景は千歳と栞のツートップ。さらに在り得ないと分かっていて望んだはずの光景がそこに在った。思わず、堪えていた物が溢れ出る。
「ん? ってうぉっ!? 泣いてる!?」
―――遂に、零れてしまった。
決意の形骸が、雫となって流れ落ちる。情けないとは思わなかった。
「・・・・・・アンタのせいだよ、ばーか」
結局。仕返しにそれだけを言ってやった。
鈴月は刀を両手で握り込み、目の前の男を睨みつける。
―――援護は無いと考えた方がいいか。
「さて・・・・・・」
格好を付けて飛び出したはいいが、正直勝てるかどうか分からない。
『鈴月さん。貴方の異能は―――』
脳裏で蘇る千歳の言葉。
彼女達はやはり少女。年頃の少女並の体力しか有していなかった。
千歳の剣術と弓術はどちらも『待ちの技術』。鈴月が一度しか見たことの無い剣は【居合い】のみ。弓術は見たことが無いが、長くは撃ち続けないそうだ。そして栞はもちろん、典型的な文化系なので途中でバテきってしまった。
それに比べて鈴月はやはり曲がりなりにも―――曲がってなどいないが―――男。
さらに言えばクラスでは男の中でもかなりの上位に位置する運動能力の持ち主であった。周囲からは意外だ奇想天外だと囁かれるが、それは確かに事実。
筋力関係は徹底的に駄目だが、持久力と反射神経は並ではなかったのだ。
故に、何者かが展開した人払い。その風景の歪みを探して、鈴月は一人先行したのだ。
『本当に貴方の力は謎ですが、確かに分かっていることが一つ』
柄を握る手が汗ばみ、男の放つ狂気にこちらまで気が狂いそうになる。
『貴方の異能は。他者の異能に対して影響を与えます。そう、まるで無効化するかのような―――』
「おお・・・・・・壊れていない? お前は、壊れていない?」
「―――」
呑まれるな。何度も自分に言い聞かせる。肌を突刺すような狂気を、柄を握り締めて耐え切る。
「あはは・・・・・・壊れていなかった・・・・・・嬉しいなぁ」
男の顔が、心の底から嬉しく思っているのだろうそれに変わる。そして―――
「また切り刻めるじゃないか・・・・・・!」
―――狂ってる。何度も思い知らされた事実を再確認する。
まるで、幾つも人格を有しているかのような、そんな錯覚。いや。それは本当に錯覚なのか?
男が鈴月に向かって駆け出した。その手で光るのは一振りの短刀。
―――恐怖で膝が震え出しそうになる。耐えろ。僕が死ねば後ろの棗はどうなる。
反射的に集中の刃を振りぬく。抜群の反射神経により、カウンターとして放たれた、居合い斬りは確実に男の胴に向けて飛んでいく―――
「ひゃはっ!」
防がれる。短刀の刃が鈴月の斬撃を確実に防ぎ、尚且つ鋭く鈴月を狙う。疾く、解き放たれた刃の切っ先。その刺突は空中を滑らかに奔り、狙い通り額へ―――
「っ! この・・・・・・!」
鈴月が身を捻らせると、長い前髪を掠め、短刀の切っ先は外れる。だがそこから横に繰り出される斬撃を回避しきれず、右肩の辺りを僅かに切られた。痛い。痛みというよりは熱が広がる。熱い。熱い。
刀を突き出す。短刀の刃が届く間合い。そこまで潜り込まれれば長物を持つ剣士には圧倒的に不利。だが鈴月は剣士どころか剣道の有段者ですらない。技術が身に染み付いていない。だからこそ、反則的な動きが出来る。動きに規則性が生まれない。
さらに言えば、この間合いで刀を振るえば確実に届くはずだった。
―――外れた?
そう、外れた、防がれた手応えも感じなかった。そう、紙一重でバックステップを踏み、回避されてしまったのだ。しかも、意図的な紙一重。ミリ単位で見切った上での、回避。
「はははっ!」
短刀が、視界でぶれる。空中に刻まれる、無数の軌跡。それは白銀に輝くはずだが、血で塗れた短刀は鈍い赤を残すのみ。
「―――咬め! 『えはみ』!」
えはみ。確かに男はそう言った。
刹那、視界で何かが蠢く。
―――それは刃。緋色の液体に塗れた短刀の。ぬめりと光沢を持つそれが、蠢く。
刃が縦に裂ける。二又の刃は鋏の如く。ただ鋏と違う点は、それが明らかな意志を持って動くこと。
―――気付くべきだった。僕の敵は異能者。
だからこそ、彼らが使う道具を、普通の道具と考えるのは早計だった。
―――牙を剥いて、それが迫る―――
そう。それはまさしく―――餌を食む蛇。
蛇に例えるならば、牙に該当するだろう刃が鈴月の右腕に喰らい付く―――
「―――ぁぐっ!」
「・・・・・・?」
右腕が酷い熱を帯びる。だが、何故?
―――何故刃が僕に触れた瞬間、止まった?
「おいおい。どうしたんだよ、『えはみ』。何で止まるんだよ・・・・・・」
男が『えはみ』―――『餌食み』を片手に襲い掛かってくる。繰り出される斬撃を、何とか刀で受ける。だが、それはフェイク。すぐに蛇の如き刃が牙を剥き、鈴月の左腕に噛み付く―――はずが、止まる。
刃を肌に当てられた状態で動くのだ。多少は切れる。現に今も新しい傷が出来た。だが、本来ならそれは鈴月の肌を、肉を食い破り、骨を咀嚼するはずだったのだ。それが何故止まる?
―――これが、僕の異能か?
「まあ、いいか・・・・・・とりあえず、斬ろう」
再び刃が迫る。刃が二又に分かれた短刀、その一撃を刀で受ける。絡みつくように刀の刀身を挟み込み、こちらの動きを封じてくる凶刃。
―――傷つける為に蠢くもの。それに、深い恐怖を覚える―――
刃に絡みつく様は、鈴月の脳裏を刺激する。
―――不意に、何かを思い出しそうになる―――
「そろそろ飽きてきたぞ。これで終わりか?」
―――欠落したはずの記憶が―――
振り下ろされる凶刃。自分を傷つける為の何か。それは深く、深く馴染みのあるもののはずで。
―――蘇る。フラッシュバックする光景。やはり、深く、溺れてしまいそうなほどの恐怖を覚える―――
脳裏で響き渡る声。それは誰かの悲鳴? いや、違う。それは―――自分の、悲鳴。
―――顕現せよ。何を? 決まっている。お前の異能を。お前の過去の産物を。思い出せ。再現せよ。
「うあぁぁ―――っ!」
迫り来る刃に、右腕を突き出す。熱い、熱い何かは右腕に広がっていたから。熱く滾るそれは、きっと。
思いだす。霞んだ、朧気な記憶が鮮明に蘇る。だがそれは凄まじい速度でスライドされていき、鈴月の脳裏に残ることは無い。ただ、漠然と理解する。
自分の記憶。ふと気付くと思い出せない。自分の、十歳よりも前の記憶―――。
何故かなど思い出せない。ただ、思い出せない。在るはずの十年分の記憶が鈴月には欠落していた。
それが何故、今。どうして、こんな形で蘇る。何で、鈴月に一切の記憶を残さぬまま、力だけを与えようとしている―――?
何も考えられない。億劫だ。それでも、目の前には敵がいる。彼女を泣かせ、自分を殺そうとする敵がいる。目の前に敵がいるという事実が、焼き切れそうな脳裏から一つの答えを弾き出す。
―――咲け!
思うままに強く、念じた。それだけしか知らないかのように。それだけでよいことを知っているかのように。
―――黒く、黒く、闇より深く―――
肉を抉る刃の感触は未だに来ない。時が緩やかに過ぎていく。
―――何かを求めて彷徨う其は―――
「な―――お、お前、何だよ、それは・・・・・・!」
―――ずるり、ずるりと蠢いて―――
そう。短刀の刃を受け止め、その刀身を絡め取っているそれは。
―――いつかのように、自分を、敵を、世界を陵辱する―――
「・・・・・・黒い、茨・・・・・・」
続きは次話にて。
よろしければ感想、アドバイスお待ちしております。




