Bランク、Sランクのドラゴンを殺す
まただ。また、あの男を見失う。
モルヴェントとドラゴンとの距離は凡そ2㎞。ドラゴンに向かって普通の速さで歩いているだけのモルヴェントを、少し油断すれば見失いかける。
肉眼と望遠鏡を何度も行き来する若い男に、フィリスが望遠鏡を覗き込みながら笑った。
「難しいだろう。師匠を追い続けるのは」
「なんで、ですかねえ……。普通に歩いているだけなのに」
「師匠は気配を完全に殺すことができるからな。モンスターでも、人でも、強い者と対峙したときに威圧的な気配を感じることがあるだろう」
「はい」
「師匠はその気配を一切漏らさない。強者ほどそういう感覚が鋭くなり、時折気配で相手の動作を察知するものだが、師匠にはそれが通じない。近くに存在感の強い者がいればいるほど、師匠の気配は紛れやすくなる」
なるほど、今思えば会議の場には精鋭のハンターたちが何人もいたし、今目の前には、寝ているとはいえ圧倒的な存在感を放つドラゴンがいる。
見失う、というよりは自然と意識がドラゴンに引っ張られる感じか、と男は心の中で頷いた。
ドラゴンまでまもなく1㎞。
そのタイミングで、フィリスが櫓の上から指文字で距離を伝達すると、フィリスたちに背を向けたまま、モルヴェントが指文字で返事をした。
「あの人の固有紋って、何なんですか」
「師匠の固有紋は二つ。まず一つは、右目に宿った『看破』の紋だな。辺り一帯の魔素の動きを感知し、周囲の探索や、生き物の動作、魔素の流れや紋の感知を行える。索敵用の能力だ」
「感知って……ここからあそこまで5㎞は離れてますよ?!」
「その気になれば、その倍はいけると以前仰られていた。限界は私も知らない」
規格外の索敵能力に、若い男が絶句した。
若い男が驚いているうちに、モルヴェントの方に動きがあった。
「……あれは?!」
「あれが二つ目の固有紋。胸に宿った『固定』の紋の力だ」
残り1㎞、となったところで、モルヴェントが突如、空中に足をかけるような動作をしたかと思うと、そのまま草原の上を歩きだす。
高い草が揺れる草原の上空をモルヴェントが歩きながら、ドラゴンに迫っていく光景に口を開ける若い男。
「空気中の魔素を好きな形に固定できるんだ。ああやって見えない足場を作ることもできるし、相手の足元に固形物を作って転ばせたりできる。いくらでも応用が利く、汎用性の高い能力だ」
「なんとなく凄いのは理解しました。……けど、なんていうか、その……」
「地味、か?」
「……はい」
若い男の正直な感想に、フィリスが思わず噴き出した。
全ての紋が戦闘用の能力を宿しているわけではないが、『剣聖』であるフィリスの師匠だ。『瞬間移動』と同等か、それ以上の派手な能力を想像していたのだろう。それこそ、その能力一つでドラゴンを屠れるような強力なものをだ。
「便利な能力かもしれないけど、直接戦闘に行かせる能力じゃないでしょう。両肩の『再生』も回復能力であって、戦闘能力を強化できるのは『身体強化』ぐらいじゃないですか。ソロで、身体強化の紋だけで、ドラゴンと戦闘になったときに勝てるビジョンが湧きません」
「戦闘、か。……そうだな」
戦闘、という言葉に何か引っかかったのか、再びフィリスが笑みをこぼして、モルヴェントの方へ向き直る。
「戦闘になればだが」
フィリスがそう呟いたとき、山脈の方から強い風が吹いてきた。
風に乗ってドラゴンがマーキングにばらまいた糞尿の香りが漂ってくる。
若い男が鼻をしかめたとき、何かに気が付いて、はっと目を見開いた。
ドラゴンは五感が優れたモンスターだ。空気中の魔素の動きに敏感なだけではなく、聴覚や嗅覚にも長けた生き物。縄張りに気に食わない存在が侵入すれば、即座に反応し、絶命するまで追い立ててくる獰猛さを持っている。
なのに、空中から距離を詰めてくるモルヴェントの存在に気が付かないのは、事前に用意した臭い付きの服で、自分の臭いをかき消しているからなのだろう。
更にドラゴンに対して風下に立つことで、わずかな匂いの感知すらさせないように陣取っている。
「まさか、暗殺……?」
「その通り」
得意げに笑みを浮かべるフィリスに、泡食った様子で若い男が首を振った。
「いや、それができるなら一番良いでしょうけど?! 五感の鋭いドラゴンにそれができないから討伐隊組んで戦闘するのが普通じゃないですか?! ああやって臭いは消したとしても、音は?! 不審な足音が聞こえたら、起きてきちゃいますよドラゴンは?!」
「足音か。ところで、ここに来てから師匠の足音を聞いたことがあるか?」
フィリスに問われ、若い男は表情を固めた後、少しずつ眉間のしわを深くしながら、口元に手を当て、うっすらと汗をかき始める。
あの男、足音を立てたことが無い。
それに、先ほど櫓から飛び降りる時すら、着地の音がしなかった。
慌ててドラゴンに迫るモルヴェントの方へ振り返る。
なぜ固有紋の能力を使って、空中を歩いているのか不思議に思ったが、茂みをかき分ける音で、接近を察知されないようにするためか。
高い位置で、風下から接近し、音を殺して標的に迫る。
ただ近づく、それだけの為に、臭いを消し、足音を殺し、気配を、呼吸を――生きている証のすべてを空気に溶かし、世界から消える。
「師匠曰く、今は深い眠りの周期だそうだ」
起きているのに見失ってしまう存在を、寝ているドラゴンに気が付けるわけも無い。五感が鋭いとはいえ、四六時中――深い眠りの最中にも警戒し続けるのは不可能だ。
一歩、また一歩と、音のない歩みがドラゴンに迫っていく。
そして、その距離が零になり、モルヴェントはドラゴンの喉元に静かに降り立ち、得物である両手剣を鞘から抜き、全身に『身体強化』を巡らせる。
寝息で空気を吸い込み、ドラゴンの喉の皮膚が張った瞬間を狙って――
「――」
ドラゴンの首筋を縦に一刀両断した。
断面から溢れる血。岩から湧き出る清水のように、肉の繊維を伝って竜の血が草原に染み込んだ後、切られたことを認識した胴体が、バタバタと反射で暴れようとする。
しかし、モルヴェントが空気を固定し枷を作り、暴れる巨体を抑えつけた。
30秒ほど間を置き、動かなくなる肉体。
風の音だけが響く草原の真ん中で、モルヴェントがフィリスに向かって、完了の合図を指文字で送った。
「……すげえ」
自然と若い男から零れた言葉で、フィリスがふふんと鼻を鳴らす。
「今から忙しくなるぞ! 貴重なドラゴンの素材が手に入ったのだ。血の一滴たりとも無駄にはできん! ギルド総員で解体作業にかかる!」
フィリスが伝達石でエルナに指示を飛ばし、エルナから派遣されたハンターたちが、続々と現場へ向かい始めた。
そんな風に檄を飛ばしたフィリスに、モルヴェントが指文字で何かを伝えた。
「ぶはっ」
噴き出すフィリスに、まだ指文字が分からない若い男が首をかしげると、「お前宛の指示だ」とフィリスが目尻の涙を拭った。
「ちゃんと風呂は沸かしてあるんだろうな? だそうだ」
あ。と顔をひきつらせて、若い男は弾き出されたように、ギルドの方へと駆けて行った。
大がかりな解体道具を持って、ドラゴンの下へ向かうハンターたちと、入れ違うように戻ってきたモルヴェントに、
「お疲れ様でした。師匠」
「ああ」
フィリスが一礼し、モルヴェントが手で返す。
風呂は? と尋ねるモルヴェントに、ギルドの方向を指で示す。するとモルヴェントは早足で示した方向に向かっていった。
そんな師匠の姿を見送ってから、フィリスもドラゴンの解体作業の手伝いに向かうのだった。




