かつて魔王を殺したのは
「師匠。湯加減の方はいかがでしょうか?」
「素晴らしい」
ギルドの側に建てられた大浴場。『保温』の紋が彫られた特殊な鉱石を素材に水を張ると、お湯が沸く仕組みだ。お湯は逐一入れ替えなければならないが、自然に湧いた源泉が無ければ、平民は沸かしたお湯で体を拭くような生活の中、毎日風呂に入れるのはかなりの贅沢だ。
浴槽はかなりの値が張る魔道具だが、泥仕事が多いハンターや、領民の健康管理のために、フィリスが自分の稼ぎで用意したものだった。
本来は時間外なのだが、モルヴェントの為に特別に用意させた風呂だ。
普段は人で賑わう大浴場を、独り占めできるのは中々気分がいいのか、モルヴェントの声も、少し穏やかなように感じる。
「寝間着とタオルは、ここに置いて行きますね」
戸の向こうにいるモルヴェントに呼びかけ、棚に衣類などを置いてフィリスはその場を後にした。
「ギルド長。戻られていたのですか?」
「ああ。主要な解体作業は終わったからな。後は任せてきた」
受付に戻るとエルナが忙しなく事務作業をしているところだった。
「王都と、西国に連絡を取ってくれ。ドラゴンの素材だ。独り占めを企んだと思われるのも良くない」
「どちらに先にコンタクトを取りますか?」
「……西国だな。『聖女』様には土地の浄化をして頂いた恩がある」
少し考えてから、フィリスが答える。
ルーネス領と王宮の関係が良くない以上、ドラゴン素材を優先して流すことで恩を売ることもできるが、西国には先立つ恩があった。
ギルドと西国、王宮の取り分を算出した後、西国へ向けた書状をエルナが作成し始める。
出来上がった書状を確認し、フィリスがギルド印を押して封をし、「明日には出しておいてくれ」とエルナに返した。
「……あの、ギルド長。一ついいでしょうか」
「なんだ?」
「モルヴェントさんのランク、何でBランクなのでしょうか?」
戦闘向きの能力ではないとはいっても、足場の作成や、対象の固定といった応用力のある固有紋。それにエルナの目から見ても、身体強化の質は相当なものだった。不意打ちとはいえ、ドラゴンの首を一刀両断できるハンターは少ない。
最低A、もしくはフィリスと同じSランクと判定されていてもおかしくはない。
質問の意図を察したフィリスが、「それはだな」とほほ笑む。
「討伐ランクは、討伐対象と真正面から戦闘になった際、その対象を余裕をもって倒せるかが判断の基準だろう?」
「……はあ」
「師匠はAランク以上の討伐対象は、真正面から相手しないと決めているからな。楽に殺せるに越したことはないって」
フィリスの言葉に、不意を突かれたようにエルナが目を剥いた。
ハンターとしての位階を表す討伐ランクは、元々は緊急時にモンスターの襲撃に遭った際に、戦力として招集できるかを判断する目的で制定されたランク制度だ。
つまり、しっかりと殺す準備をして、戦闘になる前に対象を鎮静化する、モルヴェントの戦闘スタイルの判定には使えない。
ランクが低いから強い弱いではなく、モルヴェントの強さを測る基準に、現行の討伐ランク制度は適していないのだ。
「本人もそれに納得しているし、上げる気もないそうだ。……ところでエルナ。20年前の魔王討伐戦争の噂、知っているか?」
「え? ……あの、勇者様が歴代最恐の魔王を、見事に沈めたという」
「世間一般には知られていないがな、その戦争に参加した、王宮のとある戦士がいうことには、だ。『戦争で最も戦果を挙げたのは勇者様』。そして――」
まだ驚きの余韻が抜けないエルナに、フィリスが得意げに笑った。
「『魔王を殺したのは、とある暗殺者』、だそうだ」
今のはここだけの話にしてくれよ。
人差し指を口の前に立ててから、フィリスは上機嫌にその場を後にした。
受け取った西国への書状を見つめながら、エルナはふと思う。
もしも、手段や準備の手間を問わずに、ただ対象を殺すだけの腕を判別するランクがあるのならば。
一体モルヴェントは、この世界で何番目に強い者になるのだろうと。
そんな疑問を思い浮かべながら、エルナは西国への書状を、郵送用の書類を纏めた棚にしまった。
そして、今回取れたドラゴンの素材と、西国への手紙が、新たな依頼をモルヴェントに呼び込むことを、まだ誰も知らなかった。




