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3-1

 時間は少し戻り、ニコとユニがバイクに乗って「秘密の場所」へ向かっていたのと同じタイミングの深夜のマルクト。


 喧騒の中心部から外れた、ネオンの光も届かない裏路地の闇を、一人の女性が支配者のように歩いていた。

 

 あちこちに力なく壁にもたれかかって眠るホームレスや道路の真ん中で横になる浮浪者などがおり、彼らは皆一様に肌に青い線を浮かばせ、不気味なうめき声を上げているが、彼女はそれを一瞥もくれず歩み続ける。目的はこの病床を生み出す元凶の排除、ただそれだけだった。

 

 ホークアイ特務10課を管理する一等将(ファースト)――イーグラ。

「鷲の女帝」という異名の通り、その出で立ちはまさに猛禽のごとく、静かな気配でありながら、軍警察帽の鍔からは獲物を追い詰める狩人のような目が垣間見えた。

 老齢でありながら、その姿勢はピンと背筋が伸び、引き締まった体躯は老いを一切感じさせない。彼女の纏うホークアイの紋章を背負う黒衣は、夜の闇に溶け込みつつも、その圧倒的な存在感を際立たせていた。

 

「――」 

 

 彼女の鋭い眼光が路地の突き当たり、古い空調設備の下に立つ、ひとりの女性を射抜いた。

 

「――久しぶりだねぇ」

 

 そこに居たのは、妙齢の見た目をしながらも、妖艶かつ老獪な雰囲気を纏う花魁風の女性だった。オルトであるらしく、その背中から生える鮮やかな緋色の翼が薄闇の中で強い視覚的インパクトを放っていた。

 

 イーグラは、微動だにせず、冷たい声で問いかけた。

 

「……わざわざアンタがはるばるここに来るなんて、どんな目的だい?」

 

 "アンタ"という親しみを込めた、あるいは古すぎる故の無遠慮な呼び方が、二人の間に流れる長きにわたる関係を物語っていた。

 

「ただの挨拶さ。うちの組のヤツらが、ちょっとばかし騒ぎを起こすからね。予め話を通しておくのが筋ってもんだろう?」

 

 花魁風の女性は懐から取り出したあるものを軽やかにひょいとイーグラに向けて投げ、イーグラもその物体を寸分の狂いもなく片手でキャッチする。

 

「――ふん。これで見逃せと?」

 

「不満かい?」

 

「いいや。ありがたくもらっておくさ――ところで、アイツが居ないようだが?」

 

「それは……」

 

 女性の顔から一瞬余裕が消え、言葉が詰まる。その反応だけでイーグラは全てを察した。

 

「……言わなくていいさ。アンタの顔でわかるよ。まぁ、やるなら完璧に仕事をしな」

 

「……いつもすまないね。それじゃあ、話はそれだけだよ」

 

 そうしてオルトの女性は緋色の翼をわずかに揺らし、一瞬の間に夜の闇へと溶け込むように姿を消した。

 

「ふん。アタシ好みのいいチョイスじゃないか」

 

 イーグラは、"旧友"から渡されたものをじっと見つめる。

 丁寧に熨斗紙が添えられた希少な日本酒――『鳳翔ほうしょう』。彼女の嗜好を知り尽くした、古い友からの贈り物だった。

 

 Ø

 

 朝7時。薄い朝陽が、コンクリート打ちっぱなしの居住スペースに差し込む。

 

「ニコが料理をされるんですね」

 

 いつものナノスキンに着替えたユニがリビングに入ってくる。

 

「意外でしょー? アタシこう見えてもお嫁さんスキル高いから。なのになんでキラキライケメンとの出会いが無いの~!?」

 

 ニコはいつものマゼンタのパーカーやクロップトップではなく、オーバーサイズのTシャツに短パンというラフな姿で食材を切り、フライパンで何かを焼く。

 

「まぁニコの前にもいつか素敵な人が現れますよ」

 

「だといいな~あ、ユニがお嫁さんになってくれてもいいよ!」

 

「もうニコったら……」

 

 冗談交じりのニコの提案に対してユニは笑う。

 

 既に食卓にはセレンとルナが席に着いていた。

 セレンは穏やかな表情でコーヒーを啜り、ヘッドセットを被ったルナは「……信者のみんな、おはルナ〜。悪魔天使の"ルナエル"だよ〜それじゃ今日はありとあらゆる家電に"BOOM"をぶち込んでプレイする企画だよ〜」と世界最大級の動画サイト"new tube"で活動するバーチャルニューチューバー"ルナエル"として生配信している。

 

 ちなみに"BOOM"はとても長い歴史を持つFPSファーストパーソンシューティングゲームで、世界中に存在する熱狂的な"BOOM"ファンは電卓やプリンター、果ては大腸菌など身の回りに存在するあらゆるものに初代"BOOM"を組み込んで遊ぶという"BOOMチャレンジ"が文化として定着しているのだ。

 

「ちょっとちょっと〜前みたいにソニックのバイクに"BOOM"ぶち込むのはやめてよね? おかげでホログラムウィンドウにゲーム画面出てきて運転に集中できないしソニックは"BOOMER"になっちゃってバイクからアンインストールした後もアンデッドやらデーモンやら見ると血の気が多くなっちゃうBOOM中毒になっちゃったんだから!」

 

 手際よく朝食を並べるニコは顎でペットロボット形態のソニックを示す。彼はリビングの奥に置かれたテレビの画面に表示された初代BOOMを器用に前足だけでコントローラーを操作して「にゃにゃにゃにゃ〜!」とアンデッドやデーモンをぐちゃぐちゃに蹂躙していた。

 

「……今配信中なんだけど。それにソニックはBOOMERとして見込みがある。もっと"BOOM"教育をすべき」

 

「まぁまぁルナ。そろそろ朝食だし配信はストップしようか。ほらソニックも休憩しようね」

 

「にゃーん……」

 

 ソニックは大人しくゲームをポーズする一方で、配信をニコに邪魔されて不満げなルナをセレンが宥める。

 

「……じゃあそんなわけで一旦ミュートにするね」

 

 ルナは渋々とヘッドセットを外す。

 

「わぁ、視聴者さん多いですね」

 

「……パンクロウラーズの広報担当だからね」 

 

 ユニが少しドヤ顔気味にピースするルナのホログラムディスプレイをのぞき込むとコメント欄には「ニコルナ助かる(3000クレド)」「セレンさんキター(2000クレド)」「ユニちゃんマジ天使(5000クレド)」「パンクロウラーズの部屋の空気吸いたい(10000クレド)」などスパチャが飛びまくっていた。他のメンバーとは違って面倒くさがりで自分から積極的に依頼は受けないルナの収入源の一つであり、パンクロウラーズの広告塔も担っている。基本無口なルナだがネットでは饒舌なようだ。

 

「ハイお待たせ〜」

 

「これは……すごく豪華ですね」

 

 テーブルには、彩り豊かな垂直農法で栽培された野菜のソテーやフルーツサラダ、コーンポタージュ、ミックスジュース、カリッと焼かれたプロテインブレッド、そして肉汁溢れるジューシーな合成肉のハンバーグなどが並んでいる。ジャンクフードや冷凍食品が主食になりがちなこの街では、考えられないほど手の込んだメニューだ。このサイバーでパンクな世界においてもなお、コモン、マキナ問わず美味しい食事は全ての人間の生きる糧だ。味気ないディストピア飯なんぞが出てきた日には暴動からのCLOUD崩壊は必至である。

 

「ああ見えてニコは料理も得意だからね。とても美味しいんだよ」

 

 セレンが優しく微笑み、ユニにパンを勧める。ルナもデバイスから目を離さずに、ニコの腕を認めた。

 

「……スカーレットさんやワンさんも唸る味だからね」

 

「そんなに褒めないでくれたまえよ〜! ほらじゃんじゃん食べてよ。『crow』はたくさん食べないとやっていけないからね〜」

 

 ニコは満面の笑みで、ユニの皿にハンバーグを盛り付けた。ユニは感動したように目を輝かせる。

 

「はいっ、いただきます! ん〜♪」

 

 一口食べたユニの表情は、一瞬で幸福感に満たされた。

 

「そうそう、ユニ」

 

「はい?」

 

 ニコは自分のプロテインブレッドをかじりながら、楽しい提案をした。

 

「良かったら、今日の依頼が全部片付いたらショッピング行かない? ユニに合う服を見つけたいからさ」

 

 ユニの今のナノスキンの姿はジャックにも指摘されたように露出度が高く、ニコはそれを気にしていたのだ。

 

「え、いいんですか? でもお金とか――」

 

「もちろん!  実はユニの保護を依頼した例の匿名の依頼者からの前金があって――」

 

 ニコは手元のデバイスを操作し、残高を確認する画面を開くが、その瞬間、ニコの顔からさっきまでの笑顔がスッと消えた。彼女の瞳が、デバイスの画面に釘付けになる。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 ユニが心配そうに覗き込むと、ニコは慌てて笑顔を作り直した。しかしその笑顔はかなり引きつっている。

 

「あーうん、大丈夫大丈夫……ソニックのカスタムパーツとか、ネコモンの数量限定プレミアジャンボぬいぐるみとか、ガチャ課金とかその他色々買ったりしたけど、私のお財布は大丈夫だから……」

 

 セレンは、ニコのデバイスをちらっと覗き見ると、苦笑いを通り越して呆れた声を上げた。

 

「あらあらもうこんなに使っちゃって。請求金額すごいことになってるじゃん」

 

「……計画性がなさすぎる」

 

 ルナは冷たく言い放つ。

 

「ちょいちょい! 人のクレド残高を覗き見るんじゃありませんっ!」

 

 ニコは真っ赤になって、デバイスのウインドウを慌てて閉じた。

 

 その光景を見ていたユニは、ニコの明るい優しさに触れながらも、ある決心を固めた。いつまでも彼女に、そしてパンクロウラーズの皆に甘えていてはいけない。自分もこの居場所に貢献しなければ。

 

 ユニは、背筋をピンと伸ばし、朝食を食べる手を止めて、ニコをまっすぐ見つめた。

 

「私も働きたいですっ!」

 

 その言葉は、まるで朝の光を浴びた新しい決意のように、清らかに響いた。

 

 Ø

 

 スナック『ローズ』の店内は、夜の喧騒が嘘のように静まり返っていた。普段はバーとして使われるカウンターやソファはそのままに、店内中央に簡易的なホワイトボードが立てられている。

 

 店のママであるスカーレットが、教師として教壇に立っていた。彼女はいつも通りのユニセックスのパンツとジャケット姿だが、その眼差しには真剣な知性が宿っている。

 

 この店は経済的な事情などで学校に行けない子供たちのために、スカーレットが無償で授業を施す教室でもあった。

 

「――じゃあこの問題よ。誰か分かる人は居る?」

 

 スカーレットがホワイトボードに示したのは、一見すると物理学の難解な図式だ。

 

「「「ハーイ!」」」

 

 子供たちは、目を輝かせながら一斉に手を挙げた。その熱意は、正規の学校の授業にも劣らない。

 

「あら〜みんな優等生ね〜!  それじゃあデイビッド!」

 

 10歳くらいのやんちゃそうな男の子が元気よく立ち上がる。

 

「ハイ!  ええっと……」

 

 デイビッドは少しどもりながらも、難しい内容を正確に解答する。

 

「コバルト60の原子を絶対零度まで冷やしてスピンの向きを強い磁場の方に揃えて、ベータ崩壊によって放出される電子が多く飛ぶ方が左で、電子が少ないほうが右です!」

 

「正解!  よくできたわね〜!  流石アタシの教え子たちだわ!」

 

 スカーレットは両手を叩いて称賛する。

 

 ホワイトボードに書かれていたのは、なぜか「パリティ対称性の破れ」についての内容だった。どうやらその問いは、「言葉は通じるが、左右の概念が分からない宇宙人に、電話越しから左右について教えるにはどうすればいいか」という、壮大な哲学と物理学を掛け合わせた内容だったようだ。子供たちは、それを遊びのように楽しんでいる。そんな教室の様子を気にせず隅に置かれたキャットタワーの上でゴールデンタマ子は昼寝をしていた。

 

 するとホワイトボードの隅に貼り付けられていたタイマーが鳴り、今日の授業の終了を報せた。

 

「あらいけない、もうこんな時間だわ!  じゃあ次回は、かつて極東に存在した最高にクールな国・『ジャパン』の歴史における最大のミステリー、『ヤマタイコク』のクイーン『ヒミコ』の時代から『ヤマト政権』に移りゆく『空白の150年』ついてお勉強よ!」

 

「『南北朝の動乱』についても今後触れたいですねマスター」

 

 生徒たち「「「わぁい!」」」

 

 レトリーが次回のテーマに追加を促すと、子供たちは、歴史のミステリーに目を輝かせた。

 

「スカーレットせんせー、レトリーせんせーさよーならー!」

 

 子供たちが一斉に挨拶をし、店の裏口から帰っていく。その時、入口からニコとユニが現れた。

 

「あ、ニコ姉ちゃん!  あと知らないお姉さんもはじめまして!  俺デイビッド!」

 

 デイビッドはニコに慣れた様子で手を振り、ユニにも無邪気な笑顔を向けた。

 

「はじめましてデイビッドくん。私はユニです。みんなお勉強頑張ってて偉いですね〜」

 

「やぁやぁチビッコたち。いっぱい勉強をして、将来すごい会社を立ち上げてお金持ちになって、アタシら庶民に稼いだお金を還元するんだぞ〜」

 

 ニコは相変わらずお金への執着を隠さない。

 

「俺が社長になったら貧乏なニコ姉ちゃんを雇ってあげるよ!」

 

「マジで!? 約束だよ!」

 

 ニコはキラキラした瞳でデイビッドの手を握る。それを見たスカーレットは、深々とため息をつく。

 

「アンタプライドってものが無いの……?」

 

「ニコ様のような無軌道な人になってはいけませんよ皆様」

 

「「「はーい!」」」

 

 子供たちはニコを反面教師にするように、元気に返事をして去っていった。

 

「それで何の用かしら? お金は無いわよん」

 

 スカーレットはカウンターに戻り、ゴールデンタマ子を抱っこするニコをジト目で見つめた。

 

「もう違うよ〜!  アタシがそんなにお金に困っているように見えるワケ?」

 

 ニコは誇らしげにゴールデンタマ子を掲げるが、スカーレットとレトリーは無言で顔を見合わせた。

 

「「……」」

 

「えぇ……否定してよそこは……まぁお金に困ってるのはマジなんだけど。あ、いやちょっと待って! そんな心底呆れ果てた顔しながらクレド送金しなくていいから!  施しはやめてー!  私のなけなしのプライドが〜!」

 

 ニコがじたばたと叫び、ゴールデンタマ子が気にせずキャットタワーに戻る横で、ユニが意を決したように前に出た。

 

「えっとその……私もニコのように、『Crows Crowd』に登録して働きたいんです。スカーレットさんが、その窓口のお仕事もされてると伺ったので」

 

「あら〜♪ それは誰かさんとは違って殊勝な心掛けだわ」

 

 スカーレットはニコを横目で揶揄し、ニコはぷくーっと可愛らしく頬を膨らませる。

 

「それでは手続きいたしますので、こちらのホログラムディスプレイに表示された規約に目を通していただき、各フォームに情報のご記入をお願いします」

 

 レトリーがカウンターから青い光を放つホログラムディスプレイを出現させた。ユニはその光をまっすぐ見つめ、力強く頷く。

 

「はいっ」

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