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2-5

 針が夜の22時を回った頃、ユニはニコに案内され、パンクロウラーズの事務所兼住居にやって来た。

 

 マルクトの喧騒から少し離れた路地裏に佇む、三階建ての小さなビルの外壁はコンクリート打ちっぱなしで、幾らか寂れた印象を与えるが、夜の闇の中でその存在を主張するように、壁にはくたびれたネオン管で「PUNKCROWLERS」という文字が掲げられていた。

 

 一階はガレージになっており、シャッターにはニコが描いたであろう、鮮烈なキャンディピンクとブラックで描かれたカラスのグラフィティが目を光らせてユニを迎える。

 

 ニコがシャッターを操作し、重い鉄の扉がガタつきながら開くと、薄暗いガレージ内部には黒塗りの防弾ワゴンが堂々と停められており、ニコはその隣に愛車のソニックを滑り込ませる。「にゃーん」という小さな声とともにエンジンが切れ、猫の顔文字が表示されるLEDがすっと消灯した。

 

 二人はガレージ脇にある外階段を軋ませながら登り、二階の事務所スペースはスルーしてそのまま三階の居住スペースへと向かう。

 三階の踊り場に着くと、ニコはドアを開け、ユニを招き入れた。

 

「どうぞ上がってー。散らかってるけど勘弁してね」

 

 ニコの言葉とは裏腹に、ユニがニコの自室内を見回すと、意外にも整理整頓されていた。

 

 部屋の隅のカラーボックスにはこの時代では珍しい物理書籍のアートブックや漫画の単行本、ファッション誌が収められ、壁にはニコが自作したであろう大胆なカラスのイラストポスターが貼られていた。

 

 そのポップな色彩の中に、人気キャラクター『ネコモン』の大きなぬいぐるみも愛嬌を振りまいている。

 

『にゃーん!』

 

 ニコがテーブルに置いたLEDつきのベースボールキャップ――それがもぞもぞと動いたかと思うと、その内側から小さなピンク色の何かがひょっこり顔を出し、そのまま帽子を抜け出したかと思うとユニの足にスリスリと体をこすりつけてきた。見ると、キャンディピンクのカーボン強化プラスチックのボディを持つ小さな子猫型ロボットであり、ユニは何だか既視感を覚えた。

 

「あら? この子は……」

 

 ユニはその愛らしい姿に心を奪われ、小さな体をゆっくりと抱きかかえる。子猫ロボットは目を細め、ユニの腕の中でゴロゴロと喉を鳴らした。

 

「ああ、ソニックだよ。ペットロボット形態。自由にバイクとこっちのモードに切り替えられるんだよね」

 

「ソニック君だったんですか! とてもかわいいですね。よしよし」

 

 ニコが説明すると、ユニは優しく子猫ロボットの頭を撫でた。

 

 すると、他の部屋の扉が開き、ジャージのセレンが顔を出した。彼女はユニの無事を確認し、穏やかな表情を浮かべる。

 

「おかえり。心配してたんだが何事もなくて何よりだよ」

 

 セレンの部屋は、一見すると普通だが、内部にはガンショップかと見紛うほど様々な重火器が壁にずらりと並んでいるのが見えた。

 

 その直後、別の部屋の扉も開き、デフォルメされた悪魔のようなスウェットを着たルナが姿を現した。

 

「……お風呂沸いてるからどうぞ」

 

 彼女はいつも通りの無愛想な口調だがセレンと同様目には安堵が滲む。

 ルナの部屋は今の時代には珍しく、デスクトップPCがデスクに鎮座しており、ゲーミング感のある七色のLEDが、ゲームソフトやデバイスがずらりと並ぶ棚を妖しく照らしている。

 

「サンキュー! じゃあ一緒に入ろうかグヘヘ」

 

 無垢なユニはニコの悪戯っぽい誘いに、顔色一つ変えず、天使のように微笑んで答えた。

 

「はいっ!  お背中流しますね♪」

 

 Ø

 

 時刻は23時を過ぎ、夜の帳が深く降りていた。パンクロウラーズの住居の三階は、既に静寂に包まれている。

 湯上がりで上機嫌なニコがバスタオルで髪を拭きながら居住スペースのリビングに戻ってきた。ユニの白い肌もわずかに赤みを帯び、健康的な艶を放っている。

 

「はースッキリした〜! ユニに背中や髪を洗ってもらって、いつも以上にさっぱりだよ。まさに命の洗濯ってやつだね〜」

 

「それなら良かったです。私もとても気持ち良かったです」

 

 ドライヤーで髪を乾かしたふたりはニコの自室へと向かった。全身サイバネ化したモッドでありながら規則正しい生活を心掛けるセレンは既にベッドに入っており、いつもは夜遅くまでゲームをしているルナもランクマでキャリー枠にぶち込まれて無念の降格を果たしてやる気を喪失して早めに寝ているようだがドアの前を通るときに「お排泄物ですわ〜」などと汚い寝言がボソボソ聞こえた。

 

 ニコとユニは、音を立てないよう静かに寝床に入った。

 

 この住居は4LDKで、本来なら一部屋余っているのだが、ニコの物置スペースとなっているため今日はひとまずユニはニコの部屋で眠ることになった。シングルサイズのベッドで身を寄せ合う形だ。ふたりが寝床に入るとソニックが軽快にジャンプして掛け布団の上で丸くなる。

 

 狭い寝床で、ニコとユニは自然と向かい合って横になる。

 

「じゃあおやすみ~……」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 互いの吐息が届くほどの距離で、ニコは満足げに目を閉じた。

 

「――」

 

 ニコはふと目を開ける。

 枕元のホログラムのデジタル時計は深夜2時と表示しており、続けて背中合わせに横になっているユニを見る。

 

「――眠れないのユニ?」

 

 声は静かだったが、暗闇の中で響きすぎたかもしれない。ユニはびくりと肩を震わせた。

 

「あ、いえ大丈夫ですっ」

 

 ユニはすぐに返したが、その声の端には張り詰めた緊張の糸が感じられ、その横顔にも微かな陰りが差していることにニコは気づいた。

 その視線に耐えかねたように、ユニは慌ててニコの方を向き直り、いつものようににっこりと完璧な笑みを浮かべる。

 

 しかし、その微笑みの下にある不安をニコは見逃さなかった。

 

「……まったく、強がっちゃって」

 

 ニコはため息ともつかない息を漏らし、静かにベッドから抜け出した。

 寝間着のTシャツの上に、彼女のトレードマークである鮮やかなマゼンタの上着を羽織り、特徴的なネコミミキャップを深く被る。

 

「どうしたんですか?」

 

「ちょっと冒険してみない?」

 

 背中を向けたままのニコの声は、夜の帳のようにひっそりとしていながら、どこか悪戯っぽい響きを含んでいた。

 

「冒険……?」

 

 ニコはくるりと振り返り、にやりと笑みを浮かべてユニを誘う。ユニはニコの言う"冒険"の意味がわからず、小さな頭を傾げた。その表情は不安と、微かな期待で揺れている。

 

「まぁまぁ遠慮しないでさ。ちょっとした気分転換♪」

 

「あっちょっと――」

 

 ニコは有無を言わさずユニの細い腕を引っ張ってベッドから立ち上がらせた。そしてクローゼットにしまっていた、ユニの体には少し大きい白いコートを彼女の肩に強引に掛けるとそのまま彼女の手を引いて部屋を出る。

 

「にゃーん!」

 

 まだぬくもりが残るベッドの毛布から、小さな子猫ロボ形態のソニックがぴょこりと顔を出した。

 

「し~……」

 

 ニコが小声で注意すると、ソニックはすぐに静かになり、軽快にジャンプしてニコの背中から頭へよじ登り、そのまま帽子の内側に隠れた。

 他の部屋に居るルナやセレンの眠りを妨げないように、ふたりは音を立てずに廊下を進む。

 靴に履き替え、階段を降りて一階のガレージへ。

 

 帽子の中のソニックは「にゃーん」と小さく鳴いた後、子猫型ボディはスリープモードへ移行した。

 次の瞬間、ガレージの片隅に停めてあったキャンディピンクのバイクのヘッドライトがカッと灯り、フロントの液晶に猫の顔文字が浮かび上がる。ソニックのAIがバイクの制御系へ移動したのだ。

 

「こんな夜遅くに、どこへ?」

 

 ユニは、夜の闇に吸い込まれていくような不安を覚えた。

 

「秘密の場所だよ」

 

 ニコはソニックに跨り、ユニに「後ろに座って」と手でジャスチャーした。ユニは戸惑いながらも、その頼もしい背中に導かれるように後部座席に腰掛けた。

 そしてニコはNEØNシールドをONにする。この世界の車両において普及している安全機能で、搭乗者の全身を目には見えないNEØNのバリアが包み、あらゆる衝撃から身を守ってくれるというものだ。当然戦闘においても使用され、相応に高価な分、この機能が搭載されていればヘルメットは不要であり、ニコは自分の長い髪をヘルメット内に押し込む煩わしさから解放されているというわけだ。

 

 やがて、軽快なエンジン音と共に、ふたりを乗せたキャンディピンクのバイクは静かにマルクトの夜へと走り出した。

 

 Ø

 

 深夜のマルクトは日中の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 聞こえるのはソニックの低いエンジン音と、アスファルトを噛むタイヤの音だけ。まるで世界でふたりきりになってしまったかのような、非日常的な静寂がふたりを包み込む。

 

 ユニは、自然とニコの腰に腕を回してしがみつき、マルクトのスラム街の風景をただ静かに眺めた。

 ニコも無言だったが、その背中から伝わる体温は、ユニに気まずさではなく、むしろ不思議な心地よさを与えていた。

 

「おまたせ~」

 

 三〇分ほど走っただろうか。バイクが停止し、ユニは周囲を見回す。

 

「ここが秘密の場所ですか?」

 

 そこは、古い車体やプレスされた鉄骨、使われなくなった家電の残骸が文字通り山のように積まれたジャンクヤードだった。

 地理的には綺麗な円形をしたCLOUDの、海に面した外縁部で、ちょうどマルクトの「セフィロト」寄りの中心部から端側に来たような形だ。

 秘密の場所というので、てっきりCLOUDの夜景が見える展望台や、ロマンチックな橋などを想像していたユニは、その殺風景な光景に少し拍子抜けする。

 

「まさか~ここからじゃ何も見えないよ。秘密の場所はもっと奥にあるの」

 

 ニコは乱れた前髪を手櫛で整えつつ、ユニの手を引っ張って立ち上がらせると、ガタガタと崩れそうなスクラップの合間を縫ってジャンクヤードの奥に進んでいく。

 ユニは、警備員などに見つからないか少しビクビクしたが、途中にあったプレハブ小屋の中には埃が積もり放題で、この場所が長く放置されていることが察せられた。

 

「ほら見えてきたでしょ」

 

 ニコが指差すのは、巨大なクレーンだった。見たところ、駆動部や油圧配管も錆びつき、しばらく使われていない様子で、電気系統が生きているかすらわからない。

 しかし間近で見上げるその巨大な鉄骨の塊は、CLOUDの中心に聳え立つ、全長十万キロメートルに達する軌道エレベーター「セフィロト」とはまた違う、圧倒的な存在感を放っていた。

 

「……って何をしてるんですかニコ?」

 

「上に登るの。ほらユニも早く早く~」

 

 ニコはクレーンの支柱に設置された、垂直に伸びる梯子を見上げて無邪気に笑った。

 

「怒られませんか……?」

 

 ユニの問いかけに、ニコは肩をすくめる。

 

「へーきへーき。二束三文にしかならないジャンクの山を抱えたがるような物好きが現れなくてずっと放置されてるし。じゃあ先に登っていいよ」

 

「えっ私がですか? 怖いですよ! こんなハシゴを登らなきゃいけないなんて……」

 

 ユニは、足元から遥か上空へと続く錆びた梯子に尻込みした。

 

「安心して。ちゃんと安全帯はあるから」

 

 するとニコはユニの腰に慣れた手つきでベルトを巻き付け、フックの耐久性をチェックする。

 一応、クレーン本体も放置されていた割に、梯子にはガタツキや深刻な錆などは見当たらず、これなら登っても大きな問題はなさそうだ。

 

 ユニはひとまず諦めて、冷たい鉄の梯子に手をかけた。

 金属の冷たさが掌に伝わり、足を一段踏み出すたびに錆びた音が小さく軋む。

 五段、六段……

 風がコートの裾を軽く捲り、背後から吹き上げる夜気が太腿を撫でた瞬間、

 

「……これはなんという絶景」

 

 下から見上げるニコの悪戯っぽい声があった。

 ユニが慌てて振り返ると、ニコは梯子の三段下にいて、顔をわずかに上げたまま、じっと見つめている。

 

 オーバーサイズの白いTシャツが風に煽られ、裾がふわりと舞い上がった拍子に、純白のショーツが丸見えになっていた。

 月明かりに照らされると、薄い生地越しに肌の色がほのかに透け、お尻の丸みがふっくらと浮かび上がって、まるで白磁のような艶やかさを見せていた。

 

「ちょ、ちょっとニコ……っ!」

 

 ユニは顔から火が出そうなほど赤くなり、両手で裾を必死に押さえる。

 でも風は容赦なく、もう一度裾を捲り上げ、ショーツの縁に沿って淡い影が揺れた。

 

「もう……やっぱりニコが上になってくださいっ!」

 

「あははごめんごめん~」

 

 ニコは悪戯っぽく舌を出した。

 

 小さな踊り場に着くと、ふたりは位置を交代する。今度はニコが先に梯子を登り始めた。

 

 すると風が再び吹いた。

 ニコのマゼンタジャケットの裾が捲れ、スポーティーな黒いショーツが露わになる。

 マットなブラック生地は伸縮性に優れ、腰のラインにぴったりとフィットし、ヒップの丸みをくっきりと浮き彫りにしていた。

 

「……絶景ですね」

 

 ユニは少し意地悪く、小さく呟いた。

 視線は、ニコの引き締まった腰から太腿へと滑り、黒い生地のコントラストに浮かぶ白い肌の境目をしっかりと捉えていた。

 

「うわっ、ユニも見てた!?」

 ニコは顔を真っ赤にしながら、片手でジャケットを押さえる。

 

「だって……ニコが先に……」

 

 ユニは恥ずかしそうに目を逸らしつつも、唇を尖らせて小さく舌を出す。

 その仕草があまりにも可愛くて、ニコは思わず吹き出してしまった。

 

「もう……お互い様じゃん」

 

 ふたりは顔を見合わせて、くすくすと笑った。

 その笑いは、夜の緊張感を打ち破り、二人の間に確かな親密さを育んだ。

 

「到着~疲れた~!」

 

 それからしばらくして遂に最後の梯子をふたりは登り切った。

 息を切らしたニコに対し、マキナであるユニは呼吸の乱れこそないものの、額には微かに汗が滲んでいた。

 

 ふたりが辿り着いたのは、クレーンを操作するキャビンだった。内部は二人が入れば窮屈に感じるほど狭く、操縦レバーやペダル、計器類は当時のまま、時が止まったように残されている。

 キャビンのガラス窓は、全体的に汚れていて、あちこちがひび割れていたが、

 

「――」

 

 窓の向こうに広がる光景に、ユニははっと息を呑んだ。

 

「綺麗でしょ?」

 

 その隣で、ニコも満足げに目の前の光景を眺める。

 

 ふたりの視界いっぱいに広がるのは、CLOUDの夜景だった。眼下には無数の光の粒が点在し、闇と明かりのコントラストが、まるで地上に星空が広がっているかのような幻想的な光景を作り出していた。そして遥か上空へと伸びる軌道エレベーター・セフィロトは、ライトアップされたその白い巨体が、この世ならざる美しさを際立たせていた。そして後ろを向けば都市の外はどこまでも広がる海で、月明かりとNEØNのオーロラが微かに水平線と空の境目を浮かび上がらせている。

 

 ニコは、この光景をユニに最初に見せたかったのだ。

 

「はい、ホットココア」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ユニはニコから温かい缶を受け取り、プルタブを開けてゆっくりと口をつけた。甘さの中にほんのり苦みがある。その温かさが、夜の冷気と高所への緊張で強張っていたユニの心と体を、ゆっくりと解きほぐしていくのを感じた。

 

「にゃ~♡」

 

 ニコの足元に、キャップの中から出てきた子猫ボディのソニックがスリスリと甘える。

 

「よしよしソニックにも"ちゃ~る"をあげよう」

 

 ニコは上着のポケットから、『ちゅおちゃ~る(ペットロボ用)』を取り出した。パウチの封を切り、ペースト状の中身を絞り出してやると、ソニックは夢中になってそれを貪る。その微笑ましい姿に、ユニの口元にも自然と綻ぶ。

 

「元気になったみたいで良かった」

 

「ありがとうございます。私をここに連れてきてくれて」

 

 ユニは、自分の不安を察してこんな「冒険」に連れ出してくれたニコの繊細な気遣いに、心から感謝した。

 

「それじゃあ今から帰るのは骨が折れるし、ここで寝ようか」

 

 ニコはキャビンの隅に広げた古い毛布を指差した。

 

「毛布まで持ち込んでたんですか……?」

 

 ニコが用意していた毛布は薄い見た目とは裏腹に、断熱性と保温性に優れているようだった。ニコは、毛布を自分とユニ、そしてソニックに掛ける。毛布は暖かく、窓のひびから差し込む外の寒さから2人と1匹を守ってくれる。


「実はさ」


 ニコはおもむろに口を開いた。


「アタシ小さい頃の記憶がないんだよね」


「え……?」


「7歳だから10年前なんだけど、ほら『クローズ・アイズ事変』ね。セフィロトの最上層に位置するステーションのダアトが吹っ飛んでその中に存在したAIZも消えたっていう。ちょうどその日私はマルクトを彷徨い歩いてるところをスカーレットさんに保護されて、しばらくローズで生活してて、で、14歳の時にルナと会って2人で駆け出しCROWSになって。そんで1年後にセレンが加わってパンクロウラーズ結成ってわけ。で、この子(ソニック)は10年前のあの日からずっとアタシのそばにいてくれたペットロボットなんだよね」


 ニコは足にスリスリするソニックの頭を撫でる。


「どうしてニコはそんな重い過去を抱えてるのに笑顔で居られるんですか?」


「うーん……いやだってさ? 今のアタシは幸せだし。周りにかわいい女の子や頼れる大人はたくさん居るし。キラキライケメンは居ないけどね」


「……ニコはすごいですね」


「さて、今度はユニの番だよ」


「もう、ずるいですよ」


「でも話せば楽になるよ?」


「……そうですね」


 ユニは一度深呼吸する。

 

「……本当は」

 

 静寂の中で、ユニはゆっくりと口を開いた。その声は震えてはいなかったが、夜の冷たい空気に溶けてしまいそうに儚かった。

 

「うん」

 

 彼女に寄り添うニコは静かにその続きを待つ。

 

「自分は何者なのかと不安になっていたんです」

 

 ユニの声が、夜の寒空に吸い込まれていく。

 

「記憶も無く、データも無く、唯一の手がかりは謎に満ちたAXZ機関……」

 

 彼女は、昼間の出来事を反芻しているのだろう。

 

「それに、ギャングのような怖い人たちに襲われて……無関係なニコや皆さんを巻き込んで……たくさんの方々に迷惑をかけて……」

 

 ユニの瞳が、僅かに潤んだように見えた。自分という存在が、周囲に危険と迷惑しかもたらさないのではないかという、根源的な恐怖。

 

「私はここに居て良い存在なのでしょうか」

 

 その言葉は、まるで壊れそうなガラス細工のように、脆かった。

 

「それは違うよ」

 

 ニコは、優しく、しかし確固たる強さを持った声で、即座に否定した。

 

 ニコはユニの小さな手をそっと取り、強く握りしめる。その掌から伝わるのは、温かい人間の体温だった。

 

「ユニの正体がなんなのかとか、誰が作ったのかとか、そんなのどうでもいいよ。ユニはユニ、私のかけがえのない大事な人だよ」

 

 ニコの言葉は、ユニの不安をかき消す、最も確かな真実だった。

 

「ニコ……」

 

 ユニは震える声で、その名を呼ぶことしかできない。

 

「それに、ユニを迷惑だなんて思ってる人たちは居ないよ。ルナもセレンも、マルクトのみんなも、10課の人らだって、誰も」

 

「にゃー」

 

「ほらソニックだって」

 

 ニコはまっすぐにユニの目を見て微笑んだ。その笑顔は、彼女のピンク色の髪のように、ユニの心に暖かな光を灯す。

 

「だからユニの居場所はここでいいんだよ」

 

「……っ」

 

 ユニの目から、一筋の雫が零れ落ちる。その涙は、不安の終わりと安堵の始まりを告げるものだった。

 

「……おやすみ」

 

 ニコはそれ以上何も言わず、優しくユニの頭を撫でて目を閉じた。ユニもまた、ニコの温もりを感じながら、初めて心の底から安堵し、静かに眠りにつくのだった。

 

 地上三〇メートル超の秘密の場所で、雲の上に輝くNEØNのオーロラを眺めながら、ふたりはそっと眼を閉じた。

 

 Ø

 

 眩しい朝の光に、ニコとユニはほぼ同じタイミングで目を覚ました。体を覆う毛布の暖かさと、外気の冷たさにふたりは一瞬自分がどこにいるのか忘れていた。キャビンの窓からは、朝日に照らされたCLOUDの街並みが、昨夜とは違う力強い色彩を放っていた。

 

「――やっぱりここに居た。女の子ふたりで素敵な夜を過ごしちゃって」

 

 しかしすぐに現実へと引き戻された。

 

 キャビンの小さな窓の向こう、クレーンの踊り場に、セレンが少し含みのある笑みを浮かべて立っていた。その横には、寝癖をつけ、眠そうに眼を擦るルナも立っている。

 

「……お腹すいたから朝ごはん作って」

 

 ルナの空腹を訴える低い声が、夜明けのジャンクヤードに響いた。

 

「「なにか勘違いされてる!?」」

 

 夜の冒険のロマンチックな余韻は、セレンの邪推とルナの食欲によって、瞬く間に吹き飛ばされてしまった。

 ニコとユニは顔を見合わせ、頬を赤らめた。

 

「にゃ~」

 

 毛布から顔を出したソニックは可愛らしく伸びをしながら、大きな欠伸をした。

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