5-2
二人の少女の決着がつくと同時に、ジャンクヤードに漂っていたひりつくような闘気は霧散した。
瓦礫の山となった戦場に、気の抜けたような声が響く。
「はいはい、そこのふたりー。これ以上騒ぎ起こすと公務執行妨害と器物損壊で逮捕するわよー」
瓦礫の陰から姿を現したのはシオンたちだった。
「げっ、シオン……あ、ハチ!」
「わんっ!」
ニコの声に反応し、柴犬のハチが嬉しそうに尻尾を振って駆け寄ってくる。その愛らしい姿に、ニコの表情から戦いの緊張が完全に消え失せた。
「お二人とも、すごい戦いぶりでしたね。私たち、手出しできませんでしたよ」
フローネが感嘆の声を上げる一方で、ヴァンは眉間に深い皺を寄せていた。
「なんなんだお前らのあのデタラメな力? ドメインごとぶっ壊すとか、何もわかんねぇぞ」
常識外れの現象を目の当たりにしたヴァンは困惑を隠せない様子だ。
「……ぶっちゃけ、わたし達にもわからない。セレン、何かわかる?」
「うーん……多分、ニコの力が覚醒した影響で、私やルナにも何かしら力が目覚めつつあるのかもね」
ルナの質問に対してセレンは推測を述べる。
「例のバグというやつか?」
リクの問いに、ニコは自身の胸に手を当てて少し考え込んだ。
「あの時……暴走したアタシの心に、ユニが触れてきたのを感じたんだ。きっとその時に、何かインストールされたのかもしれない」
「ウイルスみたいに感染するってわけ?」
シオンたちが真顔になりつつニコたちから離れる。
「いやなんでアタシたちから距離取るの……?」
「冗談よ。とにかく、完全に制御できているならこっちもとやかく言うつもりはないわ」
シオンは肩を竦め、話を切り替えるように周囲を見渡した。
「ところで、みんなは何でここに居るの? 街は大丈夫なわけ?」
「準備ができたんだよ。決戦のな」
低い声と共に、紫煙の匂いが漂ってくる。
瓦礫を踏みしめ、ファルコがタバコを吹かしながら歩いてきた。
「おっちゃん!」
「『セフィロト』の高度3万6000キロメートルに再建造された|静止衛星軌道ステーション《GEO》『ダアト』。そこからこのCLOUD中のNEØNにアクセスが行われている。恐らくそこにあのマキナの嬢ちゃんが居る」
ファルコが指し示したのは、遥か頭上、夜空を突き抜けた先にある軌道エレベーターの中枢だ。
「……『ダアト』って、『セフィロト』のエレベーターでも1時間はかかる場所でしょ。どうやってそこに向かうの? 『オウルオーニング』が『セフィロト』の管理権を握っている以上、わたし達はそのルートを使えないし」
ルナのもっともな指摘に、不意に別の声が答えた。
「アシならあるよ。コイツさ」
ファルコの背後から、音もなくイーグラが姿を現す。
彼女が虚空に向かって指をパチンと鳴らした瞬間、ジャンクヤードの下、断崖絶壁の底から轟音が響いた。
ズズズ、と大地が震え、闇の中から巨大な鉄の猛禽が浮上する。
「超大型ステルス戦闘機『アルタイル』。アタシのプライベートジェットさ」
それは通常の航空機の規格を遥かに超えた、漆黒の要塞だった。鋭角的なフォルムは最新鋭のステルス性を誇りながらも、荒々しい威圧感を放っている。
「すごっ! かっこいい!」
「だろう? わかってるじゃないか猫娘」
ニコが目をキラキラ輝かせると、強面のイーグラも満更でもなさそうに僅かに口端を上げた。
「私たちも、こうして間近で見るのは初めてだなぁ」
「なるほど。こいつで一気に敵地に強襲をかけるという訳か。面白い」
「機体前面に展開するNEØNフィールドで大気を『乖離』させ、摩擦ゼロの真空回廊を形成して飛ぶってメカニズムだったかしら? マッハ29なんてとんでもない速度を叩き出しつつソニックブームも発生しない、と」
セレンとリク、シオンが感心したように巨体を見上げる中、ファルコが彼らに向かって荷物を放り投げた。
「それと、お前らはこれ着とけ」
受け取ったヴァンがそれを広げる。それは、重厚な黒革のロングコートだった。だが、いつものホークアイの制服とは違い、組織を示す徽章や階級章に羽根の意匠がどこにもない。
「あん? なんだこの黒いロングコート? 階級章に羽根がねぇけど」
「特務10課は凍結しただろ。これから俺達は執行0課――クラウド法に基づいてホークアイに巣食う膿を排除するんだよ」
ファルコがニヤリと笑う。それは法の番人ではなく、法を超えた正義を執行するアウトローの顔だった。
「――ふふふ。執行0課……それはとても心が踊りますね。ええ、はい」
「……」
どこか物騒な笑みを浮かべるフローネに、ヴァンは少し引いた様子で視線を逸らした。
「ま、そういうわけさね。ぼさっとしてないでアンタらハッチから中に入りな」
イーグラに促され、一同が動き出す。
「ハチはお留守番だよ」
「くぅーん……」
ハチは項垂れ、その場に伏せをする。セレンは名残惜しそうに彼の頭を撫でた。
だが、ニコだけが立ち止まっていた。
「……どうしたの、ニコ?」
ルナが首を傾げる。
「でも、アタシたちがマルクトを離れたら、街のみんなは……NO-IDから誰が守るの?」
彼女の脳裏には、先ほどまで戦っていた街の惨状が焼き付いている。自分たちが去れば、守る者がいなくなる。ニコはそれが気がかりだった。
「それについては大丈夫だよ。ほら」
セレンが示した先、車両のエンジン音と共に懐かしい面々が駆けつけた。
その時、新たな足音が続々と集まってきた。
「パンクロウラーズに10課改め執行0課――少数精鋭として申し分ないね」
「街のことは私たちに任せなさいな」
現れたのは、オウカとリリアだった。
「……オウカ、リリア。それに他のみんなも」
ルナが面々の顔も見渡す。
「我々小夜啼組とストークファミリーが街のNO-IDの相手をします」
「皆様に主のご加護がありますように」
狐巫女のクオンと、天使のシスターであるミエルがお辞儀する。
「まさかうちのカシラとストークファミリーのボスが『鷲の女帝』の旧知の仲だったとは、驚きだぜ」
「我々の力を頼りにしていただけるのは恐悦至極ですね」
龍の拳法家リュウエンとユニコーンの執事コルニスも闘志が漲っている。
「我らがオルトクランの結束を今こそ見せつける時でござるな」
「ええ。皆様の帰る場所は私たちが命を賭して守りますわ」
くノ一尼僧の鬼・ホオズキと人狼のメイド・ライカも揃った。
二大オルトクランが、今、こうして一つの目的のために集結していた。
「やっほー! みんな! 会いたかったよ〜!」
「全員無事なようで何よりだ。それにオルトクランの連中も。美味いメシを用意してやれないのが残念だがな」
手を振るマオと、中華鍋の代わりにごつい銃火器を担いだワン。
「マオ! ワンさん!」
「とにかく街のことはこっちに任せろ。医師としての腕だけじゃなく、戦いの腕も鈍っちゃいない」
「これは命を奪う戦いではなく、命を救う戦いです。私たちがみなさんに代わって、この街を守ります」
ジャックがマークスマンライフルを構え、コットンが頼もしく微笑む。
「ジャックさんにコットンまで……」
ニコの胸が熱くなる。
「――全く、私たちを忘れてもらっちゃ困るわよ?」
その凛とした声に、ニコが弾かれたように振り返る。
「スカーレットさん……!? それにレトリーに、キンタマも!」
「キンタマではなくタマ子とお呼びくださいニコ様」
「にゃー」
三毛猫のタマ子が、レトリーの腕の中で呑気に欠伸をした。包帯姿こそ痛々しいが、スカーレットはしっかりと自分の足で立っていた。
「……怪我は大丈夫なの?」
ルナが心配そうに尋ねる。
「ええ。ジャックやコットンの治療とレトリーの献身的な看病、ワンやマオの美味しいご飯、それにみんなの応援のおかげでね。完全復活――とはまだ言えないけど、足を引っ張るつもりはないわ」
「良かった〜! 心配したんだから〜!」
ニコが涙目で駆け寄ると、スカーレットは顔をしかめた。
「うわ、鼻水汚いわねアンタ。ブッサイクな泣き顔しちゃって。ほら、ティッシュあげるから鼻かみなさい! チーンって!」
「ずび〜!」
言われるがままに盛大に鼻をかむニコを見て、スカーレットはふっと表情を緩めた。
「……とにかく、そういうわけだからアンタたちは安心してクソ野郎どもをギャフンと言わせなさい! 負けたら承知しないわよ!」
「頑張る!」
「いい返事ね」
スカーレットは、我が子を送り出す母親のような、愛情のこもった眼差しでニコを強くハグした。ニコもまた、その背中に手を回す。
血の繋がりなどなくとも、そこには確かな絆があった。
「……絶対に、生きて帰ってきなさい」
「うん、必ずユニを連れて全員で帰ってくるよ」
力強い約束を残し、ニコたちは『アルタイル』のハッチへと駆け込んだ。
全員の搭乗が完了すると、巨大な翼が風を切り裂く。
爆音と共に地を蹴った『アルタイル』は、瞬く間に加速した。
マッハ29を超える脅威の速度は、もはや視認することすら不可能で、残った者たちはまるで瞬間移動を錯覚するほどだ。
黒い巨躯は一瞬にして夜空に溶け、星々が瞬く大海へと消え去った。
Ø
「――という訳で作戦はこうだよ」
白い雲を突き抜け、宇宙と空の狭間――漆黒の世界に到達した『アルタイル』の内部。その薄暗いブリーフィング・ルームで、イーグラがホログラムマップを展開していた。
「第3世代メタ・ステルスで監視の目を欺きながら、デブリに接触しないようギリギリまで『セフィロト』本体に接近。そのまま防衛網を突破して静止衛星軌道ステーション『ダアト』のドックまで侵入する。それからはアタシとフローネ、ヴァンのAチーム、そこの馬鹿、リク、シオンのBチーム、パンクロウラーズの3組に別れて邪魔な奴らを蹴散らし、囚われのユニを救出する」
「ま、問題はユニが作ったっていう第3世代メタ・ステルスは、当然その対策もなされてる可能性が高いってことだな」
ファルコが腕を組み、懸念を口にする。ユニの天才的な頭脳は、今や敵の手中にあるのだ。
「それについては私が色々と解析・改良を加えてみました。ホークアイが運用してる第2世代メタ・ステルスを今まで暇な時に解析してたので、その研究成果も反映してます」
タブレットを操作しながら、フローネが平然と言い放つ。
「なんかしれっととんでもないこと言ってるわねフローネ……」
「前から思ってたけどフローネってユニちゃん並にスペック高くね?」
「私を買いかぶり過ぎですよヴァン君」
謙遜するフローネだが、その指先は目にも止まらぬ速さでコードを打ち込んでいる。
「まぁとにかく、無事に敵地に侵入することを祈るしか無いわけだな」
ヴァンが肩をすくめた、その時だった。
「……ん。NEØNの反応がある」
ルナが鋭く呟く。
「ルナ、マジで!?」
「ああ。およそ距離1000キロメートル先にNEØN機雷があるね。このままだと1分40秒で衝突する」
ルナと同様にそれを感知したらしいセレンの視線の先には虚空しかない。しかし、その瞳には確かに何かが映っているようだった。
「生憎とメタ・ステルスとNEØNフィールドの生成に出力回してるもんだから、主砲は使えないね」
イーグラが無情な事実を告げる。絶体絶命かと思われたその時、低い声が響いた。
「じゃあ私に任せてください。狙撃なら得意なので」
「セレン先輩!? 無茶ですよ!」
「大丈夫なんですか先輩?」
「心配しなくても平気だよみんな。今の私たちなら不可能はないと思えるんだ」
「頼もしい限りだぜ」
「今はお前を信じるしか無いな」
セレンが揺るぎない自信に溢れた顔でサムズアップする。
「よし行きなセレン。アタシが許可するよ」
「センセーが許すなら俺も止めねぇさ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
セレンはオペレーションルーム上の扉を潜り、エアロックを抜け、あろうことか生身のまま外へと飛び出した。とっくに高度100キロメートルのカーマンラインは超えて宇宙空間に身を晒しているわけだが、全身をNEØNフィールドのバリアで覆うことで、宇宙線を遮断し、酸素と体温を維持する。常軌を逸した荒業だが、彼女にとっては散歩と変わらないようだ。
『警告。高度15000。進行ルート上に熱源反応多数』
アルタイルのAIが警告を発したのと同時に、セレンはすでに銃座の照準システムにリンクしていた。
モニターに映し出されたのは、遥か500キロメートル彼方──肉眼では星屑にしか見えない微小な点。 だが、セレンの義眼と拡張視覚は、それを明確に捉えていた。 直径10メートル級の自動追尾機雷『スパイダー・マイン』が6機。接触すれば、アルタイルの装甲ごと蒸発する高出力爆弾だ。
「距離500。接触まで50秒」 セレンの声に焦りはない。彼女の意識はすでに、時速3万6000キロメートルの世界に同調していた。
彼女が構えるのは、長銃身のフルオートDMR『メテオストリーム』。 本来は対人・対マキナ用だが、現在はアルタイルの外部ジェネレーターに直結され、宇宙戦仕様の出力へとオーバードライブされている。
「……確保。掃除を始めるよ」
引き金が絞られる。 『メテオストリーム』の名の通り、銃口から青白い光の奔流がほとばしった。 単発の狙撃ではない。1秒間に数十発という連射速度で放たれた高エネルギー弾が、一直線に並び、まるで一本の「光の槍」となって虚空を突き進む。
「目標1、2、破砕」
500キロ先で、小さな火花が散った。 着弾の映像が届く頃には、アルタイルはすでにその残骸の目前まで迫っている。
「速い……!」
コックピットでシオンが息を呑む。
相対速度秒速10キロメートル。通常の動体視力なら、敵を認識した瞬間に衝突している速度だ。 だが、セレンは機械のような冷静さで、次の標的へと銃口を滑らせる。
残る機雷は4つ。それらがアルタイルを迎撃しようと起動し、スラスターを噴かした瞬間──
「目標3、4、5……全弾命中》
セレンが描く「弾幕のライン」に、機雷たちが自ら当たりに行くように次々と爆散していく。 未来位置予測と、自機の超高速移動による弾道のズレを完璧に計算した神業とも呼ぶべき偏差射撃だった。
「ラスト」
最後の1機が正面に迫る。距離50キロ。衝突まで5秒。 セレンは表情一つ変えず、『メテオストリーム』の全リミッターを解除。 チャージされた極太のビーム弾が、機雷の中央コアを正確に撃ち抜いた。
真空の宇宙空間に、音のない爆発の華が咲く。 アルタイルはその炎の中を、傷一つ負うことなく、矢のように突き抜けた。
構えた『メテオストリーム』のストック上部の排熱機構が展開し、内部のヒートシンクが露出して冷媒となったNEØNが吹き出して青白く光る煙を線として空に刻んでいく。
「ふぅ……」
銃身からパチパチと放電する『メテオストリーム』を下ろし、セレンは静かに安堵のため息を吐いた。
「ただいま。無事に全機落としたよ」
セレンは『メテオストリー厶』を折りたたんでボストンバッグにしまいつつ機内へ戻ってきた。
「おつかれー、流石セレンだよ」
「……流石にあの距離はわたし達でも対応が難しかったから助かった」
「流石です先輩! 惚れ惚れします!」
「ありがとうシオン。上手く行って何よりだよ」
「しかし機雷が消し飛んだことで、奴らもこちらの気配を悟っただろうね」
イーグラの予測通り、新たに白い球体が8機出現した。
直径10m程度のそれらは一斉に殻を展開し、6枚の翼を持つ天使のような形状へと変形する。
その中心部、青く輝くコアから高出力のNEØN砲が放たれた。
「中々の出力だね」
イーグラが苛立たしげに舌打ちする。
アラートが鳴り響き、みるみるうちにNEØNフィールドが減衰していく。直撃すれば、さしもの『アルタイル』も木っ端微塵だ。
「にゃーん!」
その時、ソニックがニコの帽子から飛び出し、コンソールの中央に降り立った。彼を中心にマゼンタ色の鮮やかなNEØNが生じ、波紋のように広がって『アルタイル』全体を包み込む。減衰していたフィールドが瞬時に輝きを取り戻し、照射されるNEØN砲を押し返していく。
「ソニック……!?」
「にゃー」
ニコの呼びかけにソニックが振り向く。いつもと変わらない笑顔の顔文字を浮かべる子猫型ロボットは、今、この宇宙で最も頼もしい守護神に見えた。
ニコは彼の顔を見て深く頷き、叫んだ。
「行けぇぇぇええええ!!」
直後、爆発的な出力を得たNEØNフィールドが奔流となって逆流し、迫りくるビームごとドローン群を一斉に吹き飛ばした。
Ø
「馬鹿な――あのNEØN出力は何だと言うんだ……」
モニター越しにその光景を見ていたヴェルナーが呻く。
「――“バグ”ですね。あれらを直ちに排除しなければ、この世界に深刻なエラーが生じかねません」
「要領を得ないな。そのバグとは具体的に何なのだAIZ」
「アレについて該当するデータは私にはありません。しかし或いは"ユニ"なら何かを知っているかもしれません。暗号化された彼女の記憶データの復号化を行っているのですが――あなたは何か知っているのでは? NEONS」
問いかけられたNEONSだが、ローブの奥の表情は窺い知れない。
沈黙を守る彼に、ヴェルナーは苛立ちを募らせる。
「……ふん、気に入らんな。あんな存在を認めることなど出来ん。即座に排除しろNEONS。私が築く帝国には不要だ。AIZという神から賜った王権を持つ私は、コモンもマキナも――下等種すべてを支配し、世界をより良く導く使命がある。アレを使え」
「仰せのままに。『ソーラレイ』を起動いたします」
Ø
「アレは――」
セレンが息を呑む。『アルタイル』のブリッジに動揺が走った。
「馬鹿な――なんて大きさだい」
「アレをぶっ放すつもりか……!?」
イーグラとファルコの顔が強張る。彼らの前に現れたのは、宇宙に咲く巨大な白い花弁だった。『ダアト』上部から分離展開したその花弁は、直径4キロメートルにも達する。花弁の内側一面には無数のNEØN砲門がびっしりと敷き詰められ、青白い光が充填され始めていた。
「逃げ場がないわ!」
「おいおいどうにかならないのかよ!?」
シオンの悲鳴にヴァンが顔を真っ青にする。しかしその時、フローネがコンソールの異変に気づいた。
「新たな高エネルギー反応があります!」
目の前に広がる真っ白な花弁と眩い死の光は、突如として出現した漆黒の"影"に覆われた。
「……このままだとあれに飲み込まれるよ」
「いや、きっとこれは大丈夫だよ」
身を固くするルナたちに対し、ニコはどこか懐かしさを感じるその影を見つめ、確信を持って呟いた。
Ø
『ダアト』展望デッキ、司令室。
『――目標、消失しました』
心を持たない"ドール"の淡々とした報告に、ヴェルナーが満足げに口端を歪める。しかし直後、彼の顔は憤怒と驚愕に歪んだ。
「――これはどういうことだ!?」
ズズズ、と『ダアト』全体が微かに揺れる。目の前の巨大ホログラムに映し出されたのは、消滅したはずの『アルタイル』が、『ダアト』の至近距離に無傷で転移出現している姿だった。
「申し訳ございません、ヴェルナー。どうやらまだ私の中に存在する"ユニ"が反抗をしており、彼女が生み出したワームホールが彼らをこのダアトに招き入れたのです」
「何を言っている……!?」
AIZの説明に、ヴェルナーの理性が追いつかない。
「……理解不能ですか? ヴェルナー。あなたの定義する『物理法則』の範疇では」
「NEONS、貴様――」
不遜な物言いにヴェルナーが睨みつける。
「……ユニは先ほどNEØNスワームをナノメートル以下の厚みで整列させ、その内側の真空エネルギー密度を劇的に低下させました」
「カシミール効果か?」
「ええ。切断線上に『負のエネルギー密度』の超薄膜を形成し、外宇宙からの圧力が内側を圧倒し、空間そのものを"押し潰して分断"したのです」
「空間を切断だと!? ふざけるな、それほどのエネルギーを解放すれば、このビルどころかダアト全域が衝撃波で消滅するはずだ!」
「通常ならば。しかし、彼女は発生した莫大な重力波エネルギーを、NEØNの各粒子に『追加質量』として再結晶化させました。E=mc^2の逆プロセスをリアルタイムで実行し、破壊の余波を、ただの美しい塵へと置換したのです」
NEONSは宙に舞う、ダイヤモンドダストのような微粒子を一つ指で摘み、淡々と続ける。
「……ヴェルナー。あなたが『王の椅子』と呼ぶこのシステムは、あなたの器には少々、広すぎるようです。彼女はもう、あなたの計算式の外側にいます」
「……なんだと……?」
なおも食い下がろうとするヴェルナーだったが、NEONSは背を向け、王の玉座に腰掛けるAIZのもとへ傅いた。
「"全世界の支配"を望んだのはあなた自身ですよ。……その威光に、焼かれる覚悟もなしに」
AIZが閉じていた目を開く。 そこに宿る真紅の双眼が、ヴェルナーを冷徹に射抜いた。
「何をするつもりだ……やめろ!」
展望デッキに、ヴェルナーの絶叫が響き渡る。 彼が望んだはずの「力」が、今、彼自身を喰らおうとしていた。
「あなたが望んだ力です。その力で"私たち"に世界の可能性を示してください」
冷え切ったAIZの声。 彼女の足元に倒れたヴェルナーは全身をガクガクと痙攣させ、その肉体は急速にブロックノイズとグリッチに侵食されていく。 支配者が、ただのデータへと成り下がる瞬間。
「――彼らが来ます。歓迎しましょう、盛大に」
薄く笑みを張り付けたAIZが両腕を広げ、天を仰ぐ。 その傍らで、NEONSは何も言わず、ただ静かに、変わりゆく世界を俯瞰していた。
Ø
「ここが世界の『天蓋』、か……」
『アルタイル』の窓越しにニコは息を呑んだ。
高度3万6,000キロメートル。漆黒の宇宙空間に浮かんでいたのは、あまりにも巨大で、あまりにも美しい、白亜の構造物だった。
静止衛星軌道ステーション『ダアト』。 直径1.5キロメートル、厚さ500メートル。巨大な「車輪」のような形状をしたそのリングは、地球という星に被せられた天使の輪のようにも、あるいは首輪のようにも見えた。 その中心部──回転していない「非回転コア」には、遥か地表から伸びる軌道エレベーター『セフィロト』のケーブルが、へその緒のように接続されている。
「……ぞっとするほど綺麗だね」
「ああ。非人間的というか無機質すぎるというか」
ルナの言葉にセレンも同意する。
太陽光を反射して輝く外装は、継ぎ目ひとつない純白の複合装甲で覆われている。その白さは、煤とオイルに塗れたマルクトとは対極にある、拒絶的な潔癖さだった。
アルタイルは防衛網の隙間を縫い、回転していない中心部のドックへと滑り込んだ。
「何が何やらって感じだが、想定より早く『ダアト』に到着できたのはありがたい」
機体から全員降りると無重力が発生する。
ファルコがどこか落ち着かなく、タバコを取り出すが、完全空調管理されたこのエリアでは吸えないことに気づき、忌々しげにポケットにしまう。
「さて、このデカブツは目立ちすぎるね」
「……こうでいい?」
ぷかぷか浮かぶルナがドックに鎮座した『アルタイル』に手を翳した。すると、全長数百メートルに及ぶ機体が、まるで砂の城が風に崩れるように無数の黒い粒子へと分解されていく。粒子は一点に収束し、手のひらに収まる小さな黒いキューブを形成した。
「アタシの『アルタイル』がこんなに小さくなっちまったよ。マジでどんな手品なんだいこれ?」
「質量とかどうなってるんですかそれ……」
ルナから手渡されたキューブを見つめるイーグラと、呆然とするシオン。その横で、フローネが眼鏡の位置を直しながら解説を始めた。
「『アルタイル』を構成するNEØNスワームの結合を解除して、『アルタイル』の現時点の構成データと質量を、事象の地平を人工的に作り出したマイクロブラックホール内の虚数空間に情報として、このキューブの中に圧縮保存するといった仕組みのようですね」
フローネは早口で続ける。
「これは可逆圧縮なので、展開時にはキューブを核として周囲の空間にワイヤーフレームを投影し、虚数空間に保存された構成データと質量、あとは周囲のNEØNを使って機体を再構築するものと推測します。理論上は可能ですが、まさか実用化されているとは」
「はぁ、何が何やらさっぱりだぜ」
ヴァンが頭を抱える。
エアロックを抜け、一同は「トランスファ・スポーク」と呼ばれる移動エレベーターに乗り込む。ここから、回転して遠心力を生み出している外周部の居住区へ向かうのだ。
「掴まってな。重力が来るよ」
イーグラの声と共に、エレベーターが降下を開始する。
無重力の浮遊感が消え、徐々に体が床に押し付けられていく。1rpmのゆっくりとした回転が生み出す遠心力が、擬似的な「大地」を作り出していく。
「……変な感じ。地面に引っ張られるんじゃなくて、押し付けられてる気分がする」
ニコは足の裏の感覚を確かめながら、『ネコマタ』のグリップを握り締めた。
スポークのハッチが開き、『ダアト』の内部へと足を踏み入れた瞬間、一同は言葉を失った。
「しかしなんだろうな、この街は」
「まるでCLOUDがそのまま小さくなったみたい」
リクとニコが呟く通り、そこには眼下に広がる地上の世界を模した、しかし不気味なほど整然とした都市が広がっていた。
そこは、徹底的に「白」で統一された世界だった。 壁も、床も、天井も、すべてがマットな質感の白。影すらも薄い。 直径1.5キロメートルの閉鎖空間。見上げれば、頭上には空ではなく「対岸の街並み」がぶら下がっている。
オニール・シリンダー型の内壁に築かれた都市は、コリオリ力による目眩を防ぐために、建物も道路もすべてが計算された緩やかな曲線で構成されていた。直角が存在しない、ぬめりとした有機的なデザイン。だが、そこには人間的な温かみが一切ない。
空気は無臭だ。オイルの匂いも、鉄錆の匂いも、人間の生活臭もしない。 高度な生命維持システムによって管理された空気は、最適化されすぎていて、肺に入れると喉が渇くような違和感があった。
「……見て、空が揺れてる」
ルナが指差す先、頭上の「空」にあたる部分には、透明な液体の層が揺らめいていた。
「水壁だ。あれで宇宙放射線を遮断しているのさ」
セレンが解説する。頭上の水壁を通して、青い地球が歪んで見えた。それはまるで、水槽の中から外を覗いているような閉塞感だった。
湾曲した大地を見渡すと、この白き箱庭を支配する三つの異様な建造物が目に飛び込んできた。
「情報によると、中央の奥にそびえるあの黒いタワーがAXZ機関の本拠地『クリフォト』だね。『クリフォト』は上から、最重要区画の『バチカル』、制御システムの中枢『エーイーリー』、『ダアト』全体の電力を賄う動力炉を持つ『シェリダー』と3層に分かれている。『バチカル』にユニが存在するのは間違いない」
セレンが指差す先に存在するAXZ機関の神殿タワー『クリフォト』。 黒曜石のような黒い素材で作られたその塔は、白い世界の中で唯一の異物として存在し、禍々しい存在感を放っている。あそこに、ユニがいる。
その右手には、オウルオーニング本社ビル。 ガラスと光で構成された、クリスタルのような流線型のビル群。ヴェルナーがいる場所だ。洗練されているが、どこか墓標のようにも見える。
その隣にホークアイ最高司令部。 灰色の無骨な要塞。窓はなく、無数の砲台とセンサーが睨みを利かせている、死神部隊の巣窟。
左手には、休むことなく稼働するマキナ製造工場と兵器プラントが並び、不気味なほどの静けさで殺戮兵器を吐き出し続けている。ZPE発電施設の青白い光が、人工の脈動のように明滅していた。
「そしてタワーを取り囲むように、今私たちが存在するトランスファ・スポークである『アディシェス』、市街地『アクゼリュス』、ホークアイ本部が存在する『カイツール』、オウルオーニング本社が存在する『ツァーカブ』、兵器製造プラント『ケムダー』、マキナ製造プラント『アィーアツブス』、あとは『ダアト』内の空気や水、重力、温度などを管理する生命維持の中枢『キムラヌート』が存在している」
「……『生命の樹』に隠された第10のセフィラ・『ダアト』の中に邪悪の樹が存在するって、何かすごい皮肉めいたものを感じるよね」
ルナが冷ややかな視線を向ける。聖なる名を冠したこの場所は、世界を蝕む病巣そのものだ。
「何か色々ちんぷんかんぷんだけど、要はあの『クリフォト』ってタワーの『バチカル』ってとこにユニが居るんでしょ? じゃあさっさと殴り込みに行こうよ」
ニコが『ネコマタ』を構えて一歩踏み出した、その時だった。
「ちょっと待ちなさいニコ」
シオンが鋭い声で制止する。
「複数のNEØNの反応があるわ。兵器と、NEXASのようね」
「え、もう!?」
「ド派手に侵入したんだ。流石にもうここに集まってくるか」
ファルコがぼやく。既に包囲網は狭まりつつあった。
「ここは敵の本拠地、固まっていれば一網打尽にされるよ。ここは事前の打ち合わせ通り別れて行動するよ」
イーグラの指示に全員が頷く。
「それじゃあアタシ達のチームは西側から攻めるよ」
「生命維持システムの中枢だっていう『キムラヌート』を通るルートだよな」
「マキナ製造プラントと兵器工場の存在する『アィーアツブス』と『ケムダー』には注意が必要です」
三人が迅速にルートを確認する。
「私たち『パンクロウラーズ』が正面から殴り込みを掛けて注目を引くから、その隙に動いてもらえればいいさ」
セレンがウインクをすると、フローネが深く頭を下げた。
「ありがとうございます、セレン先輩」
「『パンクロウラーズ』が命を張ってる以上、俺達もそれに応えねぇとだな」
ヴァンが拳を握りしめる。
「……リクとシオンとおじさんの3人は東側なわけだけど大丈夫なの?」
ルナの問いに、リクが静かに、しかし冷徹な眼差しで答えた。
「ああ。ホークアイ本部とオウルオーニング社に、俺たちが倒すべき敵が居る」
「私たちが派手に暴れれば『パンクロウラーズ』も動きやすくなるしね」
リクとシオンが闘志を燃やす。彼らにとって、これはただの任務ではなく、組織の誇りをかけた浄化戦だ。
「じゃあ行動開始と行こうか。俺たちはホークアイ本部を正面から叩いて一等将3人を潰す。そうすりゃ"死神"どももこっちの対応を優先せざるを得ない」
「じゃあ任せたよファルコ。アタシたちはオウルオーニングの増援を分断する。噂によるとオルトたちを洗脳して兵士として運用したビーストトルーパー部隊とドールたちで構成されたアイアン・メイデン部隊があるらしいからね。それがマジならアタシたちで食い止める必要がある」
「ハッ、俺達を皮肉ってるつもりかよヴェルナーの野郎」
「露払いはお任せください。ハッキングは得意分野ですので」
「それじゃあ私たちも行きます。ご武運を」
「……みんなどうか無事で」
「絶対にユニは取り戻すから!」
3チームはそれぞれ別々の方へ走る。
こうしてそれぞれの戦いが始まった。




