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4-8

「クソ! このクソアームドスケルトンが!」


「チェックメイトということだ」


 コックピット内で喚くザインにリクが冷徹に告げる。


「おいヴェルナー! 手を貸しやがれ! 何静観してんだクソが!」


  通信機に噛みつくザインの叫びは、もはや王の威厳など微塵もない、追い詰められた野獣の悲鳴だった。しかし、スピーカーから返ってきたのは、感情の死に絶えた冷徹な声だ。


「その男の言葉が聞こえなかったのかザイン? 既に勝負は決まっている。敗者は舞台から大人しく消え去れ」


「――ああそうかよ……。なら、テメェの盤面をめちゃくちゃにしてやるよ!」


「何をするつもりだ」


 ヴェルナーの問いに答えることなく、ザインは通信を叩き切った。

 彼は狂ったように、首を失い火花を散らす『ビースト』の制御中枢へ最後のアドレナリンを叩き込む。


「ハハハ! このCLOUD全部まとめて消し飛ばしてやるよ!」


『ジェノサイド・ビースト』の胸部に内蔵されたZPEジェネレーターが、断末魔のような高周波音を上げ始めた。全身の排熱ダクトから噴き出すナノバグが連鎖反応を起こし、赤黒い光を放ちながら臨界状態へと達する。それはユニによって起爆を防がれたNE弾頭と同じメカニズムだ。


「これってまさか――」


 莫大なエネルギーの奔流が生じ、ニコはユニを抱きしめて後退る。


「っ、まずい! 自爆する気か!」


 いつも涼しい顔をしているリクもザインの常軌を逸した行動に動揺を禁じ得ない。


「正気なの!? セフィロトの真下で爆発なんかしたら――」


「このCLOUDは完全に終わる……!」


 シオンとセレンは身をこわばらせ、最悪の未来を想像する。


「……止める方法は――」


 ルナの問いに答えるものは居ない。


 リクが険しい表情で踏み込むが、膨れ上がったエネルギーの奔流が不可視の壁となって彼を弾き飛ばした。超常の力を持ち、自らを最強と自負するリクでさえ、暴走する巨大エネルギーの物理的質量には抗えない。彼は唇を噛み締め、鞘を握る手に力を込めた。


 だが。


「……あなたの思い通りにはさせません」


 凛とした少女の声が、爆音を切り裂いて響いた。


「ユニ――!?」


 ニコの腕から、いつの間にか抜け出していたユニが、ゆっくりと暴走する『ビースト』へと歩み寄る。


 背中には煌々と輝く『メタトロノス』が浮かび、青白い光が優しく格納庫内を満たす。


 爆風に髪をなびかせながら、彼女は静かに、その血を吐き出す鋼の塊にそっと触れた。


 その瞬間、奇跡が起きた。


 周囲を侵食していたドス黒いナノバグの霧が、ユニの指先を起点に、純白に近い青白いNEØNの輝きへと塗り替えられていく。猛り狂っていたジェネレーターの唸りは、まるで聖母に宥められた子供のように、一瞬で凪いだ。


「なんだこれは……」


 コックピットの内部で、ザインは目を見開いた。

 モニターは既に死んでおり、視界は真っ暗なはずだった。それなのに、彼の目の前には、コンソールの上に立つ『白い天使』がいた。


 それは、外で機体に触れているユニとは違う、彼の意識の中に直接現れた幻影。

 あるいは、数多の被験者を踏み台にしてきた彼の脳が、最期に見た亡霊か。


「……なんだよ。今更救いなんて要らねぇんだよ」


 ザインは自嘲するように、薄く、力なく口端を歪めた。


 ナノバグに食い尽くされた脳が、NEØNの輝きに包まれ、静かに機能を停止していく。


 激痛も、野心も、憎悪も、全てが白い光の中に溶けて消えた。


 ――そして。

 漆黒の魔獣と呼ばれた残骸の中で、狂った王は完全に沈黙した。


 Ø


 ザインが死亡し、ユニが再び気絶してから間もなく、ようやくヴァンとフローネが姿を現した。小走りで駆け寄るふたりの手にはヴァルチャーヴォーテックスやその背後に潜むメガコーポ、ホークアイ上層部など様々な"闇"を詳細に記録したNEØNディスクが積み重なっている。


「すみません、アジト内のメインサーバーからデータを吸い上げるのに時間を要してしまいました。案外プロテクトが堅かったもので」


「お前ら生きてるか! 相当暴れたみたいだが」


「ええ……何とかね」


「あまり胸を張れた結果ではなかったな」


 シオンやリクの表情は暗い。


「あ――」


「こいつはキツイな」


 その場にいた誰もが浮かない顔をしており、怪訝に思ったフローネとヴァンは周囲を見渡してその原因に気づき、顔が曇る。


 その場に広がっていたのは首の吹き飛んだギャング達の死体だった。ザインの心肺停止後、ヴァルチャーヴォーテックス構成員全員が首に嵌めている起爆装置が作動し、全員その場で絶命していたのだった。


「確かにこいつらはクズだったけど……だからこそちゃんとした場所で裁かれるべきだった」


 ニコはぎゅっと拳を握る。


「仕方ない、と片付けるのは簡単だけど納得できるかは別問題だね」


 セレンも思うところがあるようで『メテオストリーム』のグリップがわずかに軋む。


「……そういえば10課は何で私たちの協力に来てくれたの? 指名手配されてた筈だけど私たち」


「ああ、それについてはお前らの指名手配が解除されたからだ。ユニちゃんがヴァルチャーヴォーテックスに取引を持ちかけたんだろう。で、俺たちもリクの奴にセフィロト周辺を見張らせてお前らがバンから出てくるのが見えたから後は同じ入り口から侵入したまでだ」


 ルナの問いにヴァンが肩をすくめて答える。


「その為にユニは自分の身を顧みずに投降して……」


 ニコは目を潤ませ、膝の上で眠るユニの髪を撫でる。


「そして私たちはリク君やシオンさんが皆さんの応援に行っている間に貴重なデータを入手しました。オウルオーニングとの取引やDUSTの流通ルートなどなど。これが公表されればオウルオーニングもホークアイも存続の危機ですね」


「それはかなり耳寄りな情報だね。しかし先にやるべきことがあるんだ」


 セレンが指差す先にあるものを見たヴァンたちは息を飲んだ。


「NE弾頭か。物騒なもん持ちやがって」


「……どうにかできそう?」


「幸い入手したデータにNE弾頭に関連した資料もありました。NE弾頭のメカニズムはZPEジェネレーターを暴走させ、弾頭内に詰め込まれた超高密度に圧縮されたNEØNスワームが一気に臨界状態に達することで発生する連鎖反応によって爆発的なエネルギーを生み出すことにあります。なので不純物であるナノバグを中に入れれば臨界状態のNEØNはバグって強制停止するというわけですね。ただしこれには厳密な調整が不可欠で少しでもナノバグの割合を失敗すると今度は弾頭内のNEØN全てがナノバグに変貌し、更に破壊力が増し、環境や人体への汚染というオマケが付きます」


「成程。毒をもって毒を制す、というわけだな」


 フローネの言葉にリクが腕を組み思案する。


「しかし問題はそんな超高リスクな仕事を遂行できる奴が居るかってことよね」


 何故かNE弾頭に向かって刀を抜こうとしているリクにシオンはジト目を向ける。


「安心してください。私にお任せを。ユニさんほど優秀ではありませんが少し自信はあります」


「流石フローネ。ユニは見ての通りこんな調子だから助かるよ」


 ニコに微笑みつつフローネはNEØN弾頭に触れ、目を瞑る。すると空間内に漂っていた僅かなナノバグがNE弾頭に集まり、じわじわと鋼鉄製の分厚い外殻を分解していく。ナノミリメートルサイズの掘削が終わり、遂にナノバグがNEØN弾頭の最深部に到達し、内部のNEØNスワームにナノバグが接触する。目を潰しかねない青白い光が僅かな隙間から放出されるが、即座に赤黒い光が青白い光を飲み込み、やがて2つの色は混ざり合ってみるみるうちにその輝きは失われていく。


「……ふぅ。何とかなりました」


「お疲れさん」


 微笑むフローネだが額には汗が滲み、わずかに肩や足は震えている。かなりのプレッシャーだったようで、ヴァンが労わるようにポンと彼女の肩に手を載せた。


「取り敢えず最大の脅威は解決したわね。あとは手に入れたデータをどうするべきかだけど――」


 シオンの言葉を妨げるようにリクが天井に視線を向ける。


「――待て。何かが来るぞ」


 地下格納庫の天井がレーザーで直径20メートル程度の円形にくり抜かれ、夜明けを迎えた空が遥か頭上に広がるとともにVTOLの黒い影がゆっくりと降下し、地下格納庫に着陸する。


「……あのエンブレムはオウルオーニングの――」


 VTOLのハッチが開き、中から悠然とした足取りで高級スーツに身を包んだ金色の髪を撫でつけた長身の男が現れた。


 その人物は誰もが知る有名人だった。

 マキナであり、この世界でトップクラスの資本を持つ企業の王。

 胸にはフクロウを模したオウルオーニングのコーポレートロゴのプラチナ製バッジが輝く。


 「パンクロウラーズ、特務10課、君たちは最高の役者だったよ。私は君たちにとても感謝している」


「何のつもりかな、ヴェルナー社長」


 セレンは『メテオストリーム』の安全装置を解除しながら問うが、ヴェルナーは薄ら笑いを浮かべたままだ。


「迎えに来たのさ。眠り姫を」


「……ザインが死んでヴァルチャーヴォーテックスが壊滅し、ユニが確保できる千載一遇の好機が来たことで、コソコソ出てきたわけ?」


「ほう?」


 ヴェルナーが鋭い眼差しを向けるが、構わずシオンは続ける。


「ヴァルチャーヴォーテックスのアジト、資金源、通信記録など、オウルオーニングとヴァルチャーヴォーテックスを繋ぐ全ての証拠を完全に消し去る必要がオウルオーニングにはあった。そんな状況においてパンクロウラーズとヴァルチャーヴォーテックスの武力衝突は実に都合が良かったでしょうね。AIZ無きCLOUDにおいてAIZに代わってセフィロトの管理を行っている貴方たちは当然治安維持の名目でこの一帯を封鎖し、ホークアイの介入が及ぶ前に証拠を抹消できる。当然パンクロウラーズを口封じに消してもヴァルチャーヴォーテックスとの武力衝突が原因として処理すればいいだけ。そして公式発表においてザインはDUSTで脳をナノバグに喰われていたことで、正常な判断ができていない状態にあり、CLOUDそのものの破壊という凶行を目論んだものの、オウルオーニングが介入したことで無事にヴァルチャーヴォーテックスという狂気のテロリスト集団は排除され、事態は収束したというシナリオにする、と」


「なるほど。実に完璧な推理だ。しかしすべて推論で肝心の証拠がないようだが?」


 それに答えるのはフローネだ。


「既に証拠は確保済みです。ザインが搭乗していたアームドスケルトンにクレドの動き、通信ログなどの証拠が保存されていました。彼はこれをAuranetにアップロードしてオウルオーニングの悪行を世間に公開するつもりだったようですね」


「――それで?」


 しかしヴェルナーの返事は意外なものだった。


「君たちのような吹けば消えるような矮小な存在ごときか私のようなメガコーポに楯突いて勝てるとでも? 真実など金の力と権力でいくらでも捻じ曲げられる。私は亡きAIZに代わり、このCLOUDを支配している王だぞ? 君たちなんぞは指先一つでどうとでもなる」


 するとニコが我慢できず、ネコマタの切っ先をヴェルナーに突きつけた。


「――じゃあやってみなよ」


「馬鹿な小娘だ」


 ヴェルナーが指を鳴らすと次々に影が降下してきた。

 彼らは目にも留まらぬ速さでパンクロウラーズと10課を取り囲む。


「……こいつら相当やるね」


「法と秩序の番人が聞いて呆れるな」


 ルナとセレンも臨戦態勢に移る。


「機甲1課の死神どもか」


 リクは顔色を変えずに彼らの正体を一目で看破した。


「……理解しているだろう、特務10課。お前たちこそがホークアイの癌だ。正義は大多数によって決まる」


 無機質な声。

 リクの前に立ちふさがるのは2メートルを優に超す長身の男だ。その人物は全身を黒いアームドスーツに身を包み、フルフェイスヘルメットで顔も覆っていた。


「ふん、自らを無理やりにでも正当化しているつもりか。実にお前のような姑息で卑劣な弱者らしい理論だな、シュナイド。罪の無いローズの店主を襲った貴様を俺は断じて許さん」


「ならば力で貴様を凌駕し、俺の理論の正しさを証明してやろう」


 2つの影がぶつかり合う。

 しかし突如それを阻む影が現れた。


「――止まれ」


「――ファルコ、何のつもりだ」


 リクの握る雷切がファルコの握るリボルバー銃ブラック・タロンに受け止められていた。


「特務10課の活動は凍結だ。ババアからの命令でな」


「そんな……納得できませんよ!」


「私たちは指をくわえて見ていろって言うんですか!」


 フローネとシオンの抗議にもファルコは返事をしない。


「ふざけんじゃねぇぞファルコ! こんなクソ野郎どもに屈するってのか!」


「これはお前たちの立場を守るためでもある。理解してくれ」


 10課の三等兵(サード)たちは何も言えずに沈黙する。


「あの狂犬が首輪をつけられて従順な犬になったか。無様なものだな」


 シュナイドが挑発した直後だった。


「――口には気をつけろよ三下」


 シュナイドの後頭部にブラック・タロンが突きつけられていた。


「イレヴンレイヴンズって生ける伝説を知ってるだろ? そいつはまだ燻ってるぞ」


「貴様――」


 シュナイドのスピーカー越しの声に殺意が宿る。しかしファルコは何も言わずブラック・タロンを下ろした。


「ふん、利口だな。躾がなっているようで何よりだ」


「……」


 ファルコはただ殺意のこもった鋭い目をヴェルナーに向けるがそれだけだった。


「それではAIZのコアを確保しろ、NEONS」


「……」


 ヴェルナーの背後から現れた白いローブで全身を覆い隠した人物が横たわるユニの身体を抱き上げる。


「ユニっ!」


 ニコは駆け出し、ユニの腕を掴もうと手を伸ばすが、


「邪魔をするな小娘!」


「っ!」


 近くに立つ1課の隊員がニコを地面に押し付け、セレンが叫ぶ。


「ニコ!」


「……こいつら!」


 怒りを露わにしたルナだが、一歩前に踏み出したところで隊員は彼女の頬を裏拳で殴りつけた。ルナの小柄な身体は地面に倒れ込み、彼女は口から血を流す。


「ルナ……!」


 仲間が傷つく姿を目の当たりにしたニコの目が見開かれる。


「この野郎――ッ!」


「抑えろヴァン」


「何すんだリク!?」


「ここで手を出すのはまずい。頭を冷やせ」


 リクの意見にシオンも同意する。


「ええ。癪だけどこれには戦略的理由があるわ。この場で重要なのは奴らに勝つことじゃない、奴らの悪事の証拠を揉み消されないように、私たちが手に入れた証拠の保全と大義名分の確立をすることよ」


「シオンさんの言うとおりですよヴァン君。ここで1課とことを構えても我々の立場が危うくなるだけでせっかく手に入れた証拠もその正当性が疑われてしまいかねません。逆に言うと一旦私たちがここで引き下がればオウルオーニングも私たちを無理やり攻撃することはできません。何故ならその動きこそが私たちの持っている証拠の隠滅を図るものに他ならないからです」


「チッ……」


 フローネにも説得され、ヴァンは渋々と引き下がる。


「さて、これで邪魔者は居なくなった。それでは帰るとしようか」


 ヴェルナーは悠々とVTOLに乗り込み、最後に振り返ってニコの無力な姿を一瞥して愉悦の笑みを浮かべた。


「ああ、そうだ。最後に伝えておこうか――君の名前はニコル・ソラリス。AIZを開発し、『メルト・ネオン』と『クローズ・アイズ』を引き起こしたソラリス社の開発主任だったアイン・ソラリスとレイラ・ソラリスの娘だよ」


「えっ……?」


 その瞬間、ニコの顔が凍りついた。他の面々も驚愕を露わにし、ニコの姿を見つめる。


「そんな……ニコが」


 うつ伏せのルナがぎゅっと拳を握る。

 彼女にとってソラリス社は両親の命を奪った存在に等しい。


「くっ……」


 セレンは無力感に苛まれて力なく俯く。

 彼女はこの事実を知っていた。


「そんな……アタシの、家族が……みんなを不幸にして――」


 隊員たちに押さえつけられたニコは顔を歪めて呻く。

 すると彼女の周囲にブロックノイズが生じる。それはNO-IDの出現の予兆と全く同じ現象だった。


「これは――くっ、早く発進しろ!」 


 その時、ヴェルナーの顔に困惑が生じる。

 彼にとっても想定外の事態であり、彼は急いでVTOLを浮上させる。


「――ぁぁああああああああああああッ!!」


 ニコが叫び、大規模なドメインが展開され、その凄まじい力場に彼女の体を押さえつけていた隊員たちはなすすべなく吹き飛ばされ、地面を転がる。


「……ニ、コ……?」


 ルナが名前を呼ぶが、彼女は反応を示さない。


「一体何が起きてるの!?」


「おいおいなんだありゃ……」


 暴風のように荒れ狂うNEONがニコの背後に集まり、やがてひとつの形を生み出す。


「猫の怪物でしょうか……!?」


 フローネの指摘した通り、それは全長10メートルに達するであろう巨大なマゼンタカラーの猫だった。それは煌々と輝く鋭い目で一帯を一別し、切り裂かれたような巨大な口を開いて牙を剥き出しにする。


 「――NO-ID……いや違う。なんだアレは」


 リクの頬を一筋の汗が伝う。


「ニコお前――」


 いつになく真剣なファルコの前にセレンがやって来る。


「ファルコ二等官、再任用の許可を頼みます」


「セレンお前……わかった。ライセンスを復旧させる。それにこれだな」


「感謝します」


 セレンの顔の真横に表示されたのは現時点から特務10課への再任用を許可する旨の通知だった。そしてファルコから投げ渡されたものをセレンは片手でキャッチし、メテオストリームに装填する。それは銀の弾丸(シルバーバレット)だった。


 「"この世界の理"から逸脱したモノをあるべき場所に送り返す。そのために私はこの弾を作ったんだ」


 セレンは続ける。


 「対象のNEØNドメインに位相干渉してドメインの固有クロックを解析し、私のドメインのバイナリデータで書き換えることで相手のドメインをハック・無効化し、現実世界から虚数空間たるAuraNETに送り返す。作れたのはこの一発だけだった」


 引き金を引く。


「――ごめん」


 放たれたのはセレンのドメインを内包した弾頭。

 それはニコの展開したドメインの殻を破り、巨大な怪猫を消滅させる。


「……駄目か」


 セレンは歯噛みする。

 再び怪猫は元の姿を取り戻し、粉々になったドメインもまたたく間に復元する。


「頼むニコ……自分を取り戻してくれ……!」


 セレンは荒れ狂うNEØNの嵐に対して吹き飛ばされそうになるのを堪えながら『メテオストリーム』を構えて対峙を続ける。しかしその時、


「――」


 AXZ機関の指導者、NEONSに抱きかかえられたユニが目を開き、ゆっくりとニコに向かって手を伸ばす。すると彼女の手のひらから巨大なNEØNの腕が伸び、それはドメインをまるで氷解させるように溶かし、ニコの体を包む。

 すると怪猫もNEØNの粒子ひとつひとつに分解されて消え、ニコはゆっくりと力なく地面に倒れ込む。


「まさか学習したのか……? あの一瞬で――」


 セレンはユニの進化の速さに息を呑む。それは同時にヴェルナーという利己主義者の手に渡ってしまったことへの恐怖でもある。今すぐにでも止めなければならないが、今ここで単身攻撃を仕掛けるほど彼女は短慮ではなかった。


 しかし、


(――ニコならどうしたのだろうか)


 頬を冷たい雫が流れ落ちる。

 ふと穴越しに空を見上げると、雨が降り出し、みるみるうちにVTOLは小さくなり、曇天の向こうに消えていく。


 荒れ狂っていたNEØNの嵐が嘘のように凪ぎ、格納庫には重苦しい静寂と、焦げ付いた鉄の匂いだけが残された。


「……っ」


 力なく横たわるニコの指先が、冷たいコンクリートの上でわずかに痙攣する。その絶望の深さを象徴するように、彼女の周囲にはまだ消え損ねた微細なブロックノイズが、澱のように漂っていた。


 その時、セレンの視界の端で、マゼンタカラーの小さな影が動いた。


「ソニック……」


 セレンがその名を呟く。

 それは、激戦の間どこかに身を潜めていたのであろう、ニコの愛玩用ペットロボットだった。ソニックは、主人の異変を察知したかのように、短い足で一生懸命に瓦礫を乗り越え、倒れたニコのもとへと駆け寄る。

  そして、ピクリとも動かないニコの頬に、そのカーボンプラスチック製の丸い顔をそっと擦り付けた。


「にゃー……」


 電子合成された、か細く、どこか悲しげな鳴き声。

 親を失った迷子のようなその声が、静まり返った格納庫に虚しく響く。

  空高くへと去っていくヴェルナーのVTOL。奪われたユニ。そして、突きつけられた「ソラリスの血」という呪い。

 ルナは顔を伏せ、溢れそうになる感情を堪えるように自分の腕を強く抱きしめている。10課の面々も、去り行く機影をただ無言で見送るしかなかった。


 主人の目覚めを信じて、何度も、何度も頬を寄せ続けるソニック。


 曇天からわずかに差し込む光が穴を通して彼女たちの無惨な姿を残酷なまでに白々と照らし出していた。


 降り出した雨は、格納庫の熱を奪い、鉄の匂いを地面へと沈めていく。

 セレンはオーバーヒートした『メテオストリーム』を下ろし、力なく横たわるニコの隣に膝をついた。その横では、ソニックが「にゃー……にゃー……」と、電子音の混じった声で鳴き続けている。


「……ごめんね、ニコ」


 セレンの呟きは、雨音にかき消されて誰の耳にも届かない。

 かつて自分が心酔した科学者夫妻の娘。彼女を救うために積み上げてきた技術も、10課での地位も、パンクロウラーズとして過ごした時間も、結局はヴェルナーという巨大な権力の前では、この雨に打たれる塵と変わらなかった。


 ルナは、自分の両親を奪った「ソラリス」の名と、目の前で壊れてしまった「ニコ」の間で引き裂かれ、声を殺して泣いていた。


 リクは鞘に納めた刀の柄を固く握りしめ、シオンは両手に携えたトライデントを震わせ、VTOLが消えた空をいつまでも睨みつけている。


 ヴァンは真横の壁に拳を叩きつけ、フローネは悲しそうに目を伏せる。


 すべてを奪われた。

 ユニも、真実も、そしてニコの平穏さえも。

 しかし、ソニックの丸い頭がニコの手のひらに触れた時、彼女の指先が、ほんのわずかだけ……温もりを求めるように動いた。


「まだ終わりじゃねぇよ」


 ファルコは湿気たタバコに火をつけた。


 ああ、燻っている。

 火種はまだ消えていない。

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