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深夜0時。
地上の闇を抱える『アンダー』の街とは対照的に、軌道エレベーター「セフィロト」の上層、リング状に築かれた空中都市「コクマー」のビル群は、夜にも関わらず光に満たされていた。それは、資本主義の強者である『オーバー』たちが、地上の混沌とは無縁の優雅な生活を送る世界だ。
そんなコクマーの中心部に建つ最高級ホテルの展望デッキ。そのVIP会員専用ラウンジは、今宵一晩貸し切りとなっていた。窓の外には、星々のように輝くCLOUDの夜景が広がる。
その景色の前に立つのは、一人のマキナだった。プラチナブロンドの髪を完璧に撫でつけ、隙のない高級スーツを着こなす長身の男——ヴェルナー。世界的メガコーポ「オウルオーニング」の社長であり、その冷徹な頭脳はAIZに最も近いと噂される。
「例のマキナが見つかった。金で吊ったオルト連中をコロニーに紛れ込ませて『DUST』を売り捌いた甲斐もあったわけだ。おかげであいつらから勝手に姿を見せやがった」
ビジネス相手の報告にヴェルナーの口元には、薄い笑みが浮かぶ。
ヴェルナーに相対するのは、この煌びやかなラウンジにはあまりにも不釣り合いな男だ。
本革の黒いジャケットを身に纏い、全身に隙間なくタトゥーを入れている。手足はおろか、顔面もサイバネティクスで強化された大柄な体躯。その男こそ、CLOUDの裏社会を牛耳るギャング『ヴァルチャーヴォーテックス』のボス、ザインだった。
一見するとどちらがマキナで、どちらがモッドなのかわからないほどの改造具合だ。
ザインは、テーブルに用意された高級ウイスキーのボトルを手に取ると、そのまま割ることなく、喉に注ぐ。
「潜伏場所も特定してるのか?」
「予想通りマルクトだ。ただあそこは大分厄介だ。まず10課の連中の拠点ってことと、「鷲の女帝」やその元部下たちが居やがることだ。何人かはカタギって話だが油断はできねぇ。それに10課どもに見つからずにマキナのガキを捜索するのは骨が折れる」
ザインのサイバネ化された喉から発せられる声は、低い機械音を含んでいた。
「ふん、随分と慎重だな。あの街には監視カメラの類は少ないはずだが」
ヴェルナーは、グラスに入ったワインを揺らしながら、わずかに眉をひそめた。
「逆に"人間の目"ってのがあるんだよ。あいつら相互扶助ってので自治運営してるがその分知らないヤツらの顔はすぐにわかる。それに表でもDUSTを売りさばいたおかげで金を稼いだはいいが警戒が強まっちまった」
ヴェルナーの指摘にザインは肩を竦める。
「では考えはあるのか?」
「俺好みのやり方でやらせてもらうさ。アンタはこうして優雅にワインでも飲んでな」
ザインはウイスキーを飲み干すと、ボトルを音も立てずにテーブルに戻した。
「ところで貴様が潜り込ませたというスパイの対処は問題ないだろうな?」
ヴェルナーが足を組み直し確認する。
「当然だ。口封じに殺してバラして、今ごろ魚の餌だ」
ザインはその場で生成した1枚のホログラムシートを乱雑にテーブルに投げて寄越す。
それは、もはや原型を留めていない血と肉の塊だったが、目を凝らすと、そこかしこに長く暗い髪のようなものが混ざっている。オルトクランに潜入させていたスパイが、情報提供後に口封じに粛清された証拠だった。
デジタルデータでもアナログデータでもないNEØN一粒一粒をピクセルとして画像を作り出すホログラムシートは細部まで詳細な描画ができるほか、用が済めば元の待機状態に戻すことでデータは一切残らない、単純かつ最も安全な記録媒体だった。
「なら問題ない」
ひとまず満足したヴェルナーはワインを口にする。
「ところでまずは金だ。ヴェルナーさんよ」
「フン、多少チップを弾んでおいたぞ。満足したらさっさと消えろ」
ヴェルナーは鼻で笑い、BMIを介して一切身振りせず、クレドを入金する。
ザインは自身の秘密口座に巨額のクレドが振り込まれたのを確認し、満足げに全身を軋ませた。
「ハッ、まぁ今後ともよろしくな」
ザインはヴェルナーに背を向け、肩で風を切るようにラウンジを後にした。
最後、エレベーターに乗り込み、振り返ったザインとヴェルナーの視線が交錯する。
メガコーポの社長とギャングのボス。
立場は違えど自らの欲望のためならば平気で他者を犠牲にする精神性はどちらも同じである故か、ふたりはお互いにシンパシーのようなものを抱いていた。
当然相手が隙を見せれば躊躇わずに切り捨てる、互いに相手の腹の奥は見透かした上で良好な関係を築いている。
ザインの目的は、金と、その金で手に入る力。
ヴェルナーの目的は、AIZのコアたるユニの確保。
二人の男の契約はこうして結ばれた。
Ø
「はぁ……! はぁ……!」
午後3時。
マルクトに隣接し、町工場がいくつも並ぶ下町的なエリア・イェソドの複雑な路地裏を、連続通り魔の痩せぎすの男が、血を流し、息を切らして逃走していた。
彼の四肢はサイバネティクスで強化されていたが、身体のあちこちに擦り傷や打撲があり、肋骨の一部は折れており満身創痍といった有り様だ。
「ガッ……!?」
乾いた音とともに銃弾が男のサイバネ足のアキレス腱にあたる部分を貫く。カーボン製の人工筋肉が何本か断裂し、フレームが軋む。
「足の負傷を確認」
セレンがヘッドセットで報告する。
男の足を正確に貫いたのは、屋上にポジショニングした彼女が放ったNEØN弾だった。
「ちっ……!」
男はすぐに立ち上がり、即座にNEØNで破損箇所を修復を急ぎ、痛みに耐えながら走りを再開する。
「……ゴキブリみたいにしぶといね」
涼し気な声と同時、ふたつの鉄塊が男に叩き込まれる。
対する男は足を負傷しているにも拘らず、ギリギリのところで回避し、即座に掌に内蔵されたショットガンを電柱の陰に向けて放った。
電柱が粉々に砕け、サイバネアイで補足されたルナだったが、予め『ファミリア』を手元に引き寄せていたので難なく攻撃を防ぐ。
続けて彼女は両腕を突き出し、『ファミリア』の口蓋を思わせる砲口からNEØN砲を発射した。
男はNEØNシールドでダメージを軽減し、曲がり角に飛び込むが、彼のゆく先々で、ルナの操る小型ビット『ファミリア』が閃光を放ち、進路を強引に誘導する。まるで牧羊犬に追われる羊のように、男は狭い袋小路へと追い込まれていく。
「行き止まりだよ。大人しく投降して」
遂に行き止まりに達した男の背後から、ニコの明るい、しかし芯のある声が響いた。
彼女が手にする『ネコマタ』のエンジンが唸り、チェーンソーとガトリング砲が回転する。
「ガキが! そのカワイイ顔をズタズタにして犯してやる!」
男は振り返ると、カマキリの鎌のような内蔵式ブレードをサイバネアームから展開させた。顔を歪ませながら卑猥な罵声を浴びせ、ブレードを振り上げ襲い掛かろうとした瞬間、ニコが投擲したEMPスタングレネードが炸裂。白光と高周波音が一瞬で男の目と耳を無力化する。
「クソが……!」
男は咄嗟に、サイバネ足のダメージを顧みず、アスファルトの地面に両足を叩きつける勢いでジャンプし、周囲の建物の屋上へ逃げ込もうとした。
負傷した右足が完全に破損し、あり得ない方向にねじ曲がるが構わない。追っ手から逃げられればいいだけだ。
「あなたは絶対に許しません」
しかし、屋上の縁にはユニが立っていた。彼女の背後には、機械の翼『メタトロニオス』が展開している。
光り輝く翼からは圧倒的な量のNEØNが生成され、それらが直径2メートルほどの"巨大な手"を形成する。
あまりの威容に男は遂に戦意を喪失してへたり込むと、その手は男を捕らえ、締め上げ、完全に無力化した。
Ø
「ありがとう、本当に助かったよ」
「やっぱりCROWSの人たちは頼りになるわ」
「ありがとうございますっ」
通り魔の男が無力化され、イェソドを管轄するホークアイ技術9課のドールに引き渡された後の路地裏には、安堵した近隣住人たちの感謝の声がこだました。依頼者であるマルクトの市民たちから一斉に労いの言葉をかけられ、ユニの顔には純粋な喜びの光が綻んだ。
「けっ、マキナかよ」
しかし、その声は唐突に、そして冷酷に響いた。
ユニの笑顔が、凍り付いたように曇る。「え……」
感謝の言葉を口にしていた群衆の中の一人、初老の男が吐き捨てた差別的な言葉だった。
「おい、せっかく助けてくれたのにそんな言い方はねぇだろアンタ」
近くにいた一人の青年が、怒りに顔を赤くして初老の男に食ってかかる。
それに対して初老の男は微動だにせず、憎悪を込めた目で青年を睨み返す。
「金を払ってるんだから当然だろ。大体なんだお前、コモンのくせにマキナの味方しやがって。これだから戦争を知らない世代はよ――」
「なんだと――」
青年が男の胸ぐらを掴もうと掴みかかり、周囲の人々が慌てて二人の間に割って入った。路地裏の空気は、通り魔がいた時よりも重く、張り詰めていた。一触即発の雰囲気だ。
「ちょっとちょっと! 言い争いはやめて!」
ニコも慌てて仲裁に入ったが、差別と憎悪が絡み合った重い空気は容易に晴れない。
「……大丈夫?」
ルナが、隣に立つユニの顔を心配そうに覗き込む。
「あ、はい……」ユニは微笑んでみせたが、その瞳の奥が揺らいでいるのは、誰の目にも明らかだった。
「……行こう。かつての大戦を引き摺ってマキナを憎む人は少なからず存在するんだ。まぁ、あまり気にしないほうがいい」
セレンはそう言って、深く関わることを避けるように、依頼者たちにペコリとお辞儀をした後、ユニの手を引き、そそくさとその場を立ち去った。セレンの全身義体の冷たい感触が、ユニの動揺をわずかに鎮めた。
「まったく嫌になるね~! でもみんなユニの味方だよ」
ニコは明るい声でなんとかユニを励まそうと言葉をかけるが、ユニの視線は定まらず、上の空だった。彼女の意識は、先ほどの男が放った「マキナかよ」という短い言葉の残響に囚われているようだった。
「……あ、あそこにクレープ屋がある! お腹すいたから買ってくるね!」
ニコはユニの暗い表情から目を逸らすように、広場でクレープを販売する移動販売車を見つけると、急いで人混みの中へ駆け込んだ。
しばらくすると、ニコは四人分のクレープを抱えて戻ってきた。その手には、色とりどりのクリームとフルーツが乗ったスイーツが輝いている。
「じゃあこれみんなの分ね」ニコは笑顔で差し出す。
「……ありがと」ルナが受け取ったのは、彼女好みのチョコバナナフレーバーだ。
「おお、私の好きな抹茶フレーバーじゃないか。ナイスだよ」セレンも普段の無表情を崩し、珍しく笑みを浮かべた。
「ほらユニも」
「ありがとうございます」
ユニはブルーベリーヨーグルトフレーバーを受け取り、おずおずと小さな一口を口に運んだ。
「おいしいでしょ?」
「はい、とっても!」
途端にユニの顔がパッと輝き、頬にホイップとブルーベリーソースを付けて笑顔を見せた。ストロベリーフレーバーを口にするニコも、それを見て心底安堵したように笑みを返す。
ユニの目の端には、わずかに涙が滲んでいた。先ほど投げかけられた心無い言葉に対する傷は、もちろん完全には癒えていないだろう。しかし、その涙が、自分たちとの短い日常や、分け合った甘い味への感謝によって生まれたものだったなら、とニコは強く願った。
「じゃあ今日の仕事は終わったし帰ろっと」
クレープを平らげたニコが伸びをした直後だった。
四人が通りかかったスクランブル交差点の大型ホログラムディスプレイ。そこで放送されていたテレビ番組が、突如ノイズと共にジャックされた。
画面に大きく表示されたのは、血溜まりと髑髏の上で羽ばたくハゲワシのシンボルマーク。
「なんですかこれは……」ユニが困惑の声を上げる。
「ヴァルチャーヴォーテックス――最悪のギャングだよ」ニコが警戒を強める。
画面のハゲワシのシンボルは、冷たい機械音声と共にメッセージを告げた。「8時間以内に、AIZコアたるユニの身柄を引き渡せ」
パンクロウラーズをはじめ、通りを埋め尽くす『アンダー』の市民たちは突然の内容に困惑する。しかし、VVは自分たちの要求が本気であることを示すため、中継と同時にマルクトの複数箇所で爆破テロを起こした。
「これは脅しではない。我々は本気だ」
「きゃっ!?」
すぐ横のショッピングモールでも爆発が発生し、ユニが悲鳴をあげる。
「そんな……あいつら本気なわけ!?」
「……狂ってる」
轟音と共にガラスが砕け散り、周囲の人々はパニックになり逃げ惑い、ニコとルナもヴァルチャーヴォーテックスの非道なやり方に戦慄する。
ユニは、自身が原因であることを悟り、咄嗟に口を開きかけた。
「彼らの狙いは私なんですよね? それなら私がすぐに投降すれば――」
「それは駄目っ!」ニコが強い口調で遮る。
「ニコの言うとおりだよ。奴らのような卑劣なテロリストの要求に従うのは賢明じゃない」セレンもユニを諭す。
「焦らなくてもきっとホークアイが何とかしてくれる」ルナが理性的な希望を口にするが、その声には確信がなかった。
「……やめてください! 私はここに――」
「駄目だってばユニ!」
ユニはなおも自分がここに存在することを訴えようとするが、ニコ、ルナ、セレンがその声を制止した。
しかし、直後、画面が切り替わり、ニュースキャスターの緊迫した声が流れる。内容は、VVのテロに対する重要参考人として、ユニと彼女を匿うパンクロウラーズが指名手配されたというものだった。四人の顔写真が大きく表示され、周囲のパニックに駆られた市民たちは、彼女たちを指差す。その目には、テロへの恐怖と同時に、「ユニを引き渡せば、テロが止まり、自分たちの生活が守られるかもしれない」という、絶望的な状況が生み出した「裏切り」の誘惑が映り込んでいた。
(――私一人のために、これほど多くの悲劇が生まれる)
ユニは自責の念に押し潰されそうになった。
しかしその葛藤を知らない群衆たちはパンクロウラーズのもとに殺到する。
「こっちだ!」
セレンが路地裏に誘導し、そのまま別の通りに出る。
市民たちも恐怖と怒りから彼女たちを追いかけるが、そこには先んじてセレンが手配していたパンクロウラーズのバンが自動運転でちょうどいいタイミングで到着していた。
「にゃー!」
猫の泣き顔の顔文字を表示するソニックがバンの荷台から呼びかける。
「早く乗って!」
セレンに続いて他の三人もそれに飛び乗る。
運転席のセレンはアクセルを思い切り踏み込み、赤信号を無視して交差点を突っ切る。
バンは次々に先頭車両を追い抜き、そのままマルクトのハイウェイへ合流して更に加速していった。




