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3-5

「到着だぜ」


 長い階段を登り終えて少し息を切らせるニコたちにリュウエンは笑みを浮かべる。


「やっと着いた〜!」


 手渡された竹筒風のボトルのお茶を飲むニコたちの前に現れたのは立派な和風邸宅だった。古びた石垣に囲まれ、重厚な瓦屋根が人工月の光に照らされ堂々とした佇まいを際立たせている。松の木が並ぶ敷地内には広大な庭園が広がり、手入れされた砂利道や石灯籠が風情を感じさせる。


「ここが『宵祓(ヨイバラ)』を統べる『小夜啼組(サヨナキグミ)』の屋敷です」


 ニコたちはクオンらに案内されて屋敷の中に足を踏み入れる。


「なんか緊張する~……」


「そうですね。落ち着かないと言いますか……」


 ニコの言葉にユニが同意する。


「それでこれから私たちはどうするんだ?」


「拙者ら『小夜啼組(サヨナキグミ)』の頭領に会っていただくでござる」


 セレンの問いにホオズキが答える。


「緊張してるかいお嬢?」


「別に……」


 口ぶりとは反対にルナはそわそわしており、パーカーの裾をぎゅっと手で握っており、緊張しているのは明らかだ。


「こちらです」


 クオンが襖を開ける。

 その和室は広々とした空間で、中には池があり、鯉が泳いでいる。中央には鳳凰が描かれた水墨画の掛け軸と甲冑、生け花、古めかしい日本刀が飾られ、奥側の障子は開かれ、手入れの行き届いた日本庭園が見える。静寂の中にもぴんと張り詰めた空気が満ち、威厳と風格が感じられ、ニコたちは思わずごくりと唾を飲む。


「わざわざ来てもらってすまないね。どうぞ楽にしておくれ」


 部屋の奥に腰掛けて優雅にキセルを吸う女性がいた。

 何より目を引くのは背中の緋色の大きな翼だ。


「アタシはオウカさ。この小夜啼組(サヨナキグミ)の頭をやってる」


 オウカと名乗る女性は、落ち着いた佇まいながらも、その瞳の奥には強い意志の光を宿していた。


「さて、そこの家出娘について色々言いたいことはある――ルナ?」


「オウカ私は――」 


 しかしルナは押し黙り、俯く。


 オウカはため息を着くとルナを一旦無視し、改めて他の3人を一瞥する。

 ニコたちは座布団に座り、オウカの言葉に耳を傾ける。


「さて、単刀直入に話そう。アンタたちには、アタシたちが抱えてる問題解決の手助けをして欲しい。そして、そこのマキナの子……ユニだったかい? お前さんの力を貸して欲しいのさ」


 ユニは自分の名前を呼ばれ、少し驚いた表情を見せる。オウカはさらに言葉を続ける。


「このジオフロントは、地上の都市『アンダー』でオルトの奴らが受けていた差別から逃れ、安住の地を求めて築かれた場所だ。しかし、最近になって、新入りのオルト連中の中にギャングどもと繋がりを持つヤツが居てね。そいつ経由で持ち込まれたクソみたいなヤク――『DUST』が蔓延し、それに含まれる不良NEØNの影響で『ニューラル症』を発症する奴らが急増している。この病は精神も肉体も蝕み、最終的には肉体すべてがNEØNに変えられて消滅し、NO-IDに作り変えられる恐ろしいものさ。それにこれはジオフロントだけの問題じゃない。『ヴァルチャーヴォーテックス』のクソどもは地上でも『DUST』の流通を行なっている。怪しげなブローカーやディーラー、ヤク中をあちこちで見かけたことはあるんじゃないかい?」


「……そんな」


 オウカの言葉に、ルナは息を呑む。


 ニューラル症。NEØN制御技術の向上、NEXASやホークアイによる迅速なNO-ID駆逐によりニューラル症の発症率は限りなく低くなっており、その脅威は忘れられつつあった。しかしこのジオフロントでは未だその脅威が根深く残っているということ、更に地上でも『DUST』が流通し、ちょうど先ほどブローカーに声をかけられたニコたちにとっても他人事ではないことに衝撃を受ける。


「アタシらもあちこちから独自に資料を集めるなり研究をしたりで手を尽くしたが、このNEØNのエラーは人類の技術では解析できない。しかし、ユニ。アンタは異なる。アンタは、このエラーを修復できる可能性を秘めていると聞いているよ」


 オウカの視線がユニに注がれる。勿論ユニは自分にそんな力があると言われても全く心当たりがない。


「わ、私に……そんな力が?」


 ユニは戸惑いを隠せない。自分の過去の記憶がないユニにとって、突然告げられた自身の秘めたる力は、あまりにも唐突すぎた。


「ああ、そうだ。アンタの存在そのものが、アタシたちにとって希望なのさ。どうかニューラル症に苦しむ者たちを救うために、アタシたちに力を貸してはくれないか」


 オウカは深々と頭を下げた。その真剣な眼差しに、ユニたちは言葉を失う。


「ちょっと待ってよ、オウカさん」


 ニコは緊張した空気を破るように、座卓に手をついて身を乗り出した。


「ユニがNEØNのエラーを直せるって、どういうこと? そんなにすごい力があるっていう根拠は?」


 セレンやルナ、そしてユニ自身も、ニコの言葉に頷く。オウカはニコの追及に動じることなく、静かに応じた。


「もっともな疑問だね。単なる噂話でアンタたちを危険に晒すわけにはいかない」


 オウカは一度目を閉じ、決意を込めたように開いた。


「ユニ。アンタが、ギャング集団『ヴァルチャーヴォーテックス』に執拗に身柄を狙われていたのは不思議だろう? 奴らが欲しがっていたのは、アンタの持つ力さ。なぜならアンタは……かつてこの都市全体を管理していた超高性能人工知能『AIZ』のコアを宿したマキナだからね」


 その言葉に、ユニだけでなく、ニコたち全員が驚愕に目を見開いた。


「『AIZ』……? まさかそんな……」


 ルナも動揺を隠せず、わずかに声は震えていた。


「あれは10年前の『クローズドアイズ』で失われたはず……」


 セレンも同様で頬を汗が伝う。


「そうだ。アタシたち『小夜啼組』は、ヴァルチャーヴォーテックスをはじめとする裏社会の組織と抗争を続けている。その中で、ヤツらやその背後に潜むコーポ連中がユニを『AIZのコア』と呼んでいる情報を掴んだ。AIZは、人類の技術の遥か先を行く存在だった。その力が、このNEØNのエラーを修復できる可能性を持っていると、アタシたちは信じている」


 オウカの言葉には説得力があった。ユニを狙う組織の存在、そして「AIZのコア」という恐るべき真実。


 そして、オウカは畳に両手をつき、深々と頭を下げた。


「アタシがこれほど必死になっているのは、個人的な理由もある」


 彼女の声は、先ほどまでの威厳から一転し、切実な響きを帯びていた。


「私の幼馴染であり、西側の『オルブライト』を統治するライバルの組、『ストークファミリー』のボス、リリアが……ニューラル症に侵され、今、命の危機に瀕している」


 オウカは顔を上げ、苦痛に歪んだ表情を見せた。


「そんな……リリアが……嘘……」


 ルナが目を大きく見開く。 


「あいつはアタシの唯一無二のライバルだ。喧嘩ばかりしてきたが、誰よりも認めている。アタシは、アイツをこのまま見殺しにはできない。ストークファミリーも、アタシらと同じくコロニーの危機に心を痛めている。どうか、この藁にもすがる思いを理解してほしい」


 オウカはパンクロウラーズ4人の瞳を順番に見つめた。


「頼む。まずはストークファミリーの屋敷に行って、リリアに会ってくれないか。アンタたちの力を試すことになってしまうかもしれないが、アタシたちにはもう、アンタたちしか頼る者がいないんだ」


 その必死な懇願に、ユニは言葉を詰まらせた。自分の身の上が信じられない事実で塗り替えられ、その上、記憶のない自分に、人の命を救うという重すぎる使命がのしかかってきたのだ。


「私は……」


 ユニは混乱しながらも、オウカの悲痛な眼差しから目を逸らすことができなかった。


 ユニは、オウカの言葉と、それがもたらした衝撃的な事実に頭が追い付かなかった。


「AIZのコア……私……」


 自分が何者なのか、記憶のないユニにとって、それはあまりにも重い情報だった。人の命を救う力があるという希望と、それに伴う大きな責任。どうすればいいのか分からず、ユニは座り込んだまま動けないでいた。


 しかし、その静寂を破るように、屋敷のあちこちから、か細く、痛ましい声が響いてきた。


「う、うぅ……頭が……」

「やめ……やめてくれ……」


 それは、ニューラル症に苦しむ患者たちのうめき声だった。

 さらに、その患者に付き添う人々の嘆く声も聞こえてくる。


「どうか、どうか元に戻って……」

「神様どうしてこんなことに……」


 重苦しい空気とともに、苦痛の響きが応接間まで流れ込んできた。この屋敷が、単なる任侠集団の拠点ではなく、病に脅かされる人々の避難所でもあったのだ。


「……っ」


 ユニはギュッと拳を握りしめ、顔を上げた。戸惑いはまだ消えていない。しかし、目の前で苦しむ人々の声が、迷いを断ち切らせた。


「わかりました……」


 ユニは決意を込めた声で言った。


「私に関する記憶はありません。本当にAIZのコアなのかもわかりません。でも……もし私にできることがあるなら、その力でたくさんの人を救いたいです」


 ニコはユニの隣に座り直し、親指を立てる。


「ユニが決めたなら、私たちも一緒だよ。でしょ? セレン、ルナ」


「当然だ、ニコ」


 セレンが力強く頷く。


「……うん、行こう」


 ルナもすぐに同意した。


 オウカは、ユニたちの決断に安堵と感謝の表情を浮かべた。


「ありがとう……本当に、感謝するよ。ルナ、アンタもね」


「……後で色々話すよ」


 ルナの返答に頷くオウカはすぐにクオンとホオズキに指示を出した。


「クオン、ホオズキ、リュウエン。すぐにストークファミリーの屋敷へ案内しておくれ。一刻を争う事態だからね」


「承知したぜ、お頭」


「それではこちらへ」


「少し急ぐでござるよ」


 こうしてパンクロウラーズの4人は一旦オウカと別れ、オルブライトへ向かうこととなった。


 Ø


「ここが『オルブライト』……和風から一気に洋風な雰囲気になったね」


「ジオフロントを二分するように水路となる人工の川『ハザマ川』が流れており、東側が『宵祓(ヨイバラ)』、西側が『オルブライト』となっているのでござる」


 リュウエンの運転する2台目の白いリムジンに乗ること30分程度、『オルブライト』に到着したニコたちはランタンがあちこちに灯る幻想的な西洋風の街の中を歩いていた。やはりそこもオルトしかおらず、ニコたちを見て距離を取るものや物陰から様子を窺う者も居る。しかしライバルの『小夜啼組』の構成員が堂々と街を歩いていても何も言われないあたり2つのオルトクランは友好的な関係を結んでいるということが伺える。


「で、あそこが『ストークファミリー』の屋敷だ」


 小夜啼組の和風の趣とは対照的に、ストークファミリーの屋敷は、豪奢な西洋風の洋館だった。鉄柵の門扉を抜けると、手入れされた芝生と、壁を這う蔦が歴史を感じさせる。人工月の光に照らされた石造りの建物は、どこか異質な、しかし威厳のある雰囲気を放っていた。


「「いらっしゃいませ。パンクロウラーズの皆様」」


 玄関の扉が開くと、執事姿の青年と狼の耳と尻尾を生やしたメイドの女性が格式張った立ち姿で四人を迎えた。


「コルニスと申します。そしてこちらが――」


 執事の青年が名乗り、横のメイドの女性もそれに続く。


「ライカと申しますわ。詳しいお話は後ほど改めていたしますのでどうぞ奥へ」


 ニコたちは促され、屋敷に足を踏み入れる。


「それではよろしくお願いします」


「それじゃあとは頼んだぞ」


「拙者らは先に失礼するでござる」


 クオン、リュウエン、ホオズキが一礼する。


「協力感謝する3人とも。後は任せてくれ」


 コルニスは深々と一礼し、ライカが4人を奥へといざなう。


「さあ、こちらへ」


 廊下は長い絨毯が敷かれ、静寂に包まれていた。そしてこちらの屋敷でもあちこちからニューラル症患者と思しき人々の呻く声や付添人の嘆く声がかすかに聞こえ、ニコたちの心を締め付ける。


 コルニスの案内で、ニコたちは一つの部屋の前に辿り着いた。


「ボスがお休みになられています。お静かにどうぞ」


 重厚なドアが開き、ニコたちが足を踏み入れた部屋は、豪華ながらもどこかひっそりとしていた。窓からは人工月の青白い光が差し込み、ベッドに横たわるリリアを照らしている。


 彼女は驚くほど小柄で、その顔色は青白く衰弱していた。傍らには白い翼を生やしたシスターの少女が座り、濡れた布でリリアの額を優しく拭っている。彼女はパンクロウラーズの四人が来たことに気づくと立ち上がって深々と頭を下げた。


「お越しいただきありがとうございます。私はミエルと申します。こちらが我々『ストークファミリー』のボス、リリア様です」 


「……っ」


 ニコたちが息を呑んだのは、リリアの小柄な体の肌の表面に、NEØN特有の青白く光る回路状の線が、血管のように薄く浮かび上がっていたことだ。それは、ニューラル症が進行している何よりの証拠だった。


 そして四人が部屋に入った気配を察し、リリアはゆっくりと目を開けた。彼女の瞳には、かつて裏社会を統べたボスの片鱗が宿っていたが、その力は弱々しかった。


「リリア……」 


「……戻ってきてくれたのねルナ。それに『パンクロウラーズ』の皆も……オウカに頼まれて、わざわざ……ありがとう」


 リリアはかすれた声で微笑んだ。

 ルナはそっとリリアの細く小さな手を握る。


「私はもう、長くはないでしょう」


「そんな……」


 ルナが俯き、肩を震わせる。


 ミエルが「リリア様!」と制止するが、リリアは構わず続けた。


「パンクロウラーズの方々……ユニ……貴女方には感謝している。でも、私のことはいい。どうか、私一人の命に時間を割かず、急いで他に苦しんでいる患者たちを、一人でも多く救ってあげてほしい」


 マフィアのボスという立場でありながら、自分の命よりも民を重んじるリリアの言葉に、ユニの心は激しく動かされた。


「リリアさん……」


 ユニはベッドの傍らに膝をついた。


「ありがとうございます。でも……私、どうすればいいのか、わからないんです。私には、自分に関する記憶が全くなくて……」


 ユニの正直な告白に、部屋の空気が一気に重くなった。コルニスとライカは顔を曇らせ、ミエルは悲しげに目を伏せた。


 その時だった。

『オルブライト』の中心部の鐘楼の鐘が鳴り響き、直後にニコたちのデバイスや網膜投影ディスプレイにアラートが表示される。


「これってまさか……」


 四人は顔を見合わせる。


「ボス! 『ハザマ川』付近でNO-IDが大量に出現しました!」


 すると焦りを滲ませたコルニスが部屋に駆け込み報告する。


「NO-IDですって……!?」リリアは痛みを堪えながら身体を起こす。


「マスター、どうかご安静に。NO-IDは私たちが必ず殲滅いたしますわ」


 メイドのライカが跪き、リリアの手をそっと握る。


「……NEØNの気配から察すると相当な数よ。あなたたちだけでは相手できないわ。治外法権でホークアイはこちらの問題には対処できないし……」


「リリア様……!」


 リリアはベッドから何とか立ち上がろうとするが、ミエルに制止される。


「……それなら私も戦う」


 するとルナは一人で部屋の外に出る。いつもダラダラしている彼女だが、オルトということで何か思うところがあるのだろう。


「待ってくれルナ! 私も行く!」


 セレンもルナに続いて駆け出す。


「私たちも行こう、ユニ」


 ニコがユニの手を引く。

 ユニは一瞬、衰弱したリリアを見た。リリアは力強くユニに向かって言った。


「急いで……! 私よりも、街を救って!」


 その言葉に背中を押され、ユニは迷いを振り払った。


「行きましょう!」


 ニコたちは、リリアやミエルたちに別れを告げる間もなく、ジオフロントの中心部、『ハザマ』のNO-IDが出現した現場へと急行するために、洋館を飛び出した。

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