第五話:山姥の御札
「わざわざご足労いただかなくても、一報いただけたら、こちらから向かいますのに」
「いんや、新しい子を見たくてね」
忌部先輩とおばあさんが窓口で話しています。
それにしても……先輩がえらく丁寧な対応で、私はびっくりして書類を落としてしまいました。
「そのお嬢ちゃんかえ?」
「ええ、榊千紗といいます。榊さん、ご挨拶して」
私は書類をかき集め、デスクに置くと、窓口に小走りに向かいました。
「榊千紗といいます。えっと……」
「こちらは藤村キヨさん。あけぼの山の管理人だよ」
「そんな大層なことはしとらんよ。ただの山守やね」
温和な雰囲気のおばあさんは、バッグから赤く小さな包み紙を取り出し、私に差し出しました。
「ほぉれ、飴ちゃんやるさかい、覚えといてね」
「あ、ありがとうございます……?」
しわくちゃの手から零れた包みの中は、確かにキャンディーでした。
甘酸っぱく、疲れた脳にはちょうどいい甘さで、私は少し混乱した頭をスッキリすることができました。
「キヨさん、どうですか、この子」
「ん、なかなかの逸材やね」
先輩とキヨさんの話についていけず、首を傾げていると、おばあさんは私に笑顔を向けます。
「あんた、屋根裏にのぼったことは?」
「……? ないですけど」
「でも若いから大丈夫や。ちーっとついてきな」
先輩に目配せすると、首をゆっくり横に振り、「あきらめろ」と言っているようでした。
そこから出張手続きをして、支給のジャンパーを羽織って、小物をバッグに仕舞って、あれよあれよという間に私たちは車に乗りました。
これでは状況がわからないので、運転席の先輩に耳打ちします。
「あの、この状況はどういうことですか?」
「キヨさんとこの家の御札が、工事で一部、剥がれてしまったんだ。それで榊さんに屋根裏に入って貼り直してほしいってこと」
「なるほど?」
「お嬢ちゃん、ババアは地獄耳だからぜーんぶ、聞こえとるよ」
カッカッカと後部座席で笑うキヨさんは、どうみても『一課』に来れるような怪異には見えません。これを聞くべきかどうか、迷います。
シートベルトを握る様子の私に、キヨさんは片目を開けました。
「千紗ちゃんと言ったか」
「え、はい……」
「わしはね、もう数百年ここに住んどる。喰骨婆と呼ばれておった山姥じゃ」
「やま……っ、えっ」
私はおばあさんの言葉に思わず聞き返します。
その様子に隣と後ろからはくすくすと声が漏れていました。
「なんや、山姥というともっとおとろしい者を想像しとったかえ? そんな風に見えてないなら擬態もうまくなったんやね」
「驚きました。だって藤村さんは、優しそうなおばあさんですから」
カッカッカと高笑いが車内に響くと、車はひとつの家の前で止まり、目的の場所に着いたようでした。
キヨさんを先に車から降ろし、先輩と私は車内にふたりきりになります。
「榊さんには今日、頑張ってもらうよ。御札は持ってきてるね?」
「えっと……。はい、持参してます!」
先輩の言葉に持参した市役所の備品入れを改めて確認すると、数枚の御札も入っていました。――もちろん、盛り塩スプレーも。
「さぁさぁ、暑い中ご苦労だったね。今、麦茶を用意するさけ、待っとり」
ガラガラと大きな音を立てる引き戸を開けながら、柔和な山姥が私たちを迎えてくれました。
通された部屋はごく普通の整頓された和室で、畳のいいかおりがします。
「お邪魔します」
「お茶なんて、いいんですよ!」
「若いのが、遠慮なんてせんとき。それとも、ババアのお茶が飲めんと言うんか?」
「いえ、規則で――」
「あんたはちょっと黙っときな」
忌部先輩とキヨさんの押し問答は、キヨさんに軍配があがりました。
なんだか、うちのおばあちゃんを思い出します。
「まずはね、ちょっと休憩しとくのが千紗ちゃんにも負担がなかろう? なぁ、政久」
「キヨさん、ホントは規則違反なんですからね」
忌部先輩はそう言いながらも麦茶を半分、飲んでます。私も口をつけると、レモンの風味があって、火照った喉が潤っていくのを感じました。
「千紗ちゃんにも、説明せんとね。こないだの工事ん時に華奢な女の子が来てくれたんやけど、屋根裏の御札を何枚かちょっと破っていたみたいでね。わしの中の悪いモンがわしを食い破ろうとするんや」
「悪いもの、ですか」
「山姥の本能というやつじゃな」
山姥といえば、昔話でも人を食べることで知られてます。目の前の優しいおばあさんの悪いもの、つまりは人食いの衝動が抑えられないという事かもしれません。
「人を食べたいということ、でしょうか」
「有り体に言えば、そうやね」
私は少し想像しました。
今、その衝動に駆られたキヨさんが、まずは私を襲います。だって、足が遅そうですから。次に証拠隠滅のために、盛り塩スプレーを構えた先輩に襲いかかります。強い怪異にはきっとスプレーは効き目が薄そうです。
首に食らいつき、血の一滴まですすって、畳に染み込んだ血も長い舌を駆使して舐め回します。
そして、血抜きが終わると、お腹に爪を立てて内蔵を堪能します。
次に二の腕などの柔らかいところを食べて、ひと息つくと、骨に残った肉をこそぎ取り、骨を鍋に――。
「……きさん。榊さん?」
「あ、すみません。なんでしょう」
頭の中に集中しておふたりの話を聞いていませんでした。
「藤村キヨさんはね、骨まで食らう山姥、転じて『喰骨婆』と言われていたんだ。これは江戸時代の文献に載っているんだよ」
「懐かしいねぇ。あの時は、ブイブイ言わせていたよ」
「ええ……?」
骨まで食べてしまわれるとは。私の想像を飛び越えてきました。
「ほいで、何年か前に政久に相談したら、『あけぼの山と逆方向に御札をたくさん貼ると、衝動が抑えられる』てんで、試してみたらこのとおり」
胸を拳でポンと叩き、キヨさんは鼻息を吐きました。
「人間との共存が楽になったんですね」
「そうや。今では近所の人にも普通に付き合えるようになったのさ。それまでは怖いババアやて言われて――」
私には想像もつきません。
今ここにいる人懐っこい老人が、人を避けて暮らしていたなんて。
「さて、話はこれまでにして、作業にかかろうか」
「なんや、話の腰を折ってかんに。ここからがええとこなんやで?」
「あ、御札はありますのでお水だけお貸し願えますか」
私たちはおばあさんの長話の予感を察知して、目を合わせないようにします。
ブツブツと台所に向かうキヨさんの後ろ姿に安堵すると、先輩と顔を見合わせて、サムズアップし合いました。
脚立に霧吹き。マスクに支給の作業着。
準備が整ったところで、私は腕まくりをして力こぶを見せました。
「似合わないね」
「細腕やわ」
ふたりの感想は散々でした。――が、私はそんなことではへこたれません。
「いいんです! ともかく、ここを開ければいいんですね」
廊下の天井にある点検口を押し開けると、カタカタとなにかの足音が聞こえました。
「ね、ネズミ、でしょうか……?」
「まぁ、住んでるやろね」
キヨさんが当たり前のように言うもんですから、私は一瞬、納得しかけました。
「榊さーん。ネズミには触らないようにね。ばい菌の塊だからね」
「ひえ……」
ペストやら狂犬病にかからないよう、細心の注意が必要ですね。
カタカタカタ!
ばい菌の塊の足音です。意を決して、屋根裏に顔を出すと、目の前にネズミがいます。私はとっさに「ニャー」と猫の鳴き真似をします。
このあいだ、友人の依子さんが「たまにネズミを追い払える」と言ってました。
「ニャー」
「え」
ネズミが返事をしました。猫の鳴き真似で。
私はその場で固まります。
「ねず、ねねねね……猫! 返事! しまっした!」
「あー、そいつはわしのペットみたいなモンやから、しゃあないね」
ペット? なにが? ネズミが?
いや、なんでこんなとこに住んでいるんですか。ケージに入れて『飼育』すべきではありませんか。違うんですか? 放し飼い? 外飼い? それはいけない。よろしくありませんよ!
「榊さん、その子たちはキヨさんの使い魔だよ。安心して。ばい菌は……多分、いないと思う」
え、一%でも感染しちゃうんですか? 私、死んじゃうんでしょうか。
「あの、ほんとに大丈夫でしょうか」
「大丈夫やて。害意のあるやつだけに祟るやつじゃ。千紗ちゃんなら襲われんよ」
ばい菌より理解不能な単語に、私は身構えました。
でも、下にいるおばあさんが山姥に変貌し、使い魔であるネズミが赤草市の住民を襲う可能性を考えると、私はキヨさんの言葉を信じて、御札を貼るより他はない……。
「わかりました。では、御札を貼りに行きますね」
足で脚立を蹴って、身体を狭い屋根裏に潜り込ませます。
中は埃っぽく、マスク越しでも煙たく感じました。腰に携えた霧吹きがちゃんとついているか確認し、木箱に入った御札もポケットにあるかを手で確認。
準備は万端です。
屋根裏、猫の鳴き真似のネズミ、山と逆方向にびっちりと御札……。
こないだ依子さんから聞いた話と合致します。つまり、工事に来た華奢な女の子は彼女なんでしょう。
まさかキヨさんのお家の話なんて、思いもよりませんでした。
「ネズミさん、邪魔しないでくださいね……?」
なんとなく、言葉が通じそうな気がして、声をかけます。灰色の使い魔は毛づくろいをして、前歯を見せました。
「おうよ」
ああ、通じちゃうんだ。喋るんだ……。
そう思いながら前方を見ると、たくさんの御札が目に飛び込んできました。ひゅっと喉が締まって、息を呑みます。事前に知っているとはいえ、いざ目の前にすると、その迫力に気圧されてしまいました。
「剥がれかけている御札……これですね」
匍匐前進で近づき、新しい御札に霧吹きをかけ、同じ位置に貼ります。
「おおい、こっちもだ」
ネズミさんが片手――前足かもしれません――を挙げて私に剥がれかけている場所を教えてくれました。どこぞのプリンセスにでもなった気分です。
頭をぶつけないよう、のしのし進み、また新しい御札を貼ります。
「こっちにもあるぞ」
「これで最後だ」
屋根裏は湿気と熱気がこもっていて、依子さんの苦労を知ることができました。本当に大変なお仕事なんですね……。
頭皮から出た汗が額を伝い、腕で拭うとポタポタと下に落ちました。
「……ありがとうございます。小さな使い魔さん」
「いいってことよ」
私はネズミさんにお礼を言い、また匍匐前進で点検口に戻りました。
「おお、気が静まった……。ありがとうね」
下に降りると、乾いたタオルを先輩から渡されました。キヨさんは冷たい麦茶をくれて、私はそれをいただきました。
「よかったです。あの使い魔さんに剥がれかけている場所を教えてもらえました」
「そうかい。あいつらもわしの様子に気が立っていたからねぇ」
うまく言えないんですけど、キヨさんはさっきより穏やかな雰囲気になってました。
「榊さん、本当にお疲れ様。タオルで汗拭いたら、着替えちゃってね」
「政久もすっかり先輩になったモンやね。わしと出会った頃なんてビクビクして――」
「キヨさん、その話は秘密にしてくださいよ」
本当におふたりは仲がいいんですね。まるでおばあちゃんと孫のようです。
私は部屋をお借りして着替えながら、タオルで入念に汗を拭き取ります。
「もう、あんな生活よりな、今の穏やかな生活がほんに大切なんよ」
「あの時のキヨさんは、ピリピリして近寄りがたかったですものね。俺も、その……未熟でしたし」
着替えは終わりましたが、部屋の外から聞こえる話に少しだけ聞き耳を立てて、出るタイミングを伺います。
「あんたには感謝しとるんやから。千紗ちゃんをちゃーんと育ててやるんやよ」
「ええ。もう取り殺される人がないよう、気をつけるつもりです」
なんだか出づらいですね。
「まだ気にしとったんか。あれは一課の宿命やろ」
「殉職なんて、もう見たくありません」
とはいえ、いつかは出ないとなりません。ええい、ままよと私はふすまを開けました。
「すみません。着替え、終わりました」
「おお、それならもうちょっと涼んでいき」
「榊さん、お言葉に甘えようか」
レモン風味の麦茶に、冷房の効いた部屋。
先ほどの話は気にはなりますが、先輩が私に話してくれないなら、私は聞かないのが正解なんでしょう。先輩の方を見ると、私の視線に気づいて、微笑んでいます。
「ほら、スイカ切ったから食べてき」
「わっ、なにからなにまでお世話になります」
「ですから規則が……」
「今さらなに言うてんの。細かく切ったけ、フォーク使い」
私たちはスイカを食べ終わる頃には、キヨさんの孫のようになってました。
「――それでは、俺たちはこれで」
「ほんならこれ、持ってき」
ビニール袋には水ようかんがぎっしり詰まっていました。
「職員さんたちに、持ってったらええよ」
「ですから……もういいです。ありがとうございます」
先輩は困った顔を浮かべて、袋を車に詰め込みました。
車内に乗り込み、様子を伺うと、先輩は眉が下がっていて、でも口角が少し上がっています。
「……いいおばあさんでしたね」
「昔は怖かったんだよ?」
私たちは市役所に戻っていきました。
少しだけ、忌部先輩のことを分かった気がして、私も顔が緩んでいました。




