第4話 最愛のファタール
目を閉じれば、いつだって思い出せる。
私をおんぶしてくれる、お兄ちゃんの優しい温もりを。
小さい頃の私は体が弱くて、いつもお兄ちゃんに泣きついてばかりだった。
「大丈夫、何があっても俺が守ってやる」
村の人たちも優しかった。けれど、ここまで私によくしてくれるのはお兄ちゃんだけだった。
私は守られてばかり。そんな自分に嫌気が差して、唇を噛んでしまうこともあった。けれど私は思っている以上に無力で弱くてちっぽけだった。
いつの日か、お兄ちゃんのことを私が守れるようになるんだ。そう、幼心に誓ったのを覚えている。
でも……
ある日、お兄ちゃんは私を置いて村を出ていってしまった。
ひょっとしたら、私のことを嫌いになったのかもしれない。
胸が張り裂けそうになって、掠れた声で叫んだのを覚えている。
それから2年後……
突然、村に化物が現れた。
赤黒い毛皮に獅子や山羊といった様々な獣の特徴を併せた、二足歩行の異形の化物。
あれが、初めて見る『魔神王』の姿だった。
『感じるぞ……忌々しき〝勇者〟の力』
魔神王は魔法で村をめちゃくちゃにしていった。
立ち向かった人達はあっけなく踏み潰された。握り潰された。引き裂かれた。
鉄っぽい生臭さが辺りの空気に満ちていく。
誰かの悲鳴が潰れてゆく。
そして……
『見つけタぞ、勇者』
気がつくと、頭上から異形の獅子の顔が見下ろしていた。
『貴様を殺せば』
逃げようにも、膝が嘲笑うように震えて力が入らない。
脳がやすられるような、背骨に氷の棒を入れられたような。
あの感覚は一生忘れることはないだろう。
『我ハ』
魔神王の両手の中には、赤黒い汁の滴る塊が握られていた。
『我々は――』
――私もああなるんだ。
嫌だ、と思った。
もう一度お兄ちゃんに会いたい。
お兄ちゃんに大きくなったなって褒められたい。
『――やっと、自由になレる』
死にたくない。
紅く濡れた巨大な手が、私の頭を握り潰そうと迫る。
「助けて、お兄ちゃん……」
「その子に触ってんじゃねぇよ」
その時。
魔神王の腕が切り落とされ、地に落ちた。
そして、その人は私と魔神王の間に割り込んだ。
「怪我はないか、ティオ」
すっかり背も伸びてガタイも良くなっているけれど、この声と匂いは間違えるはずもない。
「お兄ちゃん……?」
私の眼から滴が零れ墜ちた。
お兄ちゃんはいつだって、私の勇者様なんだ。
それからお兄ちゃんは魔神王と激戦を繰り広げた。
当時素人の私から見ても、お兄ちゃんの剣捌きはすごかった。魔神王の拳を剣で受け止め、魔法には魔法で相殺してゆく。
魔神王と互角以上に渡り合う、あの頃よりずっと強くなったお兄ちゃんの姿がそこにはあった。
『なゼ、我々の、邪魔を、する?』
「ティオを守るためだ。今日この日のために、ずっと準備をしてきたんだ」
お兄ちゃんと魔神王の戦いは更に苛烈になってゆく。
しかしお兄ちゃんが魔神王に与えたダメージは、すぐに塞がってしまう。
後に知った事だけど、魔神王は限りなく不死の存在。お兄ちゃんがいくら強くても倒せないのだという。
圧倒しているように見えて、じわじわとお兄ちゃんの方が追い詰められていた。
そして……
「ぐうっ……! しまった!!」
魔神王の膂力に任せた痛恨の一撃を、お兄ちゃんはまともに食らって吹き飛ばされてしまった。
「お兄ちゃん……!」
吹き飛ばされたお兄ちゃんの身体は、激突した木をへし折って止まった。
『トドメだ、勇者と強き者よ』
魔神王が地響きをたてて迫ってくる。
「ティオ、逃げろ……」
「やだ、お兄ちゃんを置いていけない!!」
私はお兄ちゃんの大きな身体をぎゅっと抱き締めた。
私はまだ、お兄ちゃんに何も返せてない。
お兄ちゃんがこんな所で死んじゃうなんて結末、絶対に許さない。
『死ネ、勇者もろとモ』
魔神王の頭上に真っ黒な何かが現れた。
『闇』としか呼べない何かは、鎚のような形に変形し、そして私たちを潰そうと振りかぶられる。
「お兄ちゃんは、私が守る!!!」
絶体絶命だというのに、不思議とそんな言葉が口から出ていた。
その時――
私の身体から、真っ白な光が放たれた。
その光を浴びた魔神王の毛皮から『じゅっ』と音をたて焼かれてるみたいに白煙が立ち昇った。
『グゥ、おおおっ!? おのれ、忌々しき、光……』
そして、魔神王は蝙蝠の翼を背に生やして飛び去っていった。
「お兄ちゃん……!」
魔神王との戦いが終わり、私はお兄ちゃんの身体をあちこち触って確認した。大ケガはしてないけど、戦いでたくさん傷を負っている。
「〝治癒〟!」
「これは……!」
私だって2年間、頑張って治癒魔法を覚えたんだ。
いつかお兄ちゃんが怪我をして帰ってきた日のために。
「ティオは凄いな」
「お兄ちゃんほどじゃないよ。でも、ありがと……えへへ」
初めてお兄ちゃんの役に立てた。褒められた。
その場で踊り出したい衝動を押し殺して、私は上半身の服を脱いだお兄ちゃんに治癒魔法をかけ続ける。
お兄ちゃんの体は傷だらけだった。
今日できた傷だけじゃない。
魔法じゃ治せない傷痕が、数えきれないくらい全身に刻まれていたの。
2年間、お兄ちゃんはどれほど戦ってきたのか。
「どうやらあの化物はティオにしか倒せないみたいなんだ」
それからお兄ちゃんは、いろんなことを教えてくれた。
魔神王は不死身であり、生まれながらの〝勇者〟である私でしか倒せないこと。
私が出したあの『光』こそが、勇者とやらの権能なのだそうだ。
それから魔神王はいずれまた天敵たる私を殺しにやってくること。
そして、お兄ちゃんはそんな私を守るために旅に出ていたこと。
「ティオ、一緒に来るか?」
差し伸べたお兄ちゃんの手は、ごつごつしていて大きくて、けれどあの頃と変わらず温かくて。
私の〝勇者〟の力があれば、今度は私がお兄ちゃんを守れるんだ。
何もなかった私が、お兄ちゃんみたいになれるんだ。
焦がれ、憧れ、恋い焦がれ。
やっと、お兄ちゃんの役に立てる。
――この頃はまだ、無垢なままでいられたのに。
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