●第276話●以退為進
船尾から見ると横方向に海が割れているため、まるで巨大な滝が海上に突如現れたようだ。
幅は一〇〇メートル程、深さは底が見えないためよく分からない。それが左右どちらとも水平線の先まで続いているので、とんでもない範囲で海が割れている。
(モーセ……)
おそらく多くの日本人が持つであろう感想を勇もやはり抱きつつ、口を開けてただそれを見つめていた。
『これ以上は危険と判断したゆえ介入させてもらったぞよ』
呆気に取られている一同の頭の中に、再び女性の声が聞こえてくる。
『色々しがらみがある故、直接手を下すことは出来なんだ。すまんの』
その言葉に滝のようになった海の断面?を見てみれば、先程までの海竜がそこから顔を出しては戻るという行動を繰り返していた。
どうやら割れ目を飛び越えてまでこちらに来る事は出来ないらしい。
倒すようなことは出来ないとの事だが、追ってこられないだけで充分である。
「……はっ!? アムピュリエ様ですよね?? 助けていただき本当にありがとうございました!!」
人心地が付き、助けてもらった礼を言っていなかった事に気付いた勇が、慌てて礼を口にする。
『ほっほ、よいよい』
勇の礼に鈴を転がすような笑い声が返ってきた。
と同時に海の裂け目から巨大な何かがゆっくりと空へと舞い上がり、瑠璃猫号に影を落とす。
それは巨大なオニイトマキエイ――通称マンタのような姿をしていた。
まるで羽根のようなヒレを優雅にはためかせながら、鮮やかなエメラルドグリーンの巨体がゆるりと上空を旋回する。
「「「「「うおぉぉぉっ!?」」」」」
その大きさに、フリーズしていた船上に活気が戻り大歓声が上がった。
『一番若き神の為に魔物を追い払った、とさんざ空のに自慢されたよってな。むしろ都合が良かったぞよ? ほっほっほ』
「な、なるほど……」
冗談っぽく笑うアムピュリエ。空の、とは白い八咫烏の姿で登場した俗っぽい女神エオリネオラのことか。
『さて、あまり長く話すわけにもいかぬゆえ、手短に伝えるかの。質問も受けられぬ』
ひとしきり笑ったアムピュリエは、声のトーンを変えて再び頭の中に話しかけてくる。
『ひとまず今回は引き返すがよいの。分かっておると思うが、今のままではアレには勝てまいよ』
「そうですね。介入いただけなかったらやられていたでしょうから……。もっとも、これ以上追ってこなければ、ですが……」
『うむ。あれは少々特殊な個体ゆえな、ここからそう遠くは行けぬよ』
「そうなのですか?」
『詳しくは言えぬがの。一番若き神の思い人の言葉で言えば“ねたばれ”は出来ぬというところか。言えるのは……、そうじゃな、あれは遺跡種というくらいかの』
「え?」
ネタバレと言う俗っぽい言葉を使った事にも驚いたが、それ以上に驚いたのがあれが遺跡種であるという事だ。
遺跡種――それは、魔物を大きく二つに大別した場合の片方を指す分類だ。
この世界に広く分布している魔物は、通常種と呼ばれている。
勇からしたら魔物に通常も何もあった物では無いというところだが、地上や海中にいる魔物のほとんどはこの通常種だ。
対して、かつて勇達が遺跡で戦ったり合同討伐で戦ったタカアシガニのような魔物が遺跡種と呼ばれている。
違いは大きく二点。
一点目はその名の通り遺跡にしか出現しない事、もう一点が倒すと跡形もなく消えてしまう事だ。
遺跡にいても消えない魔物は通常種なので、根本的な違いは後者だけとも言えるが、遺跡の無い所に遺跡種は存在しないのもまた事実だ。
それを踏まえると、今アムピュリエが言った事は……。
その内容を理解した騎士や兵士たちにも、驚きが広がっていく。
『くふふ。それとな、ヤツと一番若き神とは相性が最悪ゆえ気を付けるが良いぞよ?』
驚く一同のリアクションを見て、楽しそうにアムピュリエが言葉を続ける。
『そもそも質量差が大きいことや、鱗が魔力を帯びて硬い事もあるがの、何より場所が最悪であるな』
「場所?」
『気付いておらなんだか。一番若き神は水が苦手であろう? 海上では普段の力の何分の一しか出せておらぬ』
「なっ!?」
再び飛び出した爆弾発言に絶句する勇。
「……そうか、そうだったのか」
「確かに先生が派手に吹っ飛ばしたっすけど、傷らしい傷は付けられていなかったっすね……」
「ごめんよ、姫……。随分慣れて来たなんて思っていたけど、とんでもない勘違いだったんだね……。本当に、ご、ごめ、ん……」
腕の中でスヤスヤと眠る織姫を抱きしめて、勇が涙を流す。
一歩間違えば命を落としていたのだ。自分の見る目の無さで織姫を危険に晒してしまった事に対して、激しい自責の念にかられてしまう。
『神とは言えまだまだ若い。我らと同じようにはいかぬゆえな、今後はよくよく気を付けるようにの』
「……は、はい。ほんとうに、ありがとう、ござい、ました」
優しく語りかけるアムピュリエに、泣きながら勇が礼を言う。
『さて、これくらい離れれば頃合いかの。もう追っては来ぬゆえ、休んだら一度帰るが良かろう』
「はい」
『それからもう一度挑むもよし、やめるもよし。一番若き神とその思い人が思う通り動けばよいぞよ――』
アムピュリエは体の大きさの割に小さな目を細めてそう言うと、大きく一度宙返りをしてから、随分と距離が離れた海の割れ目へと帰っていった。
割れ目が静かに元に戻っても、海竜が追いかけてくることは無かった。
◇
「ふぅ……。皆さん、今回は私の個人的な好奇心による浅慮な行動で、命を危険にさらしてしまい本当にすみませんでした」
アムピュリエが去ってしばし。あらためて勇が謝罪を口にし、深々と頭を下げる。
十分な準備をしたとの自負はもちろんあるが、どこか浮ついて甘く見ていた所があったのも事実なのだ。
それによって愛する者、自分を慕う者が傷付き、命を落とす可能性があった――そんな当たり前の事を、どこか他人事のように考えていた。
たとえ大発見が待っている可能性があったとしても、もっと慎重になるべきだったと猛省する。
「……イサム様、頭を上げて下さい。我々とて命令だからではなく楽しんで参加しております。決してイサム様のせいだなどとは、思ってもおりません」
「ああ。こんなワクワクする事、イサム様と一緒じゃなきゃ絶対に体験できねぇからな。頼み込んででもついて行くぜ」
勇の謝罪にフェリクスとレベッキオが言葉を返す。どちらも笑顔だ。
他の面々もその言葉に大きく頷いているので、皆同じ気持ちなのだろう。
「で、どうするんだ? 諦めるのか?」
神妙な顔つきの勇に、つとめて明るくレベッキオが尋ねる。
「…………。正直言って怖いです。領主としては、何を得られるのか分からないのに領の精鋭を失う可能性がある行動は慎むべきでしょうね」
しばし考えてから勇が口を開く。
「……ですが、目の前にとてつもなく面白そうな物が、それもがんばれば手が届く所にあるのに、諦められるのかと言われれば……」
そこまで言って苦笑する。
続く言葉を待っているのか、まだ口を開く者はいない。
「ふぅ。取り繕っても仕方がありませんね。個人的には、リベンジしたくて仕方がありません」
「へっへっへ、そう来なくちゃな。それでこそイサム様だ。あんなトカゲのバケモンなんざ軽く捻る魔法具を開発してくれるんだろ?」
断言する勇に、不敵な笑みを浮かべたレベッキオが尋ねる。
「ええ。それがなければお話になりませんからね」
「んだな。そいじゃあちゃっちゃと帰って、反省会だな。報告もしなくちゃ――あっ!!」
「どうしました?」
「いや、帰ったら今回の話は当然報告するよな?」
「ええ」
「アンネマリー奥様にも当然報告する事になる……」
「あっ!?」
「…………まぁ、しっかり怒られるしかねぇわなぁ」
「……どうにか誤魔化せないですかね?」
「いやいやいや、こんだけ派手に船がぶっ壊れてたら、言い訳のしようがないだろ」
「そんなぁ……」
この航海で最も情けない声を上げる勇。
それを聞いた船上に、この航海で最も大きな笑い声が木霊する。
こうして勇達の一度目の海洋探索は、あと一歩のところまできて撤退するという結果で幕を閉じた。
◇
「いやぁ、参りましたよ……」
「随分と疲れた顔をしとるの」
「にゃふぅ~~」
げんなりした表情で研究所へやってきた勇の第一声に、先に来ていたエトと織姫が苦笑する。
アムピュリエとの邂逅後、十六日かけて帰ってきたのは一昨日の夕方。都合二十九日間の航海である。
手探りで遠回りした往路よりも時間がかかったのは、海竜との激闘でウォータージェットを片方やられて速度が落ち、予備動力用のマストも一本やられていたためだ。
状況の大枠や帰還予定は、魔法巨人の書記で適宜連絡してはいたのだが、ボロボロになった瑠璃猫号のインパクトは大きかった。
帰還当日は疲れもあるため簡易な報告だけ済ませて解散となったものの、顔色を悪くしたアンネマリーが勇から離れないのだ。
この世界の貴族は夫婦であっても寝室は別なのが普通だが、この日ばかりは一緒に寝ると言って聞かず同床することになった。
ちなみに織姫も巻き添えをくらい、ベッドに入った後もずっとアンネマリーに抱きかかえられていたが、就寝した隙を突いてぬるりと脱出、翌朝目を覚ます頃に何食わぬ顔で戻ってきていた。
翌日の午前、寄り親であり義理の親でもあるクラウフェルト伯爵が訪ねて来るのを待ってから、本格的な報告が行われた。
無事に戻ってきてはいるので落ち着いた報告会にはなったのだが、海竜との戦闘と、あわやの所を女神様に助けられた点でかなり心配をされてしまった。
あのままアムピュリエの介入が無ければ、ほぼ間違いなく海の藻屑と消えていたので仕方がないだろう。
特段叱責を受けた訳ではなかったのだが、それを受けてなおリベンジすると言い切ったところでアンネマリーに泣きつかれてしまった。
この世界で最も頑丈であろう瑠璃猫号がボロボロになるような相手と再戦すると言う事なのでさもありなん。
伯爵夫妻のとりなしで一旦は落ち着いたものの、勇はその後も心配して泣き続けるアンネマリーを宥め続けた。
「次の航海には絶対に連れていく、という事でようやく決着しましたよ」
お茶を一口飲んだ勇が、そう言ってほぅと息を吐く。
「そりゃかまわんが、領地の方は大丈夫なのか??」
「んーー、本当は大丈夫じゃあないんですけど、アンネの初めての我儘ですからね……。魔法巨人の書記もありますし、何とかしますよ」
「……困っとるのか惚気とるのか、どっちなんじゃ」
「にゃっふぅ」
勇の回答にエトと織姫が呆れ顔を見合わせたところで、研究室の扉がノックされた。
「イサム様、皆様がお見えになっております」
「ああ、ありがとう。通して」
「かしこまりました」
家令のノイマンに案内されて、何名かが研究室に入室してくる。
研究所には別途会議室もあるのだが、この研究室が一番広く参考資料なども転がっているため、近しい者との打ち合わせは研究室で行われることが多いのだ。
「お疲れ様です。船旅の疲れは取れましたか?」
「お疲れ様です。はい、帰りはほとんど旅行のようなものでしたから」
「だなぁ。戻ってからの事も考えると、一番疲れてるのはイサム様じゃねぇか?」
勇の言葉に、フェリクスとレベッキオが答える。
「あはは、ありがとうございます。まぁ、何とか大丈夫ですよ。さて、では早速始めましょうか」
二人だけでなく他の面々も大同小異似たような反応だったので、勇は苦笑しながら話を進めることにした。
参加メンバーは、研究所の勇、エト、ヴィレム、騎士団からフェリクス、マルセラ、ユリシーズ、副船長のレベッキオと船乗りのカッサノに船大工のツィーゴ、鍛冶職人のザリッドの総勢十名だ。
テーマはもちろん先の航海の反省会並びに、次回に向けた傾向と対策である。
「まず最初にあの“船島”についての追加情報があるので共有しますね」
「追加情報じゃと?」
「へぇ、エトさんも聞いてないって事は、昨日イサムさんが仕入れた情報かな?」
「ええ。アンネの侍女であるカリナが、歴史や伝承に詳しい事は知っているかと思うのですが――」
エトとヴィレムに促されるように勇が話を始める。
「あれは“浪渡り”と呼ばれていた、伝説の一族のものである可能性が高いとの事です」
週1~2話更新中。
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