第三話 馬車は進むよゴトゴトと
「巫女様、ここまでくればお屋敷にはあと数刻もあれば到着致します」
「旦那様ご本人は只今どうしても外せないお仕事があるとのことでこの馬車に乗ってこられませんでしたが、お屋敷にて奥様をお待ちになっております。いえ、旦那様のみならず使用人も皆、奥様がおいでになるのを今か今かと待ちわびていると思いますわ!」
「メイア、リル様はまだ正式にご結婚されておられないんだ。巫女様とお呼びしないと失礼だろう」
「あ! そ、そうでしたね。申し訳ありません! ジョーンズ隊長」
フレデリックからの迎えの馬車に乗り道中の町で宿を取りつつ王都を発ってからおよそ五日後。
ゴトゴトと揺れる馬車の中、目の前の座席に座っているいかにも騎士と言った格好をした壮年の男性――南方辺境騎士団長アンドリュー・ジョーンズとメイド服の十代後半らしき女性――専属侍女となったメイアに話しかけられてリルは馬車の外を流れる景色から視線を二人へ戻す。
そう、なんだかんだと文句を言っていたリルであったが神官長に「ええい! いい加減腹を括らんか! これは女神ヤーミー様の思し召しであるぞ!」と雷を落とされて私物を詰めたトランク一個と共に結局ここにやってきたのだ。
「ああ、もう巫女は引退してますので私の呼び方にどうかそんなに気を遣わないでください」
「では、ご成婚式までは『リル様』とお呼びするように部下達にも申しつけておきましょう」
「私も家政婦長にそうお伝えしておきますね!」
ニコニコと笑うアンドリューとメイアとは裏腹にリルは思わず微妙な顔になる
今回の結婚の申し出はリルにとっては非常にありがたいものではあったが、フレデリックのような貴族の婚姻の常である政治的・経済的恩恵を含んだ政略結婚の要素が殆ど無く、この婚姻がもたらすというメリットは彼にはほぼ無いに等しかった。
もし辛うじてあるとするなら「花嫁になるのが結婚と家庭を司る女神ヤーミーの元巫女」という宗教的な意味合いであるが、「武」を司る神や「商売」を司る神などに比べればどうしても見劣りするのは否めないところであろう。
そのようなこともあり実のところリルはこの結婚話はフレデリック本人がよくとも家来一同から反対の声が上がっているものと考えていた。
だが、どうも目の前の二人の話しぶりや様子を見るにリルがフレデリックと結婚するのを屋敷の者が反対していると言うことはないらしいのだ。
これが実に不可解であった。
「あの、ここに来るまでにも何回か伺いましたけど……何故バーンズ卿は私との婚姻を望まれたのでしょうか?」
かろうじて「こんな年増をわざわざ望むなんて変な性癖の持ち主なんですか?」と言うのは押さえたが、訝しむような顔でこの不可解な点について尋ねるリルにアンドリューとメイアの二人は一瞬顔を見合わせ、そして申し訳なさそうに答えた。
「それについてはこちらとしてはやはり我々としては今までお答えした通りのことしか申し上げられません。屋敷にてフレデリック様ご本人から直接お聞き下さい、と」
「あ、でもこれだけは言わせて下さい! 旦那様はリル様のお越しを本当に心待ちにしておられますよ?」
「はぁ……」
不承不承納得するリルであったが、それからさほど間を置かずにアンドリューが坂道を上り始めた馬車の窓からとある方向を見て彼女に告げた。
「リル様、あちらをご覧下さい」
「向こうですか? 何が……わぁ!」
リルが思わず感嘆の声をあげる。緩やかな登り坂の先にはひらけた土地があり、そこに荘厳な館が建っていたからだ。
「この坂を登り切ったあちらに見えるのが南方辺境伯バーンズ家の屋敷です」
「きっとリル様にも気に入って頂けると思います!」
無事に戻ってこられて安堵しているアンドリューとメイアとは反対に、王都のヤーミー本神殿よりも立派な建物が近づいてくるにつれ「もしかしてえらいところにきてしまったのかもしれない」と、リルは一抹の不安を覚えた。
「ようこそバーンズ邸へ!」
館の外門をくぐり、邸宅の前でアンドリューにエスコートされ馬車から降りたリルに向かって執事らしき服装の男性が発したその一言で玄関の前に並んだ使用人一同が一斉に頭を下げる。
「皆様初めまして。私は結婚と家庭を司る女神ヤーミー様の神殿で今まで巫女を勤めさせていただいておりましたリル・レントと申します」
今までの巫女修行で培ってきた柔らかい微笑みを浮かべながらリルは挨拶をしたが、内心はハラハラしっぱなしであった。
「辺境伯」というからきっと辺鄙な土地の領主で家柄だけは名門だがさほどの者では無いのだろうと思っていた。しかしどうもそうでは無い事がここに来て判明したからだ。
「私はこの館で執事を務めさせて頂いておりますジェイムスと申します。リル様はもはやこの館の女主人であらせられますので我々使用人に対してそのような丁寧な言葉遣いは不要でございます」
「私は家政婦長のレベッカと申します。メイアはこの度初めて侍女という職に着いたのですが道中何かご不便なことはございませんでしたでしょうか? 何か不都合なことがございましたらどうぞ遠慮無く何でもお申し付け下さいませ」
「……ありがとう。今まで殆ど神殿の中でしか生活してこなかったので皆には色々と迷惑をかけるかもしれないけれどこれからよろしくね?」
使用人の列の前に立つ執事と家政婦長からの挨拶を受けておっとりとした物言いでリルは返事を返すが、 その笑みの裏でよもや彼女が
(うう、格式高い! これだけのお屋敷を切り盛りするとなるとやっぱり憧れの『にいとらいふ』は無理よねぇ……下手したら巫女時代よりも忙しくなるかも。面倒くさいなぁ)
などとと人としてダメダメなことを考えてるとは思いもしなかったことであろう。
そのような感じで取りあえず表面上は穏やかな空気の流れる中、執事のジェイムスが「ではそろそろお屋敷の中へ――」と、リルを館の中へと誘った時である。
「リル! リル・レント! ようやくここに来てくれたんだね!? 待ってたんだよ!」
突如正面扉の奥からから一人の青年がそう叫びながら飛び出してきたのだ。




