アガートラム
ビビアンは駆ける。
右へ左へと動き、ドラゴンのブレスの的を定まらないように錯乱する。
「こっちだ! のろま!」
人の言葉を理解しているかはわからない。だがしかし、ドラゴンの視線はビビアン一点に注目しており、ビビアンが距離を取ろうとする度に一歩、また一歩と彼女を追いかける。
奴にとって私は目の前を動く羽虫のようにしか見えていない。ならば、羽虫の如く目の前を邪魔をし続ければ奴の気を引きつけ、フィンバーグから離れれば、その間に村人たちを避難させれる。と彼女は考えていた。
一定の距離を取りながら、ドラゴンの気を引きつけていると、ドラゴンの動きが止まる。
ビビアンは動きが止まったことに気づき、後ろを振り向いた。
立ち止まったドラゴンは、四足歩行の状態から前足を地面から離し、二足歩行へとゆっくりと移行する。
追いかけるのを辞めたように見えたビビアンは、フィンバーグへ目標を切り替えるのかと予測する。
「そんなことはさせない……!」
ビビアンは剣を抜き、距離を少し詰め臨戦態勢を取る。
しかし、ドラゴンはフィンバーグへと方向を変えず、右足を前に出し横に向く振り向く態勢へとなる。以前として、ドラゴンの顔はビビアンを見つめていた。
その瞬間、ビビアンの脳裏にフィンバーグで鳴り響いたような警鐘が響き渡った。
長年冒険者をしてきた経験……大鬼の住処を攻め入った時に罠を間一髪で避けた時の感覚が、身体中を走り回った。
「……っ!」
ドラゴンは横に勢いよく振り向き、そしてその動作につられるようにして、尾が横薙ぎに払われる。
距離は離れていた。
ビビアンはドラゴンから離れれば噛みつかれることはないし、ブレスに注意さえすればなんとかなる……と思っていた。
しかし、尾の長さは優に届いた。
彼女は後方へ前走力で走る、そしてさらに距離を稼ぐために前方へ跳躍し、回避を行った。
剣で受け切れるわけがない。
例え魔法で織り込まれ頑丈に作られたとしても、頑丈に作られただけであって壊れないと言うわけではない。
体の捻りから振り抜かれた尾は、鞭が空気を切り裂く音を出しながらビビアンへと襲いかかる。
ビビアンが先に回避の行動をしたことで、間一髪で避けることができた。
「……あ……」
しかしドラゴンの尾は彼女の予想を超える力が込められていた。
尾を振り抜いた先、尾が届かない範囲にあった大きな岩がバターのように切り裂かれた。
岩をこすり合せる音を鳴らしながら横に滑り、そして時間差を生み出して地に落ちた。
ビビアンは回避をした態勢から立ち上がることができない。
「……」
彼女は地面を見たまま、動くことができない。目の前にポタリと何かが落ちた。
……耳が聞こえない。
その場にあった空気が消え去ったかのような静けさに彼女は不思議に感じた。
そして耳からドロリとした液体が滴り落ちる。
……血だ。
彼女は出血をしていた。
どうして……。
ちゃんと避けたはずだ。
立ち上がろうとするが、彼女は立ち上がることができない。
目の前がグラグラと回っているような感覚に襲われると、彼女は思わずその気持ち悪さに嘔吐した。
胃から出てくるものはなかった。
酸味のある透明な液体が喉を焼く。
「……まさか……音速の……刃……?」
彼女は昔、見たことがあった。
それは魔法で飛空挺の限界速度まであげようという実験だった。
結果的に音速を超えたあたりで飛空挺は木っ端微塵になるという散々なものだ。
「まさか……奴は音速を超える力を……」
耳を抑え、呼吸を整えながら彼女はゆっくりと起き上がる。
頭を上げるだけで平衡感覚が崩れ、視界がぐるんと回るような恐怖を感じた。
ドラゴンは二足歩行から、四足歩行へと戻る。
「……逃げなきゃ……」
彼女は口にし、後ずさりをする。
立ち上がることができない。
音がない世界で、静かに彼女の元へと歩み寄ってくるドラゴン。
その口からは炎が湧き出ていた。
「……逃げて……」
逃げてどうする?
逃げてしまえば、フィンバーグの人たちは皆殺しになる。
ブロムトルフのように。
「そんなことにはしない!」
彼女の心を支配する恐怖を打ち消し、耳から手を離すとよろけながらも立ち上がった。
目の前にドラゴンがいた。
じっくりとビビアンを見つめている。
「くっ……かかってこい……ドラゴン」
剣を構え、戦意を見せる。
震える足を無理やり止めて、対峙する少女。
ドラゴンは息を吸った。
胸に宿る炉のような輝きが強くなる。
「死ぬわけにはいかない、私には使命があるのだから!」
彼女は剣を構えるとドラゴンへと立ち向かった。
狙うは、胸。
膨れ、満ちて。そして膨れ、満ちていくその胸に向かって走り出した。
胸郭が膨らみ、鱗と鱗の間からは関節灯のように見える赤い光。鱗と鱗の隙間を狙い定めてビビアンは剣を突き立てる。
刃は突き刺さった。
ドラゴンは呼吸を中止すると、暴れ出した。
膨らんでいた胸は瞬間的に折り畳まれると、ビビアンの剣は木の枝のように折れた。
ドラゴンから離れた瞬間、ビビアンはドラゴンの暴れる右手にぶつかり、そして横に吹き飛んだ。
「……がっ!」
岩肌に打ち付けられたビビアンは頭部を強打すると、ずり落ちるように地面へと倒れた。
うっすらと見えるビビアンの視界の中で、ドラゴンはミミズのようにのたうち回っているのを見た。
「一矢報いた……」
微かな手応えを感じた彼女は、今にも消えそうな意識の中で微笑んだ。
ドラゴンという人間が束になっても勝てない存在に一矢報いたことに、彼女は充実感を感じていた。
ドラゴンの瞳は怒りに染まっている。
地面に横たわる彼女を見たドラゴンは、尾を思い切り振り上げ、そして彼女へと振り下ろす。
土埃が立ち上がる。
ドラゴンは尾を引くと、尾には血液が付いていない。
そしてドラゴンは視線を土埃ではなく、少し離れた場所を見た。
「……大丈夫か? ビビ」
「……ベディ……ヴィア……?」
ドラゴンの尾を振り落とされた少し離れた場所でベディヴィアが片腕しかない右腕にはビビアンが抱いていた。
「飛空挺にはフィンバーグの人を避難させた。よくやったよ」
「……よかっ……た」
「ポーションを飲め」
ベディヴィアから渡された緑色の液体が入っている小瓶をビビアンは受け取ると、それを口にした。
耳から出る血は止まる。そしてビビアンはゆっくりと立ち上がった。
ドラゴンは二人を見つめていた。
先程までの余裕な態度などなく、二人を見つめるその目からは明らかな殺意がにじみ出ている。
そして口を開くと、大きな咆哮を繰り出した。
「……時間は俺が稼ぐから、ビビはアレを準備しろ」
「……わかりました」
ベディヴィアは右腕に盾をつけると、ニヤリと笑った。
その盾は白銀で、無駄な装飾はなく鏡面の様な傷一つない表面だ。
「へ、ドラゴン。今度は俺が相手だ」
ベディヴィアはドラゴンに向かって走り出す。
ドラゴンはベディヴィアに向けて前足で迎撃する。しかし彼は盾を前に出すと、接触と同時にいなした。
そして彼はドラゴンの真下をくぐり抜けると、今度はビビアンから引き離すように走り出した。
「こっちだ!」
ドラゴンは二足歩行になると、体を捻り尾を振り抜く。
音速の刃が、ベディヴィアに襲いかかる。
「へっ! 来たか……来い、アガートラム!」
右腕に装着している盾はその名前に応じて変質した。
盾は液体の様に溶け出すと左肩に向かい、そして銀色に輝く左腕へと変化した。
アガートラム。それは都市で作り上げられた魔法の盾であり、ベディヴィアのために作り出された武器だ。
「……ってぇ!」
痛みが伴うその左腕を前に突き出すと、音速の刃はベディヴィアの左腕に襲いかかる。
ベディヴィアはその音速の刃をまともに受けるとぐんと体を押しやられる。
「んぎぎ……!」
腰を重くし、足で大地を踏みしめ、ドラゴンから発せられた刃を掴んでいた。
「……っあああぁぁぉぉぉぉぉ!!」
そして、踏ん張り続け二十歩目でベディヴィアの体は止まった。
ベディヴィアは笑っていた。
「掴んだぜ……!」
ベディヴィアはその音速の刃を左腕で受け止めていた。
透明で何も見えないが、ベディヴィアの周囲はは音速の刃によって大地がひび割れた。
ドラゴンはベディヴィアの姿を見て咆哮をする。
「驚いたって顔をしているな? ドラゴン。自慢の技を看破されたことが悔しそうだな」
だが、お楽しみはこれからだ。と彼は言う。
「おら、返してやるよ!」
ベディヴィアはそう言い放つと、助走をつけた。そして片足を上げ投球フォームをとる。
「おるぁ! リフレクション・アガートラム!」
そしてベディヴィアは音速の刃をドラゴンに目掛けて投げた。
音速の刃はドラゴンを襲うと、爆弾の様な爆発音が炸裂する。
ドラゴンを中心に大地は割れると、空気の波がドラゴンを中心にドーム状に広がった。
その衝撃を受けたドラゴンは後ろに数歩動いた後、地面に倒れる。
確かな手応えはあった。
「……ちっ、タフネスが」
しかしベディヴィアは舌打ちをする。
ドラゴンはゆっくりとまた起き上がったのだ。
「自分の攻撃も耐え切れる鱗かよ。本当ドラゴンは厄介でしかない……痛っ……」
そして、ベディヴィアは左肩から発する痛みに顔をしかめた。
アガートラムは盾を左腕へと変化させ、装着するものだ。
その力は全ての魔法系統の攻撃を掴むこと。
しかしそれは諸刃の剣で、接続している間は幻肢痛の様な障害を伴うものだった。
「……」
アガートラムの動作確認をすると小指と薬指はもう言うことを聞いていない状態だった。
そしてギシギシと関節が軋む様な音がした。
「よくて……二回か……」
ベディヴィアは左肩を抑えながら、ドラゴンを見た。