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青年は、約束通り最寄り駅の前で待っていた。
「もう、玲聞さん、遅いですよ。40分も遅刻!」
山田さんでいいだろ、そこ。
今日は、休日だったが、午前中は、学校に寄って、電話設備の入れ換え工事に立ち会ってきた。
葵くんは、口をへの字にして、大袈裟に腕時計を指差してみせる。
顔の前で手を合わせて謝ると、僕の腕を引っ張って戯れた。
「後で、ジュースおごってもらいますからね!」
なんだ。このむず痒さは。
☆☆☆
大きくはなかったが立派な門構えの家だった。その人は、ゆったりとしたソファで、プードル三匹に囲まれている。名を、影山鉄二、臨床心理士だと言う。総白髪で細身の老紳士だ。
例の取材に応じた当時、わが校のスクールカウンセラーを担当していた。
現在は、現役を引退して、後続者を育てるために尽力しているらしい。
事前に、電話で、捜査協力の依頼には了承をもらっている。
僕は、探偵だと名乗る葵くんに便乗させてもらうことにした。
教師であることは、伏せてある。
彼は、なかなか話を切り出そうとはしなかったが、“例の集会に関与していた人物が危険にさらさている”と告げると、ようやく、重い口を開いた。
「職業倫理について、あなたは、どうお考えですか」
答えに困る。
「こういった仕事ですから、時には、クライアントの秘密を知ることもあります。それが右から左に筒抜けになってしまうようでは、もう誰も安心して治療など受けられません。だから、守秘義務というものがあるのです。」
僕らは、仕方なくじっと彼の話を聞いた。
「けれども、事件性があれば、それは別の話です。話を聞くことと、犯罪者を匿うことは違います。ただ、考えてみてください。
もし、中学生から煙草を吸ったと聞かされたら、あなたはどうするでしょうか。もし、それがお酒だったら、シンナーだったら、その判断に変わりはないでしょうか。
確かに、マニュアルはあります。そして、年々細分化されてきました。ですが、結局のところは、現場の人間一人一人の判断に委ねられることになるのです。
そして、私は、この自己判断によってある事件を葬りました」
僕は、唾を呑んだ。
「今からちょうど13年前です。ある人から、不眠気味の女性を診てやってくれないかと相談されました。
あの頃、私は、無心で仕事に没頭していましたから、もちろん、二つ返事で引き受けました。
そして、カウンセリングが進むにつれ、彼女が、集団暴行事件の被害者であることが分かったのです」
「それがサバトですか」
葵くんが興奮を押さえきれず割ってはいる。
「えぇ、そのような集会が中高生の間で開かれていたとは、つゆにも思いませんでした。スクールカウンセラーとは、名ばかりも良いところです」
「さきほど、事件を葬ったと伺いましたが、彼女が通報を拒んだということですか」
葵くんは、間髪をいれない。
「はい」
それも仕方ないことかもしれない。裁判ともなれば、公の場で身ぐるみを剥がれるようなものだ。生半可な覚悟で挑めるものじゃない。
「彼女には、明るみにできない事情があったのです」
「というと?」
やはり葵くんは、先を促したが、影山さんは、黙ってしまった。言葉を選んでいるのだろう。少しの沈黙。
重なりあった氷が溶けて、グラスの中をカラリと一周する。
「彼女は、妊娠していました。事件が原因で胎児は助からなかったそうです」
僕たちは、同時に顔をしかめた。
「彼女は、どうしても、子供の父親を知られるわけには、いかなかった…」
「だから、被害届を出せなかったということですか」
葵くんは、瞬き一つせず紳士を見つめている。刑事ドラマ顔負けの迫力だ。
「その成人女性が愛した相手は、まだ中学生だったのです」
一瞬、この部屋全体が捻れる気がした。犬の鳴き声が遠くなる。
尻ポケットのバイブレーションに気付き、断りを入れて電話に出た。
「どうした?」
いつもと声の調子が違うと気づいたのか、有栖川は、少し警戒しているようだった。
「話は聞けたの?」
「今、佳境だよ」
「なら、手短に言うわね。例のフロッピーの一つに医療記録が入っていたの。日下部女史のものよ。彼女、13年前に流産してる」




