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気が付けば、吹奏楽のリフレインは止み、校舎から、生徒の声が消えていた。


古典の国木田先生が帰って、いよいよ、職員室には、向かいに座っている日下部しをり《くさかべしをり》先生と僕の二人になった。

先生は、長い髪を飴色のクリップで簡単に束ねフルアップにしている。

ちょうど、成績の評価欄を付けているところだ。ペンの動きに合わせて後れ毛が揺れる。

決め細やかな肌と、すっと鼻筋の通った端正な顔立ちが、大学時代、モデルにスカウトされたという、いつだったか交わした雑談をより鮮明なものにした。

本人は、過去の栄光と冗談目かしているつもりらしかったが、いやいや、とんでもない。

10は軽く歳上になる大先輩だなんて、誰が思うだろう。

視線に気づいたのか、彼女は上目遣いにこちらをうかがった。そして、くしゃっと笑顔を見せる。


「この間、OLの友達に笑われちゃったわ。ペンなんて久しく握ってないっだってさ」


「ほんと、アナログですよね。まぁ、教育現場が時代の最先端を行くことはありませんけれど」


しをり先生は、ぐいっと上半身を乗り出した。


「山田先生は、明日の予習ですか」


「えぇ、さっと終わらせて有栖川のフォローにかかりたいんですけどね」


「あぁ、あの有栖川さんね。何か手伝えることはあるかしら?はじめてのクラス担任で、不登校児を扱うのは荷が重いでしょ。ましてや、彼女、家から出ないって話らしいじゃないの」


「ありがとうございます。でも、先生、今日は、新居を見に行かれるんでしたよね」


「あ、そうだったわ!いけないっ、もうこんな時間」


腕時計を確かめると、彼女は、何度も謝りながら、大急ぎで成績簿を所定の位置に戻し、バッグを肩にかけると同時に走りだした。

そして、髪を振りほどきながら、思い出したように、こちらを向き直って、片方の瞼を閉じてみせたのだ。


「山田先生!長期戦は、いい加減が一番ですよ。良いか・げ・ん」


先生、それは反則だ。薬指にキラリと光るあの石が憎らしい。


バタバタと彼女の足音が教員室を遠ざかり、ついには、僕ひとりになった。

出入り口には、節電の貼り紙がデカデカとあり、室内の蛍光灯は、交互に取り外されている。

部屋の薄暗さが、ノートパソコンの液晶ディスプレイを浮き彫りにしていた。


それにしても、先生の言うことも確かだ。

幻覚症状まで見るようになっては、さすがにまずい。良い加減か。今日は、早く寝よう。

あのおかっぱ頭の少女は、もう現れないだろう。何しろ、あれは、僕の精神的肉体疲労がもたらした産物だ。そうに決まっている。

あの夜、もう一度目を凝らせば、彼女の姿はなかった。




鳥肌だ。寒い。家では、暖房器具が手放せないというのに。なんだ、冷房が付いているじゃないか。いつの間に!故障だろうか。


壁のコントロールパネルは、窓枠の淵にある。立ち上がろうとして、デスクに片手をついた。



カタカタカタ



突如、パソコンの画面上を、文字がひとりでに走りはじめた。



〉わたしはころされた

〉わたしはころされた

〉わたしはころされた

〉わたしはころされた

〉ねぇだれがわたしをころしたの



途方もない思いに全身を支配された頃、職員室のドアが勢いよく開け放たれ、糸が解けたように、僕は、その場に倒れ込んだ。


「先生、大丈夫かい」


警備のおじさんは、すぐさま、駆けつけて抱き起こしてくれた。


液晶には、何事もなかったように、カーソルだけが文章作成用ソフトの白紙の上に点滅している。


やはり、先日のあの少女のことを思い出さずにはいられなかった。


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