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放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
02.最初の赤字は、宣戦布告

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02.2.実技テスト

 部室の空気を一瞬で塗り替えたのは、一人の男の登場だった。

 仕立ての良いスリーピースのスーツ。知性を縁取る黒縁眼鏡。その奥にある眼差しは、歓迎会の浮ついた熱気を冷徹に射抜いている。顧問の國分悟が、手に持った出席簿で軽く机を叩いた。


「賑やかなのは結構ですが、ここは放課後の遊び場ではありません。言葉を扱う者が、胃袋を満たすことだけに腐心してどうするのですか」


 國分の静かな声に、ピザを頬張っていた中野太陽の手が止まり、市川凛もスマホを叩く指を止めた。三年生の遠藤駆が苦笑しながら「まあまあ、國分先生。燃料補給ですよ」とフォローを入れるが、國分は表情を崩さない。


「佐倉くん、瀬戸口さん、そして中野くんに市川さん。入部おめでとう。しかし、ライティング部は入部がゴールではありません。今日この場から、君たちは『読者の時間を奪う側』の人間になる。その自覚があるかどうか、まずは確かめさせてもらいましょう」


 國分の言葉に呼応するように、部長の神崎涼香が優雅に立ち上がった。彼女の唇に、薄く、しかし挑戦的な笑みが浮かぶ。


「先生の仰る通りね。歓迎会の余興代わりに、最初のワークをやりましょうか。新入部員四人、タブレットを用意して」


 湊は、背筋に冷たいものが走るのを感じながら、鞄から端末を取り出した。隣の結衣は、待ってましたと言わんばかりの手つきで、すでにログインを済ませている。太陽と凛も、顔を見合わせながらも画面を点灯させた。


「テーマは、『翠明高校で見つけた、自分だけの違和感』。文字数は八〇〇文字。制限時間は三〇分。……始めなさい」


 涼香の宣告と共に、部室は一転して、キーボードを叩く音だけが響く戦場と化した。


 八〇〇文字。

 原稿用紙二枚分。普段、SNSで短い投稿を繰り返している湊にとって、それは果てしなく広い空白に見えた。


(違和感……。この数日間、僕が感じていたこと……)


 湊は、入学式から今日までの光景を必死に手繰り寄せた。


 自由を強調する校長の言葉。タブレットという名の新しい文房具。誰もが「何者か」になろうと急いでいる教室の熱気。そのすべてが、どこか自分を置いてきぼりにしているような、正体のない焦燥。


 湊は、胸の奥に澱(おり)のように溜まっていた感情を、そのまま文字に変えていった。論理も構成も後回しだった。ただ、この「空っぽ」な自分を誰かに分かってほしいという、叫びに近い独白を画面に叩きつけた。


 一方で、結衣は一度も指を止めなかった。彼女の画面には、すでに整然とした段落が積み上がっている。太陽は時折「うーん」と唸りながらも、持ち前の瞬発力で文字を埋め、凛は無表情のまま、凄まじいフリック入力で画面を文字で埋めていく。


「……はい、三〇分終了。全員、手を止めて」


 涼香の声が響く。湊は、最後の一句を書き終えたところで指を離した。全身に嫌な汗をかいていた。八〇〇文字を埋めることが、これほどまでに体力を削る作業だとは思わなかった。


「さて。書いたものをそのまま放置するのは、ゴミを捨てるのと同じよ」


 涼香は部室を見渡すと、控えていた二年生の四人を指差した。


「ここからは、先輩たちによる校閲の時間。書き手と読み手を入れ替えるわ」


 発表されたペアは、湊にとって、そしておそらく他の新入生にとっても、予想外に厳しい組み合わせだった。


「佐倉くんは小野寺くん。瀬戸口さんは三村さん。中野くんは早乙女さん。市川さんは高城くん。二年生は、妥協なしで赤を入れてちょうだい」


「よろしくな、佐倉」


 眼鏡を光らせて湊の前に立ったのは、小野寺拓海だった。彼は湊のタブレットを手に取ると、一読もせぬうちに「客観性が担保されているか、まずはデータから見させてもらうぞ」と宣言した。


 隣では、結衣が三村陽菜に原稿を渡している。陽菜は「わあ、結衣ちゃん、字がいっぱい! すごい熱意だねー」と笑っているが、結衣の表情は険しい。


 太陽は早乙女志乃の前に座り、その事務的な雰囲気に「志乃先輩、お手柔らかに!」と冗談めかしている。しかし、志乃は無言で画面を見つめ、静かにスタイラスペンを構えた。


 凛は高城陸の横に座った。陸は一眼レフを置き、凛の原稿をじっと見つめている。一言も発しない陸の無言の圧力に、あの自由奔放な凛が少しだけ居心地悪そうに身を縮めていた。


「言葉には、責任が伴います」


 國分が湊の横を通り過ぎる際、耳元で低く呟いた。


「君の書いたその八〇〇文字は、他人の貴重な三、四分を奪うに値するものか。これから先輩たちが、それを厳しく裁いてくれるでしょう」


 湊は、自分のタブレットをスクロールする拓海の指先を、祈るような、あるいは処刑を待つ罪人のような気持ちで見守った。


 歓迎会のピザの匂いは、すでに部室から消えていた。代わりに漂ってきたのは、張り詰めた緊張感と、デジタルデバイスが発する微かな熱気。


 自分の内側をさらけ出したつもりの、あの八〇〇文字。


 それが、これからどのように解体されていくのか。

 湊は、自分の呼吸が浅くなっていることに気づき、膝の上で強く拳を握りしめた。

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