02.1.新入部員歓迎会
入学式から一週間が過ぎ、翠明高校の校庭を彩っていた桜は、早くも瑞々しい若葉へとその姿を変え始めていた。
佐倉湊は、いまだに馴染まない新品のローファーの音を、校舎の板張りの廊下に響かせていた。放課後の校舎には吹奏楽部の音色や運動部の掛け声が遠く反響しているが、この部室棟の2階、その最奥にあるライティング部の部室周辺だけは、どこか切り離されたような独特の静寂が漂っている。
湊は、部室のドアの前で一度足を止めた。
あの日、神崎涼香のエッセイに射抜かれ、勢いで叩いた扉。そして、瀬戸口結衣という鋭利な刃物のような少女と出会った場所。今日からは自分も、その「場所」の一部になるのだという事実に、胃のあたりが微かに引き絞られるような緊張を覚える。
意を決して、湊は重い木製のドアを押し開けた。
「おっ、新人!待ってたぞ!」
出迎えたのは、爆発するような明るい声だった。
室内には、数日前のストイックな静寂はどこにもなかった。長机の上には数箱のデリバリーピザが広げられ、大きなコーラのボトルが何本も並んでいる。
声をかけてきたのは、三年生の遠藤 駆だった。彼は体育会系のような快活な笑みを浮かべ、湊の背中を豪快に叩く。
「今日は新入部員歓迎会だ。堅苦しい挨拶は抜きにして、まずは食え。言葉を紡ぐには、まず燃料が必要だからな」
部室の中には、すでに多くのメンバーが集まっていた。
「佐倉くん、いらっしゃい。こっちに座って」
おっとりとした口調で三年生の長谷川 澪が手招きをする。彼女の隣には、ミステリアスな微笑を湛えた部長の神崎涼香が座り、湊を静かに見守っていた。
湊は促されるまま、長机の端に腰を下ろした。そこにはすでに、自分と同じ「新入部員」たちの姿があった。
「よお、俺は中野太陽!よろしくな、佐倉」
隣の席から身を乗り出してきたのは、金髪に近い茶髪をワックスで整えた、いかにも「陽キャ」という雰囲気の少年、中野 太陽だった。彼はすでにピザを片手に、もう片方の手でタブレットを操作している。
「俺、中学の時からSNSの投稿とかやっててさ。Writiaでバズらせる記事書くのが目標なんだ。お前、入学式のエッセイに感動したんだって?渋いよなー!」
「あ、うん。よろしく、中野くん」
「太陽でいいって!あ、こっちは市川。俺たちの同期」
太陽が指し示した先には、湊たちと同じ制服を着た少女、市川 凛がいた。彼女は歓迎会の喧騒などどこ吹く風で、驚異的な速さでスマホをフリックしている。
「凛でいーよ。てか、ここの部室Wi-Fi爆速すぎ。神だわ」
凛は顔を上げることなく、爪をデコレーションした指先で画面を弾き続けている。彼女から発せられる言葉は短く、独特のリズムを持っていた。
賑やかな同期たちの様子に、湊は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。自分のような「空っぽ」な人間だけでなく、太陽のような活動的な者や、凛のような自由な者もいる。ここなら、自分もうまくやっていけるかもしれない。
そんな淡い期待は、向かいの席から注がれる視線によって、一瞬で凍りついた。
瀬戸口結衣。
彼女はピザの箱には一切目もくれず、背筋を伸ばしてタブレットを抱えていた。その瞳は、浮き足立つ新入生たちを観察するような、冷徹な理性を宿している。
「……歓迎会なんて、時間の無駄だと思わない?」
結衣が、湊にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。
「仲良しごっこをしている暇があるなら、一文字でも多くWritiaの下書きを進めるべきよ。私たちは『書き手』としてここにいるのであって、食事をしに来たわけじゃないもの」
湊は、コーラを飲み込もうとした喉が詰まりそうになった。彼女の言葉は、相変わらず鋭い正論として湊の胸を突く。
「それは、そうかもしれないけど……」
「いいよなー、結衣ちゃんはストイックで!」
横から太陽が能天気に割って入る。
「でもさ、こういう交流が意外なネタに繋がったりするんだぜ?なあ、拓海先輩!」
「データ上も、適度なリラックスは集中力を30パーセント向上させるという統計があるぞ」
眼鏡を光らせて答えたのは、二年生の小野寺 拓海だった。彼は自分のタブレットで何らかのグラフを表示させながら、冷静にピザを口に運んでいる。
「ただし、コーラの飲み過ぎは糖分の過剰摂取で思考能力を低下させる。太陽、お前は三杯目だ。そろそろ控えろ」
「げっ、マジっすか。あ、でも陸さんはもっと飲んでますよ!」
太陽が指差した先では、寡黙な二年生、高城 陸が無言でコーラを飲み干していた。その足元には、巨大なレンズを装着した一眼レフカメラのバッグが置かれている。
「……撮るだけだ」
陸は一言だけそう言うと、再び自分の世界に没入するようにレンズを磨き始めた。
さらに、賑やかな笑い声を上げているのは二年生の三村 陽菜だ。彼女は同じ二年生の早乙女 志乃の隣で、新入生たちの噂話に花を咲かせている。
「ねえねえ、湊くんだっけ?C組の佐野さんと知り合いなんでしょ?彼女、ダンス部でしょ?ライティング部にも顔出してくれるかなあ」
「えっ、あ、どうだろう……」
志乃が事務的な手つきでピザを小皿に取り分けながら、陽菜を制する。
「陽菜、まだ入部したばかりの彼を困らせないの。今は、彼らがこの環境に慣れるのが最優先よ」
賑やかな先輩たち、個性の強すぎる同期たち。
湊は、ピザの脂の匂いとコーラの泡が混ざり合う、この混沌とした部室の空気を懸命に吸い込んだ。
自分がこの場所で、どんな言葉を紡いでいけるのか。その答えはまだ見えない。けれど、視界の端で依然として厳しい表情を崩さない結衣の横顔を見ながら、湊は自分の中に、消えかかっていた緊張の炎が再び灯るのを感じていた。
その時。
部室のドアが、ノックもなしに静かに開いた。
入ってきたのは、仕立ての良いスリーピースのスーツを纏った、眼鏡の男だった。
その瞬間、部室内の喧騒が、まるで魔法が解けたように一瞬で消え去った。




