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放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
12.琥珀色のタイムライン

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5.暗がりのシチュエーション

 ひまりの放った無邪気な弾丸が、1年C組の受付カウンターに強烈な爪痕を残したまま、時間は昼時へと移り変わっていた。


 他部活の威勢の良い呼び込みの声が廊下に響き渡り、中庭からは焼きそばやフランクフルトのソースが焦げる香ばしい匂いが立ち上っている。


「よし、午前のシフトはここまで!午後の連中と交代だ!」


 柏木がパンパンと手を叩き、長机の周りに集まっていたクラスメイトたちに告げた。その顔には、初日を遥かに超える大盛況を収めているという確かな充実感がみなぎっている。


「湊、名取さんも、朝からずっと立ちっぱなしで受付やってくれてありがとな。休憩時間、しっかり飯食って祭りを楽しんでこいよ!」


「うん、ありがとう、柏木」


 湊が実直に頷き、ようやくコルク弾の入ったケースを置いて息を吐き出した。その隣で、くるみもまた、売上金が書かれたノートを几帳面に閉じながら、小さく伸びをする。


 二人は、背中に大きく『1-C』と白抜きされたグリーンのオリジナルのクラスTシャツを着たままだ。


「……あの、佐倉くん」


 くるみが、少し照れくさそうに上目遣いで湊を見つめてきた。ひまりに「恋のライバル」と指摘されたときの赤みはまだ完全に引いていないようで、その白い頬がほんのりと桜色に染まっている。


「もしよかったら、この休憩時間、私と一緒に回らないかな……?一人だと、どこに行けばいいか迷っちゃいそうで。それに、その……佐倉くんと一緒に、お揃いのTシャツで歩きたいなって」


「うん、もちろんいいよ、名取さん。僕も一人で回るより、名取さんと一緒のほうがずっと楽しいし」


 湊が少し照れながらも真っ直ぐに応じると、くるみはぱっと瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう!なんだかこれ、本当にペアルックみたいでちょっと恥ずかしいけど……でも、すごく特別な感じがするね」


 くるみは自分のTシャツの裾を少しだけ引っ張りながら、弾んだ声で言った。二人は並んで、人混みでごった返す廊下へと一歩を踏み出した。昨日までの、ネイビーのポロシャツに身を包んだ結衣との「オフィシャルな取材」とは明らかに違う、等身大の高校生らしい、どこか浮足立った甘い空気が二人の間に流れ始める。


「お腹、空いたね。まずは中庭で何か食べようか」


「あ、あそこのテント、ホットドッグ出してるよ! すごく美味しそう」


 くるみが指差した先には、ラグビー部が運営する豪快な模擬店があった。炭火で焼かれた極太のソーセージがパチパチと音を立て、ケチャップとマスタードの濃厚な匂いが周囲に漂っている。


 湊が二人分のホットドッグを買い、中庭の芝生エリアにある簡易ベンチを確保した。


「はい、名取さん」


「ありがとう、佐倉くん。……わあ、すっごく大きいね!」


 くるみは大きな口を開けて一口齧ると、その小柄な身体を弾ませるようにして「美味しい!」と笑った。


「ソーセージがパリッとしてて、肉汁がすごいよ。ねえ、佐倉くんも食べてみて」


「うん、本当だ。これはラグビー部ならではのボリュームだね」


 湊が実直な口調で感想を述べながら食べていると、くるみは嬉しそうに彼の手元を見つめ、それから自分の足元に視線を落とした。同じ色の、同じロゴがプリントされたグリーンのTシャツ。派手な教室の空気に馴染めず、周囲に気後れしてばかりいた二人が、今、この賑やかな祝祭のど真ん中で、同じ衣装を着て笑い合っている。


「私ね、文化祭ってちょっと不安だったんだ」


 くるみは、ホットドッグを包む紙を丁寧に見つめながら、ぽつりと本音を零した。


「みんながハデに盛り上がっている中で、自分だけ何をすればいいか分からなくて。生徒会の庶務の仕事とか、クラスの雑用とか、誰かに言われた役目をこなすだけでいいやって、私自身は『空っぽ』な気がしてたの。……でも、今回は違う。佐倉くんが一緒に悩んでくれて、こうして一緒に笑ってくれるから。生まれて初めて、文化祭が楽しいって思えてるんだよ」


 その言葉は、かつて湊がライティング部の門を叩く前に抱えていた、あの強烈な虚無感と見事にシンクロしていた。誰かに教わった言葉ではなく、彼女自身の心から溢れ出た本音(ボイス)。


「名取さん……。僕も同じだよ」


 湊は、自分のクラスTシャツの胸元をそっと握り締めながら、静かに語りかけた。


「僕も、特別な才能なんて何もないし、いつも周りの空気に流されてばかりで、自分が空っぽだと思ってた。でも、名取さんがそうやって『楽しい』って言ってくれるなら、僕がここにいる意味も、少しはあるのかなって思えるんだ。ありがとう、名取さん」


「佐倉くん……」


 くるみは胸を打たれたように真っ直ぐに湊を見つめ、それから慈しむような、深い信頼を込めた笑みを浮かべた。二人の距離が、物理的な距離を超えて、精神的なレイヤーでカチリと深く噛み合った瞬間だった。


「あ、そうだ!ご飯のあとは、あそこに行ってみない?」


 食後、くるみが少し悪戯っぽく瞳を揺らしながら、校舎の二階の一角を指差した。そこは窓という窓が完全に暗幕で覆われ、入り口には赤黒い絵の具で『呪われた廃病院』と殴り書きされた看板が掲げられていた。三年生有志による、本格的な「お化け屋敷」のブースだった。


「お化け屋敷?名取さん、大丈夫なの?」


「う、うん。実はあんまり得意じゃないんだけど……でも、文化祭の定番だし、佐倉くんと一緒なら、ちょっと冒険してみたいなって」


 少し強がるようなくるみの初々しい態度が可笑しくて、湊は「いいよ、行こう」と頷いた。


 受付で整理券を渡し、黒いビニールのカーテンを潜って中へと入る。その瞬間、外の眩しい光と喧騒が完全に遮断され、ひんやりとした冷気と、不気味な低音のBGMが響く暗闇の世界へと足を踏み入れた。


「……うわ、本当に真っ暗だね」


「ひゃいっ……!」


 奥からドサリ、と何かが落ちる音が響いた瞬間、くるみが小さく悲鳴を上げた。


 驚いた彼女は、反射的に湊の方へと飛び込み、彼のクラスTシャツの袖を、両手でぎゅっと強く掴み締めた。


「ご、ごめん……!でも、本当に何も見えなくて、怖いよ……」


 暗闇のなか、至近距離から伝わってくる、くるみの微かな震えと吐息。そして、この前教室で彼女を抱きかかえた時と同じ、工作用の絵の具の匂いと甘いシャボンの香りが、湊の鼻腔を猛烈に刺激した。


 ドクン、と湊の心臓が激しく脈打ち始める。Tシャツの薄い生地越しに、くるみの指先が自分の腕に触れているファクトが、頭の中をパニックに陥らせる。


「だ、大丈夫だよ、名取さん。僕の袖、掴んだままでいいから。ゆっくり進もう」


「うん……。佐倉くん、離さないでね」


 くるみは湊の腕にしがみつくようにして、一歩一歩、慎重に歩みを進める。突然、壁の向こうから「ウオオオ!」と特殊メイクをしたお化け役の生徒が飛び出してきた。


「キャッ!」


 くるみは完全にパニックになり、今度は袖だけでなく、湊の背中にしがみつくようにして、彼の身体にその華奢な身を完全に委ねてきた。密着する二人の体温。暗闇の迷宮という非日常の空間で、等身大の高校生である二人の距離は、もはやクラスメイトという境界線を完全に踏み越え、明確な甘い色彩を帯びて加速していた。


「はぁ……怖かったぁ……」


 どうにか出口のカーテンを潜り、光の溢れる廊下へと生還したとき、くるみは胸元を押さえながら、へなへなと安堵の息を吐き出した。その顔は、恐怖のせいだけではなく、ずっと湊に密着していた羞恥のせいで、完全に真っ赤に染まっていた。


「ごめんね、佐倉くん。強く引っ張っちゃって、Tシャツ、伸びてない?」


「ううん、全然大丈夫だよ。名取さんが無事でよかった」


 湊が少し照れくさそうに頭を掻くと、くるみは赤くなった顔を少しだけ伏せ、けれど嬉しそうに呟いた。


「佐倉くんといると、怖くても……なんだか、すごく安心する。本当に、一緒に回れてよかったな」


 グリーンのクラスTシャツに包まれた二人の背中に、昼下がりの温かい光が降り注ぐ。お揃いの衣装を着て歩く二人の姿は、誰が見ても、完璧な青春の風景そのものだった。しかし、その甘い時間の裏側で、暗示された結衣の影と、これから訪れる運命の交差点への秒読みは、確実に進んでいた。

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