↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
11.夕暮れのダンボール

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/89

11.3.板挟みのクラスメイト

 生徒会副会長である滝沢怜央が部室を去った後も、ライティング部には微かな緊張の余韻が漂い続けていた。


 明後日の十七時までに、二百文字という極限の制限の中で各部活の魅力を凝縮した事前紹介記事を完成させなければならない。


 結衣はすでにタブレット端末のエディタを開き、画面に視線を固定したままものすごい速度でフリック入力を始めている。他の先輩たちも、それぞれの担当セクションごとにデータの精査や構成案の構築へと移っていた。


 湊もまた、自身の端末を睨みつけながら、担当するクラスや部活のリストをチェックしていた。しかし、液晶画面に映る文字を追っていると、どうしても別の焦燥感が胸の奥で頭をもたげてくる。


 ライティング部としての大きなミッションはもちろん重要だが、湊にはもう一つ、自分が所属する1年C組の活動という、等身大の義務が残されていた。


「……じゃあ、僕はちょっと、クラスの準備に行ってきます」


 湊が小さく声をかけると、結衣は画面から目を離さないまま、同級生としてのいつもの鋭い口調で短く応じた。


「ええ。いってらっしゃい、湊。でも、クラスの作業に流されて、ライティング部の下書きが疎かになることだけは絶対に許さないから。しっかり自分のタスクを管理しなさいよね」


「うん、わかってる。なるべく早く戻るよ」


 湊はパイプ椅子から立ち上がり、部室の重い扉を開けて廊下へ出た。


 一歩外へ出ると、そこは九月上旬の気怠い熱気と、文化祭前特有の喧騒が渦巻く別世界だった。階段を下り、1年C組の教室へと向かうにつれて、ガムテープを引き剥がす音や、笑い声、段ボールを運ぶ足音がよりいっそう大きく鼓膜を震わせる。


 教室のドアを開けると、そこは完全に熱狂の真っ只中だった。


「お、湊!遅かったじゃん、待ちくたびれたぞ!」


 真っ先に声をかけてきたのは、中学からの腐れ縁である柏木亮だった。サッカー部のエースでもある彼は、持ち前の明るいキャラクターで、すでにクラスの男子グループの中心に立ってテキパキと指示を出している。


「ほら、うちのクラスの出し物は『射的』だろ?やるからには、学内で一番ハデで面白いブースにしたいんだよな。受付の看板も、そこらのダンボールじゃなくて、もっと立体感のある大きなやつを作ろうぜ!」


「相変わらず元気だね、柏木。僕は何を手伝えばいい?」


「おう、女子のほうで景品用の棚の土台とか、景品を並べる台のセッティングをやってるから、そっちの力仕事に混ざってくれ!」


 柏木はそう言って、再び他の男子たちと的の設置場所について熱い議論を始めた。彼の持つ、迷いのない軽やかさは、自分を「空っぽ」だと感じている湊にとって、眩しく、そして少しだけ残酷に映る日常の象徴だった。


 湊は言われた通りに、教室の後方、ブルーシートが敷かれた一角へと歩み寄った。そこには、大量のダンボールの束と、ペンキの缶、そして頭を抱えるようにして書類を見つめている一人の女子生徒の姿があった。


 クラスの文化祭実行委員であり、生徒会庶務として連絡係も任されている、名取くるみだった。


「……あ、名取さん。何か手伝えることはある?」


 湊が声をかけると、くるみはびくっと肩を揺らし、頼りなげな視線をこちらに向けた。真面目で押しが弱そうな彼女の瞳には、明らかな疲労の色が滲んでいる。


「あ、佐倉くん……。ありがとう。その、すごく助かるな……」


 くるみは力なく微笑み、手元のプリントを見せた。そこには、生徒会から突きつけられた予算の上限や、火気使用の制限、装飾の高さに関する事細かなルールがびっしりと並んでいる。


「実はね、柏木くんたちの『もっとハデにやろう』っていうアイデアはすごく素敵だと思うんだけど……生徒会側、特に滝沢副会長のチェックがすごく厳しくて。予算も装飾のサイズも、これ以上大きくすると規律違反で出し物自体が中止になっちゃうかもしれないの」


 彼女の声は、教室を包む大音量の喧騒にかき消されそうなほど小さかった。


「でも、クラスのみんなはすごく盛り上がっているし、今さら『ルールだからダメ』なんて言ったら、雰囲気を壊しちゃう気がして……。どうやって説明したらいいか分からなくて、頭がパンクしそう」


 くるみの言葉を聞きながら、湊は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。


 周りの空気に抗えず、自分の意見も言えないまま、強い声に押しつぶされそうになる感覚。


 それは、ライティング部に入る前の、そして今でも時折、湊自身の心を支配する「空っぽさ」の痛みに酷似していた。


 教室の華やかな中心グループに気後れし、板挟みになって苦しんでいるくるみの姿が、どうしても他人事とは思えなかった。


「……名取さん、一人で全部抱え込まなくていいよ」


 湊は、くるみの隣にしゃがみ込み、実直な口調で静かに語りかけた。


「柏木も、クラスを困らせたくて言ってるわけじゃないんだ。ただ、面白いものを作りたいだけだから、生徒会のルールをちゃんと数字で伝えたら、きっと分かってくれる。まずは、何がどれくらいオーバーしているのか、僕が一緒に整理するよ」


「佐倉くん……」


 くるみは驚いたように目を見開いた後、ふっと張り詰めていた肩の力を抜いた。


「ありがとう。佐倉くんって、いつもクラスで落ち着いているから、なんだか話しやすくて……。そう言ってもらえるだけで、すごくホッとするな」


 少しだけ赤くなった頬を隠すように、くるみは立ち上がると、近くにあった大きな段ボールの箱へ手を伸ばした。中には、景品の土台にするための、重たい木製のブロックや工作用の端材がぎっしりと詰まっている。


「じゃあ、まずはこの材料の数を数えて、予算内に収まるか計算し直してみるね。これをあっちの机まで運んで……」


「あ、名取さん、それ重いから僕が……」


 湊が制止の声をかけるのと、くるみが箱を持ち上げようとしたのは同時だった。


「えっ」


 予想以上の重量だったのだろう。くるみの華奢な身体が、持ち上げた瞬間に前方へと大きく傾いた。箱の重さに引っ張られるようにして、彼女の足元がぐらりと大きく揺れる。


「危ない!」


 湊は反射的に身体を動かしていた。


 一歩踏み出し、バランスを崩して倒れ込んできたくるみの身体を、正面からしっかりと受け止める。


 ドサリ、と重たい段ボール箱がブルーシートの上に落ちる鈍い音が響いた。それと同時に、湊の腕の中には、小柄なくるみの柔らかな身体がすっぽりと収まっていた。


 抱きかかえるような形の、完全な身体的接触。


 ドクン、と湊の心臓が、耳元で激しく鐘を鳴らすように跳ね上がった。腕の中に伝わる、くるみの体温。ほんのりと漂う、工作用の絵の具と、彼女自身の甘いシャンプーの香りが、至近距離で湊の五感を猛烈に刺激する。


「……あ」


 くるみもまた、完全に硬直していた。湊のブレザーの胸元に顔を埋めるような格好のまま、微かに呼吸を震わせている。教室の喧騒が、その瞬間だけ、二人の間から完全に消え去ったかのような錯覚に陥る。


「ご、ごめん!大丈夫、名取さん?」


 湊は慌てて腕の力を緩め、彼女の肩を支えながら距離をとった。


 くるみは、弾かれたように顔を上げると、その顔は耳の根元まで完全に真っ赤に染まっていた。大きな瞳を潤ませ、きょとんとした表情で湊を見つめている。


「う、うん……。大丈夫。助けてくれて、ありがとう、佐倉くん……」


 くるみは胸元を押さえながら、蚊の鳴くような声で呟いた。その瞳には、単なる驚きだけではない、微かな、しかし確実な熱が宿っているように見えた。


 夕方の教室、西日が差し込むブルーシートの上で、二人の間に、それまでの単なるクラスメイトという境界線を僅かに踏み越えるような、初々しくも甘酸っぱい空気が、静かに、けれど確かに生まれようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。