02.5.解体と再構築の決意
部室の空気は、まるで見えない火花が散っているかのように張り詰めていた。
新入生四人の手元にあるタブレットは、どれも先輩たちの手によって真っ赤な修正液をぶちまけたような惨状になっている。湊は拓海の「泥団子」という言葉に打ちのめされ、太陽は志乃の「語彙力の欠如」という指摘に青ざめ、凛は陸の沈黙に苛立ちを隠せずにいた。
中でも結衣の周辺は、ひときわ険悪な空気が漂っていた。
「……納得できません。陽菜先輩、さっきから『疲れちゃう』とか『閉じちゃう』とか、そんな主観的な感想ばかりで、どこが論理的に間違っているのか具体的に示してください」
結衣が、氷のような声で陽菜に詰め寄る。その瞳には、自分の完璧なロジックを否定されたことへの、剥き出しの敵意が宿っていた。
陽菜はいつもの明るい笑みを消し、困ったように首を傾げた。
「あのね、結衣ちゃん。ライティングって数学じゃないの。どれだけ式が正しくても、解く気が起きない問題に価値はないんだよ。……ちょっと、空気悪くなりすぎじゃない?」
部室の温度が数度下がったような気がした。湊は、自分が否定された痛みも忘れ、結衣と陽菜の間に流れる一触即発の緊張感に息を呑む。
その時。
「わはは!いいぞ瀬戸口、その意気だ。去年の拓海を思い出すなあ!」
部室の奥から、駆の豪快な笑い声が響き渡った。凍りついていた空気に、一気に温かな風が吹き込まれる。
駆は、湊たちの肩をまとめて抱え込むようにして、ひょいと長机の上に腰掛けた。
「おい新人ども、そんな死にそうな顔すんなって。拓海に志乃、お前らも少しは加減してやれよ。自分たちが去年の今頃、國分先生にどれだけこてんぱんにされてたか、もう忘れたのか?」
拓海が苦々しげに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……駆先輩。それは今、関係ないでしょう」
「大ありだよ。佐倉、いいか。こいつな、去年の最初の課題で『データ不足!論理破綻!やり直し!』って國分先生に怒鳴られて、三日間寝ずにリサーチして、結局最後は知恵熱出して保健室送りになったんだぞ」
「ちょ、駆先輩!」
拓海が珍しく顔を赤くして声を荒らげる。その様子に、太陽が「えっ、拓海先輩でもそんなことが……?」と目を丸くした。
「私だってそうよ」
志乃が、ふっと表情を和らげ、自嘲気味に微笑んだ。
「入部当初の私は、公用文のような面白みのない記事しか書けなくてね。涼香部長に『あなたはAIの代わりになりたいの?』って言われて、一晩中泣きながら語彙集を読み漁ったわ。……今の太陽くんより、ずっとひどかったかもしれないわね」
その言葉に、部室内を支配していたトゲトゲした空気が、一気に霧散していった。
凛の校閲を担当していた陸も、一眼レフを置いて静かに口を開いた。
「……俺も。写真はいい。でも、言葉が追いつかない。……何度も、ボツにされた」
「陸の去年のボツ原稿、部室のサーバーに山ほど眠ってるもんね」
陽菜がいつもの調子を取り戻し、結衣の肩をぽんと叩いた。
「ね、結衣ちゃん。悔しいのは、ここに入部した部員全員が通る道なの。誰もが最初は、自分の大切にしてる何かを否定されて、真っ赤に染まった原稿を見て絶望するの。でも、それは先輩たちが意地悪してるんじゃなくて、君たちの言葉を『もっと遠くへ届く翼』にしてあげたいからなんだよ」
湊は、自分のタブレットに視線を落とした。
拓海の赤字。それは、湊の「主観」を殺すための刃ではなく、湊の「ボイス」を支えるための土台を築こうとする、不器用なエールだったのではないか。
型があるから、自由になれる。
客観があるから、主観が輝く。
拓海がいち早く叩き込んだPREP法のアルファベットが、今は冷徹な記号ではなく、未知の海へ漕ぎ出すための羅針盤のように見えてきた。
「……小野寺先輩」
湊は、スタイラスペンを握り直し、拓海を真っ直ぐに見据えた。
「……もう一度、最初から書き直させてください。僕の感じた違和感を、PREP法を使って、自分勝手な形容詞を削ぎ落として構築し直します。他人の時間を奪うに値する『情報』として」
拓海は一瞬驚いたように目を見開き、それから満足げに、しかし相変わらず厳しい口調で頷いた。
「いいだろう。だが、次はもっと厳しいぞ。……覚悟しろ、佐倉」
「よしっ、俺もやるぜ!志乃先輩、次は『ヤバい』封印っす!」
「ウチも。……陸さんの沈黙を言葉にさせてやるし」
太陽と凛も、顔に生気を取り戻して再び画面に向き合う。
結衣もまた、悔しそうに唇を噛みながらも、「……陽菜先輩。次は、あなたが最後まで読みたくなるような、論理的でかつ『面白い』記事を書いてみせます」と宣言した。
部室の中に、再び打鍵音が響き始める。
それは先ほどまでの焦燥を含んだ音ではなく、確かな意志を持った、建設的なリズムだった。
解体され、否定され、そして再び積み上げる。
新入生四人は今、ライティング部という名の戦場の、本当の入り口に立っていた。




