02.4.PREP法の洗礼
部室の隅で、湊は赤く染まった自著の残骸を呆然と見つめていた。
先ほどまで感じていた、自分の内面を曝け出したという一種の陶酔感は、拓海の放った「泥団子」という言葉によって無残に瓦解していた。隣では、同じく厳しい指摘を受けた太陽が机に突っ伏し、凛は不機嫌そうにタブレットの縁を爪で弾いている。結衣だけが、陽菜の「読みづらい」という指摘を咀嚼するように、眉間に深い皺を寄せて画面を睨みつけていた。
「佐倉、顔を上げろ。いつまでも自分のポエムの通夜をしている暇はないぞ」
拓海が冷淡な声で湊を呼び戻す。彼は湊のタブレットを奪い取ると、白紙の新規ページを立ち上げ、大きな文字で四つのアルファベットを書き込んだ。
「P・R・E・P。……これが何だか分かるか?」
湊は力なく首を振った。今の彼にとって、文字はすべて自分を否定するための記号にしか見えなかった。
「PREP法だ。ライターが読者の時間を奪わないために身につけるべき、もっとも基礎的で、もっとも強力な『型』だ」
拓海はスタイラスペンで、それぞれの文字を力強く囲んだ。
「PはPoint(結論)、RはReason(理由)、EはExample(具体例)、そして最後のPはもう一度Point(結論の繰り返し)。……いいか、佐倉。君の文章がなぜ泥団子なのか。それは、君が『E』の海で溺れているからだ」
拓海の説明は、湊の傷口を正確に縫い合わせる外科手術のように淡々と進んだ。
「君は、自分がどう感じたかという具体例(Example)やエピソードばかりを書き連ね、結局何が言いたいのかという結論(Point)を最後まで隠し持っている。ミステリー小説ならそれでもいいが、Webメディアにおいて、結論の見えない文章はただの苦行だ。読者は三行読んで結論が見えなければ、すぐに別のページへ去っていく」
「でも、結論を最初に言っちゃったら……その後に書く僕の気持ちとか、葛藤とかが台無しになりませんか?」
湊は、微かな抵抗を試みた。自分の心の揺れ動きこそが、書くことの価値だと思っていたからだ。しかし、拓海はその反論を鼻で笑った。
「台無しにするのは、君の独りよがりな構成の方だ。最初に結論を提示するのは、読者に『この文章はこういう地図で進みますよ』と約束する行為なんだ。目的地がわかっているからこそ、読者は安心して君の個人的なエピソード(具体例)という景色を楽しむ余裕ができる。型に嵌めることは、個性を殺すことじゃない。個性を、他人が受け取れる『形』に整えることだ」
湊は、拓海に示された四つのアルファベットをじっと見つめた。
結論、理由、具体例、結論。
あまりに簡潔で、あまりに無機質なその骨組みを前にすると、自分が先ほどまで執着していた八〇〇文字が、ひどく幼く、頼りないものに思えてきた。
ふと視線を上げると、部室の反対側では事務的な志乃が、太陽の原稿を一行ずつ指でなぞりながら、厳しい口調で説教をしていた。
「中野くん。この一文に客観的事実が一つも含まれてないわ。主観的な形容詞は、事実という土台があって初めて輝くもの。感情を書きたいなら、まずその感情を引き起こした『現象』を正確に記述しなさい。それができないなら、君の言葉はただの叫び声に過ぎないわ」
太陽は、いつもの調子いい笑みを消し、必死に頷きながらメモを取っている。自由奔放な凛も、陸の沈黙に耐えきれなくなったのか、「……わかった。ここ、具体的な数字とか入れた方がいいんでしょ。リサーチしてくるし」と、投げやりながらも修正の方向性を見出していた。
皆、戦っていた。
自分の中にある、形のない「伝えたいこと」を、他人の冷たい眼差しに耐えうる「情報」へと鍛え直すために。
湊は、再び自分のタブレットに視線を落とした。
拓海が赤いペンで引いた修正線は、よく見ると湊の文章の「核心」だけは残していた。湊が本当に伝えたかった、翠明高校という新しい環境への期待と恐怖。その、名前のつかない微かな震えだけは、拓海の冷徹な論理の中でも死んでいなかった。
「……型があるからこそ、想いは遠くへ届く」
先ほど國分顧問が残した言葉が、湊の脳裏で静かに反響した。
独りよがりの言葉は、自分の周囲数センチメートルの空気しか揺らせない。けれど、正しい型に流し込まれた言葉は、顔も知らない誰かの心の奥底まで、矢のように届く可能性がある。
「小野寺先輩」
湊は、掠れた声で拓海を呼んだ。
「……教えてください。僕のこの『違和感』を、PREP法で組み立て直すには、どこを結論にすればいいですか」
拓海は眼鏡の奥で、ほんの一瞬だけ、口角を上げたように見えた。
「それを決めるのは君自身だ、佐倉。だが、君の泥団子の中から一番硬い芯を見つけ出す手伝いくらいはしてやる」
部室の窓の外では、完全に日が落ち、紺青色の夜が桜ヶ瀬の街を包み込み始めていた。
タブレットのバックライトが、四人の新入生の真剣な表情を青白く照らし出す。
歓迎会の楽しさはもうどこにもない。あるのは、一文字を削り、一文字を置くための、地道で孤独な格闘だけだった。湊は、拓海から渡されたスタイラスペンを握り直し、真っ赤に汚された自分の原稿の、最初の一行にペン先を当てた。




