第4話 神官少女は、聖剣が逃げ出すことを知っていた
「アルセリアぁぁぁぁぁぁ!」
俺の叫びとほぼ同時に、家の奥から漏れていた青白い光が消えた。
遅い。
もう何もかも遅い。
玄関先には王国騎士が三人。その中央には大神殿の上位神官らしい銀髪の少女、エルナ・フィリス。
そして全員が、今まさに俺の家の奥から漏れた光を見た。
どう考えても誤魔化せる状況ではない。
「今の光は……」
騎士の一人が腰の剣へ手を伸ばした。
俺は反射的に両手を上げる。
「待ってください。説明します」
「説明?」
「はい。たぶん、ものすごく信じてもらいにくい説明になりますけど」
「カイル・レインズ。まず家から離れろ」
騎士の声が低くなる。
当然だ。
彼らから見れば、聖剣盗難の容疑者候補の家から聖属性らしき光が漏れたのだ。
捕縛されても文句は言えない。
だが。
「待ってください」
エルナが片手を上げた。
騎士たちが動きを止める。
「聖務官殿?」
「まだ剣を抜く必要はありません」
「しかし」
「この家にあるものが、私たちの探している《聖剣アルセリア》である可能性は高いでしょう。だからこそ慎重に進めるべきです」
エルナの視線が俺へ戻る。
「カイル・レインズさん」
「はい」
「あなたは、聖剣を盗みましたか?」
「盗んでません」
即答した。
「昨日、選定会場から持ち出しましたか?」
「持ち出してません」
「誰かから受け取りましたか?」
「それも違います」
「では、なぜここに聖剣の気配があるのですか?」
ここからだ。
俺は一度息を吸った。
「帰ったら、玄関にいました」
沈黙。
騎士三人の顔が揃って固まった。
やっぱりそうなるよな。
「……玄関に?」
エルナだけは、声の調子をほとんど変えなかった。
「はい。昨日、勇者選定で俺が聖剣を抜けなかったあと、家に帰ったんです。そうしたら、うちの玄関前にアルセリアが立ってました」
「自分で?」
「たぶん」
「どうやって移動したかは?」
「瞬間移動できるみたいです」
騎士の一人が眉をひそめた。
「ふざけるな」
「ふざけてません。本当にできるんです」
「聖剣が自ら転移して、選定に失敗した候補者の家まで移動したと?」
「俺だって昨日まではそんな剣だと思ってませんでしたよ」
説明している俺自身が一番つらい。
しかも。
「それで、返そうとしたんですが」
「返そうとした?」
「逃げます」
「……何が?」
「聖剣が」
今度こそ騎士の一人が露骨に呆れた顔をした。
俺だって同じ立場ならそうする。
「床を滑ったり、急に重くなったり、今朝は神殿へ持っていこうとしたら検問で光り出して」
「お前、今朝の不審者か!」
騎士の一人が声を上げた。
「あ」
しまった。
余計なことまで言った。
「毛布に包んだ長物を背負って、北大通りの検問から逃走した男!」
「……逃げたのは本当にすみません。でも、あの場で剣を見せたらもっと大騒ぎになると思って」
「現に大騒ぎだ!」
「それはそうなんですが!」
話がどんどん悪い方向へ行く。
そのときだった。
「やはり」
エルナが小さく呟いた。
俺も騎士たちも彼女を見る。
「聖務官殿?」
「いえ。こちらの話です」
そう言いながらも、エルナの表情は明らかに変わっていた。
驚いているというより。
納得している。
俺は思わず聞いた。
「もしかして、信じてます?」
「あなたが嘘をついていない可能性は高いと思っています」
「え?」
「少なくとも、聖剣が自律的な意思を持って行動するという部分については」
今度は俺が固まった。
騎士たちも同じらしい。
「聖務官殿。それはどういう意味です」
「……ここでは話せません」
エルナが周囲を見る。
住宅街とはいえ、騒ぎを聞きつけた近所の人たちが遠巻きにこちらを見始めていた。
「カイルさん。家の中へ入らせてもらえますか?」
「それは……」
寝室には聖剣。
しかも布団をかぶって隠れている。
さらにミリアまでいる。
隠し事の総量が多すぎる。
俺が迷っていると、家の奥から声がした。
「カイル。もう無理よ」
ミリアが居間から顔を出した。
エルナと騎士たちがそちらを見る。
「ミリア……」
「このまま玄関で押し問答してたら、近所中に広まるわ。それなら中で話したほうがまだマシ」
その通りだった。
俺は諦めて扉を大きく開ける。
「……どうぞ」
◇
居間。
俺とミリアが並んで座り、その向かいにエルナ。
騎士三人のうち二人は玄関、残り一人は居間の入口に立っている。
問題の聖剣は。
「アルセリア」
俺が呼ぶ。
反応なし。
「もう隠れてても無駄だから出てこい」
静寂。
「頼むから余計に話をややこしくするな」
しばらくして。
寝室の扉が、ゆっくり開いた。
ずる。
聖剣が出てきた。
刀身には俺の掛け布団を巻きつけたまま。
「何で布団まで持ってくるんだよ」
ぴか。
「返してこい」
聖剣は少し止まったあと。
ずるずる。
寝室へ戻る。
十秒後。
布団を置いて帰ってきた。
「そういうところだけ妙に素直なんだよな……」
エルナが聖剣をじっと見ている。
騎士の一人は完全に言葉を失っていた。
「……本当に動くのですね」
「だから言ったでしょう」
ミリアが言う。
エルナは立ち上がらない。
近づこうともしない。
ただ、聖剣を観察している。
「アルセリア」
静かな声。
聖剣が反応した。
青い宝石が、わずかに光る。
「私が誰か分かりますか?」
ぴか。
「……そうですか」
エルナがほんの少しだけ目を伏せた。
「それでも、大神殿へ戻る気はありませんか?」
聖剣の光が消えた。
次の瞬間。
俺の椅子の後ろへ移動した。
「おい」
明らかに隠れた。
しかも俺を盾にしている。
エルナはその様子を見ても驚かなかった。
むしろ、予想していたかのように小さく息を吐いた。
「やっぱり」
「さっきから、それ何なんです?」
俺が聞く。
エルナは少し迷った。
それから騎士へ視線を向ける。
「グラッドさん。少しだけ、外してもらえますか」
「ですが」
「この件は聖務院の管轄です。責任は私が持ちます」
「……承知しました」
騎士は不満そうだったが、居間から出ていった。
扉が閉まる。
エルナはしばらく黙っていた。
「まず謝ります」
「何をです?」
「大神殿は、聖剣について国民へすべてを公開しているわけではありません」
その言葉に、ミリアの表情が変わる。
「やっぱり何か隠してるのね」
「隠している、という表現が適切かは分かりません。正確には、私たち自身も分からないことが多すぎるのです」
「聖剣なのに?」
「聖剣だからです」
エルナは静かに続けた。
「三百年前、初代勇者レオンが魔王を討った後、アルセリアは大神殿へ預けられました。それ以来、勇者選定のたびに候補者の適性を測る存在として扱われています」
「そこは俺たちも知ってます」
「ですが、聖剣自身が何を基準に人を選んでいるのかは、今も分かっていません」
「それもまあ、そうでしょうけど」
「さらに言えば」
エルナの声が少し低くなった。
「アルセリアは、過去にも何度か神殿からいなくなっています」
「……は?」
俺とミリアの声が重なった。
「今回が初めてじゃないんですか?」
「公には、初めてです」
「でも実際は違う?」
「はい」
エルナが頷く。
「記録に残っているだけで、三度。いずれも数時間から数日後には神殿へ戻っています」
「どこに行ってたんです?」
「分かりません」
「戻ってきたなら聞けばいいじゃないですか」
「今と同じです。言葉を話せませんから」
たしかに。
俺たちだって、こいつの質問への反応から推測しているだけだ。
「それじゃあ、今回もそのうち戻ると思ってた?」
「本来なら」
エルナが俺の背後を見る。
聖剣はまだ椅子の後ろに隠れている。
「ですが今回は明らかに違います。アルセリアが特定の人物の家へ行き、その人から離れることを拒否している」
「俺が初めて?」
「少なくとも記録上は」
「……なんで俺なんだよ」
思わず呟く。
俺は名門貴族でもない。
魔力だって突出していない。
剣の腕も養成院では上位だが、天才と呼ばれるほどじゃない。
昨日だって聖剣を抜けなかった。
それなのに。
アルセリアは俺の家まで来た。
「一つ、確認してもいいですか?」
エルナが言う。
「何です?」
「昨日。あなたが選定壇へ上がったとき、何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……」
思い返す。
祭壇。
神官。
聖剣。
柄を握った。
抜こうとした。
動かなかった。
そのあと。
「あ」
「何か?」
「手を離したとき、一瞬だけ柄の宝石が光った気がしました」
エルナの顔色が変わった。
「本当に?」
「はい。でもすぐ消えたんで、気のせいだと思ってました」
「色は?」
「青です。普段と同じような」
「強さは?」
「弱かったです」
エルナが黙る。
ミリアが尋ねた。
「何か分かるの?」
「可能性だけです」
「その可能性を聞かせて」
少しの沈黙。
やがてエルナが口を開く。
「勇者選定において、聖剣が候補者を選ぶときは、刀身全体が強く発光します。その後、祭壇の封印が解除され、剣を抜けるようになる」
「昨日も説明されました」
「ですが、柄の宝石だけが光る現象は別です」
「別?」
「古い記録に、一度だけ出てきます」
俺は無意識に姿勢を正した。
エルナが続ける。
「聖剣が勇者ではなく、《契約者》を選んだときに起きたと」
部屋の空気が止まった。
「契約者?」
聞いたことがない言葉だった。
「勇者と何が違うんです?」
「分かりません」
「またですか」
「その記録自体が不完全なんです。三百年前よりさらに古い文献で、ほとんどが失われています」
「じゃあ、本当にあるのかも分からない?」
「そうです。ただし」
エルナの目が聖剣へ向く。
「もし昨日の反応が《契約者選定》だったのなら、アルセリアがあなたを選びながら勇者選定を拒否した理由は説明できます」
俺も聖剣を見る。
「俺を勇者じゃなくて、契約者にしたかった?」
ぴか。
弱い光。
「……当たりみたいね」
ミリアが呟く。
俺は頭を抱えたくなった。
「その契約者って何をするんです?」
「それが分からないんです」
「じゃあ何も解決してないじゃないですか」
「残念ながら」
しかも俺たちは、昨日もう一つ確認している。
アルセリアは世界を守ってほしいとは言わなかった。
王国も。
人間も。
魔王を倒してほしいとも言わなかった。
ただ。
自分を守ってほしい。
そう答えた。
「エルナさん」
「はい」
「もう一つ聞きたいことがあります」
俺は少し迷ってから言った。
「アルセリアが、神殿を怖がる理由に心当たりありますか?」
エルナの瞳が揺れた。
「……なぜ、その質問を?」
やっぱり。
何かある。
俺は昨日のやり取りを説明した。
守ってほしいと聞いたこと。
何から守ってほしいのかを一つずつ確認したこと。
そして。
「神殿? って聞いたときだけ、少し反応したんです」
「……」
エルナは黙ったまま聖剣を見る。
長い沈黙だった。
「アルセリア」
エルナが静かに呼ぶ。
聖剣は返事をしない。
「昨日の選定儀式が怖かったのですか?」
反応なし。
「大神殿へ戻ると、何かされると思っていますか?」
ぴか。
今度は。
明確に光った。
俺とミリアが顔を見合わせる。
エルナは目を閉じた。
「……そうですか」
「知ってたんですか?」
俺が聞く。
エルナはすぐには答えなかった。
やがて、苦い表情で言う。
「確証はありません。ただ、今回の勇者選定では……これまでと違う儀式が予定されていました」
「違う儀式?」
「聖剣の力を、より強く引き出すための追加術式です」
ミリアの顔つきが変わった。
「それ、アルセリア本人の同意は?」
「……取れません」
「でしょうね」
「神殿側は、聖剣を意思ある存在ではなく『神授の神器』として扱っています。ですから、同意という考え方自体がありません」
俺は背後を見る。
俺の椅子に隠れている剣。
床を滑って逃げる。
機嫌がいいと光る。
嫌なことがあると重くなる。
遊ぶ。
布団に隠れる。
少なくとも俺には。
どう見ても意思がある。
「その追加術式って、何をするんです?」
「聖剣内部の魔力循環へ、神殿側から直接干渉します」
ミリアが立ち上がりかけた。
「それって――」
「はい」
エルナが先に答える。
「魔道具に対して行えば、制御術式と呼ばれるものです」
俺の中で。
何かが繋がった。
アルセリアは勇者選定の場から逃げた。
俺の家へ来た。
返そうとすると拒否する。
神殿へ近づくと光り出す。
そして。
自分を守ってほしいと言った。
「……つまり」
俺はゆっくり言う。
「こいつ、神殿に操られるのが嫌で逃げたんじゃないですか?」
エルナは答えなかった。
代わりに。
俺の椅子の後ろから。
ぴかああああっ。
強い青い光が溢れた。
それが答えだった。
俺はしばらく光を見つめた。
なんだ。
そういうことか。
聖剣は俺を勇者にしたいわけじゃなかった。
世界を救ってほしいわけでもない。
こいつはただ。
自分を道具として扱わない誰かのところへ、逃げたかった。
「カイルさん」
エルナが言う。
「お願いがあります」
「何です?」
「今はまだ」
彼女は小さく息を吐いた。
「アルセリアを大神殿へ返さないでください」
「……神官がそれ言っていいんですか?」
「たぶん、よくありません」
「ですよね」
「でも」
エルナは真っ直ぐ俺を見る。
「私は聖剣を管理するために聖務院へ入ったのではありません。聖剣の声を知りたくて、この仕事を選びました」
その言葉には。
さっきまでとは違う熱があった。
「ずっと不思議だったんです。なぜ誰も、アルセリアがどう思っているのかを考えないのか」
部屋が静かになる。
「今回の件は、神殿側にも責任があります。だからせめて、事情が分かるまでは」
エルナが聖剣へ目を向ける。
「この子が自分で選んだ場所にいさせてあげたい」
この子。
聖剣をそう呼んだ人間を、俺は初めて見た。
アルセリアも同じだったのかもしれない。
俺の背後から。
ぴか。
小さく。
でも、とても穏やかに光った。
「……決まりね」
ミリアが言う。
「しばらくこの家で匿うしかないんじゃない?」
「簡単に言うなよ。国宝だぞ」
「でも本人が帰りたくないって言ってる」
「剣だけどな」
「今さらそこ?」
「そこは大事だろ」
エルナが小さく笑った。
初めて見る、年相応の表情だった。
だが。
その笑顔はすぐ消えた。
「一つだけ問題があります」
「まだあるんですか」
「あります」
エルナの顔が真剣になる。
「今日の正午、大神殿から正式な発表が出ます」
「何の?」
「聖剣アルセリアの盗難について」
俺の嫌な予感が再び動き始める。
「現在、王国側は事件として扱っています。そして」
エルナが俺を見る。
「今朝、検問から逃げた人物の人相がすでに報告されています」
「……」
「おそらく今日中に」
一拍。
「カイルさんは、聖剣盗難事件の重要参考人として王都中に手配されます」
「先に言ってくださいよ、それ!」
俺が叫ぶと。
背後の聖剣が。
なぜか嬉しそうに光った。
「お前は本当に反省しろぉぉぉぉぉ!」
こうして俺は。
勇者になるどころか。
聖剣を守るため、王国から追われる側になりかけていた。




