第11話 聖剣を追う者たちは、俺を最初から『契約者』と呼んでいた
王都東側の森へ入ってから、俺たちは一度も足を止めていなかった。
祈祷所から持ち出した記憶結晶は俺の鞄の中にある。アルセリアの第七層記憶封印を経由して逆探知されている以上、とにかく距離を稼がなければならない。
問題は、相手もそれを分かっていることだった。
「右へ行きます。この先に古い狩猟道がありますから、森の奥へ入るより走りやすいはずです」
先頭を進むエルナが枝を払いながら進路を変える。
王都育ちの神官という印象からは想像しにくいほど足取りは確かだ。昔、この祈祷所へ何度か点検に来た経験があるらしい。
ミリアも遅れずについてきているが、さすがに呼吸は荒くなっていた。
「これだけ走れば、普通の騎士ならかなり距離を離せてると思うんだけど……相手はこっちの場所が分かるのよね?」
「第七層の封印を切るまでは、おそらく。逆探知そのものが完了していなくても、追跡信号の方向くらいは絞れているでしょう」
エルナの返答を聞き、俺は右手を見る。
契約紋は今も淡く光っている。
痛みはない。
ただ、ときどき手首の奥に糸を引かれているような感覚があった。
「これか」
『うん。嫌な感じがする』
俺の肩口を並んで飛ぶアルセリアから、以前よりはっきりした声が届く。
彼女自身にも、自分の中に残る第七層の封印が異物として感じられるようになったらしい。
「切れないのか?」
『たぶん切れる。でも、カイルと一緒にやらないと駄目』
第一封印《共鳴》が解除されてから、アルセリアはかなり多くのことを言葉にできるようになった。
それでも、自分の中に施された術式の扱い方まですべて思い出したわけではない。記憶結晶に保存された解析情報と契約紋を使えば解除できる可能性がある、と分かる程度だった。
俺がその内容を二人へ伝えると、ミリアが走りながら眉を寄せた。
「じゃあ、どこかで止まらないといけないわね。走りながら複雑な術式を解除するなんて無理でしょうし、失敗してアルセリアの方に影響が出たら洒落にならないもの」
「同感です。少し先に森番が使っていた小屋があります。今は放棄されていますが、外から見えにくい場所なので、そこで封印解除を試しましょう」
ひとまず目的地が決まった。
俺たちはさらに十分ほど森を走り、やがて低木に隠れるように建った古い木造小屋へ辿り着いた。
◇
小屋の中は狭かったが、雨風を凌ぐには十分だった。
崩れかけた机。
椅子が二脚。
壁際には昔使われていた薪。
俺が扉を閉める間に、エルナが窓へ布を掛け、ミリアは簡単な探知魔法を展開して周囲を警戒する。
「広範囲は無理だけど、誰かが百メートル以内へ入れば分かるわ。だから今のうちにやって」
「了解」
俺は机の上へ記憶結晶を置いた。
その隣へアルセリアを横たえる。
「大丈夫か?」
『怖いけど、あれが残ってる方がもっと嫌』
いつものアルセリアに比べれば、声が硬かった。
無理もない。
第七層は本人の同意なしに施された封印だ。
しかも十七年前からずっと、彼女の記憶を縛り、今では追跡のための道としてまで使われている。
「嫌だったら途中で止めるからな。追われるくらいなら別の方法を考えればいい」
そう言ってやると、アルセリアはしばらく黙ったあと、静かに光った。
『やっぱり、カイルでよかった』
「解除する前からそういうこと言うの、失敗できなくなるからやめてくれない?」
少しだけ声が明るくなる。
『がんばって』
「急に他人事になったな」
緊張がほんの少し和らいだ。
俺は契約紋のある右手を記憶結晶へ重ねる。
同時に左手でアルセリアの柄を握った。
瞬間。
視界が青白く染まった。
『第四十三代契約者を確認。聖剣アルセリアとの意思接続を確認』
記憶結晶の声。
『第七層記憶封印への解析接続を開始します』
右腕を通って、細い何かが流れ込んでくる。
文字ではない。
感覚。
無数の細い糸がアルセリアの記憶へ絡みつき、その一部だけが遠い場所へ伸びている。
「……これが追跡術式か」
『うん』
アルセリアにも同じものが見えているらしい。
糸を切ればいい。
直感的にはそう思う。
だが結晶の解析は、そんな単純なものではないと教えてきた。
第七層は記憶封印そのものと追跡術式が一体化している。
無理に破壊すれば。
封じられた記憶の一部まで壊れる。
「随分性格の悪い作りだな……」
解除されることまで考えてある。
まるで。
逃げようとすれば、その代償として自分の記憶を失わせるための仕組みだ。
『カイル。壊していいよ』
「駄目だ」
『でも、追いつかれる』
「だからってお前の記憶まで壊す理由にはならないだろ。別の方法を探す」
俺は糸を一つずつ確かめる。
契約紋を通して感じ取れる情報は多い。
追跡術式。
封印本体。
そして。
二つを繋いでいる細い接続部。
「これだけ外せないか?」
『……できるかも』
アルセリアの意識が、俺の感覚へ重なった。
一人では曖昧だった構造が急に鮮明になる。
これが《共鳴》なのだろう。
俺が見落とした場所をアルセリアが補い、彼女が理解できない術式の形を俺が捉える。
「行くぞ」
『うん』
同時に力を込めた。
青い光が弾ける。
絡み合った糸のうち、外へ伸びていた一本だけが。
切れた。
「っ……!」
アルセリアの刀身が震える。
俺の右腕にも鋭い痛みが走った。
だが。
記憶そのものを覆う封印は残っている。
『第七層外部接続、切断を確認』
結晶の声。
『逆探知経路、消失』
「成功した……?」
安堵しかけた。
その瞬間。
アルセリアから強烈な感情が流れ込んできた。
恐怖。
怒り。
そして。
記憶。
◇
白い部屋だった。
俺は再び。
アルセリアの過去を見ている。
祭壇。
光の鎖。
ただし以前見たものより新しい。
壁の装飾は、現在の大神殿とほとんど変わらない。
十七年前。
そう直感した。
アルセリアは祭壇の中央に固定されていた。
周囲には七人の神官。
全員が顔を隠すような白い法衣を着ている。
そして彼らの中央。
一人だけ。
黒と金の法衣を着た男が立っていた。
『記憶層の確認は?』
『第五層まで強固に封印されています。外部からの復元は困難です』
『それでいい。過去の契約者など、今さら掘り起こす必要はない』
声だけでは年齢までは分からない。
男がアルセリアの柄へ手を伸ばす。
その瞬間。
聖剣の刀身が激しく震えた。
『まだ拒絶するか』
男は怒らなかった。
むしろ。
予想していたようだった。
『三百年を経ても、契約制度の残滓が消えないとは厄介なものだ』
契約制度。
こいつらは。
知っていた。
『第七層を施せ。契約者への反応そのものを眠らせる』
別の神官が躊躇する。
『しかし、聖剣の自己認識へ干渉することになります。万一、破損すれば――』
『破損はさせるな。必要なのは従順な聖剣だ』
男が冷たく言う。
『聖剣に相棒など必要ない。王国が必要とするとき、王国が選んだ勇者へ力を貸せばいい。それ以外の意思は不要だ』
胸が熱くなる。
俺の怒りなのか。
アルセリアのものなのか。
もう分からなかった。
そして。
男が最後に言った。
『二度と契約者を生ませるな』
そこで。
記憶が途切れた。
◇
「カイル!」
目を開くと。
俺は床へ膝をついていた。
ミリアが肩を支え、エルナも隣へしゃがんでいる。
「大丈夫……です」
「全然そう見えないわよ。急に光が爆発したと思ったら、そのまま倒れかけたのよ?」
俺はアルセリアを見る。
床へ横たわった刀身から。
弱い光が漏れている。
「アルセリア」
『いるよ』
声が聞こえたことで、ようやく息を吐けた。
「記憶は?」
『大丈夫。壊れてない』
「よかった」
それだけ確認できればいい。
エルナが心配そうに俺を見る。
「何か見たのですね?」
「十七年前の記憶です」
俺は。
見たものをすべて話した。
七人の神官。
黒と金の法衣。
過去の契約者を知っていたこと。
第七層が偶然できたものではなく、意図的にアルセリアから契約者への反応を消すために施されたこと。
そして。
『二度と契約者を生ませるな』
その言葉を伝えたところで。
エルナの顔から血の気が引いた。
「その男の法衣……黒地に金色の縁取りでしたか?」
「はい。胸元には、あの《聖冠会》の紋章がありました」
エルナは両手を強く握った。
「聖冠会の議長だけが身につける法衣です」
「誰なんです?」
「現在の議長は大神官長ですが、十七年前は別の人物です。ただ、歴代議長の記録は聖務院にも残っています。祈祷所に戻れれば資料で確認できる可能性があります」
そこまで話したとき。
ミリアが突然立ち上がった。
「来た」
杖を掴む。
「探知魔法に反応。五人……いえ、六人。真っ直ぐこっちへ来る」
「逆探知は切ったはずだろ?」
「切る直前まで場所は分かってたのよ。最後に受信した位置へ向かってるんだと思う」
当然だ。
術式を切ったからといって、今まで得ていた情報まで消えるわけではない。
エルナがすぐ窓の隙間から外を確認する。
「王国騎士ではありません」
木々の間から。
白い人影が見えた。
騎士甲冑ではない。
神官服とも少し違う。
白い戦闘装束。
胸には。
さっき記憶で見たばかりの紋章。
《聖冠会》。
「偶然にしては出来すぎだな」
俺は普段の剣ではなく。
アルセリアの柄を握った。
「逃げますか?」
エルナの問いに、すぐ答えることはできなかった。
追跡術式は切った。
ここから離れれば、今度こそ逃げ切れる可能性は高い。
でも。
「森の中で逃げ続けて、また追跡手段を仕込まれたら同じことになります。それに、聞きたいことがある」
十七年前。
あいつらは契約者を生ませないと決めた。
それなのに。
俺は契約者になった。
なら。
彼らにとって俺は。
最初から何なのか。
答えは。
向こうから教えてくれた。
小屋の外から。
低い男の声が響く。
「第四十三代契約者、カイル・レインズ。そこにいることは分かっている」
俺たち三人は。
同時に動きを止めた。
第四十三代。
名前だけではない。
代数まで知っている。
「抵抗は推奨しない。聖剣アルセリアを引き渡し、契約紋の封印処置を受ければ命までは取らない」
俺は。
思わず笑ってしまった。
「なるほどな」
エルナが俺を見る。
「カイルさん?」
「こいつらですよ」
もう確定だ。
契約者を知っている。
四十三代目であることまで把握している。
つまり。
俺たちが地下で必死に掘り起こしている歴史を。
聖冠会は。
最初から全部知っていた。
俺はアルセリアを抜いた。
青白い光が薄暗い小屋を満たす。
『カイル』
「怖い?」
アルセリアは少しだけ間を置いた。
『ちょっと。でも、今は一人じゃない』
「俺もだ」
昨日なら。
こんな連中を相手に戦うなんて考えもしなかった。
今だって怖くないわけじゃない。
それでも。
アルセリアを渡すという選択肢だけは。
最初からなかった。
俺は小屋の扉へ手をかける。
外には。
聖冠会の執行官たち。
王国の歴史から四十二人を消し。
十七年前にアルセリアの記憶を封じ。
そして今。
俺たちを追ってきた人間がいる。
「エルナさん。ミリア」
振り返ると。
二人とも。
すでに戦う準備を終えていた。
「なるべく殺さずにいきます」
「それ、こっちが圧倒的に強い人の台詞じゃない?」
「希望くらい言わせてくれよ」
ミリアが苦笑する。
エルナも聖印を握り直した。
「でしたら、その希望を叶えられるよう支援します。少なくとも一人は拘束しましょう。今度こそ、こちらから情報を聞く番です」
「賛成」
俺は扉を開いた。
森の中。
六人の執行官が。
半円を描くように待っている。
中央の男が。
アルセリアを見た瞬間。
顔を歪めた。
「やはり完全契約まで進んだか。忌々しい」
その一言に。
俺はアルセリアを構える。
「安心したよ」
「何?」
「さっきまで、俺たちが勘違いしてる可能性も少しくらい考えてたんだ」
契約紋が。
青く輝く。
「でも、お前らは最初から全部知ってたんだな」
男の顔から。
感情が消えた。
「なら話が早い」
俺は。
聖剣を握り直した。
「アルセリアを返せって話なら、お断りだ」
青白い光が。
森を照らした。




