第12話 聖剣を封じる術式は、契約者には通じなかった
森を照らした青白い光に、六人の執行官が一斉に身構えた。
全員が同じ白い戦闘装束を着ている。騎士のような重い鎧ではなく、動きやすさを優先した服の上から急所だけを魔導金属で覆い、胸元には《聖冠会》の紋章が刻まれていた。
中央に立つ男だけは少し違う。
四十代くらいだろうか。短く刈った灰色の髪に、冷たい目。手には剣ではなく、細身の銀杖を持っている。
その男は俺よりも、アルセリアの方を見ていた。
「最後に警告する。聖剣を地面へ置け。契約紋についてはこちらで処置する。従う限り、君と同行者二名の生命は保証しよう」
口調は落ち着いている。
けれど、内容を聞けば安心できる要素など一つもなかった。
「その『処置』って、十七年前にアルセリアへやったのと同じようなものですか?」
俺が尋ねると、男の眉がほんの僅かに動いた。
それだけで十分だった。
知らない人間の反応ではない。
「どこまで見た?」
「答えると思います?」
「ならば、確認する必要もない」
男が銀杖を地面へ突く。
同時に、左右にいた四人の執行官が散開した。
最後の一人だけが後方へ下がり、両手を組んで何かの詠唱を始める。
「来ます!」
エルナの警告とほぼ同時。
足元へ白い線が走った。
俺は反射的に後ろへ跳ぶ。
さっきまで立っていた場所から、光の鎖が何本も飛び出した。
「これ……!」
見覚えがある。
アルセリアの記憶の中。
祭壇へ彼女を縛りつけていたものと同じだ。
『嫌い』
頭の奥に届いたアルセリアの声が、これまでになく硬い。
「ああ。俺も好きになれそうにないな」
鎖は俺ではなく、アルセリアを狙っていた。
一本。
二本。
空中で軌道を変えながら、刀身へ巻きつこうとする。
俺は聖剣を振るった。
青白い斬撃が走り、最初の鎖を断ち切る。
だが残りは消えない。
「カイル、左!」
ミリアの声に従って身を捻ると、俺の脇を細い光弾が通り過ぎ、後ろの木へ突き刺さった。
執行官の一人が、短杖をこちらへ向けている。
聖剣を封じる鎖だけではない。
俺自身も動けなくするつもりだ。
「《風矢》!」
ミリアの魔法が執行官へ飛ぶ。
男は防壁を展開したが、その間だけ俺への攻撃が止まった。
エルナも聖印を掲げ、俺たち三人の周囲へ薄い光の膜を張る。
「正面の術式は私が抑えます。ただし長くは持ちません。彼らは通常の神官戦闘術ではなく、聖剣対策に特化しています!」
「そんなものまで用意してる時点で、最初からアルセリアを信用してないじゃないですか!」
「だから私も腹が立っています!」
珍しく強い口調だった。
エルナ自身。
大神殿の人間だ。
聖剣を守るつもりで聖務院へ入り、実際にはその裏側でこんな術式が準備されていた。
怒るのも当然だろう。
中央の男が杖を掲げる。
「封剣陣、第二位階へ移行」
地面に。
大きな円が浮かび上がった。
嫌な予感がした瞬間。
アルセリアが急に重くなる。
「ぐっ……!」
片手では支えられず、両手で柄を握る。
『カイル……ごめん。動きにくい』
「謝るな。向こうが何かしてるだけだろ」
刀身の光も弱くなっている。
聖冠会は。
本当にアルセリアを封じる方法を知っている。
だからこそ余計に腹が立った。
こいつらはずっと。
聖剣が拒否する可能性を知っていた。
そのうえで。
拒否されても使えるようにする方法ばかり研究してきたのだ。
「それが正しい扱いだと思ってるんですか!」
俺が怒鳴ると、中央の男は表情を変えなかった。
「聖剣は国家存亡に関わる戦略級神器だ。一個人の感情や、剣そのものの気分に委ねていい力ではない」
「気分って……」
「魔王軍は人間側の事情など待たない。聖剣が嫌がったので戦えませんでした、では国は滅びる。だから管理する。それだけの話だ」
理屈だけなら。
分からないわけではない。
王国を守る立場なら。
いつでも使える最強の武器が欲しい。
聖剣の意思より、人命を優先すべきだと考える人間だっているだろう。
だからこそ。
俺は少しだけ冷静になれた。
「だったら、どうして歴史まで消した?」
男の目が細くなる。
「契約者の存在を隠して、アルセリアの記憶を封じて、勇者選定の意味まで変えた。国を守るために聖剣を使いたいだけなら、そこまでする必要はないでしょう」
返事がない。
「しかも十七年前には『二度と契約者を生ませるな』って言ってた。契約者がいると、お前らにとって何が困るんです?」
一瞬だった。
ほんの一瞬。
中央の男が俺ではなく。
右手の契約紋を見た。
そこだ。
何かある。
「……確保を優先しろ」
男の声が変わった。
さっきまでの余裕が消えている。
「契約者への直接攻撃を許可する。ただし殺すな。聖剣との接続を切断しろ」
六人が一斉に動いた。
「やっぱり答えられないんだな!」
俺も前へ出る。
◇
二人の執行官が左右から接近してきた。
短剣。
ただし普通の武器ではない。
刃の表面に細かな聖術文字が走っている。
『カイル、右の人の剣、嫌な感じ』
「了解!」
右を先に潰す。
俺が踏み込むと、執行官は正面から受けず、すぐ後退した。
代わりに左から短剣が伸びてくる。
狙いは俺の胸ではない。
右手。
契約紋だ。
「そこ狙ってくるのかよ!」
聖剣で刃を弾く。
接触した瞬間。
バチッ!
右手へ痺れが走った。
「っ!」
アルセリアとの繋がりが。
一瞬だけ薄くなる。
なるほど。
契約紋への攻撃。
そういう武器か。
「カイル!」
ミリアの風魔法が執行官二人の間へ炸裂し、俺が距離を取り直す時間を作ってくれた。
「大丈夫!?」
「右手狙いです。あの短剣、契約を弱める効果がある!」
「先に言ってほしい情報ばっかり増えるわね!」
「俺もそう思う!」
中央の男は動かない。
戦況を観察している。
たぶん。
俺が何をできるか調べている。
「エルナさん。あの中央の人、知ってます?」
「顔は見覚えがありません。ただ、指揮権を持っている以上、聖冠会直属の上級執行官です。通常の聖務官より権限は上だと思ってください」
「じゃあ捕まえたら色々知ってそうですね」
「カイル、今この状況で捕まえる側の話してるの?」
ミリアが呆れた声を出したが。
エルナは。
「賛成です」
「エルナさん!?」
「ここまで来た以上、一人くらい話を聞ける相手が必要です」
神官側の人間なのに。
最近だいぶ逞しくなってきた気がする。
とはいえ。
問題はどうやって捕まえるかだ。
今のままでは俺たちの方が不利。
封剣陣のせいでアルセリアは力を出し切れない。
契約紋まで狙われている。
「アルセリア」
『うん』
「封剣陣、壊せる?」
『わたしだけだと難しい。でもカイルと一緒なら、たぶん』
また。
《共鳴》か。
俺は一度目を閉じる。
「頼む」
『うん。一緒にやろう』
契約紋が熱くなる。
視界が変わった。
光の流れが見える。
封剣陣は単純な円ではない。
六人の執行官。
中央の男。
そして地面へ刺さった小さな杭。
全部が繋がっている。
アルセリアを抑えている力は。
中央から出ているわけではなかった。
「……あれか」
森の奥。
木の根元へ隠すように刺された。
一本の白い杭。
「ミリア! 右奥の木の下! 白い杭がある!」
「見えない!」
「俺には見える! 壊して!」
ミリアは一瞬も迷わなかった。
「《風槍》!」
圧縮された風が。
俺の示した場所へ一直線に飛ぶ。
執行官の一人が気づいた。
「防げ!」
だが。
遅い。
風槍が白い杭へ直撃した。
パキン。
小さな音。
その瞬間。
地面の封剣陣全体が大きく揺れた。
「何!?」
初めて。
中央の男が声を荒らげる。
アルセリアが。
急に軽くなった。
『カイル!』
「ああ!」
今だ。
俺は一気に前へ出る。
執行官二人が止めようとする。
だが。
さっきまでとは違う。
アルセリアの力が戻っている。
斬る必要はない。
刃ではなく。
腹で短剣を弾き。
もう一人には柄を当てる。
「ぐっ!」
二人が倒れる。
中央の男が杖を掲げた。
「第三封印――」
「させません!」
エルナの聖術が。
男の杖へ直撃した。
銀杖が弾き飛ばされる。
その一瞬。
俺は男の目の前まで踏み込んでいた。
アルセリアの切っ先を。
喉元へ突きつける。
「……終わりです」
男は動かない。
左右を見る。
執行官たちも。
動きを止めている。
俺は息を吐いた。
「武器を捨ててください。俺は別に殺し合いがしたいわけじゃない」
数秒。
長い沈黙。
やがて中央の男は。
ゆっくり両手を上げた。
「……分かった」
他の執行官たちも。
一人ずつ武器を地面へ置く。
「ミリア、武器を回収して。エルナさんは拘束できます?」
「聖務院の拘束術があります。対魔法処置も可能です」
「お願いします」
何とか。
勝った。
俺が少しだけ気を抜いた。
そのとき。
中央の男が。
笑った。
「何がおかしい?」
「いや」
男は。
俺の手の中のアルセリアを見ていた。
「少し安心しただけだ」
「安心?」
「四十三代目は、思っていたよりまともらしい」
意味が分からない。
「お前……」
男の視線が。
俺の契約紋へ移る。
「本当に何も知らないんだな」
「だったら教えてくださいよ」
「教えたところで、今の君は信じない」
「随分都合がいいですね」
男は。
首を横へ振った。
「違う。聖冠会が契約者を消した理由は、聖剣を支配したかったからだけではない」
空気が変わる。
エルナが拘束術を準備していた手を止めた。
「どういう意味です?」
男はエルナを見た。
「聖務官なら、古い記録の中に《聖剣災害》という言葉を見たことがないか?」
エルナの表情が変わった。
「……禁書目録に名称だけ。内容は閲覧権限外でした」
「なら話は早い」
男が俺へ視線を戻す。
「四十二人の契約者が、全員善人だったと思うか?」
俺は答えなかった。
考えたことがなかった。
「契約者は聖剣を道具にしない。聖剣も契約者を支配しない。美しい理念だ。だが双方が同意した場合――誰が止める?」
嫌な感覚が。
胸に生まれる。
「聖剣と契約者が、一緒に間違ったら?」
アルセリアが。
俺の手の中で小さく震えた。
「何があった?」
男は。
今度こそ。
笑わなかった。
「第四十代契約者が、一つの国を滅ぼした」
森から。
音が消えた。
「……何?」
「正確には、国王とその軍を聖剣で消し飛ばした。アルセリア自身も同意したうえでな」
俺は思わずアルセリアを見る。
『……覚えてない』
戸惑った声。
嘘をついている感じはない。
男は続ける。
「その次の第四十一代、セフィリア・アークは惨事の再発を防ぐため、自分とアルセリアの記憶を封じた。君たちが見つけた第五層は、そのためのものだ」
「セフィリアが……」
「そして彼女は死ぬ前に聖冠会の前身組織へ一つの警告を残した」
男の顔から。
完全に敵意が消えていた。
代わりに。
あるのは。
疲れたような表情だった。
「《聖剣を信じるな》」
アルセリアの光が。
止まった。
「待ってください」
エルナが声を挟む。
「先ほどあなたは、聖冠会が契約者を消したことを認めました。仮に第四十代の事件が事実だったとしても、アルセリア自身の意思を消し、勇者へ強制服従させることが正当化されるわけではありません」
「正当化するつもりはない」
男の返事は意外だった。
「我々も間違えた」
俺は。
思わず眉を寄せた。
「……え?」
「契約者を恐れすぎた。聖剣を道具として管理しすぎた。結果、アルセリアは我々から逃げた。そして再び契約者が生まれた。それが現状だ」
これまで。
俺たちの中では単純だった。
神殿がアルセリアを支配しようとした。
アルセリアが逃げた。
俺が守る。
だが。
もし今の話が本当なら。
過去には。
契約者側にも問題があった。
「証拠は?」
男が。
僅かに口元を上げた。
「ある」
「どこに?」
「君が持っている」
俺の手が。
無意識に鞄へ触れた。
記憶結晶。
「まさか」
「第四十代の記録は第五層に封じられている。記憶保全媒体を手に入れたのなら、自分で見ろ」
男は。
最後にアルセリアを見た。
「それを見たうえで、それでも聖剣と共に歩くと言えるなら」
俺へ視線を戻す。
「そのとき初めて、君が本当に第四十三代契約者として何を選ぶのか見せてもらおう」
俺は。
何も答えられなかった。
手の中では。
アルセリアも黙っている。
味方と敵。
正しい側と間違っている側。
そんな単純な話では。
ないのかもしれない。
ただ。
一つだけ。
変わらないことがある。
俺はアルセリアの柄を握り直した。
「それでも、今ここでアルセリアを渡すつもりはありません」
男は。
静かに頷いた。
「それでいい」
「……随分あっさりですね」
「今の君から無理に奪えば、我々が十七年前と同じ過ちを繰り返すだけだ」
この人間が。
本当に何を考えているのか。
まだ分からない。
ただ少なくとも。
俺たちが聞くべき話を。
たくさん持っている。
「エルナさん」
「はい」
「予定通り拘束してください」
「承知しました」
男が初めて少し驚いた顔をする。
「この流れで拘束するのか?」
「そりゃしますよ。俺たち襲われたんですから」
「……もっともだ」
ミリアが堪えきれず笑い出した。
張り詰めていた空気が。
ほんの少しだけ緩む。
けれど。
俺の鞄の中には。
笑って済ませられない記録が眠っている。
第四十代契約者。
聖剣災害。
一つの国を滅ぼした。
そして。
セフィリアが残したという。
《聖剣を信じるな》という言葉。
俺は。
手の中のアルセリアを見る。
彼女も。
俺を見ているような気がした。
『カイル』
「大丈夫」
『でも……』
「記録は一緒に見る」
少しだけ間を置いて。
俺は続けた。
「何が出てきても、お前だけに背負わせない。それから考えよう」
アルセリアは。
しばらく黙っていた。
やがて。
小さく。
青い光が灯る。
『うん』
今までの俺なら。
聖剣なんだから正しい。
そんなふうに考えていたかもしれない。
けれど。
たぶん契約者っていうのは。
聖剣を無条件で信じる人間でも。
聖剣を命令に従わせる人間でもない。
間違ったとき。
一緒に止まって。
一緒に考えるための存在なのだ。
その答えが正しいかどうかは。
これから。
四十二人の過去が。
教えてくれるはずだった。




