第六話 憧れの光と胸の中にある鉄の猫
ジルの憧れの光、エレノア様が登場します。
ついにここまで来た。
長かった。いや、短かったのか。
ただただ、この日のために騎士団に入り、がむしゃらに戦い、どんな屈辱や苦しい任務にも耐え、騎士団長という役職まで登りつめた。
騎士団に入ってから、もう幾年の歳月が過ぎただろう。
気づけば、三十路近くになっていた。
エレノア様を守れる完璧な騎士に、騎士団長になった今も、まだなれていない。
心が折れそうになったときは、初めてお会いしたあの日の光を思い出し、猫の刻印のお守りを握りしめ現実と対峙した。
そうして、一歩、また一歩と階段を踏みしめて這い上がってきたのだ。
トトは相変わらずだった。
いつもの工房で鉄を打ち、いつものように私の武具を作り、壊せば怒られ、たくさんの料理を振る舞い、動けなくなるまで食べさせてくれた。
彼女が洗濯してくれた、少し煤の匂いが残っている服で、夜もそのまま過ごすことも多くなった。
この頃になると寄宿舎に帰るより、工房に帰ることが当たり前になっていた。
工房の喧騒の中で、トトは私のプライベートな傷口には決して触れない。
その絶妙な距離感が居心地が良かった。
◇
騎士団長になったこの日、私は初めてエレノア様にお会いすることができる。
今までお姿を拝見することはあったが、それは数百いる騎士団員の中の一人であった。
その時も美しく凛とされ、立場の弱い者にもお優しく高潔なお方で、ため息が漏れた。
だから、こうやって直接顔を合わせるのは初めてなのだ。
「………ふぅ」
緊張しすぎて、心臓が肋骨を打ち破って胸から飛び出しそうだった。
頬が熱かったし、身体も熱かった。
朝、トトに、
『……おまえ、顔怖いぞ。騎士団長になったんでしょ? よくわかんないけど、その顔だとジルの好きなエレノア様とやらに怖がられない? ブハッ! あ、今日お会いするんだっけ! だからか! ブハハハハ!』
と膝を叩いて大爆笑された。
「頑張れよー」と鉄を打ちながら送り出してくれたが、そんなに私の顔は今ひどいのだろうか。
深呼吸をして、礼節を重んじる冷徹な騎士団長の仮面をかぶり直した。
懐にある猫のお守りを握りしめる。
これは、トトの工房で過ごした日々を思い出すためのものだ。
エレノア様に会うために騎士としての自信を取り戻そうとしているはずなのに、私の指先は無意識に、トトが作ったあの刻印の感触を求めていた。
ふぅ、と気合を入れ、エレノア様がいらっしゃる扉を叩いた。
「どうぞ。お入りください」
凛とした澄んだ声がドアの向こうから聞こえてくる。私はゆっくりと重厚なドアを開けた。
「し、失礼します。この度、近衛騎士団長に就任いたしましたジルフォード・アイゼンと申します。以後、よろしくお願いいたします」
エレノア様の顔を見る前に、深々と頭を下げた。
床と自分のブーツしか見えなかった。
先ほどよりも心臓が高鳴っていた。
コツコツと靴音が近づいてきた。
「顔を上げてください」
鈴のような可憐な声が頭上から降ってきて、私はゆっくりと身体を起こした。
そこには、ずっと待ちわびていた光がいた。
ラベンダー色の美しいドレスを着て、紅玉の瞳が揺れていた。
窓からの太陽の光に金色の髪が透け、キラキラと輝いていた。
初めてお会いしたときは、私は道端の泥だった。今はこうして彼女の視界に入ることが許された。
それだけで満たされていった。
「こんにちは。エレノア・リュミエールと申します。あなた様のお噂は伺っております。騎士団団長ご就任おめでとうございます」
エレノアが令嬢の挨拶をした。
ドレスがふわりと広がり、彼女の甘い花の匂いがふわりと舞い、私の鼻腔を刺激した。あまりの華麗さと美しさにゴクリと唾を飲んだ。
「あ、ありがとうございます」
声がうまく出なかった。
彼女が自分を知ってくれていたという言葉が嬉しくて堪らなかった。
「アイゼン卿は、その若さで最年少騎士団団長になられたのですよね? ご立派ですね」
エレノアが微笑んだ。きれいな指先で口元を隠した。 その所作だけで気品が伝わってきた。
トトは豪快に笑う。今朝だって私の顔を見て、膝を叩いて大爆笑していた。そんなトトの姿が頭をよぎり、私は密かに身を引き締めた。
「アイゼン卿、騎士団長になられるまで本当にご苦労されたと思います。どんな任務にも困難にも、逃げずに頑張られてこられたのですね。あなた様の実直さは宝物だと思います。これからも、この国を共に支えてください」
エレノアの言葉に涙が出そうになった。
今までの苦労がすべて報われる気がした。呼吸が苦しくなる。
必死にはがれ落ちそうな騎士団長の仮面を守った。
「ははっ。ありがたき御言葉」
そう言って礼をして部屋を出た。
◇
まだ、心臓がバクバクしている。
部屋を出て王宮の大理石の廊下を歩く。頭の中はトトのいる温かな工房を思い描いている。
大理石の冷たさとは反比例して、私の身体は全身燃えているようだった。
角を曲がったところで、思わず座り込んだ。
「………死ぬかと思った……」
心臓が鳴り止まなかった。その時もまだ苦しかった。
ちょうどここは死角になっているので、周りからは見えない。呼吸が落ち着くまでここにいようと考えた。
「すごかったですね、団長」
エレノア様の部屋には私と、副団長のザックが入室していた。
ザックがニヤニヤしていた。またこれだった。
「エレノア様、綺麗でしたね。良かったです。念願のエレノア様ですね! 昔から会いたい会いたいっておっしゃってましたもんね! ヒヒヒ!」
「ザック……やめろ」
私は騎士団長の仮面をかぶり直した。
冷酷、冷徹と畏怖されている私にこうやって悪態をつけるのは、先輩だったザックだけだった。
「今日は団長就任パーティですよ。団長、トトには飯いらんって言ってきました?」
「パーティねぇ……」
そんなものより、工房で酒を飲んでトトにつまみを作ってもらう方がずっとよかった。
「顔に出てますよ。めんどくせーって。エレノア様も来られるそうですし、楽しみましょ!」
「そうだ、エレノア様が来られるんだった」
エレノア様はもう二十代後半のはずだ。それなのにまだ、誰とも婚姻されていない。
結婚すれば家に縛られ、慈善事業や公務に専念できないからとのことらしかった。
全く、崇高ですばらしいお方だった。
「団長! チャンスですよ!」
「なんのチャンスだ」
「エレノア様! アプローチしないんですか?」
「バカを言うな! 私はまだあの方にふさわしい完璧な騎士ではない! あの方に似合う……男ではない」
「……ジルフォード……自分に厳しすぎないか?」
「口を慎め、副団長」
エレノア様に会えた興奮と、トトの工房が恋しい気持ちと入り混じって爆発しそうだ。
私はまだ少し荒い息のまま、工房に帰りたい気持ちを抑えながら、再び歩き始めた。
ここまで、お読みありがとうこざいました。
美しく凛としたエレノア様、登場回でした。
応援、ブクマや評価頂けたら励みになります。




