第二十四話 シュタイクアイゼン工房の光
最終話です。
ここまで、お読み頂きましてありがとうございます。
「よーっと、あとすこしー」
トトは工房の玄関口のドアの前に立ち、腕で汗を拭った。
工房の看板を作り替えるのだと言っていた。大きなヒノキの木を器用に彫っている。本当に、何でも作れるなと感心して見ていた。
「シュタイク工房の看板、前の分も良かったけどな……」
トトが作業している様子を、屈んで覗き込む。すると、
「びゃー!!!」
片腕で抱っこをしていた愛娘が泣き始めた。瞳の琥珀色はトト譲りだ。
「わー! よしよし」
あやそうと愛娘を高い高いしてやるものの素晴らしい仏頂面で、トトの機嫌の悪いときにそっくりだ。
「ぶふー!!!」
「わっ!?」
思いっきり唾を顔にかけられた。それを見て、娘はニヤリと不敵に笑う。本当にトトに腹が立つぐらいそっくりだ。
「よぉーし! できた!」
トトの弾んだ声が響く。新しい工房の看板が完成したらしい。
私は娘にかけられた唾を袖で拭きながら、その看板を見上げた。
「これは……?」
トトはニッコリと笑って、頬についた墨を拭った。
新しい工房の看板には、
『シュタイクアイゼン工房』
と、書かれており、その隣には猫の絵が彫られていた。シュタイクはトトの元の姓で、今は仕事のときのみ使用している。アイゼンは、私とトトの新しい姓となった。二つの名が、一つの看板の中で寄り添っている。
「シュタイクとアイゼンをくっつけたのか。いいじゃないか」
トトと結婚して子どもも生まれ、嘘のように幸せな毎日だ。それを示すのに最適な工房名だろう。
トトを見て、ニヘラと締まりなく笑ってしまう。娘は私のダークレッドの髪をグシャグシャにして、鳥の巣頭にしてくる。間違いなく、この子とトトは親子だ。
「………まぁね!」
トトは意味ありげに私を一瞥してニヤリと笑うと、娘を私から奪い取るように抱っこした。
娘は母であるトトにも「ぶふー!」と思いっきり唾をかけてニヤリと笑っていた。
私は、なんだか酷く安心した。
「おーい!」
そこへ、副団長のザックと、トトの従姉妹で最年少宰相であるクーデル様が手を振りながら歩いてきた。
「団長! おつかれーっす。おチビもひさしぶりだな!」
ザックがトトに抱かれている娘に二カッと笑いかける。ザックが娘の頭を撫でると、娘は嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、ザックに向かって小さな手を伸ばした。
「かわいいなー、おチビ!」
ザックが娘を抱っこし、高い高いをすると、キャッキャッと赤ん坊らしく声をあげて笑っている。
なんだ、この差は……。
私は少し悔しくなり、「おいで」と言うが完全に無視され、娘はザックの服をぎゅうと小さな手で握りしめていた。
「俺は子どもには好かれるからなぁ」
「頭が幼稚くさいからではないか?」
クーデル様がニヤリと笑っている。このニヤリと笑うのは、この家系の人間たちの血か何かだろうか。
「イリちゃん、ザック。ちょうどできあがってるよ。今持ってくるね」
トトは唾だらけの顔を私の服の袖で無造作に拭き、工房の中に入って行った。
「クーデル様……休みは取れそうなんですか?」
「取るんじゃない。すでに、決まったことなのだ」
相変わらず無茶苦茶だ。
クーデル様に振り回される部下たちは大変だろうな。娘を抱いたザックから、なぜか冷たい視線を受ける。
そこへ、トトが小さな箱を持って戻ってきた。
「……はいこれ、中確認して。サイズもみてね」
クーデル様に渡すと、ザックも急いで隣にやってきて、小さな箱をゆっくりと開けた。
そこには、銀色の、琥珀がはめられた指輪が二つ並んで入っていた。開けた瞬間に指輪は太陽の光を集めてキラリと放つ。
クーデル様はその指輪を優しく取り出し、太陽にかざした。指輪は光を集めてユラリと美しく瞬き、クーデル様は愛おしそうに目を細めた。
「見事だ……トト。エレノアが、おまえに装飾品を頼む理由が分かる」
「イリさん、つけてみてください。俺はピッタリでした」
ザックが頬を染めて優しく微笑んだ。クーデル様も頷き、指輪を薬指に通す。その瞬間、ふわりと美しい笑みが零れた。ザックがその笑みに見惚れている。
「いけそうだね。良かった。じゃあ、包んでくるから少し待ってて」
トトはザックから離れたがらない娘を引き剥がし、私に差し出した。
「ジル、この子お願い」
「承知した」
ザックばかりに懐かれてたまるか。だが、私の腕の中で娘がジタバタと動いていて、明らかに嫌がっている。しかし、私が抱っこをやめないので諦めたのか、ハの字の眉をして口を尖らせ、琥珀の瞳を潤ませていた。これは、私がトトを抱きしめたときにされる表情そのものだ。思わずブッと噴き出してしまった。
「看板、変えたのか。………ほぉ……」
クーデル様が呟いた。そして、私と娘をその琥珀の瞳に映した。
「トトのやつ、粋なことをするな」
「え? シュタイクと、アイゼンをくっつけたんですよ。可愛いでしょう」
「アハハハ! 気づいてないのか」
クーデル様が腰に手を当てて豪快に笑っている。ザックも訳が分からず首を傾げている。
「シュタイクアイゼンは、違う国の言葉で登山用の靴の爪を意味する。つまり……トトはおまえと二人なら、この先、巨大な雪山や氷の道が現れても、二人で登って踏み越えていける……そういう願いを込めたのだろう」
クーデル様の言葉に、私は碧眼を見開いて、ゴクリと生唾を飲み込んだ。新しく工房の入口に掲げられた『シュタイクアイゼン工房』の看板に視線を移すと、娘が猫の絵を気に入ったのか、
「にゃあー」
と、可愛い声で鳴いた。猫の絵をにこにこ笑いながら、小さすぎる柔らかな手で愛おしそうに撫でている。
私は愛娘を強く抱きしめて、その頭を何度も撫でた。
――あぁ、幸せだな。トトがいてくれて、この子がいて、私はこれからもこの家族とともに、未来を守っていきたい……。
腰に携えている剣の柄、トトが埋め込んでくれたサファイアがキラリと強く光った。
そのとき、
ーーピョーン!
工房の屋根から一匹の猫がしなやかに飛び降りてきた。
――私は思わずハッとした。
凛として背筋を正し、気品さえ感じるその猫は、この世のものとは思えないほど美しい、ルビー色の大きな瞳を持っていた。
私と目が合った。
「にゃあ」と鳴く声に、私の腕の中の娘がキャッキャと笑う。
トトが箱を包んだ袋を持って工房から出てきて、私の傍に寄り添った。
すると、ルビー色の猫は私たちの周りをグルリと一周回り、振り返って一度私をじっと見つめた後、ピョーンと軽やかに跳ねて建物の影へと消えていった。
「………はい」
私は、剣の柄にあるサファイアを触り、そのルビー色の猫の後ろ姿をいつまでも見送っていた。
愛おしさが胸から溢れ、私はトトを引き寄せて自分の胸の中に閉じ込めた。腕の中の愛娘も、いっそうしっかりと抱きしめる。トトは相変わらず仏頂面をしているけれど、その体温が酷く温かい。
「………トト、愛してる」
彼女の耳にだけ届くように、そっと囁いた。トトは耳まで真っ赤に染め上げ、思い切り嫌な顔をしてみせる。私は声を上げて笑った。
ザックとクーデル様も呆れたようにため息をついているが、その表情はどこか、これ以上ないほど安心したように緩んでいた。
そのとき、遠くからルビー色の猫の、暖かなにゃあという鳴き声が小さく響いた。
その鳴き声は優しく世界を照らす、晴れ渡った琥珀色の太陽へと吸い込まれていった。
ここまで、お読み頂きありがとうございました!
これにて、本編終了でごさいます。最後に出てきたルビー色の猫、三人の幸せをお祝いに来たのかな?
次回からは番外編二本上げて、猫の瞳に恋してない。は完結となります。
そのあとは本編て最後に婚約していた、ザックとイリさん、そしてザックの養子となったエレノア戦での戦争孤児レオンの育児恋愛奮闘記をスピンオフとして開始したいと思います。そちらもよろしくお願いします!




