第二話 唐揚げの執着団長と地獄の覇者のいびき
ジルフォードはどんどん目の前に出された食事を平らげていく。
おかわりもしていたけれど、ワタシの分はきちんと残してくれている。
兜は作業場の床にゴロンと脱ぎ捨てられ、泥まみれのままだった鎧や武具は、食事の前に取り外されて作業台に置かれていた。
ちゃんとは確認していないけれど、返り血や泥を浴びた鎧、黒ずんだ兜、刃先が欠けている汚れた剣――。
激闘だったのだろうと、容易に想像がつく。
ワタシの傑作がこんなに傷つけられて――修理はもちろん鍛冶工であるワタシの仕事だが、これほど見事にボロボロにされると、さすがに少し悲しくなる。
ジルフォードが「お前の分だ」と皿に残してくれた料理を、ワタシは箸で口に運びながら、思わず眉をしかめた。
「……トト、おまえは何をしていた?」
ジルフォードはモグモグと口を動かしながら尋ねてきた。
箸には彼の大好物の唐揚げがちょこんと乗っている。
唐揚げ、何個目だ? こいつ。本当に唐揚げが好きなんだな。
あと二個しかないじゃないか。ワタシはまだ、一つも食べていないのに。
「ワタシ? んー、変わらないよ。さっきまでは金具を作ってたし、だいたいこの工房にいるからね」
残してくれるとはいえ、心配になって急いで唐揚げを箸で奪い取った。
「あ、最近ね、新しい料理のレシピが増えたから、また作ってあげるよ。あとさ、昨日ね面白いことがあって。いっつも自慢話をしてくる禿げたおっさんいたじゃん? あいつの社会の窓が開いててさ、指摘してやったんよ! そしたら顔を真っ赤にして逃げてったのよー!」
思い出して笑いがこみ上げてきて、吹き出した。
ジルフォードは残り一個になった唐揚げをじっと見つめている。
まだ食べたいのか。譲れよ、ワタシに。
「……いいよ。食べなよ」
と言ってやると、「そうか!」と嬉しそうに微かに微笑んで、唐揚げを大きな口で一口で食べきった。
帰ってきたときは、この世の終わりのような真っ青な顔をしていたけれど、今は頬が赤く染まって血色良好のようだ。
ついでだ。風呂も沸かしておいてあげよう。なんて優しいワタシ。
「……おつかれさん。お風呂沸かしてあげるから、入っていきな。着替えは前に置いていった分が引き出しに残ってるから」
ジルフォードの肩をポンと叩いてやった。
ジルフォードは肩に置いたワタシの手をそっと握り、
「……ごちそうさま。ありがとう」
立ち上がったワタシの手を見上げたまま、そう小さくこぼした。
その碧眼が、ランプの光を反射してゆらゆらと揺れている。
かつて戦場で見せた鋭い眼光は消え失せ、今はただの、どこか危ういほどに純粋な少年の瞳に戻っていた。
ふふ、とワタシは小さく息を吐く。
あの厳しい顔に刻まれていた眉間のシワが、ようやく消えていた。
唐揚げを最後の一口まで譲ってやった甲斐があるというものだ。
工房の炉が、パチパチと心地よい音を立てている。
窓の外では夜が深く静まり返り、冷たい月の光がひっそりと床を白く染めていた。
けれど、この工房の中は違う。
テーブルの上に置かれたランプが煌々と揺らめき、二人を温かいオレンジ色で包み込んでいる。
二人の交わす他愛のない笑い声と、ジルフォードの落ち着いた低い声が混ざり合い、この小さな工房を世界で一番温かい場所へと変えていく。
「さ、お風呂沸かしてくるからね。のぼせるまで入ってなよ」
ワタシはわざとらしく鼻を鳴らして、薪をくべるために火元へと向き直った。
背中越しに、彼が満足げに小さく息をつくのが聞こえる。
あぁ、やっぱりこの男は、ワタシのところで鉄を打つ音を聞いていないとダメんだな。
◇
久しぶりにゆっくりと風呂に入り、トトが洗濯してくれていたシャツとスラックスに袖を通す。
新しいシャツから、いつもと同じ石鹸の匂いがして、変わらないこの場所に、硬くなっていた心臓がゆっくりとほぐれて鼓動が再開していく気がした。
洗濯したての、まるでお日様の温もりがそのまま残っているかのような心地よさが身体を包む。
少しだけシャツに煤の匂いが混ざっているのが、トトらしくて自然と顔が綻んだ。
鏡の中の、すっかり緩みきった自分の顔に気づき、思わず背筋を正して咳払いを一つ。
こんなに気分が落ち着いているのは久しぶりだ。
タオルを肩にかけて工房に向かう。
トトはまた作業場に戻っていた。私が床に放り出していた兜の汚れを、丁寧に布で拭い落としている。
彼女が「魂の作品だ!」と打ってくれた、あの白銀に輝いていた鎧が、泥や返り血でいまや漆黒の鎧のようになっている。
トトが汚れを落としているのを見ていると、戦場での傷も苦しさも、やるせない泥臭い感情さえも、一緒に丁寧に落としてくれているような気がした。
トトに洗濯された新しい服を着た今、彼女の作る武具は好きだが、血の匂いがする兜にはあまり近づきたくない。
私は少し気まずくなり、目線を宙にやった。いつもボロボロにして持ってくるから、「もっと丁寧に使え!」と怒られるのだ。
彼女の鍛冶工としての腕はこの国でも随一だ。
私の武具はずっと彼女の作品であり、見えないところには、彼女の作品とわかる「猫の刻印」が刻まれている。
それを見つけた部下に「猫が好きなんですか?」と聞かれたことがあった。
「別に……好きではない」と答えると、「では何で猫の刻印が?」とつっこまれ、私は返事に困り、部下にこう答えたのだ。
「猫みたいなやつがいるんだ」
部下は不思議がっていたが、それ以上は聞いてこなくて助かった。いや、聞けなかったのかもしれない。
そのときの私の顔が、想像以上に蕩けていたから。
「……トト、風呂に入った」
声をかけたが、こちらは見ない。いつものことだ。
「そう、よかった」
兜から視線は外さない。真剣な眼差しだ。
トトの背後では炉の炎が赤々と燃えており、琥珀色の瞳がその炎を反射してキラキラと輝いている。
彼女のその瞳を、いつもの椅子に腰掛けて眺める。
この席で工房の炎の色と温かさ、トトが鉄と向き合う音と瞳を眺めるこの時間が、穏やかで何より安心できるものだった。
小さく息をつくと、肩の力が抜けていくのを感じた。
ふと、トトの視線が私を捉えた。作業の手を止めて、私を大きな瞳で見つめている。
不意打ちの視線に驚いて、思わず、
「……トトちゃん?」
昔の呼び名が出る。
トトは思い出したように、ニッコリと笑い、
「トトちゃんからのお願いだよジルルン。シンクに残ってるお皿、洗っといてね!」
「よろしくー!」と言って、すぐに作業へと戻っていった。
促されてシンクを見ると、私の食べたあとの皿が要塞のように積み上がり、私を待ちかまえていた。
「……承知した」
皿洗いの任務か。
こんな任務なら、団長としての任務よりずっとやりがいがある。私は袖をめくり、皿洗いの任務を開始した。
「……トト! 私のエプロンはどこにしまった?」
いつもの場所にないエプロンをトトに尋ねると、
「い〜ちばぁ〜ん右の棚ぁ〜!」
明るく無邪気な、猫のような声が返ってきて、思わず鼻で笑った。
◇
皿洗いの任務を無事終え、泡だらけの手を水でゆすぐ。
私は鍛冶場にいるトトに声をかけた。
「……トト、皿洗いの任務無事終了だ」
エプロンの裾で手を拭きながらトトの傍に行き、任務完了の報告を行う。
だが、鉄を打つ音が聞こえない。
「? トト?」
煤まみれの背中に声をかける。
トトの顔を上から覗き込んだ瞬間、私は思わず後退りした。
「ぐぴーぐぉぉぉぉーぐふぁー!」
工房に響き渡る大音量のいびき。
トトはうつらうつらと舟を漕いでいて、ハンマーを持っていた手は力なく膝に落ちている。
大きな瞳は閉じられ、眉は下がりきっていた。
その穏やかな寝顔は、三十路近くでも驚くほど幼い。
「寝たのか。……しかし、相変わらずすごい轟音だな。地獄の覇者だ」
今にも倒れ込んでしまいそうな彼女の肩と膝を、ゆっくりと、壊れ物を扱うように大切に抱え込んで立ち上がった。 私の胸元にトトの顔が埋まる。規則正しい呼吸と一緒に、激しい轟音が至近距離で聞こえてくる。
私はそのまま鍛冶場を出て、彼女を二階のトトの自室へと運ぶ。その間もずっと、大音量の轟音が耳を突き刺していた。
「……うるさい」
そういえば、耳栓が壊れていた。
早く新調せねばとブツブツ呟き、トトの部屋のドアを器用に足で開ける。
トトをそっとベッドに横たわらせると、彼女は左右に身をねじったかと思うと、今度は身体を丸くして地獄の轟音を再開させた。
「本当に猫だな」
トトのベッドの脇に腰を下ろし、彼女を眺める。
昔から変わらない彼女の寝相に少し胸が切なくなる。
そのとき、手に何かが当たった。彼女のベッドの上に投げ出された、猫の刻印入りの革ベルトを見つけた。私はそっと、それを手に取る
その猫の輪郭を、そっとなぞる。
彼女が作る私の武具にはすべて、この猫の刻印がある。
「……懐かしいな。これを始めたのは、たしかあの路地裏のときだったな」
この刻印を始めたのは確か、私が彼女に出会った、騎士団入団当初の頃だった。
――私の剣は、トトのハンマーで打ち直されていく。
――すべての修繕が終了したとき、私はただの男に戻れるのだろうか。
今日も工房で、二人はこんなふうに唐揚げを巡って小競り合いをしています(笑)。AI画像作製ツールで作っている画像もいっしょに楽しんで頂けたらと思います。
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