第十四話 日常という名の渦 私の琥珀が旅立つ朝
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朝、いつもよりずっと早く目が覚めた。
普段はどんな小さな物音にも敏感に反応して起きてしまうのに、トトと眠ったときはいつも、出勤時間ギリギリになってしまう。完全に騎士団長の仮面をぶん投げてしまうからだろう。
でも、今日は違った。
どれだけここが温かくて柔らかくて、いい匂いのする陽だまりのような場所だとしても、今日からトトが一ヶ月もの間、いなくなってしまうのだ。
腕の中で眠るトトの顔を見る。
いつも強そうに釣り上げている眉は下がりきり、長いまつ毛が時々ピクリと動いていた。少し目尻にシワが増えたけれど、それも笑ったときにキュッと上がって笑い皺になるのが、たまらなく可愛らしい。前に皺を気にしていたトトに、その笑い皺は誇っていいぞ! と言ってやると、うるせぇバーカ! と怒られた。
頬は二人でひっついているせいか少し赤くなり、小さく開いた血色のいい唇からは、
「ぐぅわふぅぅー! ぐぉー! ぐっ……グハハハハハハ!!」
と、魔王の笑い声が聞こえていた。夢の中で勇者にハンマーでも投げつけて楽しんでいるのだろうか。
すっかり耳栓なしで寝られるようになった私は、苦笑する。
この地獄の覇者も、魔王の笑い声も、しばらくはお預けとなるのだ。私はトトを愛おしく抱きしめ直して、彼女の体温を何度も確かめるように腕に力を込めた。彼女が起きないうちに、堪能しておこう。
「じる……鼻息荒い」
あ、バレた。私は眉を細めて、気まずく目を逸らした。
トトは私の腕からスルリと抜け出してしまった。
ぽっかりと空間が空いてしまい、トトの腰に回していた手は布団の中を寂しく彷徨った。
今日からずっと、この空いた空間を感じながら一ヶ月を過ごすのかと思うと、自然とため息をついてしまう。
ダメだな……すっかり依存している。
昔、ザック先輩に『おまえはトトに依存している』と言われたことを思い出した。
「ジル、パンはマーマレードにする? あ、昨日イチジクのジャム作ったんだった。食べる?」
「どっちも食べる。あと、コーヒー欲しい。あっついやつ。足が冷えた」
トトは、私が少年時代に使っていた、サイズアウトしてしまった碧のシャツを着て、キャメルのくたびれたジャージを履いていた。
私には小さすぎるシャツも、小柄なトトには少し大きめぐらいで、ゆったりしていて丁度いいらしい。私としては、自分の着ていたものをトトが身に纏っているというのは、少し複雑だが……。
……まあ、悪くない。少し鎖骨が見えているしな、うん、悪くない。
キャメルのくたびれたジャージもトトらしくて、後ろからフリフリと尻尾が見えそうだった。
「……トト、やっぱり一ヶ月も帰ってこれないのか?」
「うんー。ワタシがいない間は寄宿舎に帰れば?」
トトは無造作に栗色の髪をくくり直してポニーテールにした。
私は寝ている間に脱げてしまった、トトお手製の毛糸で作られた黄色の猫柄靴下を履き直した。これが温かくて、冷え性の私には無くてはならないものだった。トトに追加を頼んだら色違いを3足編んでくれたのだが、全部に猫の柄を入れられていた。こっそり外の任務のときにも履いていることは、ザックには絶対に秘密だ。
「いや……どうしようかな。今更、あそこに戻るのも……」
「……まあ、がんばりなよ。ワタシは食べたらすぐ出るからね」
トトは手早く朝ごはんの仕度をして、私にはトースト2枚にマーマレードとイチジクのジャムをそれぞれ塗って出してくれた。コーヒーからは白い湯気がまっすぐ伸びている。
トト自身はぬるいミルクを飲みながら、好物のリンゴをボリボリとかじっていた。そして、そのうちの一つを、私の皿にそっと置いてくれた。
平和な、愛おしい日常。
しかし、トトの出ていく時間は無情にも迫ってくる。彼女はもう作業着を着て、大きなリュックを担いでいた。手伝おうかと声をかけたが、「団長は早く出勤しろ」と怒られてしまった。だが、王都の門までは送ると言ってトトの隣に並んで彼女の横顔を見ながらできる限りゆっくり歩いた。
しかし、トトは私の歩幅など気にせず、ズンズン歩く。時々振り向いては、ため息をついて、背を伸ばして私の頭を撫でていた。嬉しいが、私たちの横を通る街の人々がニヤニヤして「相変わらず仲良しだね、団長さん♪」とか言ってくるので、これは工房でして欲しい。
あっという間に城門についてしまい、トトは大きなリュックを私から奪い取り(結局無理やり私がリュックを持った)、ニコッと太陽のような笑顔を私に向けた。
「じゃあ、行ってきまーす! あ、ジル、最後お皿だけ洗っといてねー!」
最後まで皿洗いの任務を追加してくるところは相変わらずだ。私は頷き、手を振った。トトの小さな背中が王都の門を通り抜けて見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。
一緒に見送りにきていたザックが、
「見すぎじゃね? 団長」
と呆れたように言ったが、これから一ヶ月も我慢するのだ。網膜に少しでも彼女の姿を焼き付けておきたかった。
「ほっとけ」
とだけ呟いた。
「今日、飲みに行きましょー」とザックが誘ってきたが、(ザックじゃなくて、トトならいいのに)とすでに思っている自分は、ザックの言う通り随分と依存しているのだろう。苦笑いするしかなかった。
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