第十三話 回る回る 日常という名の渦
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エレノア様の死後も時計の針は回り続けます。
エレノア様が亡くなり、王宮はまさに地獄絵図のようだった。
特にクーデル様の狼狽ぶりはすごかった。
いつも冷静で落ち着き払った余裕のある彼女が、エレノア様の血で汚れたサファイアのピアスを見て、琥珀の目を潤ませ泣き崩れていた。
私を責めて罵り、「貴様など騎士団長を辞せ!」と殴ってほしかったが、彼女はただ、
「私は、エレノアの人を想う気持ちを測り損ねていたらしい……エレノアらしい……しかし……」
そのまま黙ってピアスを握りしめた。琥珀の瞳を閉じて、祈りを捧げているようにみえた。
そして、大きく一呼吸した。
猫背になった背中をスッと正し、いつものイリ・クーデルとなる。
ピアスをじっと見つめ、私にそれを渡してきた。
「クーデル様……私は」
私にこの碧のピアスを受け取る資格などない。騎士団長という役職も私のような男に相応しくない。そう思って、クーデル様に王宮を去ることを告げようと思っていた。
「貴様、エレノアに託されたのだろう。ならばその責を全うしろ」
――ズキン!
胸が捻れて痛くなる。エレノア様の最期の言葉が、額のあたりを回り続ける。同時に、生々しい血の匂いと感触が蘇る。
ーーエレノア様。私は、貴方の思うような風になど、なれますか?
ーー今でも震えるこの足で、突風の中を貴方のように迷いなく強く進めますか?
……答えは、いいえだ。私にはそんな力はない。
ただ、私に「いいえ」という正解は許されない。私には、このサファイアのピアスを受け取るしかないのだ。
私は恐る恐る、その重すぎるピアスを握りしめた。今でも、あのピアスの重さは忘れられない。そして、止まない足の震えも。
◇
工房に戻ってから、私はトトの傍にずっといた。クーデル様が私の様子を見て、しばらく休めと言ってくださったからだ。
トトの作る飯を食べ、彼女の煤の匂いのする洗濯された服を着て、死んだようにベッドで寝た。時々、トトが寝ながら泣いている私の頭を撫でてくれていた。トトは相変わらず何も聞かなかった。
いつもと同じ日常が過ぎていく。
毎日、同じことを繰り返した。
あの鉄の音と、琥珀の火に、工房の温もり。
それがどれだけ救いになったか分からない。
カチ……カチ……カチ……。
時計の針が回る。少しずつ、少しずつ。
一月後には騎士団に戻った。
騎士団でも、毎日同じことを繰り返した。
ザックとの任務。騎士団員たちとの訓練。
カチ……カチ……カチ……。
時計の針が回る回る。少しずつ、少しずつ。
日常という大きな渦に、えぐれた傷が流されていく。
そして、削れた傷に新たな土壌が形成される。
やがてそれはカサブタとなり、私を守る皮膚となる。
カチ……カチ……カチ……時計の針は回り続ける。
◇
月日はあっという間に流れ、三十路もとっくに過ぎてしまった。私はいまだにトトのいる工房に入り浸っていた。騎士団での仕事が終わればここに帰ってくる生活を、今も続けている。
ザックに、
「まだ籍入れないんすか?」
と、ニヤリと笑いかけてきたので、空になったトトの弁当箱をザックの頭に投げつけてやったら黙った。
もう、寄宿舎には荷物をたまに取りに行くだけで、何年も寄宿舎のベッドで寝ていない。
トトに、
「ベッドまわり、荷物増えすぎだ。棚買ってきたから整理しなよ」
と、彼女より身長の高い棚を渡された。これは、ここにずっと住んでていい、ということだろうか。
トトとのことを全く考えていないわけではない。彼女が……トトがいないと息がうまくできないのは事実だからだ。
しかし、そのたびにあの場所で冷たくなっていったエレノア様が重く重くのしかかる。トトへの気持ちはエレノア様への裏切りのような気がして、いつも自分の中で育とうとしている感情に蓋をしていた。
棚を握りしめ、眉を細め、シワを増やす。
「工房の真ん中で、デカい男がデカい棚持ったまま立ち尽くすな! 邪魔だよ!」
トトに腰を思いっきり蹴られ、バランスを崩す。
「わわっ!」
すんでのところで騎士の脚力を発揮して踏ん張った。棚は倒れなかったが、トトの胸に、棚を支えている私の前腕がめり込む形になった。
カチ……。時間が止まった。
私の身体は瞬間的に湯沸かし器のようになった。
「わ! ……トトちゃん! ちがう! これは! えっと……その、不可抗力というやつだ! な、何も感じてないぞ!!」
トトの顔が真っ黒になっていく。
やばい。晩飯抜きにされる。
さっき、今日は唐揚げだよーって言ってたのに。しかも、トトが名付けた「ジル汁」とかいう私の好きな具材を、これでもかと突っ込んだ野菜とお肉ゴロゴロスープまで作ってくれるって言ってたのに……。
「いい度胸じゃないか、ジルルン。何も感じなかったってねぇ……悪かったねぇ、洗濯板で!」
トトがハンマーを持ち出し、ニヤニヤと不敵に笑っている。
「………トト……ちゃん? いや、その……私は別に大きさはそんな……」
「晩飯抜き!!」
トトに怒鳴られ、本日は飯抜きになってしまった――。
その後、必死に謝り、渋々唐揚げとジル汁は作ってくれた。良かった。これで、今日も私はしっかり眠ることができる。
腹も満ち、皿洗いの任務も終え、そろそろ寝ようか、腹をボリボリ、髪をガリガリ掻きながら閉じそうな瞼と格闘していると、先に二階の自室へ行ったはずのトトが、一階工房奥にある私の生活スペースに戻ってきた。枕を持っている。
「どうした? トト」
トトはどうも気まずい様子で、黙り込んでいる。
「………し、……」
「し?」
「シーツ、洗ったの忘れてて……それでまだ乾いてなくて……寝る場所がない」
トトの頬がほんのり赤い。琥珀の瞳が揺れ、一度私を見たが、すぐに視線を外した。口を尖らせている。
「あ、そ、そうなのか。じゃあ、私がソファで寝るからトトは私のベッド使うといい」
そう言って、私も彼女に視線を合わすことができず、ソファに向かおうとしたところで、シャツの裾を掴まれた。
「あのベッドはおまえのベッドじゃない。元々私がお昼寝用に使ってたやつだぞ……それに、ソファは硬すぎる」
「ト、トトちゃん」
私の心臓が高鳴り始める。トトは私の裾をぎゅうっと小さな硬い手で握りしめていて、赤い顔で下を向き、口を尖らせている。
(ダメだ。これ以上は……)
可愛らしい表情に手を伸ばしたくなる気持ちを必死に抑える。
「トト、私なら大丈夫だ」
「………分かった。もういい……」
トトはそう言ってシャツの裾から手を離してしまい、枕を胸元に抱きしめて私のベッドで丸くなって背を向けた。
「トト……」
離されたシャツの裾から、無性に寂しさがこみ上げてきた。ダメだと分かっているのに、足が勝手にベッドへと吸い込まれるように進んでいく。
トトに布団をかけてやる。丸くなっていて彼女の顔は見えない。でも、耳は真っ赤だ。そっと丸くてかわいい形の耳に触れると、少し身体が跳ね、布団で頭を全部隠してしまった。
ダメだな……。
そう思っていたら、トトが布団をめくり、少しだけ顔を出し私を睨みつけた。全然怖くない。
大きくため息をつき、結局私はその甘い誘いを断ることはできずにベッドに潜り込んだ。
「ふふ」
トトの満足げな声が聞こえてきた。ご機嫌は良くなったらしい。
トトに私の腕は枕にされ、自分が持ってきた枕は抱き枕にしている。私からは背を向けているのでトトの顔は見えない。でも、その方がいい。私もこんな顔を見られたくない。
トトの頭に頬を擦り付け、触れ心地の良い場所で力を抜く。トトに腕枕にされていない反対の腕は、彼女が落ちないように軽く腹のあたりを支え、自分に引き寄せた。
2人で酒を飲んだ時は、トトにおいでおいでされてそのままこのベッドで寝てしまうこともあるが、素面は初めてかもしれない。
「……じる」
眠そうな声でトトが声をかけてきた。
「……ん?」
私もうつらうつらとし始めていた。
「ワタシ、明日から……いないの。一ヶ月。ほら、前に一緒に遊びに行った、職人街のある隣町の……あそこの工房に行って……新しい鍛冶工たちの研修に……ワタシ、先生しないといけなくて……」
「は?」
思わぬ発言に、私は飛び起きた。一気に目が覚める。
「な、え?! トトちゃん、一ヶ月もいないの?! 明日から?!」
「おん」
トトはもう寝てしまいそうだ。
「え、え、じゃあ、私のご飯は?」
「……それ……ハラスメントで一発アウトだ……もう三十路も過ぎたんだから自分で何とかしな……」
「私はトトのご飯がいいんだよ」
「しらなーい……」
「それに、トトがいないと……私は!」
「ぐぉー! ぐびびー! ぐふぉー!」
地獄の覇者が召喚された。部屋中に轟音がこだまする。
私は頭を抱え、ベッドに入り直して、トトの身体を抱きしめ直した。
(耐えられるだろうか……)
不安を抱えたまま、トトの温もりを強く噛みしめていた。
ここまで、お読みありがとうございました。
次回はトトちゃんがいなくなります。ジルは耐えることができるのか笑
※画像はAI画像作製ツール使用しています。




