第十二話 飛んでいけ、碧い風 終わりの始まりの工房へ
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今回はエレノア様の視点で書いてあります。
あの者たちに囚われて幾日が経ったろうか。
後ろで結ばれた縄が手首に食い込んで、血が出ていた。
わたくしの隣には、王都の祭りの時に一緒だった伯爵家の令嬢もいた。他にも数人の貴族たちが捕らわれて、この薄暗くて汚い部屋に詰め込まれていた。
泣く者、絶望する者、ひたすら助けを乞う者。皆、精神的に限界のようだった。
ここに来るまでに何人もの命が散っていった。わたくしを守ろうとしてくれた騎士たち、道中、戦火に巻き込まれていく街の人々。
赤黒い、錆びた血の匂いが満ちていて、わたくしの心が闇に染まる。
「……エレノア様は……お強いですね」
隣にいた伯爵家の令嬢がわたくしを見て微かに笑った。
「心を強く持つのです。必ず救援の部隊が来るはずです。わたくしの友人のイリがすでに手筈を整えているはずです。あの方のすごさは、あなたもご存知でしょう?」
わたくしの友人、イリ・クーデルは最年少宰相で、頭の良さも未来を見る力も段違いの人だった。きっと人質として大人しくしておけば、救い出してくれるだろう。いや、あの人ならここにいる反乱軍をすべて潰すくらい、訳もないはずだった。
それに、アイゼン卿も騎士団を連れてこちらに向かってくれているはずだった。
「……そうですね」
伯爵家の令嬢は震えていた。
怖くないはずがない。わたくしだって、怖かった。怖くて怖くて、助けてと叫びたかった。
けれど、わたくしは公爵家の人間だ。
わたくしが混乱すれば、たちまち人質たちの命が危ぶまれる状況だった。
何度も何度も深呼吸を繰り返した。
ふと、牢のわずかな光で、わたくしのサファイアのピアスが煌めいた。
そういえば、アイゼン卿と同じ瞳の色だったことに気づいた。
夜会で、わたくしにダンスを申し込んでくださった、アイゼン卿の赤くなった顔を思い出す。
あの時、彼の碧眼があちこちに泳いでいて、可愛らしい人だと思った。
ダンスも緊張しているようで、硬くてカチカチになっていた。それも素敵だと思った。
けれど、琥珀のカフスを目にした時と、わたくしのサファイアのピアスを作ってくださったトト・シュタイク様の話をした時の彼の様子は、明らかにおかしかった。
『大事なやつ』
と、おっしゃっていた。
彼女を思い浮かべている彼の碧の瞳からは、隠しきれない優しさが滲み出ていた。そして、シュタイク様がルビーではなくサファイアに拘った理由……。
『あ、そうか……』
線が繋がった。
少し胸がチクリと痛くなり、寂しい気持ちになった。
アイゼン卿はそれだけ実直で素晴らしい人だったし、シュタイク様を愛おしそうに思い出す彼に、わたくしの心臓が高鳴ったからだった。
「隊長……!!」
牢の向こう側が騒がしくなった。わたくしは牢の外を見つめた。何やら話し込んでいた。もしかしたら、イリの作戦かもしれない、と思った。
話し込んだ後、隊長と言われていた大男がわたくしの元にやってきた。
「出ろ。馬車に乗れ。移動する」
そう言ってわたくしの腕を引っ張り、わたくし以外にも伯爵家の令嬢、位の高い貴族の人質数人だけを馬車に乗せた。他の人質たちは牢に残していくようだった。
「どこに行くのですか?」
隊長に尋ねてみたが、返事はなかった。代わりに汚らしい笑みを浮かべて、わたくしを舐め回すように見てきた。
「………うっ……」
わたくしの心臓が、この男への憎悪と恐怖でねじ曲がりそうだった。
◇
馬車は静かに走り出した。
わたくしの隣にいる伯爵令嬢の表情は能面のようで、ただ一点を見つめていた。瞳の色は死に、瑞々しかった唇は乾いて血がにじんでいた。
カラカラカラ……。
馬車の車輪の音だけが響いていた。道が悪いのか、時々はげしく馬車が揺れた。こんな安定感のない馬車に乗ったことはなかった。人質たちは皆、沈黙していた。
誰も何も話さなかった。
「ジルフォード……様」
誰にも聞こえないぐらいの声でそっとつぶやいた。
そのときだった。
――ギャァァァー!!!
すさまじい断末魔とともに、真空を切り裂くような疾風が巻き起こった。
馬車がうねり、馬が恐怖で鳴き叫んでいた。
わたくしたちがいる荷台には幌がかかっており、外の様子は分からなかった。
激しい金属がぶつかる音が聞こえてきた。
ザシュッ!
幌が裂けた。
そこから大量の光が差し込み、碧い風が舞い込んできた。
「…………ジルフォード様っ!!」
裂けた幌の先にいたのは、泥まみれの騎士だった。
「エレノア様ッ!!」
幌の裂けた先に、愛馬に乗った白銀の泥騎士がわたくしの姿を見て叫んだ。
彼の少し安心した表情を見て、わたくしは一生懸命抑えていた涙が溢れて、視界が歪んだ。耳元にあるサファイアのピアスも涙で濡れていた。
「ジルフォード様!」
何度も彼の名を呼ぶ。
馬が暴れ、とてつもないスピードで走り始めた。ジルフォード様の姿が消えた。
しかしすぐに、馬車の荷台に彼が飛び移ってきた。 右手には紅く染まったシュタイク様の美しい剣が握られていた。
「……エレノア様。ご無事で……」
「……ジルフォード様……」
安心しろと言わんばかりに、大きく彼が頷いた。彼の碧眼の中にわたくしがいた。
初めて、わたくしを真っ直ぐに見つめてくださった瞬間だった。わたくしが一歩、彼に近づこうとした。
瞬間、ギシッと鈍い音がした。
人質たちの背後にひっそりと隠れていた反乱軍の首謀者――あの隊長と呼ばれた男が、伯爵令嬢の頭を掴み、首元に頸動脈を狙うように短刀を突きつけていた。反対の手で銃をジルフォード様に向けていた。
「クハハハハ! くそが! 終わりだ!」
ジルフォード様に一瞬の迷いが出た。銃が放たれたら、わたくしやジルフォード様は間違いなく致命傷になる状況だった。
しかし、剣を抜かなければ伯爵令嬢の頸動脈から血飛沫が上がり、馬車は血の海になるに違いなかった。
わたくしに迷いはなかった。
(――イリ、ごめんなさい。もう、人が傷つくのは見ていられないのよ)
手首に巻き付いていた血に染まった縄など断ち切って、わたくしはジルフォード様の前に立ち、反乱軍の隊長に向かって走り出した。
「エレノア様!!!」
銃口が火を吹いた。ジルフォード様の叫び声が聞こえた。
わたくしは伯爵令嬢に覆いかぶさった。伯爵令嬢と反乱軍の隊長はそのまま倒れ込んだ。すぐさまジルフォード様が反乱軍隊長の大腿部にシュタイク様の剣を突き刺した。そのまま、わたくしに駆け寄ってきた。
「エレノア様! エレノア様!」
ジルフォード様がわたくしを抱き起こし、右胸からとめどなく溢れ出る真っ赤な血を止めようと泣いていた。いつもの冷静な彼らしくなく、少し笑えた。
ヒュー……ヒュー……と気管から息が漏れていた。手にも足にも力がなくなり、抜けていった。右胸の傷からはわたくしと同じ瞳の真っ赤な血が止め処なく流れ続けていた。
ジルフォード様の美しい碧眼がかすんで見えにくくなってきた。彼の低くくて畏まった声も、さらりと風に流れて光る髪も、不器用な優しさも、もう、感じることも見ることもできない。
こんなことになるなら、最初で最後のダンス。もっとたくさん踊ってたくさんお話すれば良かった。
わたくしの世界が終わる。
(――あぁ、これで最期ね。次は、もっと、わがままに生きたいな……猫みたいに)
「じ、じる……ふぉーどさま……」
「エレノア様! 今すぐ医官を呼びます! あまり喋らないでください!」
◇
ダメだ……ダメだ……ダメだ……ダメだ! 逝かせない! 嫌だ……嫌だ! ようやくエレノア様の手を掴める所だったのに、何故……私が、私が……!?
「……なかないで。あなたは……碧い風が似合う……琥珀の……火を浴びて……きらきら……かがやいている……」
あれほどに憧れたエレノア様の紅玉の瞳が血の色に染まり、黒く変色してゆき、ゆらゆらと消えていった。
「エレノア様! ダメだ……ダメです! 私は……私は……!」
エレノア様の肩を抱き、彼女の胸に顔を寄せた。花の匂いなどせず、鉄と血の匂いが、これは夢ではないと無残に告げていた。
「……くにを……まちの……ひとを……よろしく……おねがいし……ます……」
それが最期だった。
反乱軍たちはその後、クーデル様の見事な策略により全員捕縛された。人質だった貴族たちも全員解放された。
ただ一人の、この国の光を除いては……。
その後の記憶はあまりなかった。
副団長のザックが、泣き崩れて落ちて動けない私を王都のトトの元へ引き戻してくれたのだった。
* * *
――私は今、工房の扉の前に立っている。
ーー私の剣は、トトのハンマーで打ち直されていく。
ーーすべての修繕が終了した時、私はただの男に戻れるだろうか。
ここまで、お読み頂きありがとうございました!
エレノア様の気高さと強さと最後にジルへの恋しさに気づく、切ないけど美しい最後に
なったかなと思います。
ここで、第1話の冒頭のシーンに戻ります。
ここまでは、ずっと、ジルがベッドで寝ているトトを眺めながら振り返っていた過去になります。
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画像も近況ノートに、アップしているので、また、そちらもお楽しみください。




