2章エピローグ
霧が晴れた後のポンペアンは、まるで巨大な白い墓所と化していた。
丘の上に立つ男は、双眼鏡を握りしめたまま、微動だにしなかった。
今作戦司令官
エーリヒ・ヴァルデン、53歳。ステディ軍参謀本部副長。
元は白鉛病で妻と幼い娘を失った元帝国所属の医師だった。彼は自らの手で家族の肺を白く固まらせていく過程を、ただ見守ることしかできなかった。あの無力感と、純白の結晶が家族の体を侵食していく光景が、彼を反白鉛の道に駆り立てた。以来、彼は「白鉛をこの世から根絶する」事を、生涯の贖罪と信じて生きてきた。理想主義者であり、同時に極めて苛烈な現実主義者でもあった。
だからこそ、彼は最後までガス兵器の使用に反対し続けた。
会議では机を叩き、声を荒げ、時には上層部を「理想を食い物にする卑劣漢」と罵った。
「これを使えば、我々は白鉛そのものになる。敵を憎むあまり、自分たちまで毒に染まる愚行だ」と。
しかし、組織は彼の声を聞き入れなかった。
前線指揮官の彼は、止める事は出来た、
だが、この道を進まなければ、更に大きな犠牲が出ること。
仲間たちやこれから生を受ける、存在を救い
未来を得るにはこの犠牲が無ければ、成り立たない、
「そうだ、この戦いは正義の戦いなのだ、全てを終わらせるための戦いなのだ、私達のすることは未来のすべての命を守る行為なのだ、」
そう言い聞かせ、部下に実行の命を出した。
間違っている事を受け入れたくない、認めたくない、
その気持ちを、聖戦と言うなの神のご意思の名の下に喉の奥に飲み込んだ。
そして2時間後
ヴァルデンは今、眼下に広がる惨状を、虚ろな目で見下ろしていた。
白く固まった母親が、幼い子供を抱きしめたまま永遠に凍りついている。
笑顔のまま白鉛と化した少女。
互いを抱き合い、苦痛に歪んだ顔で石となった夫婦。
すべてが、無傷のまま、白い死の彫像と化していた。
「……これが、我々のしたことか…
なんでこんな事になったんだ。あの子達は今の私を見て誇りに思えるだろうか…」
彼の声は、風にかき消されるほど小さかった。
喉の奥から、嗚咽とも吐き気ともつかないものが込み上げてきた。
家族を白鉛に奪われた自分が、今度は数万もの無辜の民を、同じ白鉛で内側から殺した。
皮肉か。運命の嘲笑か。
彼が最も憎んだものを、自らの手でこの世にばらまいてしまった。
ヴァルデンはゆっくりと膝を折り、地面に手をついた。
指先が白い粉を掴む。
自分たちの放ったガスが、風に乗ってここまで届いていたのだ。
「我々は……何も醒ませなかった。
ただ、新たな夢を撒いただけだ……」
目から涙が零れたが、それはすぐに乾いた。
白い粉が、涙の跡に張り付いていく。
反白鉛の理想は、とうに白く染まりきっていた。
いや、最初から白かったのかもしれない。
ヴァルデンは、ただ静かに、声を殺して泣いた。
誰にも聞こえないように。
誰にも知られないように。
この戦いで最も重い罪を背負った男として、ただ一人、絶望の底に沈んでいった。
第2章完
これにて一章は完結となります。
3章は個人の視点となります。
次回更新は、7月7日を予定しております。




